平安時代の熊本(3)
平安時代の熊本の3回目。平安中期の「三十六歌仙」の一人であり、肥後国司を務めた清原元輔(清少納言の父)と、世阿弥の能「檜垣」のモデルでもある檜垣媼。交流があったとも伝えられるこの二人は歌人としての足跡を残している。清原元輔の歌として肥後に関係があるものは、藤崎の軒の巌に生ふる松いま幾千代の子の日過ぐさむ藤崎八旛宮(熊本市中央区井川淵町)境内の清原元輔歌碑音にきく鼓の瀧を打ち見ればたゞ山川の鳴るにぞありける鼓ヶ瀧(熊本市西区河内町野出)前者は藤崎八旛宮――今の藤崎台上――で、新春の子ノ日の遊びに、小松曳きを催して詠んだ歌である。後者は金峯山中、巌殿山――俗称「岩戸の観音」――のうしろの谷なる鼓ヶ瀧――を詠んだもので、まことに巧妙な歌であるが、これは元輔の作ではなく檜垣の作であるということにもなっており、その...平安時代の熊本(3)
2023/06/30 17:07