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困った時はダンマパダ、スッタニパータで悟りを開く http://76263383.at.webry.info/

題を「困った時はダンマパダ」から「困った時はダンマパダ、スッタニパータで悟りを開く」に変更しました。

ダンマパダ423詩の解説を何回か終えた段階で、少し趣を変えて、異なるお経の勉強を始めようという思いに至りました。どのお経を選択するかいろいろ迷いましたが、毎日少しずつ勉強するのに都合がよく、仏教を勉強する人たちに人気のあるお経として、スッタニパータを選びました。

ワンギーサ
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2009/08/08

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  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その2)】(8)

    (以下引用) 【女性の修行(その2)】(8) ◇ 虚しさ 人生を満足して生きている間は、虚しさを感じることはない。しかしながら、ふと立ち止まって振り返ったとき、ある人は自分の人生が意味のないものに思えて虚しさを感じるのである。 ここで、人生が思い通りに行かなくて虚しさを感じる人もあれば、人生自体は思い通りに進んで来たのだが虚しさを感じる人もあるであろう。それがどちらであれ、当人が虚…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その2)】(7)

    (以下引用) 【女性の修行(その2)】(7) ◇ 人生の転機 年齢的なことにせよ社会的なことにせよ、あるいは健康に関わることにせよ、人生にはいろいろな転機が訪れるものである。その転機を境にして、自分がやりたかったことができるようになったり、逆にできなくなったり、まったく未知の領域に踏み込んでいくことになるわけである。 総じて、転機が訪れるゆえに人生は豊かになったり波瀾万丈になったり…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その2)】(6)

    (以下引用) 【女性の修行(その2)】(6) ◇ 結婚と修行 結婚生活とは、配偶者と一生を共に生きるということである。もし結婚生活を送りながら仏道修行に勤しみたいというのであるならば、もちろん相手の同意を得なければならない。 また、すでに仏道修行に勤しんでいる人が結婚相手の理解を得ることができない場合には、一旦修行を止め、相手の同意を得てから再開すべきである。ここで、どうしても修行…

  • 石法如来の特別寄稿 「『修業法』というこだわり。」

    仏道修行者は、なぜ修行法というものにこだわってしまうのだろうか?。・・・かつて私も、修行法にこだわって来たことがあり、過ぎし日を思い起こし少し書いてみたいと存じます。   修行法にこだわる理由はいくつかあります。その第一は、「段階の説」を信じとらわれていると言うことです。修行を重ねたならば、修行階梯が進みやがて覚りに到達出来るという説です。 私もかつて、阿含宗という宗教団体に所属していたとき、管…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その2)】(5)

    (以下引用) 【女性の修行(その2)】(5) ◇ 家族と覚りの両立 家族を大事に思う人が、覚りに向けた修行に勤しむよりも家族との生活を重要視するのは当然のことである。しかしながら、覚ることによってのみ真のしあわせに到達することができるのであるという真理を知り、理解し、志を起こした人は、その道の歩みに勤しむことによって家族との生活が損なわれることを懸念するであろう。これは、考え方として自…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その2)】(4)

    (以下引用) 【女性の修行(その2)】(4) ◇ 頑固は覚りの対極 世間においては、我慢強いことは美徳であると見られている。しかしながら、その本当のところが頑固であるに過ぎないならば、それではしあわせは遠いこととなってしまう。 頑固さは、聞く耳を持たないことと同義である。逆に、聞く耳を持つ人がついに覚りに到達することを得る。この意味において、頑固は覚りの対極にあるものなのである。 …

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その2)】(3)

    (以下引用) 【女性の修行(その2)】(3) ◇ たった一言ですべてがハッキリする 言葉を尽くしても、相手に自分の気持ちを伝えることができない。逆に、根掘り葉掘り問い詰めたとしても相手の本当の気持ちを理解することができない。この世でコミュニケーションを取ることは、容易ではない。 ところが、ある局面においてはたった一言ですべてがハッキリする。その局面を、大事と呼ぶ。 普段は耳当た…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その2)】(2)

    (以下引用) 【女性の修行(その2)】(2) ◇ 本当の友達 その人は、私のことを自分の家族であるかのように接してくれ、さらには自分自身のことのように気遣ってくれる。その人こそ、本当の友達である。もちろん、そのような友達があることはとても幸せなことであるが、それによって真のしあわせに達することができるわけではない。 ところが、自分が他の誰かにとっての本当の友達として振る舞うならば、…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その2)】(1)

    (以下引用) 【女性の修行(その2)】(1) ◇ 共感 共感とは、他の人と喜怒哀楽などの感情や意見を共有することを言う言葉である。そして、女性は共感しやすい傾向が見られ、また他の人にも共感を求めることが少なくないであろう。もちろん、これ自体は社会生活上、何ら問題ないことである。 さて、問題は、共感が仏道とどのように関わっているかということであろう。これについて述べたい。 共感は…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その1)】(13)

    (以下引用) 【女性の修行(その1)】(13) ◇ 皆に好かれたい 皆に好かれたいという気持ちが強い人があるかも知れない。裏返せば、誰にも嫌われたくないということであろう。 しかしながら、誰にも嫌われることがないというのはさすがに不可能である。なぜならば、人々には好き嫌いの感情があり、意に沿わなければ嫌いと判断されてしまうものだからである。また、相手のことを良く知らないにも関わらず…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その1)】(12)

    (以下引用) 【女性の修行(その1)】(12) ◇ モヤモヤ解消 心がモヤモヤするというのは、ある種の不全感に根ざしたものであることは間違いあるまい。したがって、達成感や充実感が出てくればモヤモヤは解消に向かう筈である。世人は、単純にそのように考えるかも知れない。 そこで、ともかく自分が楽しめる仕事を見つけてそれに励んだり、あるいは趣味に没頭したりすることが行われることになる。しか…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その1)】(11)

    (以下引用) 【女性の修行(その1)】(11) ◇ 自信がつく修行 自信があるのは、基本的には自分が認められているという認識があるからである。このとき、自分で自分を認めることによっても自信をつけることを得るであろう。 一般に、できなかったことができるようになったとか、知らなかったことを知ったとか、分からなかったことが分かったなどということが、自分を認めることに繋がるものである。 …

  • 石法如来の特別寄稿 「『開経偈(かいきょうげ)』を読む」

    仏教の経典に、『開経偈(かいきょうげ)』というものがあります。非常に短い経典ですが内容・意味は深いものがあります。 因みに、私がこの経典を知ったのは阿含宗という新興宗教団体に所属していた時代ですから、今から40年以上も前になります。   因縁に従い、それを少し解説させて頂きます。まず、経典ですが四行しかなくとても短いです。   無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう)百千萬劫難遭遇(ひゃく…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その1)】(10)

    (以下引用) 【女性の修行(その1)】(10) ◇ 依存しない生き方 自分の足で、しっかりと人生を歩むことは立派で素晴らしい。そこには、世間の人間関係に縛られない自由で生き生きとした生活が存在している。 ここで、依存しないというのは誰の援助も受けないという意味ではない。むしろ、必要に応じて誰かの助けを受けることがあっても良いのである。ときに、信頼できる誰かのアドバイスを受けたり識者…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その1)】(9)

    (以下引用) 【女性の修行(その1)】(9) ◇ ポジティブに ポジティブに生きるということが取り沙汰されるのは、本当の意味で前向きに生きることは難しいのだと周知されているからであろう。実際、この世には思い通りにならないことが少なからずある。そして、実のところ、この世はすべて思い通りにはならないものなのである。 ただし、この思い通りにはならないというのはネガティブなこととは限らず、…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その1)】(8)

    (以下引用) 【女性の修行(その1)】(8) ◇ 可能性 世間の可能性とは、通常は自己実現に関わることがらを指している。具体的には、社会的な地位の確立とか能力の発揮とか、あるいは美の追究などである。 さて、仏道でいうところの可能性とは、誰もが等しくブッダになり得るということがそれに当たる。そして、これは何かを身につけることによるものではなく、余計なもの——それはこの名称と形態(na…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その1)】(7)

    (以下引用) 【女性の修行(その1)】(7) ◇ 元気が出る 仏道を歩むことで元気が出るならば、それはとても素晴らしいことである。また、元気を出すために仏道を歩んでみようと思う人も、素晴らしい。どちらも、最終的にはしあわせの境地に至ると期待され得るからである。 最初は気晴らしのつもりでも構わない。修行などと大袈裟に考えずに、仏教について少しだけ勉強してみるだけでも大きな功徳を積むこ…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その1)】(6)

    (以下引用) 【女性の修行(その1)】(6) ◇ 不安・悩みの解消 不安や悩みがあると、夜もぐっすりとは眠れなくなるかも知れない。そうして、疲労が蓄積しさらに不安や悩みが増すという悪循環に陥ってしまうことになる。 もちろん、不安や悩みを解消するためにはその原因を取り除き、ケアを行い、解消しなければならない。しかしながら、それを正攻法で対処することが難しいとき、仏教が不安や悩みを解消…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その1)】(5)

    (以下引用) 【女性の修行(その1)】(5) ◇ 自分を大切にしつつ修行は進む それがどんなに素晴らしい境地でも、そこに到達するためには自分の大事なものが損なわれてしまうというのでは誰もその境地を目指すことはないであろう。敢えて、それでも目指すという酔狂な人はあるかも知れないが、それでは万民に勧められる教えとはなるまい。 さて、仏道を歩むことと自分を大切にすることとは両立するのであ…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その1)】(4)

    (以下引用) 【女性の修行(その1)】(4) ◇ 好きなことをしてしあわせに到達 「好きなことだけしていても、幸せにはなれない。」 世間の人々は、そのように思い込んでいるかのようである。しかしながら、ある種の人々は、衆生でありながらこれをほぼ達成している場合がある。例えば、芸術家やスポーツ選手、知識人や趣味人と呼ばれる人々などである。また、生業が大好きという人もこの範疇に入るであろう。…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その1)】(3)

    (以下引用) 【女性の修行(その1)】(3) ◇ 自分が好きになれる 心に表裏があると、自分を好きになれない。なぜならば、人の根底にある正しい想いと現実の想いが相反することとなり、思考も行為も支離滅裂になってしまうからである。このため、自分自身にとどまらず他の人も理解に苦しむ状態となる。このようなことから、心に表裏が無くなればこの悩みは解消されよう。 さて、覚れば心に表裏はなくなる…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その1)】(2)

    (以下引用) 【女性の修行(その1)】(2) ◇ 何がわからないのか分からない 読者が具体的に何が分からないのであるかは、筆者には窺い知りようがない。しかしながら、読者が何を分かるべきであるかについては明言できる。それは、 「仏道とは、真実のやさしさを理解する道である」 ということである。すなわち、真実のやさしさが分かれば良いのである。これによって、誰もが自分の人生を有意義に生き…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その1)】(1)

    (以下引用) 【女性の修行(その1)】(1) 性別に関係無く、人は覚ってブッダとなることができる。このことは、現時点においてすでに二名の女性ブッダが出現していることで証明されていることである。それでも、女性は男性よりも覚り難いのではないかという疑念を持っている人があるかも知れない。そこで、とくに女性が仏道を歩むことについて所感を述べたい。 ◇ 自分がどうしたいのかが分からない これ…

  • 石法如来の特別寄稿 「一期一会(いちごいちえ)」

    私はかつて、「一期一会」という言葉は禅語であると捉えておりました。・・・一昨年6月に法津如来が釧路に来られたときに、春採湖が見える丘の上にある六花亭(ろっかてい)の喫茶店でコーヒーを飲みながらお話をした際、茶道の世界の言葉であることを教えて頂きました。 その言葉の意味は、「茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出 会いであると心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【魔境】(5)

    (以下引用) 【魔境】(5) ○ 争いを好み、悪を楽しんでしまうことが一つの魔境である。 この場合、生きたまま地獄に堕ちて気が遠くなるような長い時間、壮絶な苦しみを味わうことになるであろう。 善によって悪に打ち克つしか方法はないが、そのためには自分の過去の行為について省察することが勧められる。 そこで、その時自分が何者であったのか知るならば、悪を脱することを得る。 同時に、懺悔(さ…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【魔境】(4)

    (以下引用) 【魔境】(4) ○ 苦に安住してしまうことが一つの魔境である。 徳行を為せば福徳を生じるかも知れないが、それは功徳には結びつかない。 そして、そのままでは苦を脱することはおぼつかないこととなる。 このようなことに陥ってしまうのは、苦の理解不足が原因なのである。 苦の真実を知るならば、苦を脱しようとする決心を生じるであろう。 後は、真っ直ぐに歩めばその目的を果たすこと…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【魔境】(3)

    (以下引用) 【魔境】(3) ○ 真理を見てもそれが真理だと理解できず、仏を見てもそれが仏だと認知できず、経典を読んでもちんぷんかんぷんであることが一つの魔境である。 この場合、修行を始めるには時期早尚である。 この魔境にある者が修行に手を染めると、悪行を犯す恐れさえある。 このような場合には、仏道とは真実のやさしさを知ろうとする道に他ならないことを思い出すとよい。 そのことが心か…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【魔境】(2)

    (以下引用) 【魔境】(2) ○ 道を踏み外していながら、自分は正しい道を歩んでいると思い込むことが一つの魔境である。 この場合、覚りは遠いこととなる。 多くの場合、その踏み外した道において何某かの実りを感じている。 実際には、正しい道の途中には実りなど何一つ存在していない。 甘露の実りは、修行の最後に得られるものである。 この事実を了知しない限り、道の歩みを正すことは難しい。 …

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【魔境】(1)

    (以下引用) 【魔境】(1) 魔境というのは、要するに自分自身を見失うということである。 修行者は、心をしっかりと護って、魔境に陥らないようにしなければならない。 また、すでに魔境に陥っていると思しき人も、魔境の何たるかを知ることで抜け出すことができるであろう。 以下に、具体的な魔境を列記したい。 ○ 自分は上手くやっていると思い込むのが一つの魔境である。 この場合、たとえ正し…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【覚りの予兆】(5)

    (以下引用) 【覚りの予兆】(5) ○ 夢の予兆がある。 覚る前には予兆的な夢を見るからである。 具体的に言えば、大仏や巨大な仏教遺跡、高い鳥居などである。 また、肉親の死に際してもこれが働くことがある。 母の死に際して私が見た夢や、父の死に際して父自身が見て話してくれた夢がそうである。 なお、両親の死に際しては物理的な予兆も現れた。 母が亡くなる二日前には医師の説明用のディス…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【覚りの予兆】(4)

    【覚りの予兆】(4) ○ 暗合の予兆がある。 文字や数字、記号などが自分の覚りの道をまるで暗示しているかのようであるという予兆である。 私の場合には、「8448」がそうであった。 この番号は自家用車のナンバープレートの番号として採用したものであるが、元はLEGOテクニックシリーズのスポーツカーの商品番号「LT8448」に由来しているものである。 覚ってから考えると、84は仏を意味しており、48は衆生を…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【覚りの予兆】(3)

    (以下引用) 【覚りの予兆】(3) ○ 仏縁の予兆がある。特定の経典を探していたのが偶然に見つかるとか、特定の経典が意外な形で手元にやって来るとか、特定の経典をどうしても読誦したくなるとかいうことである。 また、未だその縁のある経典の内容を知らないのにどうしてもその経典を手に入れて読みたいなどと思う場合もある。 なお、これについては、対象が経典ではなく生き身の仏を対象とする場合もあり得…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【覚りの予兆】(2)

    (以下引用) 【覚りの予兆】(2) ○ 別の大きな予兆は、観の完成間近における予兆である。 未だ観が完成していないにも関わらず、もうすぐ観が完成するであろうという予兆が起こる。 それは余りにも強いので、「もうすぐ覚る気がする」などと家族に向かって口を開くほどである。 ただし、観を用いた修行に縁のない修行者はこの限りではない。 (以上引用) *法津如来のコメント 「観」については…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【覚りの予兆】(1)

    (以下引用) 【覚りの予兆】(1) 覚りに向けた道の歩みの途中には、何一つ実りは存在せず、最後にいきなり甘露の実を生じるのである。このため、修行中における覚りの予兆など本来存在しない筈である。しかしながら、実際には、覚りの予兆を生じることがある。それについて述べたい。 ○ 最も決定的な覚りの予兆は、もうすぐ覚るだろうという説明できないが確かな感覚を生じることである。しかも、その時に特定の…

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