北京史(二十二) 第五章 元代の大都(10)
頤和園内、耶律楚材祠第三節大都の文化(続き)園林名勝白雲観、東岳廟大都の新城が完成後、旧城の人々は新城に移り住み、旧燕城はさびれ始めたが、道観や寺廟は相変わらず参拝者の線香が絶えることがなく、大都の人々が歳時に行楽に行く場所となった。白雲観は唐の開元時代に建設が始まり、金代は天長観と称し、金末元初に太極宮と改称し、1227年更にジンギスカンの詔を奉じて長春宮と改名した。長春真人、邱処機(邱長春)が弟子の王志謹に命じ、彼を中心に建設し、20年かけてようやく完成した。「層檐(何層もの庇)峻宇(屋根の急峻な堂宇)、金碧(黄金とエメラルドグリーン)爛然(燦然と輝く)」。邱処機の死後、弟子の尹清和などが彼を処順堂に葬って後、観名を白雲に改めた。白雲観大門「四方(方々から)傾心(心惹かれ)帰向(帰依し)、来奉香火者不...北京史(二十二)第五章元代の大都(10)
2023/06/26 13:22