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仏教関係の本の紹介と日々雑感を書いております。禅、哲学、小説などの本も紹介しています。
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おもうつぼさんの新着記事

1件〜30件

  • 木大拙博士生誕150年を向かえて・・・   『鈴木大拙の人と学問』(鈴木大拙選集 新装版別巻 春秋社)から

      鈴木大拙博士生誕150年を向かえて・・・  『鈴木大拙の人と学問』(鈴木大拙選集 新装版別巻 春秋社)から 今鈴木大拙博士の生誕150年記念ということで、ほんのすこしばかり、拙ブログも思いを馳せてみたい。 この『鈴木大拙の人と学問』という本は1975年初版、大拙は1966年没だからおそらく6年後、当時の著名人たちの大拙へのオマージュ集である。執筆陣は下村寅太郎、務台理作、R・H・ブライス、山屋...

  • 思う壺。『龍馬がゆく』  続き

     思う壺。『龍馬がゆく』  続き 江戸末期にその生涯を賭して、まったく新たな価値観を創造し、そして大政奉還という歴史的転換を成し遂げて、時代を駆け抜けた風雲児坂本龍馬。江戸幕府の体制を破壊したが、また新しい日本人という国の礎を創った。 江戸幕府はもはや外圧・内圧に耐えうるような脆弱な体制にすぎないことを、いち早く見抜いていた勝海舟や大久保一翁の意見を聞き入れた龍馬は、西欧諸外国の政治体制や思想や知...

  • 思う壺。『龍馬がゆく』七巻 龍馬の生きた時代といまを思う。

     思う壺。『龍馬がゆく』七巻 龍馬の生きた時代といまを思う。 『龍馬がゆく』も七巻目に入ってきた。時代のうねりがすごい。音を立てて時代が動いている。龍馬の意図が次第に自分の方に向かって動いていく。もはや時代の趨勢は龍馬の鋭い「直観」の内へと舵を切って進んでいく。西郷隆盛、高杉晋作、桂小五郎、中岡慎太郎、後藤象二郎、その周りを支える、陸奥(陽之助)宗光、岩崎弥太郎、五代才助、お慶、おりょう・・・・キ...

  • 思う壺。 思う壺。今という、ときの徒然に・・・

     思う壺。今という、ときの徒然に・・・  日本の顔が一新されて、また未来へと一歩を踏み出して感慨深い、ということもないのだが、あいかわらず時間についてあれこれ、考えている。『ベルクソン『物質と記憶』を解剖する』(書肆引水)をざっと読んだ。欧米や日本のベルクソン研究者、専門家が知覚や時間について所論が収められている。二三面白い論文があった。詳細は割愛させていただくが、現代にとっても、ベルクソンの時間...

  • 読書感想 『新実存主義』マルクス・ガブリエル 廣瀬 覚訳  

    読書感想 『新実存主義』マルクス・ガブリエル 廣瀬 覚訳  仏教的縁起論への可能性を想う  本書は、現代ドイツの若き哲学者、今や人気急上昇中の著者が四人のコメンテーターに答えるという形になっている。 序論 「穏健な自然主義と、還元論への人間主義的抵抗」(ジョスラン・マクリュール) 第1章 「新実存主義―――自然主義の失敗のあとで人間の心をどう考えるか」(マルクス・ガブリエル これが海外で出版された原...

  • 読書感想 『ブッダが考えたこと  プロセスとしての自己と世界』 リチャード・ゴンブリッチ   ブッダが考えた以上のこと、とは?

    読書感想 『ブッダが考えたこと  プロセスとしての自己と世界』 リチャード・ゴンブリッチ  ブッダが考えた以上のこと、とは?  原文のタイトルは「What the Buddha Thought」であって副題の「プロセスとしての自己と世界」はない。訳者の浅野孝雄氏(編集者か?)が付したものだろう。ゴンブリッチは1970年当時イギリスのサンスクリット語文献学の碩学。本書はもう十数年以上前に本国でレクチャー、出版されたもの。...

  • 『時間観念の歴史 コレージュ・ド・フランス講義 1902-1903年度』アンリ・ベルクソン    時間を考えるなら必読の一冊

     『時間観念の歴史 コレージュ・ド・フランス講義 1902-1903年度』アンリ・ベルクソン   時間を考えるなら必読の一冊 西洋哲学における時間の観念の歴史を、あくまでベルクソン自身の時間の哲学の輪郭を描くために講義された速記録である。したがって本書は、いわゆる時間論の一般概論書というより、ベルクソンの哲学をさらに読みやすくするための、いわば入門書と言っていい。 これを読めば時間論が、およそ理解できなく...

  • 読書感想+思う壺。『時間論』九鬼周造   時間は意志に属す、とは?

    読書感想+思う壺。『時間論』九鬼周造  時間は意志に属す、とは? 1916年岩波文庫から小浜善信編で出版。 九鬼周造と言えば『「いき」の構造』で知られるが、時間についてもなかなか興味深い知見が披歴されている。 なぜ時間論なのかというと、九鬼は留学時(1920年代)に、ドイツやフランスに滞在し、ハイデガー、フッサール、ベルクソン、サルトルらと出会っているからなのだろう。彼ら、当時の筋金入りの錚々たる...

  •  『蓮如』(三) 本願寺衰退の巻  丹羽文雄    覚如・存覚親子の義絶と葛藤

      『蓮如』(三) 本願寺衰退の巻  丹羽文雄   覚如・存覚親子の義絶と葛藤 この巻では親鸞の曽孫に当たる宗主3代目、覚如とその息子存覚の間に横たわる親鸞解釈と宗教観の違いから生まれた確執、その果ての親子の義絶が専ら描かれる。とはいえ当時(1300年代前半)の歴史の叙述が半ばを占める。 親子の義絶といえば、親鸞が息子に言い渡した善鸞への義絶が著名だが、これは善鸞と親鸞の宗教観の違いから由来し、親鸞が...

  •   思う壺。 こうして善と悪は二元論的図式の罠に嵌ってゆく

    思う壺。 こうして善と悪は二元論的図式の罠に嵌ってゆく       検察庁と現政権を巡る問題 検察庁検事総長の定年延長問題を巡ってなにやら世間で喧しいが、どうも腑に落ちない点がいくつかある。2,3日前から調べただけで、抗議している芸能人たちのようにおそらく何年も前から検察庁法とか、国家公務員法とか丹念に研究しているわけではないので、間違っていたらごめんなさい。  検事総長は、東京地検検事長が次期総...

  • 読書感想 『「私」は脳ではない  21世紀のための精神の哲学』 マルクス・ガブリエル著

    読書感想 『「私」は脳ではない  21世紀のための精神の哲学』 マルクス・ガブリエル著 マルクス・ガブリエルの前著『なぜ世界は存在しないのか』を読んで、なかなか面白かったので、今回本書を取り上げた。哲学界では長きにわたって精神と物質や心と身体という二元論がテーマとして取沙汰されてきた。 今どんな議論がなされているのか、フッサールやメルロ=ポンティなどの現象学をほんの少しばかり齧って以来なので、その...

  • 『いのちと時間  世俗的時間から霊性的時間へ』 最終回

    『いのちと時間  世俗的時間から霊性的時間へ』 最終回 おわりに  時間的には直線的時間性と円環的時間性、あるいは世俗的時間性と霊性的時間性。世俗諦的時間と勝義諦的時間。それらもまた、矛盾しあうような関係にありながら、即非的な関係にあるだろう。 あらゆる諸物はめぐり来る。すべては流転する。縁起によって再び同じ姿を現すこともあるだろうし、もう二度と現われることはないかもしれないが、しかしこの世にある...

  •  第三節 いのちと空無性

     第三節 いのちと空無性 たとえば。死んだ人間が生きている人間に語るというオカルティックな状況を真に受ける人間がいるならば、映画や小説でない限り、そこには、おそらく死者の存在や死後世界の存在が実体論的なものとして想定されていることは容易に想像されるだろう。そうした状況はいくらでも仮設可能であろうし、そうした仮設(けせつ)は、虚仮であるにもかかわらず実体論的なものとして、無明であるが故に無批判的に措...

  • 第七章 いのちと時間   第一節 世俗的時間性と霊性的時間性の対比

    第七章 いのちと時間  第一節 世俗的時間性と霊性的時間性の対比 以上縷々述べてきた二者の時間性をおおまか対比してみよう。<世俗的時間性>                <霊性的時間性>抽象性                        具体性相対性                        絶対性点の連続性                     非連続的連続直線的線分          ...

  •  第八節 諸物は鏡に映った姿、無限大円環構造の空性

     第八節 諸物は鏡に映った姿、無限大円環構造の空性  鏡の比喩はしかし、物が消え去ってしまえば、映った物も消え去ってしまう。そうした一方性があるけれども、実際に起こっていることは、鏡に映った物が消えれば、物が消えるということだ。つまり物は鏡でもあるからだ。でなければ、縁起的法界は意味を成さない。鏡の比喩は、一方にコップの実物、他方にコップの鏡像という分離した二つのコップがあるように見えるが、実...

  • 第七節 大拙の即非と「空=差異=差異の関係=依存」の円環

       第七節 大拙の即非と「空=差異=差異の関係=依存」の円環  今という現在が全ての過去と未来に接しあっており、それが現在に顕現しているという状態を理解し、また認識することなど凡夫にとって到底叶わないだろう。われわれが、SFのような荒唐無稽と思える、こうした時間観念を理不尽、あるいは常軌を逸した妄想としか捉えることができないのは、直線的で有限な時間に繋縛された無明という洞窟から出る術を持ってい...

  •   第六節 縁起的世界の言語的モデル

       第六節 縁起的世界の言語的モデル  次に言語について考察してみる。  分かりやすくアルファベットを例に取ると、「A」は「B・C・D・E・・・・・Z」を包摂している。つまり「A」は「B・C・D・E・・・・・Z」のなかに空となって残っている。「A」はまったくの無ではなく、「B・C・D・E・・・・・Z」から完全に離れたところにあるわけでもなく、かといって「B・C・D・E・・・・・Z」と同じように在るとうわけでもな...

  •  第五節 縁起的世界の時間モデル

      第五節 縁起的世界の時間モデル これを概念的に図式化すれば次のように表せるだろう。 縁起の時間モデル(図示不可のため割愛) 過去・現在・未来は相互に支え合った鼎の関係にあり、三つ巴の関係であり、有力・無力の作用(用)の関係にある。これが「相入」の関係。(鎌田茂雄氏は『無限の世界観<華厳>』で鼎の喩えが述べられている。P.148)現在a・過去a・未来aは互いを支えあいながら、刹那滅として現成・空無化...

  • 第四節 華厳的時間の回互性と「かたちなきいのち」

    第四節 華厳的時間の回互性と「かたちなきいのち」 われわれが生きている、この世俗的世界の真実つまり、世俗諦とは物の現象や、対象、表象、概念、観念といったいわゆる意識のプロセスが具体的な所与として捉えられる、そうした臆見・ドクサから成り立っている。仏教でいう色つまり、物の形、大小、長短、軽重、金銭的価値、美的価値から無形象の意思や思惟、感性その他知覚、認識、さらに言語に至るまで、阿頼耶識のなかで生ま...

  • 第三節 直線的時間性と霊性的時間性の違い、時間性の根拠としての空

     第三節 直線的時間性と霊性的時間性の違い、時間性の根拠としての空  さらに詳しく有限的時間性と無限的時間性、あるいは直線的時間性と霊性的時間性の違いを述べて見ることにしよう。  先に述べた法界縁起の世界における諸差異とは、「ずれ」であるが、大拙が言う中心と脱中心の差異である。この差異は空間的な差異とも言えるが、時間的な差異とも言える。誤解を恐れずに言えば、空間と時間がまだ未分化な状態である。意...

  • 第二節 「空―差異―関係―依存」の四つの位相

      第二節 「空―差異―関係―依存」の四つの位相  無明にある現成の世界、表面上こそ喧しい世界でありながら、実は真逆のまったくの静的な世界、つまり無意識に生命の抑圧や毀損を許す世界に対して、昨今ほどわれわれに異議申し立てすることが迫られている時代はないのではないか?  無明の有限なる世界と法界の無限なる世界という対立は見せかけのものにすぎない。(有限と無限の一体性は清沢満之の論参照)。さらに時間論...

  • 第六章 因果する時間から縁生する時間へ  第一節 縁起的時間性と直線的時間性は対立しない

      第六章 因果する時間から縁生する時間へ  第一節 縁起的時間性と直線的時間性は対立しない  縁起的な円環的時間が見出されるのは、まさにその点である。1 縁起的な円環的時間性と直線的時間性は矛盾対立するのではない。なぜなら、本来は無始無終である円環的時間が本来的な、つまり勝義諦であるが、それは直線的な世俗諦的時間よりつねに「事後的にしか」見出されないからだ。世俗諦にあっては、見出されない以上、...

  • 第十三節 縁起的関係性と時間、アビダルマにおける時間

      第十三節 縁起的関係性と時間、アビダルマにおける時間   関係性の網の目における差異はこのように縁起的に世界・宇宙の果てにまで及んでいる。世界・宇宙で関係していないものは何もなく、この差異の網の目から逃れるものは何一つありはしない。一塵のなかに宇宙があるとは、まさにそのことを意味している。  『華厳五教章』のなかの「解釈門」、8にある「十世隔法異成門」にこうある。「従って十世隔法異成門とは、...

  • 第十二節 縁起の関係と諸差異の無自性的構造

    第十二節 縁起の関係と諸差異の無自性的構造  では具体的な例をあげて説明しよう。 今、机の上にガラスのコップがあるとしよう。机の上に置かれたガラスのコップを上記の「中心」としてみる。私の手がコップをつかもうとしたところ、滑らせて床に落としたとする。果たしてガラスコップは割れてガラスの破片と化した。これが脱中心(再中心化と言ってももいいが)である。諸縁起の連関によって維持されていたコップは、今また縁...

  •  第十一節 仏教と西欧哲学―――相違点と類似点

      第十一節 仏教と西欧哲学―――相違点と類似点    ドゥルーズ=ニーチェのいう差異は結局、量と質の差異に還元されるほかないが、ドゥルーズ=ニーチェは力、力能にも関係させている。いわゆる力への意志である。「<力>の意志は相互の差異によってのみ成り立つ示差的な境位であって、そこからある一つの複合体において対峙し合う諸力が派生し、またそれら諸力のそれぞれの質が派生してくるのである。」1  差異とは力の...

  • 神保町~北鎌倉ぶらり旅   ふるほんやの古本屋散策と東慶寺・円覚寺巡り

    神保町~北鎌倉ぶらり旅  ふるほんやの古本屋散策と東慶寺・円覚寺巡り 東京へ行く機会が、たまたま出来た。一日目は神保町の、ふるほんやの古本巡り。7、8年前に一度来たことがあった。そのときも何冊か買った。神保町の古書店界隈はそのときとあまり変わっていないようだ。そのとき休みで店内を見ることが叶わなかった仏教書の品揃えが充実している東陽堂さんに伺えた。さすが、なんというか圧巻。聞いたこともない大部の古...

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