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困った時はダンマパダ、スッタニパータで悟りを開く http://76263383.at.webry.info/

題を「困った時はダンマパダ」から「困った時はダンマパダ、スッタニパータで悟りを開く」に変更しました。

ダンマパダ423詩の解説を何回か終えた段階で、少し趣を変えて、異なるお経の勉強を始めようという思いに至りました。どのお経を選択するかいろいろ迷いましたが、毎日少しずつ勉強するのに都合がよく、仏教を勉強する人たちに人気のあるお経として、スッタニパータを選びました。

ワンギーサ
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2009/08/08

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  • 石法如来の特別寄稿 「『智慧の解脱(慧解脱)』について(その3)」

    (「無明の滅」) 昨年(2019年)4月6日早朝、私は、「過去に聞いた法の句を思い出し苦に喘ぐ衆生を観(み)」ながら、意識の深部に向け四諦の法が降り注ぐように突き抜けて行く感覚を得て「覚り=解脱」に達しました。   「覚り=解脱」の瞬間とは非常に微妙なものであり、覚者にはそれぞれ微妙な違いが見られます。 私の場合は法の句を機縁として、長年縁があった原始仏教経典に説かれる四諦の法(四聖諦)により無…

  • 石法如来の特別寄稿 「『智慧の解脱(慧解脱)』について(その2)」

    (その1からつづく) 形態の解脱(身解脱)まで成し遂げていながら、暗中模索とはおかしな表現であると思われる方もおられるかも知れませんが、達成すべき道はたしかにその延長線上に存在するとはいえ未知の世界であることに間違いはなく、「そこで、もう一歩踏み出す覚悟と決心」を求められたという訳です。   その、半ば安易な気持ちに決定的な変化と衝撃を及ぼしたのは、2019年4月初旬の2名の如来誕生です。2名と…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【神通】

    (以下引用) 【神通】 神通は、仏の為すわざではない。しかしながら、まるで仏のために何者かが仏の人生の節目を彩り、生きる糧を保証し、仏の口から法(ダルマ)が世に伝わることを補助するかのような働きを見せる。その按排が見事なので、世間の人々はとても不思議なものであると感じるかも知れない。 さて、神通は観念的なものではなく物理的な働きである。すなわち、物が移動・変形したり、配置されたり、供与された…

  • 石法如来の特別寄稿 「『智慧の解脱(慧解脱)』について(その1)」

    法津如来のブログ、「法津如来の独り言」の因縁により「「解脱知見(げだつちけん)」について」(その1~3)まで書くことになりました。 書いたあとで、そこまで書いたのだから「智慧の解脱(慧解脱)」のことも書かなければ「やさしさに欠けるのでは?」と考えました。 そこで、過去の文章と記憶をたどりながら少し書いてみたいと存じます。ただ、前回も書きましたが内容については私(石法)個人の体験であり、解脱に…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(6)

    (以下引用) ◇ 輪廻説の是非正否に修行者が翻弄されない 輪廻説が正しかろうが間違っていようが、それを認めていようが否定していようが、気にしていようがいまいが、立派な修行者は最終的にはニルヴァーナに到達する。これは一つの不可思議である。 誤解を生じないように説明を加えておくが、輪廻説を肯定している人が覚れないと主張するわけではない。事実、私(=SRKWブッダ)自身、修行時代においては輪廻…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(5)

    (以下引用) ◇ 解脱そのものは不可思議ではない 抗生物質を服用すると、口から(消化器官から)遠く離れた例えば手や足などの患部の細菌感染を予防することができる。抗生物質は、身体の健康な部位には悪影響を及ぼすことなく、選択的に患部の炎症を防止するのである。それと似て、解脱によって消滅するこの名称と形態(nama-rupa)は、人が有する名称と形態の全体ではなく苦をもたらす余計なものだけが選択…

  • 石法如来の特別寄稿 「『解脱知見(げだつちけん)』について(その3)」

    (その2)からつづく。 そんな事を行った次の日の早朝寝床の中で、色々と考え事をしていました。「人間、いつまで生きられるか分からないから「早く解脱しないと駄目だな」」と、痛切に切実なくらいリアルに「その事」を思った(感じた)のです。そして、朝6時に起床します・・・。 6時半から、何時も通り「観(=止観)」の修行を始めたら、上記のような「解脱知見」が起こったのです。 自分にしたら、てっきり「番組…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(4)

    (以下引用) ◇ 解脱のプロセスはこの世で最大の不可思議 心が、他でもないその同じ心を滅し解脱を果たすという解脱のプロセス——敢えてここではプロセスという言葉を用いるが——は、この世における最大の不可思議である。 まるで心が自殺を望み、しかしそのままで終わることなくその後必ずよりよい形で再生することを知っているかの如くである。そして、少なくとも、解脱の瞬間に起こる諸のことがらは心によって…

  • 石法如来の特別寄稿 「『解脱知見(げだつちけん)』について(その2)」

    (その1)からつづく。 次に、「自分自身の偏見と慢心」です。これは、なかなか「気づきにくい」ものです。しかし、「コメント書き」(※注1)の因縁に依り、私は「自分自身、今までいかに偏見と慢心に満ちた考え方をしていたか・・・」を気づかされました。 (※注1=ブログ「ワン爺の独り言」(当時)に、2017年11月頃からtoshi 名でコメント書きを行ったことを指す。)   自分自身反省してみて、「この気づ…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(3)

    (以下引用) ◇ 不可思議なる発心 人が仏道を歩んだとき実際に覚りに達するかどうかは、この道の重要な分水嶺となる発心にかかっている。そして、発心は覚りの道におけるとくに大きな不可思議である。 疑いなく、発心は第一の善知識との出会いによってもたらされるものである。それゆえに、今世での覚りを望む修行者は、善知識との出会いを果たさなければならない。また、善知識と出会ったときに発心するかどうかは…

  • 石法如来の特別寄稿 「『解脱知見(げだつちけん)』について(その1)」

    2020年12月23日付の、ブログ「法津如来の独り言」においてSRKWブッダ著『仏道の真実++』【解脱知見】(4)を拝読し、法津如来の書かれたコメントに「私が見落としているのかもしれませんが、解脱知見を得た状況はまだ知りませんので、どこかに書いてくれると、修行者の参考になるでしょう。」とありましたので、少し書きたいと存じます。   丁度、参考になるメールがありましたので掲載致します。文中、ワンギー…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(2)

    (以下引用) ◇ 発心以前に起こる不可思議 有り体に言えば、発心以前の修行者は本当の意味での修行者とは言えないものである。何となれば、発心していない修行者は法の句を聞いても解脱しないからである。 ところが、発心以前の修行者であっても、まるですでに発心した立派な修行者であるかのように不可思議に遭遇することがある。その具体的なことを例示したい。聞けば、思い当たる人もあるかも知れない。 ・ …

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(1)

    (以下引用) この世の最大の不可思議は、衆生の心がその己の心を滅することを欲し、実際にそれをこの名称と形態(nama-rupa)の終滅という形で実現し、しかしそれによって作仏してニルヴァーナに至るという事実である。ただし、不可思議はそれだけではない。 さて、この世にはいろいろな不思議があると人々に周知されていることがあろう。例えば、超常現象や神秘体験に関わるようなことがら、また共時性(シンク…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【解脱知見】(4)

    (以下引用) 【解脱知見】(4) 次に、解脱知見を生じる瞬間について説明したい。これは、解脱したその瞬間に、直ちに解脱知見を生じるとは限らないという事実が認められるからである。 実際、私(=SRKWブッダ)の場合、解脱自体は真夜中に生じたが、解脱知見を得たのは翌朝目覚めてからである。解脱した瞬間に、確かに大歓喜は生じた。具体的には、〈特殊な感動〉を生じたということである。しかし、それは解脱…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【解脱知見】(3)

    (以下引用) 【解脱知見】(3) また、自分が覚る前とは明らかに違う存在になったことを自覚する。具体的には、次のような覚知を生じる。 ● この名称と形態(nama-rupa)が滅したことを如実に知る。具体的には、識別作用の滅を明らかに知る。 ● 自分が、この世で為すべきことを為し終えたことを覚知する。 ● これらのことが、決して逆戻りしないものであることを覚知する。 ● 自分が…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【解脱知見】(2)

    (以下引用) 【解脱知見】(2) では、解脱知見の真実とはいかなるものなのであろうか。それを説明したい。 智慧の輪に取り組んで解いたことがある人は知っているであろうが、智慧の輪には何一つヒントは与えられていない。また、正解手順が開示されることもない。それでも、正しく智慧の輪を解いた人は、自分が間違いなくその智慧の輪を解いたのだと分かるのである。彼は、自分が解いたその手順が唯一無二のものであ…

  • 石法如来の特別寄稿 「 法の句と『真実のやさしさ』」

    ブログ「法津如来の独り言」で、12月17日に掲載された「SRKWブッダ「仏道の真実++」【普遍妥当なる道】(2)」の記事を拝読し、因縁を感じましたので少し書いて見ます。 私自身、法の句に関する体験談を2019年12月25日「善知識と法の句」と言うことで、記事を投稿したことがあります。・・・今から、丁度1年前のことです。   思い起こせば2013年の秋、娘家族の住むスウェーデンに向かうため成田空港近…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【解脱知見】(1)

    (以下引用) 【解脱知見】(1) 「解脱したときには、解脱したという正しい知見を生じる」 と、説かれる。これは本当のことである。 ただし、これは真に解脱を生じた人にとってそうであるということであって、自分の覚りを勘違いしている者には当て嵌まらない。そして、覚りを勘違いしている者は、解脱知見そのものを自分の都合が良いようにねじ曲げて解釈することになってしまうだろう。 最初にはっきりさせて…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【寂滅論】(2)

    (以下引用) 【寂滅論】(2) この寂滅論で言いたいことは、覚らない限りこの世を真に生きたことにはならないということである。 また、衆生がどんなに偉大な功績を挙げたところで死後は名が残るに過ぎないということである。 それに対して、覚った人は死後もミームの形で世に長く存在することを得る。 すなわち、あるブッダが書いた経典が残ってさえいれば、対機の説法としてはそのブッダが死後も生きているの…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【寂滅論】(1)

    (以下引用) 【寂滅論】(1) 拙著『ブッダの世界観』において、古典的な輪廻説を取り下げ「寂滅論」を提起した。その内容は、次のようなものである。 人の人生は一度きり。前世も来世も無い。この結論は寂しい気もするがおそらく事実であろう。ならば、覚りなど目指さずに面白おかしく暮らした方が得だという極論も出るかも知れないが、覚者に言わせれば、覚ってニルヴァーナに至り住すること以上の楽しみはこの世に…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【普遍妥当なる道】(2)

    (以下引用) 【普遍妥当なる道】(2) ところで、真理はいかにして普遍妥当性を持つのであろうか。その根本の理由は何であろうか。知りたい人もいるであろう。 その根本の理由は、覚りがこの名称と形態(nama-rupa)の脱落・終滅に他ならないという事実にあると考えられる。要するに、これを為し遂げない限りニルヴァーナに到達することはないということである。誰であろうと、修行者は必ずこの名称と形態を…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【普遍妥当なる道】(1)

    (以下引用) 【普遍妥当なる道】(1) この世には、仏道以外の道を以てこれこそがニルヴァーナに至る道であると吹聴する者が散見される。しかし、そこには何の根拠も存在していない。彼らは、自分では未だニルヴァーナに達していないにも関わらず、誤った見解に基づいて外道を覚りの道であると主張しているのである。そして、それらが普遍妥当性を欠いていることは、他ならぬ本人が否定的に証明してしまうことになるので…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【気をつけること】(2)

    (以下引用) 【気をつけること】(2) ところで、ある者は気をつけることそれ自体にとらわれてしまう。つまり、しっかりと気をつけてさえいれば覚ることができると頑なに思い込んでしまうのである。しかし、それでは仏道で言うところの気をつけていることにはならない。 なお、気をつけることは最初が肝心である。最初を誤ると、その後正しく気をつけていたとしても覚りを生じないからである。これは、ボタンの掛け違…

  • 石法如来の特別寄稿  「この世の虚妄(偏向報道)と潜在意識(続)」

    今年は、「新型コロナ騒動」に始まりそれに終わる一年になりそうです。日本は、アメリカやヨーロッパ諸国より感染者・死者数が二桁少ないのに、どうしてこれ程まで大騒ぎしているのか私自身は不思議で仕方がありません。その事象を仏教的に「虚妄(きょもう)」であると表現し、少し書いてみたいと存じます。 「この世の虚妄(偏向報道)と潜在意識」の記事でも書きましたが、「潜在意識(個人的無意識)」は、「同じ情報の…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【気をつけること】(1)

    (以下引用) 【気をつけること】(1) すでに覚った人にその秘訣を尋ねたならば、多くの場合次のような答えが返ってくるだろう。 「気をつけていたので覚ることができた」 すなわち、覚った人は、自分が正しい道を歩むことについても、覚りの機縁を生じることについても、功徳を積むことにおいても、智慧を見出すことにおいても、その他仏道に関するあらゆることについて、気をつけていたゆえに覚りを達成すること…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【言葉】(3)

    (以下引用) 【言葉】(3) ところで、人には、その人らしい言葉遣いというものがあるであろう。 もちろん、時と場所、その時の気分や感情に応じて言葉遣いが変化するのは当然である。 それでも、その変化は一定の範囲内に収まることが通常であろう。 ところが、法の句が発せられるとき、その言葉はその人が口にした言葉とはとても思えない、予想外の特別なものとなる。 その言葉は、極めて見事で霊妙であ…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【言葉】(2)

    (以下引用) 【言葉】(2) なお、法の句の出自は、法界であると推定される。 法界は、古典的には諸仏の住み処とも称される界である。 この世に大事の局面が出現したとき、法界から法の句が現れる。 それが覚りの決定的な機縁となるわけである。 ただし、それぞれの法の句は特定の誰かに焦点を合わせて発せられるわけではない。 法の句の出現は大事に応じたものに過ぎず、特定の意図を持ってこの…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【言葉】(1)

    (以下引用) 【言葉】(1) 通常、言葉は人の意思の疎通に用いられるものである。また、知識の伝達、記録、思考、決意の表明などにも用いられる。そして、言葉にはそれらとは別の偉大な働きがある。それは、言葉が人の覚りの決定的な機縁となることである。 すなわち、人は世に希有なる法の句を耳にして、その真実の意味を理解したときに覚り(=解脱)を生じるからである。逆に言えば、人が法の句を聞くことがな…

  • 石法如来の特別寄稿  「この世の虚妄(偏向報道)と潜在意識」

    私は、もうすぐ70歳になります。思えば、随分長く生きてきたものですが「覚り」を得たのち、この世を見渡しますと特に「虚妄なるもの」の存在を痛感致します。分かりやすい事例を紹介しながら少し書いてみます。   今年は、「新型コロナ騒動」に始まりそれに終わる一年になりそうですが、今私が一番興味をもって見ているのはアメリカの大統領選挙のその後です。 ここで今、アメリカを二分するような事態が起こっています…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【瞑想】

    (以下引用) 【瞑想】 往時において、修行者が瞑想を行う本来の目的は心を静かならしめることにあったと推定される。そして、ある人は瞑想の先にニルヴァーナが存在しているのだと考えたかも知れない。それは、現代においても同様であろう。 さて、実際に瞑想を行うと、意識のある種の変成を体験することになる。具体的には、いわゆるチャクラを見たり、ナーダ音を聞いたり、鮮明なビジョンが見えたり、身体がとて…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(9)

    (以下引用) 【経典の読誦】(9) ところが、経典が素晴らしいのはそれだけではないのである。 経典は、読誦してその雰囲気を味わうだけでも一つの修行として成立し得ることが分かっているからである。 このとき、経典の内容を理解する必要さえ無い。 経典の中の仏が衆生に向かって語る様子をイメージするだけでも良いのである。 その経典と縁がある修行者は、それだけによっても一つの解脱を生じ得るからで…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(8)

    (以下引用) 【経典の読誦】(8) ところで、経典は真のやさしさについて記したものであることを知っていたとしても、やはり難解なものであろう。 書いてあることは一通り理解できても、それがどうして素晴らしいのかがピンと来ないのもある意味では当然である。 例えば、親が子に対して発する躾の言葉が、子供にはすぐには理解できないようなものである。 子供は、躾けられたのではなく叱られたと感じるかも知…

  • 石法如来の特別寄稿「覚り(さとり)について」

    私は、朝方布団に入りながら「まどろみ」の中であれこれ考えるのが好きです。うとうととした中で、今回せっかく「名称と形態」について書いたのだから、参考になるよう関連する自分自身のことを少し書こうかと考えました。それで、題名を「覚り(さとり)について」としました。   「覚り=解脱」を達成したら、人間は「どのように変わるのか?」という点に興味をもたれる方が多いと思います。具体的なことは、SRKWブッダ…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(7)

    (以下引用) 【経典の読誦】(7) 修行者は、最初のうちは経典を読んでもちんぷんかんぷんかも知れない。なぜならば、真のやさしさは世俗のそれとは趣が異なっているからである。ある人は、次のような感想を持つかも知れない。 「確かにやさしいが、それが究極のやさしさであるというのがピンと来ない」 この点については、次のような譬えが役に立つかも知れない。 ● 味噌汁が美味なのは、実は出汁の威力で…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(6)

    (以下引用) 【経典の読誦】(6) もちろん、どのブッダにも共通の特性がある。それは、 「ブッダはやさしさの究極の相である」 ということである。 このため、すべての経典にはこのことに基づく特徴が継承されている。 一部の経典は極めて難解で冷徹な印象を受けるかも知れないが、仏教の真髄を理解した人にはこの相が明らかに見て取れるのである。 修行者が経典を読誦してブッダの特性を理解し得たな…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(5)

    (以下引用) 【経典の読誦】(5) 正法とは、言ってみればその経典を著したブッダの世界観の表明である。 そして、その世界観に基づいて経典は統一的に編纂されることになるのである。 さまざまな方便の説も、その世界観を分かり易く補強するためのものである。 すなわち、ある経典を読誦するということは、その経典を著したブッダの世界観を理解しようとすることに他ならない。 (以上引用) *法津如…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(4)

    (以下引用) 【経典の読誦】(4) したがって、とくに大乗経典を読誦することの一番の意味は正法を知ることにある。 ただし、経典の中のどの部分が正法であるかは明らかには示されていない。 覚った人だけが、それぞれの経典の正法の記述部分を指し示すことができるのである。 あるいは、覚ったときに経典のどの部分が正法であったのかを明確に知ることになる。 (以上引用) *法津如来のコメント …

  • 石法如来の特別寄稿「『名称と形態』の考察(その4)」

    (その3)からつづく・・・。 以上、「「名称と形態」の考察(その1~その3)」でSRKWブッダの理法「名称と形態」を考察して参りましたが、当然理論を覚えただけでは何の力にもなりません。修行全般については、SRKWブッダの著書などをよく読まれるようにして下さい。   本記事の(その1)で、人間の意識のイメージを氷山に喩えて書きましたが、「解脱」というものを考えた場合、少しイメージが違うのでそれを書…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(3)

    (以下引用) 【経典の読誦】(3) もちろん、それぞれの経典にはその核心である正法の記述が認められる。 人は、正法にしたがい、正法により、正法の真の理解を生じつつあるとき、まさしく正法を理解する機縁を生じ、因縁があって、正法の記述が真実であると知った人が、この正法によって仏となるのである。 大乗経典は、これを最も効果的に実現しようとして編纂されたと言っても過言ではあるまい。 (以上引用…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(2)

    (以下引用) 【経典の読誦】(2) 初期の段階では、ブッダの言葉を集め、憶えやすくするために韻文の偈の形に編集して口伝で継承された。 時代が下って、文字を用いて経典を記すようになると、散文や物語性を帯びた経典が編纂されるようになった。 そして、釈尊の滅後4〜500年経過した時代には、いわゆる大乗経典が当時のブッダ達を主軸として作られたようである。 そこにはさまざまな方便の説が盛り込まれ…

  • SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(1)

    (以下引用) 【経典の読誦】(1) ある人は、経典を読誦することは、仏教とは何であるかを知的に理解することに役立つものであると考えているかも知れない。 しかしながら、経典が書かれた本来の目的は、衆生が覚ることに直接役立たせようとしたものである。 (以上引用) *法津如来のコメント 【経典の読誦】の章は、多少長いので、始めは3回程度に分けて引用掲載しようと思いました。 しかし、改…

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