先の6月14日で、あの事故から丸9年が経ち、2人目のこどもにも恵まれ幸せに暮らしている。2年前からこどもの通う幼稚園の保護者に誘われランニングを始めた。昨年の3月に初フルマラソンを完走。30km過ぎから足が痛くなり何度か立ち止まりようやくゴールしたが、何か物
いつも通りレントゲンを経由して診察室へ向かう。レントゲン写真を見て先生。「うん、問題ないね。予定通り半年後に釘抜けそうやね。3月にもう1回診て抜く時期を決めようか。」私「わかりました。先生、杖はもう使わんでいい?」先生「うん、もうエエ
会社の健康診断。この夏に検査しつくしているので改めて調べることは正直ない。でも、会社で決められた定期健診なので受けなければならない。尿検査、何度もやりました。採血、毎週されてました。レントゲン、嫌というほど撮りました。心電図、心臓は専
仕事に復帰して2週間が経ち通勤にも慣れてきた。歩くことも苦労することなく、杖が邪魔に感じるようになってきた。診断書や保険の手続きのために病院に行く機会があったので、ふとっちょめがね先生を捕まえて杖の使用をやめてもいいか聞こうと思った。受付で先生の
週明けからの会社復帰を前に会社へ挨拶に赴いた。ここでも職場が眩しかった。入院中に10日間のベッド生活から解放された時と同じ感覚だ。事務所のレイアウト替えでもあったのかと思ったが気のせいだった。自分の感覚がズレているだけだった。席の並びもパソコ
あの壮絶な事故から丸3年が経った。時間の経過と共に薄れゆく記憶。生きていることに日々感謝していた気持ちも片隅においやられ、生きていることが当たり前に感じるようになっていた。しかし、6月14日が近づくにつれ奇跡への感謝の気持ちがわき上がってくると同時
社会復帰を来週に控え、家族との思い出作りのため篠山へ1泊2日家族旅行に出かけた。芋ほりをして黒豆を採り自然と戯れてペンションに宿泊落ち葉や木の実を拾って工作をしたりゆっくりした時間をすごしました。2日目は篠山市内観光の後、父の
日は遡って9月の某日。警察から電話がありました。「退院されたんですか?もしよければ事故の状況聞き取りに淀川警察まで出頭できますか?」もう2か月も前の調書を今さら。そんな気持ちを持ちながら翌日にバスで出かけた。警察署につき担当部署
今回は始めて一人で電車に乗って通院。9時からの受診のため出勤ラッシュの中である。社会復帰へのよいリハビリだ。前回と異なり、やはりラッシュ時には席を譲ってくれる人はいない。(社会復帰を果たしても同じ経験をするのだが・・・)何針目の抜糸かもは
前回の通院から1か月。リハビリを兼ねてチビを公園に連れて行ったり買い物に付き合ったり。2か月の入院で失われた家族との触れ合いの日々を過ごしていた。1か月ぶりの通院。今日で鎖骨のピンが抜かれる。抜糸まで終えると本格的に社会復帰するつもりでいたの
3度目の通院。抜糸も終わったので経過観察。診察前にレントゲン撮影。入院中に週1で足を運んでいたレントゲン室。撮影され慣れているから、次にどのポーズを撮るのかが頭に入っている。レントゲン技師さんからも「ポーズはバッチリやね。楽やわ~」
2回目の通院。今日は抜糸の日だ。前回、書き忘れたが、病院へは奥さんが運転する車で向かった。家の近所では乗り慣れてるが、大阪市内での運転に自信がない奥さんはおびえながら運転。もともと私は人の助手席に乗るのが苦手ですが、退院したばかりの体では運転
この病院を初めて外来で訪れた。2ヶ月もここに居たので自分の家のような感覚になっていたが、外来で訪れるとその感覚は一気に吹き飛んだ。寝巻きのような服装でないこと、受付で待たされること、すべてが入院中と違っていた。しかし、これが普通の感覚なのだ。
今まで入院生活を克明?に書いてきましたが、退院後の日々はほとんど記憶にありません。病院という特別な環境にいたから鮮明に記憶していましたが、我が家という今も続いている日常の場所ではこまかなことの記憶と言うのは薄れてしまうものです。しかし、それは特に大
私の入院記録もとうとう退院を迎えました。最後の方はなかなか更新できませんでしたが…。退院はしたものの、完全復活まではまだ時間が必要です。完全復活までの記録と社会に出て気づいたことなどを綴っていこうと思います。みなさん、もうしばらくお
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