映画「男はつらいよ」 のシリーズを見た人はいるだろうか? いわゆる 寅さん映画ですけれど、48 作もあります。このシリーズの最高傑作は 第2作目だと思っています。第2作目がシリーズ 最高傑作だと思っています。2作目のストーリーは簡単で、高校時代の恩師である坪内散歩先生の娘さんに惚れて最後に振られるという ワンパターンな物語展開 なんですが、 これが最高に面白い。
2025年3月
スポーツ教室について語ってみる その4 ワンデルン・シューレ( 移動教室)
映画「男はつらいよ」 のシリーズを見た人はいるだろうか? いわゆる 寅さん映画ですけれど、48 作もあります。このシリーズの最高傑作は 第2作目だと思っています。第2作目がシリーズ 最高傑作だと思っています。2作目のストーリーは簡単で、高校時代の恩師である坪内散歩先生の娘さんに惚れて最後に振られるという ワンパターンな物語展開 なんですが、 これが最高に面白い。
先日、息子の卒業式がありました。その後に謝恩会があったわけですが、私が子供の頃の謝恩会とだいぶ違っていたので驚いた次第です。どういう点が違ってたかと言うと、私が小学生の頃は、PTAは謝恩会に全く関わってなかった。謝恩会を企画したのは小学校の先生。小学校の先生の指導のもとに謝恩会をやったわけです。 当然のことながら、卒業式の何日か前に行っています。家庭科の先生に家庭科室に来るように言われて、そ…
スポーツ教室について語ってみる その2 子供が生まれた時に真っ先に考えたことは、勉強ができなくても良い。運動ができなくても良い。のびのびと育って、たくさんの友人に囲まれて幸せな人生を送ってほしい。 だから自由奔放に生きていけるように子育てをしようと考えていました。 なので晴れてる日は毎日、浅間牧場で愛犬ころと 散歩して遊んでいました。 幼稚園に入る年齢になると、教育委員会から幼稚園に入る…
今日小学生である 息子の最後の授業が終わった。あとは 卒業式だけです。というわけで、もう遠慮もいらないと思いますので、なんやかんだで今まで言えなかったことをブログで書くことにします。 小学生時代を通じて 一度 息子は非常に運が良かったと思います。 まず第一に時代に恵まれたこと。それによって色々な体験ができたことです。 今回はその中の一つであるスポーツ教室について少しばかり話しておこうと思います…
2025年3月
「ブログリーダー」を活用して、北軽井沢ブルーベリーYGHさんをフォローしませんか?
映画「男はつらいよ」 のシリーズを見た人はいるだろうか? いわゆる 寅さん映画ですけれど、48 作もあります。このシリーズの最高傑作は 第2作目だと思っています。第2作目がシリーズ 最高傑作だと思っています。2作目のストーリーは簡単で、高校時代の恩師である坪内散歩先生の娘さんに惚れて最後に振られるという ワンパターンな物語展開 なんですが、 これが最高に面白い。
先日、息子の卒業式がありました。その後に謝恩会があったわけですが、私が子供の頃の謝恩会とだいぶ違っていたので驚いた次第です。どういう点が違ってたかと言うと、私が小学生の頃は、PTAは謝恩会に全く関わってなかった。謝恩会を企画したのは小学校の先生。小学校の先生の指導のもとに謝恩会をやったわけです。 当然のことながら、卒業式の何日か前に行っています。家庭科の先生に家庭科室に来るように言われて、そ…
スポーツ教室について語ってみる その2 子供が生まれた時に真っ先に考えたことは、勉強ができなくても良い。運動ができなくても良い。のびのびと育って、たくさんの友人に囲まれて幸せな人生を送ってほしい。 だから自由奔放に生きていけるように子育てをしようと考えていました。 なので晴れてる日は毎日、浅間牧場で愛犬ころと 散歩して遊んでいました。 幼稚園に入る年齢になると、教育委員会から幼稚園に入る…
今日小学生である 息子の最後の授業が終わった。あとは 卒業式だけです。というわけで、もう遠慮もいらないと思いますので、なんやかんだで今まで言えなかったことをブログで書くことにします。 小学生時代を通じて 一度 息子は非常に運が良かったと思います。 まず第一に時代に恵まれたこと。それによって色々な体験ができたことです。 今回はその中の一つであるスポーツ教室について少しばかり話しておこうと思います…
土井健次が亡くなって1年。 彼を思い出す度に涙が出ます。 今後は、彼の遺族を支援しつつ、彼の遺稿を世に出したいと考えています。 合掌 つづく ↓ブログ更新を読みたい方は投…
さきほど父が亡くなりました。 91歳の大往生でした。 誤飲性肺炎とパーキンソン症状をともなう認知症が原因で、半年前から何度も倒れるなどの症状がありましたが、内科の医師(インターン)に診断を御願いしても大したことがないと言われてしまい入院を断られ症状が悪化してしました。仕方が無いので脳神経外科の先生(大ベテラン)に連れて行ってはじめて精密検査をしていただくことになり、病気を認定してしまったし…
1月14日の土井健次氏の死去にともない、 今年は親戚以外は年賀…
土井健二という男を語る前にバブル時代というものを説明したい。日本という国が狂ったように経済成長をしていって、それこそ世界を制服しかねないような勢いだった。日本が一人勝ちしていた時代であり、日本…
土井健二という男を語る前にバブル時代というものを説明したい。日本という国が狂ったように経済成長をしていって、それこそ世界を制服しかねないような勢いだった。日本が一人勝ちしていた時代であり、日本企業には日の出の勢いがあった。 当時の会社は卒業予定の学生を確保するために懸命だった。人材がいれば、いくらでも会社が伸びる時代でもあった。就職内定者をハワイとかロサンゼルスに連れて行ってよそに取られな…
息子が 修学旅行から帰ってきた。車で迎えに行ったら巨大な袋にたくさんのお土産を買ってやってきた。 お小遣いの上限が 7000円だったためか、ずっと雨に降られたためか、 お金を使う時間がなかったために、旅行の最後にドタバタとお金を使うハメになったらしい。 そのために最後の最後に大量のお土産を買うしかなかったようだ。 7000円の小遣い というのは、ちょっと多いように感じるが、実はそうでもない。この 7000円…
今日は息子のやつは、 修学旅行 水族館に行ってるはずだ。信じられないことに 群馬県には 水族館がない。そのせいか私の嫁さんも含めて みんな 水族館が大好きだ。特にイルカのショーが好きらしくて、 これには目をキラキラさせて 眺める人が多い。 私は佐渡島 出身なのでイルカは特に珍しくはない。 佐渡島から新潟市につながる航路を 佐渡汽船で何回か乗ると、時々 イルカの大群に出会うことがある。 最初は一匹で出現…
今日は、 小学6年生となった息子が 修学旅行に出かけている。 場所は 鎌倉。 建長寺と鶴岡八幡宮と 源頼朝の墓と大仏を 自由行動で見学をすることになっている。 まあ 無難なチョイスかもしれない。 そこで事前に息子に 見学先のことを詳しく説明しておいた。 まず建長寺の説明をした。 建長寺というのは 禅宗のお寺である。 鎌倉には禅宗のお寺がいっぱいあるけれど、その理由を説明しておいた。 …
14日の午前2時17分に北軽井沢ブルーベリーYGHのスタッフでもあり、30年来の親友であった土井健次君が、お亡くなりました。 お通夜は、…
私が三歳九ヶ月になった時、母が妊娠して弟が生まれたことは、すでに述べた。母は生まれたばかりの弟をつれて佐渡島外海府の漁村に向かい、私は祖母と父と生活することになったことも、すでに述べた。 …
今日、午前1時に北軽井沢ブルーベリーYGHのスタッフでもあり、30年来の親友であった土井健次君が、お亡くなりました。 昨日の朝、脳出血で倒れ、緊急入院をしましたが手遅れでした。 葬儀などについては、追って連絡いたします。 とりあえず、しばらくの間は奥さんへの、御連絡を控えてください。 (忙しいので) どうしても詳しく情報を聞きたい場合は、 佐藤0279-84-3338 まで連絡してください。
私が三歳になった頃、母親が妊娠した。そして弟が生まれた。私は、母と別れて、父・祖母と暮らすことになった。母は、生後三ヶ月の弟を連れて、単身赴任で例の漁村に去って行ってしまった。三歳九ヶ月になった私は、厳格な父親と、口うるさい祖母と生活することになり、昼間は、子守では無く保育所の世話になることになった。環境がガラッと変わってしまったのである。 不思議なことに父は、母と違って大げさな礼儀作法を…
いろいろ余計なことを書いてしまったが、何が言いたいのかというと、幼児の頃の私は、母親との接点が、かなり薄かったということを言いたかった。一日のほとんど、母と接してない。母と一緒にいる時間がほとんど無い。 今と違って、昔の教師は、九時から五時で帰れなかった。帰っても持ち込みの仕事がたくさんあった。パソコンもコピー機が無いために、毎日のようにガリ版をきっていた。母親と一緒にいるといっても、ただ…
私の生まれ育ったところは 佐渡島。 昭和三十六年生まれなので、 日本の高度成長をそのまま体験して生きてきた世代。 昔の佐渡島は 経済発展が遅れていたから、母親が洗濯板で私のオムツを洗っている姿を見ていたし、 井戸水を汲んだ体験もある。足踏みミシンを勝手に動かして血を流したこともあるし、炭で加熱して使うアイロンを頬あてて大火傷をしたこともあった。 そういう時代に母親は、学校の教師をして…
2023年4月24日、私の母が永眠した。 佐渡島に住んでいる弟から連絡があった。 八十八歳だった。 その母について語ってみようと思う。 私の母は、華族・伯爵家(広橋家・藤原氏の…
喪中と休館のお知らせ。 今年の4月末頃に私の母が、88歳 で永眠 しました。 というわけで、新年のご挨拶は欠礼させていただきます。それからしばらくの間、 宿の方も 休館させてください。 実は、お隣の別荘の持ち主が、購入してもらえないだろうかとお話がありました。 正直なところ、購入するための余裕はなかったのですが、 今更 変な人に隣人になられても困るので、ちょっと無理をして購入することにしました。 理…
14日の午前2時17分に北軽井沢ブルーベリーYGHのスタッフでもあり、30年来の親友であった土井健次君が、お亡くなりました。 お通夜は、…
私が三歳九ヶ月になった時、母が妊娠して弟が生まれたことは、すでに述べた。母は生まれたばかりの弟をつれて佐渡島外海府の漁村に向かい、私は祖母と父と生活することになったことも、すでに述べた。 …
今日、午前1時に北軽井沢ブルーベリーYGHのスタッフでもあり、30年来の親友であった土井健次君が、お亡くなりました。 昨日の朝、脳出血で倒れ、緊急入院をしましたが手遅れでした。 葬儀などについては、追って連絡いたします。 とりあえず、しばらくの間は奥さんへの、御連絡を控えてください。 (忙しいので) どうしても詳しく情報を聞きたい場合は、 佐藤0279-84-3338 まで連絡してください。
私が三歳になった頃、母親が妊娠した。そして弟が生まれた。私は、母と別れて、父・祖母と暮らすことになった。母は、生後三ヶ月の弟を連れて、単身赴任で例の漁村に去って行ってしまった。三歳九ヶ月になった私は、厳格な父親と、口うるさい祖母と生活することになり、昼間は、子守では無く保育所の世話になることになった。環境がガラッと変わってしまったのである。 不思議なことに父は、母と違って大げさな礼儀作法を…
いろいろ余計なことを書いてしまったが、何が言いたいのかというと、幼児の頃の私は、母親との接点が、かなり薄かったということを言いたかった。一日のほとんど、母と接してない。母と一緒にいる時間がほとんど無い。 今と違って、昔の教師は、九時から五時で帰れなかった。帰っても持ち込みの仕事がたくさんあった。パソコンもコピー機が無いために、毎日のようにガリ版をきっていた。母親と一緒にいるといっても、ただ…
私の生まれ育ったところは 佐渡島。 昭和三十六年生まれなので、 日本の高度成長をそのまま体験して生きてきた世代。 昔の佐渡島は 経済発展が遅れていたから、母親が洗濯板で私のオムツを洗っている姿を見ていたし、 井戸水を汲んだ体験もある。足踏みミシンを勝手に動かして血を流したこともあるし、炭で加熱して使うアイロンを頬あてて大火傷をしたこともあった。 そういう時代に母親は、学校の教師をして…
2023年4月24日、私の母が永眠した。 佐渡島に住んでいる弟から連絡があった。 八十八歳だった。 その母について語ってみようと思う。 私の母は、華族・伯爵家(広橋家・藤原氏の…