江戸城の外濠は周囲が26kmもある。 これは京都の平安京がすっぽりとはいってしまうほどの広さである。 それほど江戸城はとてもとても大きな城だった。 たとえば 市ヶ谷、飯田橋というJR中央線、総武線の線
一般の人々が見学できる日本庭園はもと大名(藩主) 豪商や財閥などの大金持ちが所有していたところが多いのであるが 清澄庭園も江戸時代に豪商紀伊国屋文左衛門、明治時代に 岩崎弥太郎が所有していた由緒ある名
今私たちが日常当たり前のように食べている果物 例えばリンゴもビワもイチゴもメロンもブドウも そしてオリーブやハーブもはたまた今では沖縄で100% 栽培されているパイナップルまでも農業試験場だったころの
新宿御苑へのアクセス→JR中央線千駄ヶ谷駅から徒歩10分 新宿御苑のプラタナスの並木は 東京三大並木の一つとして知られている 残りの二つは 原宿表参道のけやき並木 神宮外苑のイチョウ並木である
最高学府の東京大学の構内 安田講堂を正面に見て 右手の坂を数分下ったところにこの池がある。 こんんもりとした木立の中に囲まれるようにして ひっそりと池が佇んでいるという感じがした。 土曜の午後のひとと
浜離宮庭園へのアクセス→JR山手線新橋あるいは汐留駅(大江戸線)から徒歩約10分 浜離宮庭園は徳川家のかもの狩り場だった。 一時は皇室の離宮があったときもあり 武家の質実さと宮廷の雅(みやび)の世
六義園(りくぎえん)へのアクセス→JR山手線駒込駅下車徒歩約10分 ここは五代将軍綱吉に重用された側用人(そばようにん)の柳沢吉保(やなぎさわよしやす) 〔川越藩主だった〕が造った庭園である。 明
ちょっと古い日記から 2009.11.4. 小石川後楽園は東京ドームの目と鼻の先にあるというのにどうして もっと早くこなかったのだろう 最初ここに足を踏み入れたとき期待で胸がいっぱいだった。 ここ
幕末を訪れたロバートフォーチュンという外国人が その日記のなかで「日本は身分の上下を問わず花好きであった。 この花作りは家庭的な楽しみと幸せのために大変役立っていた。 広い趣味や道楽をやっていけそう
京都は名園が多いことで全国的に知られている。 地泉回遊式として金閣寺、銀閣寺、天竜寺、二条城 枯山水でいえば龍安寺、南禅寺、大仙院 など数えあげたらきりがない。 しかし、実をいうと東京も負けていない
江戸という都市は江戸城を中心に螺旋状に幾重にも 道路や壕がもうけられていた。 その理由は鉄砲対策である。 このように防衛機能を重視したことにより 直線道路が少ないということになった。 江戸が
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