先日、MMから横浜駅まで歩きました。昔は会社の帰りに関内から横浜駅までよく歩いたものです。町はいつしか新しいビルも増えています。クリスマス前だけあって、横浜美術館の前ではルイ・ヴィトンのお洒落なメリーゴーランド。乗っている人並んでいる人は、ほとんどが成人男
初めてなのに懐かしい。そんな古い町や家が好きです。
苔むした瓦屋根、磨き抜かれた格子戸、さり気なく置かれた自転車、つい覗いてみたくなるような老舗のたたずまい。 風情ある町や家は、長い時間の経過と、そこに住む人々の日々の営みによって、創りだされるのでしょう。 初めてなのに懐かしい。「ひろしのあの町あの家」は、各地で見つけた心ひかれる家々や風景を描いた水彩画です。
正面奥の林の中にぼんやり見えのが、湯布院御三家の一つ「由布院玉の湯」です。ちょうど車の客が帰るところで、男女2人の従業員が丁寧なお見送り。車がこの道を走り去っても頭を下げ続けていました。このお見送りを見届けてから、絵の左手にある「由府両築」の向こう隣の共
昼食は、混雑した店に入る気にもならず、スーパーでサンドイッチと飲み物を買い、店の前に見えた大きな公園で食べました。この公園の名は湯布院中央児童公園、昔の児童たちがゲートボールをしていました。その奥に見えるのは隈研吾設計の焼杉の壁の現代美術館。壁の向こうに
金鱗湖畔の亀の井別荘の駐車場です。高級車を描きたいわけではなく、描きたかったのは塀の向こうにある建物、それも屋根瓦です。落ち葉で埋もれていますが、丸瓦の本瓦葺きです。京都や奈良の古い寺院や家では良く見られますが、湯布院で見られるとは、ちょっと驚き。さすが
鉄輪温泉の絵が終わり、今日から湯布院です。別府駅から亀の井バスで朝8時半に湯布院に到着。湯布院で見たいと思っていたのは田園風景です。観光客の多いメインストリートから外れ大分川を土手沿いに下りました。大分川は由布岳に源を発し、大分市から別府湾に注ぐ一級河川
「ブログリーダー」を活用して、つぶ庵さんをフォローしませんか?
先日、MMから横浜駅まで歩きました。昔は会社の帰りに関内から横浜駅までよく歩いたものです。町はいつしか新しいビルも増えています。クリスマス前だけあって、横浜美術館の前ではルイ・ヴィトンのお洒落なメリーゴーランド。乗っている人並んでいる人は、ほとんどが成人男
火災から5年、ノートルダム寺院は今月8日に一般公開を再開。前日の7日にはトランプ、ゼレンスキー会談も、さすがマクロン。「パリ・ノートルダム大聖堂展」では、創建時から2019年の火災までリアルな映像がタブレットを通して見られました。タブレット使用の展示は初体験
月島で妻は初めてもんじゃ焼きというものを食し大満足。その後、もらったマップに書いてあった「東京で最も古い交番」へ。1926年(大正15年)に建てられた交番です。誰もいません。好奇心旺盛の妻は階段を上り、正面のデスクの椅子にドーンと座りました。直後、後ろのドアか
「はにわ」を見に東博の庭に入った途端、ドーンとキティちゃんがお出迎え。表慶館の前は「Hello Kitty展」の入館待ちの大人で溢れています。ネットで見たら、開催初日は180分待ちもあったとか。サンリオの公式サイトから混雑のお詫びが出たほど。グッズの転売目的まであるで
ホテルの宿泊券を当てた妻の企画で、1泊2日の東京旅行に行ってきました。ホテルが晴海だったので1日目は日本科学未来館の「パリ・ノートルダム大聖堂展」、遅い昼食は月島でもんじゃ焼き。2日目は東博の「はにわ」。沢山の埴輪の中でも、ひろしのあの家としては、やはり
中央に立つ旗を持った像は、12世紀にベルンの町を造ったツェーリンゲン家の記念碑だそうです。兵士に見えますが鎧兜の中は熊。熊はこの町のシンボルであり、ベルンの語源であるとか。また、建物入口の手前には、緑や茶色の斜めの地下への扉が見えます。これは各地にある防
レマン湖畔にあるブドウ農家です。こちらでは普通の家なのかどうかわかりませんが、お洒落な感じがします。レマン湖の中央にスイスとフランスとの国境があり、対岸はフランスです。水彩画展でもラボー地区の絵を展示しました。斜面の上からブドウ畑と集落を見下ろし、家々の
ラボー地区の家の窓です。先週のようにブドウの木が窓に絡みついている家もあれば、このようにブドウ模様の窓格子も。畑だけでなく家もブドウと共にです。他の家にも、このような窓格子がありますが、デザインは違います。ブドウ系?窓格子作家がいるのでしょうか。世界遺産
ぼくのお祭りも終わり日常へ、次の絵は何にしよう。今回の水彩画展で海外の家々を見ていたら、懐かしく描きたくなりました。でも、コロナ以降は海外には行ってないし。あちこちの古い写真を見直して「スイスにしよう」。これはレマン湖に面したブドウ畑の広がるラボー地区に
このような挨拶文で始まる水彩画展「ひろしのあの町あの家」が昨日、大盛況のうちに終了しました。懐かしい同僚や同級生との再会、ゴルフ・太極拳仲間や多くの地元の方々と話すことができた1週間でした。心落ち着く、懐かしい、繊細など沢山のお褒めを頂き、やはり原画は力
昨日の午後、水彩画展「ひろしのあの町あの家」がオープンしました。展示の作業員はぼくと妻、応援に来てくれた妻の妹と姪の4人です。17年前の広い相鉄ギャライーの準備と同じメンバーです。みな17年分年を取りましたが。今回は天井からのワイヤーフック掛けや照明配置など高
ぼくの水彩画展が来週に迫りました。2007年4月1日、ブログ「ひろしのあの町あの家」はこの絵から始まりました。それから17年間、全国各地で多くの自然災害がありました。2011年の東日本大震災ではこの正文堂も大きな被害を受け、その後見事に修復。水彩画展でも「記念の絵」
大きな石造り倉庫に挟まれた、楽しい感じの大同倉庫です。描いていて思い出したのですが、父も倉庫の仕事をしていました。子供のぼくたちから見ても、父は笑っちゃうほど台風を怖がる人でした。それは各地の埠頭の倉庫が台風で波をかぶり、預かったタバコなどの商品をダメし
小樽駅から日銀通りを歩き始めたとき、ちょっと目に止まった建物です。小樽らしくないとは思いつつ、条件反射で写真をパチリ。これは北海道タオル株式会社、小樽で110余年にわたりタオル・手ぬぐいを製造販売しています。右手裏のトタン屋根の建物は使い込んだ作業場か?蔵の
この浪漫館は、明治41年築の旧第百十三国立銀行小樽支店です。先週の海鳴楼は、明治28年築の同銀行の小樽支店。僅か13年足らずで、小さな平屋の建物から2階建2棟に大変身。まさに明治期、小樽経済は急成長したのでしょう。ニシン漁、海運業の発達、石炭輸送のための鉄道開通
オルゴール堂3軒目の海鳴楼です。こんなに店があってオルゴールを買う人がいるのでしょうか。でも、建物は絵になる歴史的建造物なのが嬉しいです。今回は扉を開けずに、閉まったままを描きました。これは旧第百十三国立銀行小樽支店として明治28年に建てられ、もうすぐ130年
北海道有数の精米・穀物商だった共成(株)本社の建物です。大正4年築で現在は小樽オルゴール堂本館。8月7日の堺町店も旧岩永商店だし、7月24日の北一硝子も鰊倉庫の古い建物を上手く利用しています。建物を使う人は、その時代時代で変わります。小樽で20年前に描いたうちの
これは明治23年築の旧小樽倉庫、横長の建物全景は壮観です。大正に小樽運河ができ、この倉庫は長く運河と共にありました。昭和の埠頭整備で運河の役割は終え、戦後はゴミとヘドロで汚れ、埋めてて道路になるところでしたが、保存運動で生き残り、今や人気の観光地。現在、
小樽駅から日銀通りに出たところで、目を引いたのがこのレンガ造りのカフェバー。狭い敷地に4階建、当時はのっぽビル?これは明治41年、旧向井商店(呉服店・洋品店)の倉庫として建てられました。商品を火災から守る意気込みを感じます。小樽は大火と復興する経済力で、木
千歳行きの飛行機を待つ羽田空港です。飛行機の後ろにコンテナ船、東京湾ですから日常の風景なのでしょうが、ぼくには新鮮でした。空を飛ぶ飛行機も海を行くコンテナ船も、絵にはないですが陸を走るトラックにも、みなそれぞれの持ち場で真剣に働く人達がいます。彼らによっ
1日目は別府駅周辺、2日目は亀の井バス1日乗車券で、明礬温泉・地獄めぐり・鉄輪温泉を回りました。そこここから湯けむりが沸き上がり、まさに日本一の別府温泉を実感しました。ここは鉄輪温泉のいでゆ坂。手ごろな大きさの旅館や公共浴場、食堂が静かに並んでいます。道
別府・湯布院へ行ってきました。数枚スケッチしたので早速アップ、これは大正13年築の別府の「駅前高等温泉」入浴料250円の共同浴場です。絵を描いていると暇と思われるのか、よく話しかけられます。この時は東京で店舗の設計をしていた60代位の男性。仕事の話に続いて、母親
津和野大橋を渡った南は、整備された殿町通りとは違い、生活感のある店がポツポツと見受けられます。その中で「理髪店ほりの」は、懐かしくホッとするような雰囲気を醸し出していました。理髪店を描くのは好きですが、結婚して50年近くぼくも妻も床屋にも美容院にも一度も
この教会はキリシタン殉教慰霊のために明治23年に建てられ、火災により昭和6年の再建です。教会の中は畳敷、今どき畳と思っていたら、椅子が並んだ写真を見つけて、正座が苦手なぼくは一安心。行きませんでしたが、町のすぐ西側乙女峠にキリシタンの殉教地があります。浦上
10月18日の京都の足袋屋さんが分銅屋で、津和野にも分銅屋がありました。この分銅屋七右衛門は江戸時代より鬢付け油、和蝋燭、菜種油、香等を製造販売し、津和野の「元禄八人衆」と呼ばれた商家だそうです。建物は1853年の大火後、焼け残った材料を使って素早く再建したとのこ
この風格ある建物は明治中期のもの。明治時代は質屋、大正時代は家具店、そして現在は三松堂の支店、津和野銘菓源氏巻の菓子屋です。ぼくは旅先で気になる菓子を見つけると必ず買います。絵を描きながら妻に「津和野では何も食べなかった」と言ったら「私が2つ買った源氏巻
裏山の竹藪をバックに大きな赤い石州瓦の屋根。葺きたてだからか?こういう色なのか?他の家の瓦と違い、赤が際立っています。これから描く予定の石州瓦には、きっとイエローオカーを混ぜると思うのですが。看板には米屋、その文字の上に錦鯉の絵。どういう意味? 看板を見る
長く続いた京都の老舗から、6月に行った萩・津和野に戻ります。私淑する安野光雅さんの故郷の津和野にやっと来ました。この山は青野山、安野さんの絵にも話にもよく出てきます。まずは気合を入れて美術館へ向かいました。でも、意外に盛り上がりません。殆ど見た絵ばかりだ
JR宇治駅から歩くと、平等院の手前に間口の広い立派な屋敷が見えました。これは宇治茶を専門に扱う製茶問屋の芳春園 岩井勘造商店です。抹茶は今も石臼挽きにこだわっているとか。わが家は一保堂の抹茶を2種類常備。青雲は飲むために、初昔はかき氷用。初昔はつぶ餡・コンデ
三条通りの足袋の分銅屋さんです。品質が良く、色足袋、柄足袋、京友禅の足袋などもあり、この足袋を愛用している役者さんも多いとか。小さい頃、ぼくも下駄に足袋でしたが、それ以来、足袋は履いていませんでした。祖父、父、兄が趣味にしていた謡。ぼくも謡の雰囲気だけで
伏見の1764年創業の魚三楼です。川と陸の交通の要衝、伏見に上がる鮮魚や京野菜と名水を使い京料理の店として今に続いています。鳥羽伏見の戦いでは、この店の前で、銃砲で武装した新政府軍に新選組が切り込んだとか。玄関脇のプレートには「鳥羽伏見戦の弾痕」と説明があっ
酒は飲めないけれど、古い酒蔵は風情があって好きです。伏見といえば、灘、西条と並んで酒処、川沿いの酒蔵がいい感じです。地図を見たら左の2棟は「公益法人京都労働基準協会京都南支部」とお堅い名前が。「えっ!月桂冠じゃないの?」。よく見るとその住所の下に「月桂冠酒
以前描いた「西本願寺の門前」の通りを反対に向くと、場違いな感じで赤い洋風の建物が見えます。明治45年、親鸞650回大遠忌を記念して真宗信徒生命保険株式会社として建てられ、今は本願寺伝道院で重文です。描いていて、西洋っぽい、インドっぽい、お寺っぽい等、盛り沢山で
これまた十分老舗の「蕎麦ほうる」の看板をかかげた河道屋さんです。 祖母はこの蕎麦ぼうろが大好物でした。いつも家にあり、ぼくも一緒によく食べました。今、河道屋の缶箱を見て「あの時のぼうろは、この店だったのだ!」日本橋三越にも出店しているし、三越大好きな祖母
西本願寺に隣接してある龍谷大学大宮学舎です。1639(寛永16)年に僧侶の教育機関として設立したのが始まりだそうです。この本館は1879(明治12)年に講堂として建てられ、重要文化財です。石造りのようですが、実は木造の石貼りなのです。重厚な石造もどき。本館の左右両側
明治37年(1904)に竣工した京都府庁旧本館(重要文化財)です。創建時の姿をとどめる現役の官公庁としては最古とか。さすがに京都、最古や重文が多いこと。関東では大地震で古い建物は壊れ、昭和初期に建てられたものが多いです。神奈川県庁も描きましたが、重厚というか何
茶席の干菓子の最高峰、400年続く亀屋伊織さんです。京都の三千家の家元の初釜は、ここの干菓子が使われるとか。すべて予約の注文で、この店に来なければ手に入らない品。お茶席のあの空間でこそ亀屋伊織の干菓子が際立つのでしょう。温泉饅頭を立ち食いするようなぼくに
西本願寺に行きました。いつもながら巨大な木造建造物に圧倒されます。その門前、道路の両側は仏具屋さんばかり。手前右のやたら明るく賑やかな店は、なんと300年も続く老舗山田安心堂さんです。正面に見えるのは総門。その先に緑の車の走る国道1号線、その向こうに御影
創業300年の俵屋は、京都に現存する最古の旅館だそうです。このような高級旅館は、ぼくには絵のモチーフとしてだけのお付き合い。わが家の旅行といえば、いつも会社の寮。夏休みや週末になると伊豆・箱根、軽井沢へ。一番通った箱根のリゾートマンションを息子は家の別荘
同志社大学を見に行きました。西門から入ったのですが、両側には立派なレンガ造りの建物が並んでいて、まるで明治村にでも入ったみたいです。その中に重要文化財が4棟、絵は重文のハリス理化学館から重文のクラーク記念館を望んだところ。紅梅も充分な咲きよう。同志社大卒の