「水俣湾をみて想うこと ~ 外伝」に記述したが、水俣を訪れたのは「猫の墓」と「猫を探して」(フランス・ドキュメント映画)がきっかけで、導かれるように実際の「猫…
水俣湾(熊本県)について想うこと★その4 被害範囲とロシアの放射能廃棄物投棄
どれくらいの範囲で被害があったか聞いたところ、水俣湾沿岸、鹿児島県出水市、北は芦北地方~八代市、対岸の天草も。 30数年も海に垂れ流し続ければそうなる。昔読ん…
水俣病 1932年(昭和7年) ~ 1968年(昭和43年) 1932年 - 日本窒素肥料(現・チッソ)水俣工場で、水銀触媒によるアセトアルデヒド製造の操業開…
水俣駅の近くの看板 水俣の当事者たちにとっては水俣病と呼ぶな!という感情はわかる。よその地で彼らがどこの出身と聞かれて「水俣と答えたら、ああ、あの水俣病の水俣…
今回、水俣病を学ぼうと思い立って現地に行ったきっかけは猫の墓や猫の供養塔(猫だけの供養塔はないそうだ)を検索していて出てきたのが水俣病センター相思社と水俣病資…
【猫の墓】 #熊本県 水俣湾沿岸の工場から有機水銀が含まれた排水が海へ。汚染された海産物を住民が長期的に食べ、中毒性中枢神経系疾患が集団発生 1953年頃から…
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