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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • 母の退院

    母が5週間ぶりに退院した。年末から正月をほとんど寝たきりで辛かったろう。あと1週間で102歳を迎える。病院から車に乗せて帰り道、坪井川沿いの八景水谷の脇を通った。ここは母が幼稚園に勤めていた頃、園児を連れて遠足や園遊会で度々訪れた思い出の地。八景水谷は桜の名所でもある。「桜の季節ももうすぐだね」と語りかけると、母は「桜を見られるだろうか」とつぶやいた。3月下旬、八景水谷の桜が満開になったら何としても母を連れて来ようと思った。桜の季節の八景水谷母の退院

  • 旅の衣は篠懸の… ~長唄 勧進帳~

    「勧進帳」というのは、能「安宅」を元にした歌舞伎の演目。僕が「勧進帳」の物語に接したのは、黒澤明監督の映画「虎の尾を踏む男達」が最初だった。テレビで能の「安宅」や歌舞伎の「勧進帳」を観たのは、それよりずっと後のことで、「勧進帳」と聞くとまず思い出すのは映画「虎の尾を踏む男達」のこと。「旅の衣は篠懸の、旅の衣は篠懸の・・・」という有名な謡が、ミュージカル風の男性コーラスで始まるオープニングや「虎の尾を踏み、毒蛇の口を遁れたる心地して・・・」と安宅の関を後にして、強力のエノケンが「飛び六法」で消えて行くエンディングなどが忘れられない。あらすじは、源義経一行が源頼朝の追及を逃れ、山伏姿に身をやつして奥州への逃避行の途中、加賀国の「安宅」の関を通過しようとして関守の富樫との間で繰り広げる攻防を描いたもの。中でも武...旅の衣は篠懸の…~長唄勧進帳~

  • ハーン訳「銚子大漁節」のナゾ(2)

    昨年5月29日のブログに「ハーン訳『銚子大漁節』のナゾ」という記事を書いた。これは以前から疑問に思っていたラフカディオ・ハーン著「日本の古い歌(OldJapaneseSongs)」の中に紹介された「銚子大漁節」に関するものだった。ハーンは銚子を訪れた形跡はないというのにどうやって「銚子大漁節」を採集したのだろうかという疑問だった。問い合わせた銚子市の観光商工課の文化財担当者からの返事には、「ハーンが銚子に滞在した記録はない」というハーンの孫・小泉時氏の談話が残っているので間違いない。それではどうやって採集したかというと、明治33年にハーンが「日本の古い歌」に載せた大漁節は「十とせ」を欠いており、その2年前、明治31年に出版された大和田健樹著「日本歌謡類聚」に収録された大漁節も「十とせ」を欠いていることから...ハーン訳「銚子大漁節」のナゾ(2)

  • 新春邦楽聴き初め

    今日は午後から「第57回熊本県邦楽協会演奏会」に行く。昨年は都合で行けなかったが、今年のプログラムは次のとおりで例年にも増して充実した内容だった。今年初めてのナマ演奏による邦楽を聞いた。やはり音楽はナマで聞くのが一番。映像はとりあえずトリの「長唄花見踊り」をアップした。1.長唄鶴亀・・・・・・・・・・・・・・・蓑里会・うらら会・花と誠の会2.都山流尺八本曲平和の山河・・・・・・・都山流尺八楽会熊本県支部3.俚奏楽民謡七福神(舞踊付)・・・・・・秀美会4.三曲「夕顔」・・・・・・・・・・・・・・琴古流尺八楽若菜会5.肥後琵琶六根清浄祓い・正月祝唄・・・・肥後琵琶の会6.長唄勧進帳・・・・・・・・・・・・・・蓑里会7.三曲茶湯音頭・・・・・・・・・・・・・都山流尺八楽会熊本県支部8.端唄梅は咲いたか・からかさ...新春邦楽聴き初め

  • 徳川宗春のゆめのあと と「伊勢音頭」

    自分がYouTubeにアップした動画が意外なところに貼り付けられているのを発見すると、嬉しさとともに「なんで?」と訝しむ気持が相半ばする。そんな例の一つが「徳川宗春の実像」と題するサイトのブログに貼られた「伊勢音頭」の映像である。このサイトの主宰者はどなたかわからないが、おそらく名古屋の方なのだろう。徳川宗春といえば徳川吉宗のライバルと目された大名ということは「暴れん坊将軍」程度の知識しかない僕でもわかっているが、このサイトを走り読みさせていただくと、徳川御三家筆頭の7代尾張藩主となった宗春が、吉宗の緊縮財政政策に対し、地域活性化のため積極財政政策をとったそうだ。そして、宗春は新地を開いて設置した三つの遊郭(西小路遊廓・富士見原遊廓・葛町遊廓)に公許を与えた。そのうちの西小路遊郭は伊勢古市から来た経営者や...徳川宗春のゆめのあとと「伊勢音頭」

  • フィレ・ガンボってナニ?

    久しく聞いていないカントリーミュージックが聞きたくなって、まずはカントリーといえばこの人、ハンク・ウィリアムズの曲をYouTubeで探しながら聞き始めた。「YourCheatin'Heart」「HeyGoodLookin'」「Jambalaya」etc.学生時代、先輩がよくギターを掻き鳴らしながら歌っていた姿を思い出す。どの曲も歌詞の一部だけを今でも憶えているが、なかでも「Jambalaya」は、曲のタイトルが歌詞の中に出てくる一節が妙に印象に残っている。「Jambalayaandacrawfishpieandfilletgumbo」の部分である。これはアメリカ・ルイジアナ州のケイジャン料理(クレオール料理)の名前を並べたものだそうだ。まず「ジャンバラヤ」というのはスペイン料理のパエリヤがもとになった炊き...フィレ・ガンボってナニ?

  • 菊池川ノスタルジー

    大浜橋から菊池川河口方向を望む。玉名市大浜町の母の生家には年に5,6回は訪れる。玉名駅を過ぎて車を走らせていると小浜で菊池川右岸の道に入る。この道を走っていると高瀬駅(現玉名駅)から母に手を引かれ、てくてく歩いた幼い頃を思い出す。しばらく菊池川を眺めながら走っていると必ず思い出すのが海達公子の「川口」という詩である。この詩に歌われているのが菊池川だとはひと言も書いていない。しかし、公子は高瀬高女時代、親友で同級生の規工川澄さんの岱明町の家に度々遊びに行き、小浜から大浜まで小舟で川下りを楽しんだと書き残している。川口というのはおそらく菊池川河口のことだと思われる。澄さんの甥で海達公子研究の第一人者として永年活躍された規工川佑輔先生も7年前に他界され、今となってはそれを証明する人は誰もいない。かつて玉名市小浜...菊池川ノスタルジー

  • 節季候(せきぞろ)

    しばらくテレビドラマは見ていなかったのだが、最近面白いなと思ったドラマが、NHK-BSの「あきない世傳金と銀」という時代劇である。摂津(今の大阪)の貧しい元武士の家に育った娘・幸が天満の呉服屋「五鈴屋」に女衆として奉公に入る。商売の面白さに目覚めた幸は人一倍努力し、商才を発揮し始める。やがてその商才を認められ、四代目主人の後添として御寮さんとなる。放蕩の限りを尽くし不慮の事故で早世した四代目を継いだ五代目主人にも請われて御寮さんとなる。さて様々な困難を乗り越え、幸が「五鈴屋」の発展にどう腕を振るっていくか、という物語。先日の第6回では、永年の商習慣だった年1回師走の売掛金回収を3月、5月、7月、9月、12月の五節季に変えるというエピソードがあった。見ながら徳島県民謡「節季候(せきぞろ)」のことを思い出した...節季候(せきぞろ)

  • 白梅が咲き始めるころ

    わが家の白梅が咲き始めていたので今年は開花が早いのかなと思い、過年度の写真を調べてみたら、この時期に既に咲き始めている年もあった。平年並みなのかもしれない。昨日から宮崎にいる長男が仕事の合間を縫ってやって来た。今年は正月に帰れなかったし、祖母の見舞いもしたかったのだろう。今日の午後、彼を母の入院している病院へ連れて行った。コロナやインフルエンザが増勢にあるため、面会が再び厳しくなり、病室へ入室できるのは1日に一人だけ、しかも10分限りということで、長男だけが見舞いをして僕はロビーで待っていた。母も僕たち家族もちょっとつらいな。帰宅してから、見に行くことができなかった「大江幸若舞」(毎年1月20日開催)のライブ配信を見て過ごした。全部見ると4時間以上かかるので、とりあえず今日は「高館(たかだち)」だけを見た...白梅が咲き始めるころ

  • 長唄 勧進帳

    母の入院生活は当分続きそうなので、しばらく遠出はあきらめざるをえない。今月は久留米の「久留米座能」やみやまの「大江幸若舞」など楽しみな公演があったのだが今年は断念することにした。そのかわりと言ってはなんだが、近場の熊本市国際交流会館で28日に行われる「第57回熊本県邦楽協会演奏会」はなんとか見たいと思う。10演目のどれも見たいのだが、なかでも蓑里会の「長唄勧進帳」は見ものである。杵屋五司郎さんの立三味線はいつ聞いても絶品。超一流の三味線の響きを楽しみたい。この映像は2016年の「第51回熊本県邦楽協会演奏会」で演奏された蓑里会の「長唄勧進帳~滝流しの合方の部分~」長唄勧進帳

  • 俗説「檜垣のこぼし坂」

    昨日の熊日新聞ローカル版の連載コラム「坂道を上れば」に「桧垣のこぼし坂」が取り上げられていた。内容的には既知のことがほとんどだったが、10数年前の蓮台寺訪問をきっかけに、檜垣媼の功徳の道のことを調べ始め、現地訪問や資料調べなどを通じて得た知識をブログに随時載せてきた。そこで一度これまでの概要をまとめてみることにした。 一昨年、熊本市で行われた「第4回アジア・太平洋水サミット」で、天皇陛下がオンライン講演をされ、平安時代の閨秀歌人である檜垣嫗の歌「年ふれば我が黒髪も白河のみづはくむまで老いにけるかな」を「水の都くまもと」のたとえに引かれた。檜垣媼は白川の畔、今の蓮台寺辺りに結んでいた草庵から、篤く信仰する岩戸観音へ閼伽の水を供えるため、水桶を担いで四里の道を日参したと伝えられている。その道の最大の難所が後世...俗説「檜垣のこぼし坂」

  • 熊本の風景今昔 ~厩橋(うまやばし)~

    かつて熊本城の内堀として、また物流の大動脈として城下の経済や生活を支えた坪井川。この坪井川には多くの橋が架けられていますが、中でも今日最も渡る人や車が多い橋の一つが厩橋(うまやばし)ではないかと思います。熊本藩主の住まい「御花畑屋敷」の馬場や厩(馬小屋)の目の前にあったためこう呼ばれるようになりました。下の2枚の写真の間には150年の時の隔たりがありますが、時代の流れを感じさせます。明治初期に冨重利平が撮影した厩橋現在の厩橋この絵図は熊本大学付属図書館が寄託された永青文庫資料のうちの一つで、明治時代初期に赤星閑意によって描かれた「熊本城東面図」。東側上空からの鳥瞰図となっている。流れている川は、江戸時代に内堀としても使われていた坪井川。二つの橋が架かっているが、左側が厩橋(うまやばし)で手前の廓状になった...熊本の風景今昔~厩橋(うまやばし)~

  • 熊本自転車節がバズった日

    この頃になると必ず思い出すのは、5年前、ブログ記事の「熊本自転車節」がバズった日のこと。記事も埋め込んだ動画も2011年に投稿したもので、その時すでに8年も経っていた。にもかかわらず、このブログにはありえない、見る見るアクセス件数が増える状態が続いた。原因は大河ドラマ「いだてん」でヒロイン役の綾瀬はるかが劇中この唄を歌ったからだった。このドラマの第2回(2019.1.13)に彼女が自転車に乗りこの唄を歌いながら登場。以降数回にわたって歌った。その影響は絶大だった。彼女が演じた春野スヤさんは実際この唄をよく口ずさんでいたらしい。テレビ番組の影響は大きく、視聴者が番組の中の歌などを検索することによって、ブログやYouTube動画へのアクセスが急増することは時々あるが、この「熊本自転車節」の時ほどのバズり方は初...熊本自転車節がバズった日

  • 大江幸若舞

    毎年1月20日は福岡県みやま市瀬高町大江に日本で唯一残る幸若舞「大江幸若舞」が、大江天満神社で行われる日です。幸若舞とは室町時代前期、越前の桃井直詮(幼名幸若丸)によって始められたという中世芸能・曲舞(くせまい)の一種です。いくつかの流派が生まれましたが、明治維新後、そのほとんどが途絶えました。唯一、筑後の大江村に伝わった「大頭流幸若舞」が辛うじて今日まで残っています。大江幸若舞が行われる大江天満神社由緒を記した石碑今年も家庭の事情で見に行けませんが、昨年の映像がYouTubeにアップされていますので、これで雰囲気を味わいたいと思います。毎年5曲ほど演じられ、毎年少しずつ曲目は変わりますが、人気の「敦盛」などは必ず入っているようです。小学生・青年・壮年など幅広い世代が出演しているのも見どころです。▼映像に...大江幸若舞

  • 春隣(はるとなり)

    午後、入院中の母を見舞いに行く。経過は順調のようだ。入院した当初はCCUだったが、その後病室を三度変わり、現在は東側が開けた4人部屋。病窓からは熊本城数寄屋丸や本丸御殿、そして熊本市役所の上層階部分などが見える。病窓の向こうに古城春隣本丸御殿中庭やその右側の熊本市役所ビルを眺めていると、12年前の春、本丸御殿中庭で行われた「桜の宴」の風景が目に浮かんだ。今思えば、あの時の風景は二度と見られないものだったのかもしれない。帰りに護国神社の梅の花を見に行った。早咲きの梅はもう花開いていた。2012.4.7熊本城本丸御殿中庭~桜の宴~ザ・わらべ「肥後の花娘」※右後方に市役所ビル護国神社の早咲きの梅の花春隣(はるとなり)

  • 2024年に行くべき場所 “山口市”と藤野さん

    ニューヨーク・タイムズが世界の旅行先で「今年行くべき52か所」を発表し、「山口市」が3番目に選ばれたというニュースには驚いた。今から46年前、お隣りの防府市に住み、山口市にも行くことが多かった元山口県民としては、どういう基準で選ばれたのかわからないので、選者は山口市の良さを本当にわかっているのだろうかと少々疑問は残りつつも、とても喜ばしいニュースであることに変わりはない。そんなことを思っているとふと山口市在住の藤野さんのことを思い出した。藤野さんとは、コロナが蔓延する前、熊本の城彩苑わくわく座で毎月行われていた舞踊団花童の公演に、毎回山口市から日帰りで観に来られていた方である。僕のブログをご覧いただいていたこともあり、会場で初めてお会いして親しくなり、いつも一緒に公演を観ていた。急に藤野さんのお声を聴きた...2024年に行くべき場所“山口市”と藤野さん

  • 八代亜紀さんを悼む

    歌手の八代亜紀さんが昨年末に亡くなっていたというニュースは彼女の地元である熊本県民および八代市民には衝撃的だった。僕の妻なども年齢的に近いこともありかなりショックを受けたようだ。八代さんは歌手としてだけでなく、画家として、また地震や豪雨災害などの被災者に積極的な支援活動を行ってきた方として広く知られており、あらためてその存在の大きさを認識させられる。彼女の歌で最も好きな歌は「舟唄」だったが、訃報を聞いた時、最初に浮かんだのはなぜか「男はつらいよ」だった。渥美清の歌としておなじみの映画「男はつらいよ」の主題歌を彼女が歌ったのは山田洋次監督「男はつらいよ」シリーズ49作目「男はつらいよ~寅次郎ハイビスカスの花・特別編」だった。この映画は平成9年(1997)に製作されたが、その前年に寅さんを長年演じた渥美清さん...八代亜紀さんを悼む

  • 見どころ聴きどころ ~花見踊り~

    今月28日(日)熊本市の国際交流会館で行われる「第57回熊本県邦楽協会演奏会」でトリを飾るのは「蓑里会・うらら会・花と誠の会」共演による「花見踊り」です。杵屋五司郎先生や杵屋六花登先生を始めとするそうそうたる地方の先生方の演奏に舞踊団花童が舞う舞台は見ものです。「花見踊り」とは正式名称は「長唄元禄花見踊」といい、花見の名所で知られる上野の山の華やかな花見風景を描いた長唄です。作られたのは明治時代に入ってからですが、上野が桜の名所となったのは、三代将軍徳川家光の頃で、元禄時代(1688-1704)には、数ある江戸名所の中でも随一の人気を誇るスポットになっていたそうです。元禄時代といえば、近松門左衛門、井原西鶴、松尾芭蕉といった文化人を生んだ「元禄文化」の花が一挙に開いた時代。この「元禄花見踊」にもそんな豪華...見どころ聴きどころ~花見踊り~

  • どんどや

    今日はわが町壺川校区の正月恒例「どんどや」が京陵中学校のグラウンドで行われた。今年で51回目だそうである。消防団の皆さんが青竹で組み上げた櫓の前で、加藤神社宮司による神事の後、櫓に火が入るとたちまち紅蓮の炎が駆け昇る。門松や注連飾りが燃える炎とともにお迎えした歳神が真っ青な空へと還って行く。毎年繰り返される感動の瞬間だ。【どんどやの由来】どんどやの歴史は古く、今から約1000年前(平安時代)の記録に、三毬杖(さぎちょう)、左義長として知られ、これは宮中に於ける正月の年中行事で、三本の竹や木を組んで三脚にし、その上で、かがり火のように火を燃やした。後年、宮中では正月十五日に清涼殿の東庭で天皇の吉書を焼き、それに扇子や短冊などを添えて焼いたが、その間、童が棒を振ったり、大鼓、鉦鼓を打って歌い囃して舞った。また...どんどや

  • 「光る君へ」を見ながら

    今日から始まった今年の大河ドラマ「光る君へ」を見たが、登場人物が多く、しかも藤原だらけなので、まずは人物を識別するのに精一杯といったところ。それはさておき、見ながら思ったのは、この時代に肥後国司として赴任した人の中にもドラマの登場人物ゆかりの人がいる。まずは清原元輔(きよはらのもとすけ)。「枕草子」でおなじみ清少納言の父である。清少納言は一条天皇の中宮・藤原定子に仕えた。元輔は肥後や周防などの国司を務めて都を離れていた期間が長いのでドラマには登場しないだろう。もう一人は藤原保昌(ふじわらのやすまさ)。この人は武勇に秀で、道長四天王とも称されているので登場してもおかしくない。また和泉式部への恋を成就するため、紫宸殿の紅梅を手折って北面武士に射かけられるという武勇伝も残っている。まだ登場人物リストにはあがって...「光る君へ」を見ながら

  • 名店と女将

    3年ほど前、フォローさせていただいているブログ「水前寺古文書の会」さんの「明治42年頃の熊本の遊びどころ」という記事の「料理屋附待合」の部には、当時の人気店が23店舗ほど紹介されていて、その中になんと、今のわが家の隣りに「一休」という料理屋があったことに驚いたことを書いたことがある。▼「水前寺古文書の会」さんの記事内容一休京町2丁目132番地電話158番女将森しげ子開業日猶浅しと雖も、眺望の絶佳なると、土地の閑静なると、包丁の美なるとを以て次第に盛名を博せり。地は京町の高台に在るを以て望界甚だ広く、居ながらにして遠くはあその噴火より近くは竜田の翠色坪井の万甕を眸裏に収め、眺望の佳なる此の楼に及ぶものなし。女将は西券でならした芸娼お繁といふ女宰相なり。得意料理は木の芽田楽。わが家の旧番地は「京町2丁目131...名店と女将

  • 松囃子と和泉式部

    今日やっとわが家の氏神様である藤崎宮に初詣をした。この日にしたのは正月恒例の松囃子が行われるからでもある。わが家族の息災を願うとともに能登半島地震や航空機事故の犠牲者の鎮魂の想いも込めて参拝した。能楽殿での松囃子で喜多流狩野家四代の祐一さんが舞囃子「東北(とうぼく)」を舞った。松囃子は神事だからアナウンスもないしパンフレットみたいなものもないので本当に「東北」だったかどうか定かではない。ただ地謡に「和泉式部」というフレーズが何度か出てきたので「東北」だったのだろう。見ながらふと今年の大河ドラマ「光る君へ」のことを思い出した。和泉式部は主役の一人藤原道長の娘彰子に仕えていたのでドラマに登場してもおかしくない。しかしいまだに登場人物の中に和泉式部の名はない。エピソードの多い人物だから話がややこしくなるのであえ...松囃子と和泉式部

  • 梅の蕾

    母を病院に見舞った後、久しぶりに二の丸周辺を散歩した。護国神社の前にさしかかり、鳥居の前で一礼して通り過ぎようとしたが、せっかく通りかかったのだから参拝して行こうと思い直した。実は今年はまだわが家の氏神である藤崎宮も地元の加藤神社にも初詣をしていないことが引っ掛かっていたからだ。どうせ後日お詣りするのだから順番は気にしないことにした。お詣りを済ませて境内の早咲きの梅の木を見上げると紅梅の蕾がだいぶ膨らんでいた。春はもうすぐそこまでやって来ていることを実感する。年こゝにあらたなる梅の蕾哉(正岡子規)梅の蕾

  • 三が日の最終日は雨

    年が明けたとたん、大地震や大事故のニュースで正月気分はどこかへ吹っ飛んでしまった。今日も入院している母を見舞いに行くつもりだったが、妹夫婦が替わって行くことになった。それじゃ、ということで桜の馬場城彩苑でやっている「熊本城坪井川園遊会~新春の宴~」が今日最終日だったので見に行った。雨の中、城彩苑は大勢の観光客で賑わっていた。今日出演の舞踊団花童は4曲踊ったが出演者は花童あかりと花童はるかの二人だけ。終演後、主宰者の中村花誠先生に新年のご挨拶に行くと「メンバーがみんなインフルエンザにかかって…」とおっしゃっていた。学校ではインフルエンザが流行っていると、かかりつけ医から聞いてはいたが、こんなところにも影響が出ているとは。さりながら、1時間弱の舞台を二人だけでもたせた成長著しさに感心した。三が日の最終日は雨

  • 2023 年間動画視聴ベスト10

    2023年のYouTubeマイチャンネル総視聴回数は528,993回でした。そして1年間に視聴された動画のベスト10は次のとおりとなりました。昨年、一昨年と連続してトップを占めた「幸若舞敦盛」に替わり、「伊勢音頭」が再び勢いを盛り返しました。「伊勢音頭」は各種文献にも、その発生、発展や伝播の歴史などから民謡の代表曲の一つとされていますので当然の結果ともいえると思います。サムネイル画像をクリックしていただきますと動画を視聴いただけます。1.伊勢音頭(38,492回)2.おてもやん(29,951回)3.南部俵積み唄(23,857回)4.幸若舞「敦盛」(23,793回)5.ひえつき節(18,151回)6.熊本民謡おてもやん(17,888回)7.かっぽれ(15,785回)8.五木の子守唄(11,238回)9.正調...2023年間動画視聴ベスト10

  • 新年のご挨拶

    あけましておめでとうございます本年もどうぞよろしくお願いいたします年末に入院した母を見舞うことがメインの三ヶ日になりそうで、初詣はもうちょっと先になると思われます。湧くからに流るるからに春の水(夏目漱石明治31年)水前寺成趣園を訪れた漱石が、阿蘇の伏流水である清水がこんこんと湧き出て流れて行くさまを詠んだ句です。漱石もきっとこんな風景を眺めたことでしょう。新年のご挨拶

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