北京史(八) 第三章 秦漢から五代に至る時期の北京(5)
房山雲居寺の遼代の塔(北塔)の周囲に立つ4基の唐代小塔北京市房山区大石窩鎮水頭村雲居寺第三節隋唐五代期の幽州地区の都市と住民(続き)幽州経済の発展唐代、幽州地区の土地はより一層開墾され、農業に発展が見られた。永徽年間(西暦650‐655年)、幽州の農民は盧溝水を引き、稲田数千頃(けい。100畝(ほ。ムー)が1頃、1頃は6.6667公頃(ヘクタール)に当り、66667㎡に等しい)を開き、百姓はその豊かな産量を頼みにした。しかし、幽州は隋や唐にとり北方の軍事の拠点であり、常に大量の軍隊が駐屯し、ただ当地で産する糧食に頼るのでは供給量が足らなかった。隋末、「倉粟盈積」というのは、軍糧を外地から運んで蓄えたことを言うのである。貞観の時、幽州には常に平倉が設けられ、凶作の年に救済したり、種もみを貸すのに用いられた。...北京史(八)第三章秦漢から五代に至る時期の北京(5)
2023/04/28 20:24