「猫実験」、、このテーマは時系列からいくともう少し前に書こうと思っていたものの、犠牲になった猫たちのことを考えると気が重く、なかなか調べる気にならなかった。と…
水俣湾について想うこと★その13 ~ 患者施設『明水園』・石川さゆりとの交流ほか
前回はコロナ感染拡大によるまん延防止法で残念ながら水俣病資料館は閉館中だったが、開館になったのを機にもう一度訪れてみた。館内の展示物を見て水俣病患者の施設関連…
水俣湾について想うこと★その12 ~ エコパーク水俣の違和感
水俣湾の有機水銀汚染地帯を住民の反対を押し切り、強引に埋め立てて造ったエコパーク水俣には違和感がある。水俣病の水俣という負のイメージを払拭するためにスポーツ施…
チッソ工場は1932年(昭和7)から1968年(昭和43)までの36年もの間、有機水銀を含んだ排水を流し続けた。水俣湾に溜まった水銀の量は70~150トン、ま…
漁民騒動 1957年(昭和32年)多発する水俣病(この時点ではチッソによる工場排水、有機水銀によるものとはわかっていない)熊本県は、水俣湾産魚貝類が危険につ…
水俣湾(熊本県)について想うこと★その9 ~ 見舞金とチッソ城下町
責任を認めないまま、終息を狙った低額の「見舞金契約」 1959(昭和34)年、水俣病の患者らと交わした「見舞金契約」。水俣病の原因がチッソであるとは認めない『…
『前回のおさらいと補足』 1959年7月に有機水銀が原因の可能性を医学研究班から指摘されたチッソは御用学者を使って原因は工場排水ではないと他説で反論、煙に巻こ…
水俣湾(熊本県)について想うこと★その7 ~ 患者について・いまだ未解決
●水俣病のおさらいとして 水俣病発生前の兆候 チッソの水俣工場がアセトアルデヒドを生産して以降、水俣湾では異変が起きていた。太平洋戦争中の1942年、水俣市月…
水俣湾(熊本県)について想うこと★その6 ~ 【加害者・チッソ】後編
1956(昭和31)年の5月、初めて奇病発生が確認され、水俣は騒然となり始める。伝染病ではないかと人々は恐れ、奇病と呼んだ。水俣保健所、水俣市立病院、市の医師…
水俣湾(熊本県)について想うこと★その5 ~ 【加害者・チッソ】前編
チッソは、明治の終わりに水力発電の会社としてスタート。その電力を利用してカーバイト工場(炭化カルシウム製造)を水俣に作り、やがて化学肥料の生産を始める。日本に…
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