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いつか迎えに来てくれる日まで http://blog.livedoor.jp/youchan1201/

たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

プーちゃん
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2010/07/09

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  • かみさんに会いたい。

    現在6月29日の午前7時05分。昨晩と同様、今朝も夜中の3時半に目が覚めてしまった。だが、その後は(うっすらとだが)眠れたようだ。俺は浅い眠りの中で夢を見ていた。かみさんの夢だった。かみさんの姿が見えたわけではない。かみさんの声が聞こえたわけでもない。俺は夢の中

  • あのときの予感

    6月27日の火曜日。先日の記事に書いたとおり、かみさんの祥月命日だった。俺は休暇を取って、仏前で静かに一日を過ごした。午前6時52分。かみさんが息を引き取った時間だ。例年どおり、俺は「奇跡」が起こることを期待した。かみさんの声が聞こえるんじゃないだろうか。かみ

  • ”ひとりぼっち”の音

    6月24日の土曜日のこと。菩提寺において、かみさんの祥月命日の法要を行った。そのあと、法要に参列してくれた義弟たちと一緒に会食をした。かみさんが亡くなってから、毎年繰り返してきた儀式のようなものだ。そして…義弟たちは北海道に帰っていった。俺は再び「ひとりぼっ

  • かつては俺も、人間だったのだ。

    誰にでも最愛の人がいる。また、誰にでも自分のことを最愛の人だと想ってくれる人がいる。夫にとっての妻、妻にとっての夫がそうだろう。また、親にとっての子ども、独身の子にとっての親がそうだろう。お互いがお互いにとって、代替不可能な存在なのだ。最愛というのは、文

  • 自由な「魂」

    かみさんが死んでしまった。いちばん大切な人を亡くしてしまった。俺は心と身体の半分をザックリ削ぎ落とされた。心にポッカリ大きな穴が開いた。俺は呆然とした。悲しかった。とても悲しかった。俺は咽び泣き、あるいは慟哭した。泣くから悲しくなるのであって、悲しいから

  • いざというとき弱いのだ。

    やっぱり俺にはわからない。俺はいったい何のために生きているんだろう。俺はいったい何のために頑張っているんだろう。ある「上から目線」の人からは、アンタは会社での立場があるんだから、頑張るのは当たり前だと言われてしまった。管理職は経営者側の人間である以上、会

  • 祥月命日をめぐって

    6月27日は、かみさんが亡くなった日だ。例年、かみさんの祥月命日には休暇を取り、仏前で静かに過ごしている。かみさんが息を引き取ったのは午前7時直前だったが、その時間には、かみさんに線香をあげ、位牌に手を合わせている。かみさんが亡くなった時間。俺は「奇跡」を期

  • 欠落が埋まるとき

    かみさんが息を引き取った直後のことだった。俺の心に大きな穴がポッカリ空いてしまった。これは決して比喩ではない。現実にある身体感覚だ。自分の大切な部分が欠落してしまった感覚だった。自分と周囲の世界の間に見えない壁ができて、自分だけが孤立してしまった感覚だっ

  • 永遠という退屈な時間だったとしても…

    通勤だとか、出張だとか。あるいは通院だとか、飲み会だとか。もしくは墓参りだとか。俺はいろんな街を練り歩く。かみさんもよく知っている街だったりもする。一方で、かみさんが元気だった頃は、一緒に来たことのない街だったりもする。そんな街を歩くたび、「容ちゃんと一

  • かみさんは俺の「中」にいる。

    かみさんが元気だった頃。かみさんができないことは、代わりに俺がやっていた。一方、俺のできないことは、代わりにかみさんがやってくれていた。俺たち夫婦は、お互いを補いあって、お互いを支えあって生きてきた。かみさんと俺が揃えば、できないことは何一つ無かった。か

  • 年を取りたい。

    毎日がつまらない。どんな時でもつまらない。何をするのも億劫だ。どうにも意欲が湧いてこない。どうしようもなく退屈だ。クソ面白くも何ともない。そのせいだ。一日がとても長く感じられる。いつまで経っても夜になってくれないのだ。早く夜が来て欲しい。夜になって眠りに

  • ザックリ裂ける。

    生きている意味は何なんだ?何のために俺は生きているんだ?かみさんを亡くし、ひとりぼっちになって以来。俺はさんざん問うてきた。だが…この問いに対する答えなんて無いのかもしれない。伴侶やお子さんを亡くした人には答えが無い…ということではない。おそらく家族のい

  • 俺が好きだった世界

    とても静かだ。空気の流れる音まで聞こえてきそうだ。人の気配がないからだ。周囲には誰もいない。話しかける相手はいないし、話しかけてくる人もいない。俺はひとりぼっちだ。死ぬのは怖くないにも関わらず、孤独は怖い。すべての関係から排除されたのに、それでも生きてい

  • マトモではいられない。

    月曜日から火曜日にかけて。俺は久しぶりに熟睡できた。イヤな夢を見ることもなかった。中途覚醒することもなかった。朝までグッスリと眠ることができた。毎晩こんなふうに眠れたら、毎朝の絶望的な感覚から自由になれるに違いない。だが…今週の火曜日の夜からだろうか。毎

  • 最愛の人を喪った者たちの権利

    俺は耐えられなくなるかもしれない。かみさんのいない世界の中で、”ひとりぼっち”で生きていくのに耐えられなくなるかもしれない。だが、そんなことは誰にも言えない。誰かに言えば、その誰かは俺を嗤うだろう。あるいは、その誰かが俺を心配してしまうだろう。その誰かに

  • 中途覚醒をめぐって

    毎晩、睡眠導入剤を飲んでいる。かみさんが亡くなってから、眠れなくなった俺にとって、睡眠導入剤は「御守り」のようなものなのだ。しかし、必ず薬が効くとは限らない。しょせんは「御守り」に過ぎないためか、効き目を実感できないこともある。なかなか寝付けないことは少

  • イヤな予感

    イヤな予感がしている。何かロクでもないことが起こりそうだ。俺の朝は毎日がこんな気分で始まる。その予感が当たることも少なくない。一方で、(クソ忙しいけど)無事に退社時間を迎えることもある。予感は当たる日もあれば、外れる日もあるのだ。おそらく毎朝の予感は“い

  • 唯一の楽しみ

    身体がダルくて重たい。全身が小刻みに震えている。脂汗が滲んでくる。朝から体調が悪いのだ。梅雨のせいだろうか。気圧が低いからだろうか。だが、街を歩く人々や電車の中にいる人々は、みんな俺より元気そうに見える。どうやら気候とは関係ないらしい。たぶん週末にウィス

  • 世界はそんなに優しくはない。

    かみさんが元気だったころ。会社に入って最初の2年は別として、3年目からは残業も多く、土日や祭日も出勤せざるを得ないことが多かった。会社の中枢部門ばかりに配属されていたからだ。辛くはあった。だが、不満はなかった。その理由は二つある。ひとつ目は、そういう部署

  • かみさんが与えてくれたモノ

    かみさんが亡くなってからの数年間。俺は異常なほど自暴自棄だった。かみさんを守れなかった自分が憎かった。大切な家族と幸せに暮らしている全ての人々が憎かった。かみさんのいない余生を呪った。世界は意外に「伴侶を亡くした人々に冷淡であること」を痛感し、この世界を

  • かみさんのようになりたい。

    もしも先に死んだのが、俺ならば…もしも遺されたのが、かみさんならば…かみさんはいつまでも哀しみ続けることだろう。毎日、俺の仏前にお供えをしてくれるはずだ。毎日、線香をあげてくれるはずだ。だが…かみさんならば、俺のように壊れたりはしない。かみさんならば、俺

  • 自分を騙してみたものの…

    かみさんが死んでしまった。俺のいちばん大切な人が死んでしまった。俺はとても悲しい。俺はとても寂しい。生きていてもつまらない。生きていると面倒くさいことばっかりだ。そんなネガティブな言葉ばかりが頭をよぎる。ネガティブな余生なのだから仕方がない。だが、少しは

  • 睡眠障害をめぐって

    就寝前には必ず睡眠薬(ハルシオンとレンドルミン)を飲んでいる。そして、遅くとも午後11時には就寝する(ように努めている)。そのまま朝まで熟睡できたら良いのだが、どういうわけか、真夜中には目が覚めてしまう。これが睡眠障害というヤツだ。もう一度、眠りたい…と思

  • そんな日は決してやって来ないのだ。

    かみさんが元気だった頃。俺には“やる気”もあったし、“生きがい”もあった。かみさんの存在そのものが“生きがい”だったのだ。だが、それだけではないはずだ。仕事にだって、趣味にだって、“生きがい”を見いだしていたはずだ。かみさんが亡くなって、俺の“生きがい”

  • 祥月命日が近づいている。

    4月に入ってから調子が悪い。身体ではなく心のほうだ。鬱がひどいわけではない。不安感が強いわけでもない。気力が湧かないのだ。何をするのも億劫なのだ。目を開けるのが面倒くさい。布団から出るのも面倒くさい。風呂に入るのが面倒くさい。飯を食うのも面倒くさい。スー

  • 特別な何か

    誰もが何かを持っている。他のモノとは違う「特別な何か」を…だ。決して代替できない何かを持っていること。自分の命よりも大切な何かがあること。それは、人間に生きる力と意味とを与えてくれる。だが、その「特別な何か」を失ってしまうこともあるらしい。そんなことがあ

  • 残された長い時間

    かみさんが亡くなってから。俺はずっと”ひとりぼっち”で生きてきた。年に数回、義母や2人の義弟たちに会える以外、俺には共に過ごせる家族がいない。休日なんて、一日中、誰とも話すことはできず、声を発する機会もない。面白くもない、クソみたいな毎日だ。だが、面白く

  • 最悪の事態を回避するため

    現在6月2日の午前7時9分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。今日が終われば週末の2連休だ。普段であれば、連休前には憂鬱になってしまう。やるべきこともなく、やりたいこともなく、“ひとりぼっち”で過ごす週末は、他人が想像する以上に寂しいの

  • 聖域を守りたい。

    俺と同年代の人々。俺より年上の人々。あるいは俺より年下の人々。たくさんの知り合いがいる。その中には義母や二人の義弟もいる。大学時代の友人や、会社で知り合った友だちもいる。こんなに大勢の人々がいるのに、俺だけが異質な立場に置かれている。いつでも話のできる家

  • やる気が湧かない。

    かみさんが亡くなってから。俺は心療内科に通院し始めた。気が狂いそうな悲しみに耐えられなかったからだ。1ヶ月間も眠れなかったからだ。以前、主治医に俺の病名を聞いてみたことがある。すると「適応障害・死別反応・睡眠障害」という診断を受けた。それらの病を抱え、苦

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