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2011/04/06

  • 信仰と自由

    主は、エルカンターレを信じて信じて信じ切ることが信仰であると言われました。 では、信仰が本物か偽物なのかの判断基準はどこにあるのでしょうか。 それは実践の中に答えがあるといえます。 主を信じたのであれば、それを行動にしなければ信仰が本物かどうかわからない部分があるといえます。 イエス様は 「その木がどんな木か知りたければ、その実を見ればよい」 と言われていたと思います。 木が原因で実が結果ということです。 原因・結果の法則、縁起の理法をわかりやすいたとえ話で、語られていると思います。 人間には自由意志..

  • 学問とは仏法真理を正しく理解するための基礎力だと思う

    「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」 は福沢諭吉の『学問のすすめ』の一節ですが、この内容が意味するところは人はすべてにおいて平等であると解釈できますが この平等とは話の前提に過ぎず、 その後の文は 「実際に世の中を見渡してみると、優れた人あるいは、劣った人もいて両者には雲泥の差があるように見えるのはどうしてなのか?それは学んだか、学んでいないかの差なのだ」 と書かれていたと思います。 最初の文は機会の平等、チャンスの平等と理解できますし、後半のほうは自助努力をして学問を学んだか、さぼったかによって結果が違ってきますよ。 ..

  • 宇宙人にも適用されるカルマの法則

    カルマの法則とは、宇宙的に通じる普遍的法則のようです。 カルマの法則とは、蒔いた種は刈り取らねばならない。 原因・結果の法則または、仏教的には縁起の理法と言われています。 イエス様の言葉でいえば 剣をとるものは剣によって滅ぼされる あるいは、 自己責任の法則 本来、人間には自由が与えられていますが、自由には責任が伴うということでしょう。 この自由には責任が伴う部分がカルマの法則にあたるところでしょうか。 物理的には作用反作用の法則、バランスの法則でしょうか。 現代は唯物論がはびこり、神や仏あるいは高級霊と言われる存在を信じないことが知識人なのである、..

  • 世界宗教・幸福の科学と菩薩への道

    日本人と諸外国とでは、平和の考え方が違うようです。 日本人は何もしないことを平和と考えていますが、諸外国では正義と悪の価値観が明確で、悪は徹底的に粉砕し、神の正義の実現こそ平和と考えています。 幸福の科学は、正義と平和に関して現代の問題にとりくんでいます。 世界宗教は唯一、一つのものから出ています。 ゆえに本来は対立するものではないはずです。 教えが、自国中心の歴史観で違いが出てきています。 違いを埋めていくのは幸福の科学で説かれている仏法真理以外にはありません。 地球人になるために(同化する..

  • 高度な哲学を凌駕する幸福の科学の仏法真理 主の謙虚さに学ぶ

    人間の認識には限界があります。 宗教家としての在り方と哲学者としての在り方の違い等を含めて考えてみます。 真理に込められた内容を深いところで理解することは、その人の魂の成長度と比例関係にあると思えます。 仏説・正心法語の中の真理の言葉・正心法語の中の一節に 「自他は これ 別個に非ず 一体なり」とあります。 非常に平易な言葉で書かれています。 唯物論者は、自分と他人が一体であるという認識はしないでしょう。 おそらく、自分と他人が一体であるというのであれば、その理由を説明しろ と言ってくる..

  • 時間論 時間とは主観的なものなのか

    一般的な時間についての考え方は以下の通りだと思います。 時の流れのある一瞬の時刻。 ある時刻とある時刻の間の長さ という意味でつかわれることが多いようです。 しかし、上記の時間に対するとらえ方は物理的時間のとらえ方であり、過去から現在・未来へと一様に流れる、一方向に流れる時間で、逆方向に進むことはないと考えられています。 一般的感覚としてもその通りでしょう。 しかし、生物の時間は物理的時間のように未来に向かって一方向に流れる時間ではないと自分は考えています。 生物の時間は、円環的な時間の流れ方をしていると考えています。..

  • 認識論 認識によって天国・地獄にわかれるのです

    認識論は難しいと思います。 しかし、ここを通過しなければ、人間の本質や霊的世界を本当の意味で知ることはできないかもしれません。 仏教的な認識論と言えば十八界だと思います。 仏教的認識論 十八界 眼・耳・鼻・舌・身・意の六根と感覚器官の対象に対応する 色・声・香・味・触・法の六境 感覚器官と対象の関係を認識する 眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識 これらの関係を十八界と仏教では読んでいます。 感覚的なものは、過ぎ去るものであり、無常であります。 無常ということは、存在の中に滅びを内包しているということです。 肉..

  • 新築の家を建てるには老朽化した家を取り壊すしかないのか

    例え話をします。 ある家族が、家を建てかえるかどうか考えています。 現在の家は老朽化が進み、ライフスタイルに合わなくなってきたからです。 その夫婦には一人息子がいます。 この息子は、わがままで享楽的な人生を生きています。 父の言うことなど聞かず、わがままし放題な息子です。 ある時、家族会議で現在の家を改修工事で補修するか、家を取り壊して新築の家を建設するか議論していました。 古い家は改修工事では追い付かず、思い切って新しい家にしようと提案する父。 しかし、わがままな息子は家を取り壊し新築の家を建てるまでの間、東京を離れることになるので反対します。 ..

  • 愛に基づく自由

    本当の自由とは 己の主体的意志にもとづいて行動し、その結果に対しては責任をとる姿勢だと思います。 自由といっても認識の広がりや、深さ高さによって条件づけられますから、個人の自由には限界があると思います。 本来、自由自在ではありますが、知らないことに関しては思考することも行動することもできないということです。 この自由意志をどの方向に使うかによって、人間は成長し、あるいは堕落もします。 自由意志があるということが、因果関係や縁起の理法が成り立つための根拠であると考えます。 カントは言います 「おまえの根本命題がすべての人に当てはまるように行動せよ」。 ..

  • 神を信じる信仰心がない人は反省できない 地獄領域の拡大

    神を信じる気持ちがなければ、自分の過ちを反省することはありません。 自分自身に悪いことが降りかかると、すべて原因は他人のせい、環境のせいといった具合に自分の問題に帰することがないでしょう。 反省することを知っていれば、あるいは反省の意味を理解していればこれほど地獄領域が拡大することもなかったでしょう。 根本原因は、神や高級神霊といった目に見えない尊い存在を信じることができない唯物論が蔓延しているからです。 臓器移植に関しても、人間の『死』を脳が停止した段階と定義すれば、心臓が動いていようが死んだことにしてしまい、臓器を取り出すというのだから、真実の世界観から見たら大..

  • 与える愛 笑顔は光を広げる作用があります

    霊光といっても通常の人には霊的な目が開けていませんから、感覚的に感じ取る以外にありません。 しかし、感覚的に感じ取るだけですと、主観が混じっていますので、例えば偽霊能者の言葉に騙されることもあるようです。 過去の宗教家や思想家、哲学者が述べているように、人間の本質は思いである、思っている内容こそがその人自身を表現しているということです。 心でいつも思い続けていること考えていることは、その人の雰囲気や顔や目にあらわれますね。 小さい子供、傷ついた子供は、やはり優しい人のそば近くによっていきます。 子供は感受性豊かですから、この世的に見て、善人・悪人をかぎ分ける能力がある..

  • 世界三大宗教の源流 主エルカンターレ 日本の信じないという文化

    キリスト教において、イエス様は明確に「天に私の父がおられる」と言われました。 神をファーザーと呼んだのは、イエス様が最初であると思います。 人格神で自分より上の存在がいることを認めています。 イスラム教のムハンマドは、アッラーという名で、自分より上の神を呼んでいます。 仏教のお釈迦様だけが、『天上天下唯我独尊』 だと言われています 他に指導されているものはなく、自分が悟りを開いたら、宇宙の根本の悟りにつながっているという考えであり、上なる神がいないと言っています。 ただ、他の世界宗教では、上にもう一人いると明言しています。 フィリピンでは、 「イエ..

  • 地獄界拡大の原因 自由に伴う責任を取り去ること 破邪顕正

    七大天使の一人であったルシ〇〇が一億二千年前に地獄に落ちて、まず最初にやった仕事とは・・・ 地獄霊の教育です。 地獄霊に対して洗脳していきました。 お前たちは自由なのだ。 個人個人の自由は、神における自由より優れているのだ。 天使を批判しようが神を批判しようが、すべて個人の自由である。 といった教育を開始して、低位領域に存在してた霊人たちを次々と洗脳していきました。 自由に伴う責任の部分は、縁起の理法や蒔いた種は刈り取らなければならない という法則に根拠を持ちます。 また、考え方の基礎が唯物論であると、自分にとってこの世的な損得しか考えていないので..

  • 神よりも権威に弱い日本人 自分にとって都合の良い信仰

    信仰心と人間の尊厳に対する意識は、比例関係にあると思います。 信仰とは目に見えない尊い存在を信じるということです。 人間の心の奥には神仏と同じ光を有しているということを信じることです。 人間の尊厳の根拠は上記にあります。 日本人の大半が人間は死ねば終わりであると考えていますから、人間の尊厳の真なる意味を知るはずもないと思えるのです。 日本国内でも人権が大事であると論じられているようですが、なぜ人権が大事なのかその根拠が非常に不透明であるといえます。 日本人のいや世界中の人達の考え方の根本には、唯物論的な思考が根強くあるのですから 真実の意味における人権の尊さを知る..

  • 神を抹殺しても平気な時代は現代とアトランティス末期

    神が死んだといったニーチェの本が売れている時期がありました 今も読んでいる人がいるのかしら? 神を冒涜しても何も感じない狂った人間が横行している時代は、現代とアトランティス末期以外にないようです。 (ここ一万年の間で神を否定する人たちはいたが、少数派であった) エドガーケイシーも現代のアメリカはアトランティス人が相当な数、転生輪廻していると述べていたと思います。 生まれ変わってくるのは結構ですが、どうして神を信じることができないのでしょうか。 私自身が考えるに諸悪の根源は二つあります。 一つは唯物論が伝染病のように世界中に広がっています。 神を信じない、..

  • 正しさとは仏教的には中道・哲学的には弁証法 個人編

    正しさ、あるいは正義を地上に具現化するためには、個人においてどのような努力が必要とされているのでしょうか。 三次元物質世界は有限性であるため、諸行無常であり誕生した時点ですでに滅びを内包していると言えます。 地上は、善と悪が混在しており不完全な世界であると言えます。 不完全であるがゆえに、自己の中で常に対立矛盾が発生し、対立を克服していく過程で矛盾を整理統合しながら認識力を高度なものにしていかなくてはいけません。 対立矛盾を止揚統合していく中で正しさが見えてくると思えます。 止揚とは、弁証法的発展において低い段階の両極端な見方や考え方を否定し、否定を通して高い段階..

  • 仏法からみる日本民族の問題点と多様な価値観を受け入れる仏教の可能性

    日本人の宗教に対しての考え方を考察しますと以下のようになります。 1つは唯物論的な科学者や哲学者、左翼系等の方で宗教自体を見下しており、自分たちの方が学問的にも優れた勉強をしているので、あえて宗教に助けを求める必要性を感じない人達。 2つめは、この世的な能力不足で社会的に対応できない人が、何らかの自己実現や自分の居場所を求めて宗教ジプシーになる人達。 2つ目に関しては、仏教を学ぶ宗教者が現代社会に適応するには、識と般若の両方の智慧が必要であると思います。 識の部分は、この世的な仕事能力や問題解決能力の部分です 地上的な悩みや問題を解決することにより心の曇りを無く..

  • 霊的覚者がみる食べ物の霊的パワーで悪霊を吹っ飛ばす

    私たちが毎日食している食べ物には二面性があり科学的に解明されている栄養以外に、実は一段深いところから観察すると 霊的エネルギーが潜在化しています。 食べ物には、物質な表面的部分と、その背後にある霊的なものが共存しています。 人間は肉体の内に宿っている超感覚的なものこそが高度な現実性を有しています。 人間は死ぬと肉体が諸行無常の法則で崩壊に向かいますが、地上に生きている間は、霊的存在が肉体の崩壊と戦っています。 自分の意識が変化すると、食べ物の好みも変わってきます。 人間は普遍的な方向に関心を持ち努力を続けると菜食の方向に行くようです。 いろんな本を読ん..

  • ヘルメス神も66歳で地上を去っています エルカンターレとヘルメス神の共通点

    ヘルメス神も三十歳ぐらいから活動し、六十六歳で地上を去る三十六年間、全ギリシャ統一を目指して活動されていたようです。 主エルカンターレも三十歳位から活動を開始され、六十六歳で九次元?に昇天されました。 主エルカンターレは、全世界統一を目指して活動されていました。 幸福の科学の根本経典は『仏説・正心法語』であり 基本教義は正しき心の探究です。 その具体的展開としての幸福の原理です 愛・知・反省・発展の原理、現代の四正道です。 ヘルメス神の教えは主として、愛と発展であると言われています。 ブッタの教えは、知と反省になるかと思います。 四正道は愛..

  • 正しい宗教こそ国家の柱にしていきましょう

    宗教を尊敬する国民及び国家を目標として努力していくべきです。 日本には民主主義が繁栄しているように見えますが、日本の民主主義の基礎、土台にあるものは虚像、偽物であると思えます。 民主主義の基礎にあるべきものは、「神の心」「仏の心」であるはずです。 民主主義といえば、やはりギリシャが思いうかびます。 プラトン・ソクラテスその他のギリシャ哲学の本を読んでみますと、ギリシャの人々は間違いなく神の存在を信じていたと確信できます。 神の御心はどこにあるのか、人間として尊い生き方とはどのようなものなのか、ギリシャ人は神の御心とはどこにあるのかという精神性を持っていたと思い..

  • エルカンターレ信仰を守る勇気を

    宗教は最終的に信仰心だけで仕事をしているといわれています。 信仰心に関しては過去の偉人達が、いろんな考えを残してくれていますが、幸福の科学の信者であれば 「エル・カンターレを信じている人」という定義になるのではないかと思います。 正法が説かれる時、魔も競い立つといわれています。 生きているときに、目に見えるものしか信じることができずに、肉体を喜ばすことのみに生きていた人が、死後地獄に落ち苦しさのあまり生きている人間に、同じような心の波長の人に憑依し、地獄に引きずり込んでいきます。 では、地上において主を信じている信者のあるべき姿とはどのようなものなのでしょうか..

  • 十字架の女3 修行論 法華経教団との議論

    先に結論だけ言いますと、『一切衆生悉皆成仏』は間違いであるといういうことです。 『一切衆生悉有仏性』 全ての人に、仏と同じ性質、如来と同じ素質があるということは理論的には正しいでしょう。 しかし、 『一切衆生悉皆成仏』 だからすべての人が仏になれる までいったら完全に間違えだと思います。 自分に甘い人は、すぐに自分を偉いと思いたがる傾向があるように見受けられます。 どう考えたら自分が仏になれると思えるのか、私には理解不能です。 十字架の女3では、主人公が様々な修行方法を学んでいく過程が描かれていますが、 ある星を題材にした修行論が描かれて..

  • なぜ過去世認定が変わるのか 方便と時期

    大川総裁の過去世認定が変わることがあることをもって、総裁先生の霊的能力に疑問を持ち退会する会員さんもいるようです。 表面的な現象しか見ない人、見れない人は過去世の認定が変わることで今後も変わる可能性があり信じることができない。 信仰を捨てるという流れでしょうか。 しかし、現実世界の中で生きていながら霊的世界を知ることができる能力を持った人と(総裁先生は人ではありませんが)、現実世界しかわからない人とでは、認識に仕方や考え方が違ってくるのは当然のことなのです。 この時期に本当のことを言うと、混乱が起きる、あるいは敵をつくり自分自身が危うい立場になる、命を狙われるということ..

  • カントの言う道徳律をこえた愛とは

    道徳律(道徳法則)とは、道徳行為の規範となる普遍妥当的な法則を言います。 『義務』を重視する倫理学の立場で主として用いられる概念でありますが、道徳を神の命令と考える立場や、カントの提言的命令の説などがあります。 提言的命令とは、無条件的なもので行為の結果や目的に無関係に、行為そのものに価値があるとして命令するものです。 ここで言う普遍妥当的というのは、例えば日本おいては正しい行為であるがヨーロッパでは正しくないでは普遍的ではありません。 また、1000年前は正しいとされていましたが、現代では正しくないという行為も普遍的ではありません。 時間的・空間的にも正しいとい..

  • 十字架の女3 アーリマンの働き

    アーリマンという存在は知ってはいましたが、深く考えたことはありませんでした。 ゾロアスターの霊言やシュタイナーの本等で知る程度でしたが、地球の歴史の闇の部分に相当介入してきているようですね。 アーリマンは、救世主の教えを微妙にすり替えて、人類を間違った方向に誘導しているのではないでしょうか。 そして、間違った方向とは人類を唯物論的思考へと導いているように感じられます。 霊的観点から見れば、有限性による一時的なものをアーリマンの作用によって永遠なるものと勘違いしているのではないでしょうか。 愛といっても目に見えない抽象的なものは理解できず、奪うもの、何かをしても..

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