富士山を第一出雲富士伯耆富士の大山を第二基点とし要を出雲とし間中に熊野置き北の飛鳥を計画首都とした。
日本の有史は東西の富士山と出雲の間中、東西に対峙した伊勢神宮両宮と伊弉諾神宮の真中の飛鳥から始まる。飛鳥を計画首都と気付かない歴史学は事実確証の無い文献を論拠と証拠とし先学研究を引用し推論で歴史を論じる。日本には最古の歴史書、記紀風土記の記述の事物が示す国土と関係し宮位置に意味と価値を与える事物関係を創った明確な古代史があり、国家的価値観として現代まで重要事物位置に展開した事実がある。
2011年7月
私の指摘する事実関係に関して、時代対応への疑い(時代錯誤、時代の逆転)
私の指摘した関係を事実と思わず重大視しない一つが時代の不一致であろう! 箸墓古墳は比叡山延暦寺根本中堂の数世紀前に築造されたであろうし、 猿田彦神社本殿は明治に鎮座し、神話の時代と千五百年以上は違
『Y先生!織田信長が安土城を築いた理由が判りました!』5年以上前のことです。
『Y先生!織田信長が安土城を築いた理由を推論でなく多くの事実から解明しました!』 老恩師に年賀状に書いて出すと、その月末に恩師から封書が届いた。 (毎年頂く年賀状に何か示唆を書いて下さる恩師は、私の
世界最大級墳墓の最長一位の伝仁徳陵の前方後円墳と、第三位の伝履仲天皇陵は、現代でも大阪湾から約一キロ半しか離れていない。千五百年前は海岸線はすぐ近くであったろう。履仲天皇陵墓は千五百年後の現在も幾何
日本の古代史を求めた記紀研究の国学から約260年が経った。日本古代史は江戸時代と殆ど変わらず確証も見出せず論じられてきた。 国文学、歴史学、考古学、民俗学、考古学などの歴史系人文社会学界が記紀
考古学、歴史学は世界最大級墳墓を日本古代史の最重要課題とせず、伊勢神宮斎宮跡と同緯度上、比叡山延暦寺根本中堂と同経度上の箸墓古墳を史実、事実の確証のない他国の歴史書の数千字の文字等から大きさや築造時
2011年7月
「ブログリーダー」を活用して、戒名二十二日世生さんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。