今年も三度目かな、館蔵品でいつもながらの花鳥画、山水を中心に明治から昭和にかけての日本を代表する大家の40点ほどで関雪の屏風て゛「藤に馬」、桂華、蓬春などが何時見ても好印象、明、清時代の筆、墨、硯、紙の
今年も三度目かな、館蔵品でいつもながらの花鳥画、山水を中心に明治から昭和にかけての日本を代表する大家の40点ほどで関雪の屏風て゛「藤に馬」、桂華、蓬春などが何時見ても好印象、明、清時代の筆、墨、硯、紙の
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1906-1997新潟市生ー桐生市脳出血享年48歳、東洋大学印度哲学倫理科卒 堕落論、白痴位しか読んでおらず無頼派と言われ多作ながら病など数奇な生涯を送ったこともありまた推理探偵小説みたいなものもあったのか