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  • 盟友 土井健次氏の葬式について

    14日の午前2時17分に北軽井沢ブルーベリーYGHのスタッフでもあり、30年来の親友であった土井健次君が、お亡くなりました。 お通夜は、…

  • 母の思い出 その

    私が三歳九ヶ月になった時、母が妊娠して弟が生まれたことは、すでに述べた。母は生まれたばかりの弟をつれて佐渡島外海府の漁村に向かい、私は祖母と父と生活することになったことも、すでに述べた。 …

  • 盟友 土井健次を悼む

    今日、午前1時に北軽井沢ブルーベリーYGHのスタッフでもあり、30年来の親友であった土井健次君が、お亡くなりました。 昨日の朝、脳出血で倒れ、緊急入院をしましたが手遅れでした。 葬儀などについては、追って連絡いたします。 とりあえず、しばらくの間は奥さんへの、御連絡を控えてください。 (忙しいので) どうしても詳しく情報を聞きたい場合は、 佐藤0279-84-3338 まで連絡してください。

  • 母の思い出 その5

    私が三歳になった頃、母親が妊娠した。そして弟が生まれた。私は、母と別れて、父・祖母と暮らすことになった。母は、生後三ヶ月の弟を連れて、単身赴任で例の漁村に去って行ってしまった。三歳九ヶ月になった私は、厳格な父親と、口うるさい祖母と生活することになり、昼間は、子守では無く保育所の世話になることになった。環境がガラッと変わってしまったのである。 不思議なことに父は、母と違って大げさな礼儀作法を…

  • 母の思い出 その4

    いろいろ余計なことを書いてしまったが、何が言いたいのかというと、幼児の頃の私は、母親との接点が、かなり薄かったということを言いたかった。一日のほとんど、母と接してない。母と一緒にいる時間がほとんど無い。 今と違って、昔の教師は、九時から五時で帰れなかった。帰っても持ち込みの仕事がたくさんあった。パソコンもコピー機が無いために、毎日のようにガリ版をきっていた。母親と一緒にいるといっても、ただ…

  • 母の思い出 その3

    私の生まれ育ったところは 佐渡島。 昭和三十六年生まれなので、 日本の高度成長をそのまま体験して生きてきた世代。 昔の佐渡島は 経済発展が遅れていたから、母親が洗濯板で私のオムツを洗っている姿を見ていたし、 井戸水を汲んだ体験もある。足踏みミシンを勝手に動かして血を流したこともあるし、炭で加熱して使うアイロンを頬あてて大火傷をしたこともあった。 そういう時代に母親は、学校の教師をして…

  • 母の思い出 その2

    2023年4月24日、私の母が永眠した。 佐渡島に住んでいる弟から連絡があった。 八十八歳だった。 その母について語ってみようと思う。 私の母は、華族・伯爵家(広橋家・藤原氏の…

  • 喪中と休館のお知らせ

    喪中と休館のお知らせ。 今年の4月末頃に私の母が、88歳 で永眠 しました。 というわけで、新年のご挨拶は欠礼させていただきます。それからしばらくの間、 宿の方も 休館させてください。 実は、お隣の別荘の持ち主が、購入してもらえないだろうかとお話がありました。 正直なところ、購入するための余裕はなかったのですが、 今更 変な人に隣人になられても困るので、ちょっと無理をして購入することにしました。 理…

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