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ズッコケひかるの元気が出るブログ https://tara19.blog.ss-blog.jp/

沖縄から450キロ、南端超過疎小島、ランプで育った少年がTV界で活躍していく、珍騒動記。

タケシのデビュー番組、その後「ねるとん紅鯨団」など、当時不可能と思われた、オールロケ番組を手がける。 実際にあった、ノンフィックション番組です。

ひかる
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墨田区
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竹富町
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2008/01/08

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  • y1161 人生のスタート

    ひかるが、なぜテレビ業界を目指したのか。 昭和30年代、TVは緒についたばかりだ。 遥か南端の小島、映画館は無いが、子供心に映画を見たかった。 石垣島まで渡れば映画は見れたが、家が貧しくそれも出来なかった。 南端小島、飛行機は無く船輸送、マンが本等は半年以上遅れて着く。 そのマンガ本の片隅に、4コマでコタツに入りながら映画が見られる。それが四角いテレビだと書いてあった。 それだ! 家に居ながら映画が見られるという、訳のわからないテレビというものの解明に人生をかけよう。 そこから人生がスタート、親兄弟を捨て、故郷も捨て、着のみ着のままで上京、夜学へ通いながら必死に勉強した。 ブログをやっている人ならウイルコム(現AUの前身)と言う会社、知っているだろう。 ホームページに誇らしく、人口カバー率99パーセントと出ているが、ひかるの育った島はまだカバーされていない、日本最後の情報過疎地だ。 半年..

  • y1160 帰るな

    だから沖縄出身者だけは採用したくないとまで、言い切る社長もいる。 ひかるを見てくれ、一徹に何が何でも仕事一点張りでやりとげる沖縄人だっているんだよというと、あなたはパスポートを持って本土に乗り込んだ人だ。 今の沖縄の若者はそんな覚悟も何もない、と言われてしまう。 原因は何かと考えたら、沖縄の母親は子供が旅立つ時、辛い事があったら、何かあったら、何時でも帰って来い。親の元へ戻ればいいと言って、旅立たせる。 それだ、と考え、ひかるは沖縄の母親に子供を崖から突き放す、ニ度と帰って来るな、例え乞食をしても帰って来るな、と言って旅立たせよ、と説いているが、どんなに言い聞かせても、それは無理だった。 昨日も東京の大学にいる娘から電話があり、辛かったら何時でも帰って来なさい、と母親は伝えたそうだ。 沖縄の女性は、あまりにも情が深すぎ、子供を崖から突き放せない。 結果的に親の面倒を見る、と格好をつけホー..

  • y1159 帰郷病

    東京の放送局、キーステーションに沖縄出身者はひかる一人しかいなかった。 どこで聞きつけたのか、沖縄の若者がキー局で番組制作したいけど、どうしたら良いかという相談、いわゆる就職相談が結構あった。 ひかるの知人に、人格良好すばらしい男がいたので、技術プロダクションを作らせ、毎月一定量の仕事を出し、バックアップ体制をとっていた会社が数社あったので、一人の沖縄出身者、Y君を紹介した。 社長は、貴方の紹介なら100%間違いないと、即座に採用が決まった。 Y君の仕事ぶり評判もよく、そろそろレギュラー番組を持たせてもいいかなと、思っていた矢先、社長からの電話。 Y君が仕事を辞め、親の面倒を見る為、田舎へ帰るというので説得して欲しいとの事だ。 親の事も有るかも知れないが、自分の年を考え仕事を大事を選べ、なかなか自分のやりたい仕事、簡単に手には入らないぞと説得をし、何とか思い止まらする事が出来た。 Y君の..

  • y1158 ハローワーク

    この島の方言を聞いていると、訳の分からない事が沢山出てくる。 足の事をパンと呼び、ハブの事もパンという。 畑に使うクワの事をパーイと呼ぶ。 このパーイはペルーの山奥の原住民が使う言葉だと言われている。 インドネシアを旅行したおり、ところどころ車窓に、MAKANというローマ字の看板が出てきたのでガイドに聞いてみると、レストランの意味だという。 島の方言で、旨いは、まーはんと言うが、インドネシアのマカンと発音イントネーションがぴったりだったのには驚いた。 ちなみに島では、食器のちゃわんもマハンと言う。 また島の方言で、殆んど当てはまる事だか、複称、総称の場合、単称の単語に、ERをつければ事が済む。 その点は、どうも英語と同じだ。 例えば、バカな奴、阿保な奴を方言でいうと、プリムン、になる。 複称、あるいは総称して言うと、それはERを付けて、プラーにり、プリムン達という意味だ。 わんぱく小僧の..

  • y1157 死なすぞ!

    島で生活してると時々、言葉遣いや表現に、あれれ?、と感じる事がある。 話の中で冗談に、殺すぞ! 、あるいは殺されるぞ!、 という言葉が出てくるはずだ。 島の人の表現では、それは、死なすぞ!、死なされるぞ!、と言う表現になっている。 何んでそんな表現になるのだろうかとよく考えると、殺すぞ!、殺されるぞ!という表現には、頭をブチ割られ、非常に残忍で残酷なシーンが先に浮かぶ。 その点、島の表現では、そのような残忍残酷さは抑えられる。 島の人達がもともと心根が優しい、穏やかであるから、残忍なシーンを連想するその言葉は使い辛いので、自然に言葉が変換されて出てくるのである。 島の人は素晴らしい、とつくづく感じる日々である。 マスコミでは子供が親を、あるいは兄弟、家族を残忍な残酷な殺人報道が多い。 皆さん、夫婦喧嘩、親子や家族喧嘩の中で、知らずに、殺すぞ!とか、殺してやりたい!とか、そのような言葉が日..

  • y1156 強制移住

    南端に浮ぶ周囲12キロ、ハート形の黒島には遠い昔、溢れんばかりの人口があり、一大文化圏を形成していたという説がある。 ある説によれば、人口1万人はいたであろうという人もいる。 真意の程は定かでないが、1700年、鳩間島へ60人が強制移住、3年後には更に500人が強制移住させられたという記録が残っている。 その記述が本当ならば、黒島の住人は千人や二千人ではなく、一万人説もおかしくない。 それ以降も石垣島等へかなりの人が強制移住させられたという。 1500年代から600年代にかけて、日本では武士が勢力争いをしていた頃、この島は幸せで豊かに、文化を謳歌した人達がいたと思われる。 島には、特に豪族らしきものは無い、また貨幣なるものも見当たらない。 人々は物々交換、海から獲れる膨大な魚介類、御嶽を中心にお互いの門中が、仲良く生活していたと思われる。 島には墓は有るが、お寺は一軒も無い。法事は自宅で..

  • y1155 北海道のおばちゃん

    島の民宿では夕食後、泡盛がただで振舞われる。 中庭の大きなテーブルで、星空を眺めながら、お互い自己紹介をし観光客は談笑。 ふらりとその輪の中へ入っていくと、島の人だという事で話を聞きたく、周りに集まってくる。 北海道から来たという、60歳過ぎのおばちゃんが、早速、隣へ割り込んできた。 きれいな星空、空気がおいしい、生まれて初めての体験だと、かなりハイになっている。 こんな素晴らしい島で生活出来たらいい。なんとか移住したいので、土地を譲ってくれる人はいないか、との相談だ。 出来ない事はないと言うと積極的に色々な質問をしてきた。 話の内容から、かなり融通の利かない教員か公務員上がりのガチガチな堅物の類、箱入りババーだ。 こんな人に土地を分ければ、住民と間違いなく争いを起こす。 島の人達はテーゲーグワーで、いい加減と言うかあまり小さな事にはこだわらず、のんびり生活をしている。 島人と争いをお越..

  • y1154 風葬

    亀甲墓は子宮の形だと言われ、命は子宮で育まれ、完うしたら、またそこへ戻ると言われ、入り口は80センチ程の四角い、入り口になっており、勿論、蓋は分厚い四角の石で覆われ、空気が外へ漏れないようになっている。 風葬と呼ばれる方式で、遺体は決して焼かない。また、西洋のように埋めるような事もしない。 棺のまま墓へ入れ、肉体が風化したころ、きれいに洗骨し墓の中に収めるのである。 遺体を棺のまま墓の中へ入れる為、異臭が漏れないよう、密閉出来るようになっているのである。 勿論、洗骨は強烈な異臭等、赤の他人ではなかなか出来ないものである。 ひかるも両親が亡くなった時、初めて小さな入り口から腹ばって中へ入ったが、暗闇の周りは、こうべと骨だらけ、足の踏み場も無い。 しかし、先祖であり、血の繋がったこうべだと思えば、なんとか佇んでいられた。 赤の他人だと、どうしても恐怖心で、その空間には、いられないだろう。 も..

  • y1153 墓の入り口

    入り口は棺桶の入る大きさ。

  • y1152 画像

    亀甲墓。

  • y1151 転がすのですか?

    飛鳥古墳見学ツアーに参加した時、近くに巨大な石室があった。 参加者に、高校の先生がカメラを持って参加しており、機械や重機の無かった昔、どうやってこの巨大な石を運んで来たのか、ガイドに聞いても分からず、説明書を隅から隅まで読み、頭をかしげていた。 3トンの石等、昔の人は簡単にかついで移動したはずだと言うと、その先生は、怪訝な顔をしてきた。 転がすのですか? どうやって運ぶのですか? としきりに聞く。 写真のように、一トンの鉄の塊があったとする。 それに、A点でロープの端をしっかり結わえつけ、グルグルに6回ほど巻く。最後はB点でまたしっかり結わえて止める。 そして、担ぎ棒を6本入れ、左右ペアで担ぐ、この図だと12名で担ぐ事になる。 この方式は、12名に均等に重力がかかる。一人百キロ近くだが、昔の人ならそれくらいは担げるであろう。 50センチほど浮かせて、声をかけ、右足、左足、と全員同時に、移..

  • y1150 画

    縄担ぎ。

  • y1149 神様だよ

    この島に、年は58歳、東京からUターンしてきたY君夫婦がいる。 子供は無いが、島の誰もがうらやむくらい、どこへ行くにも二人、すこぶる仲の良い夫婦だ。 普段は無口で、酒もあまり飲まず、ひたすら仲の良い夫婦をやっている。 先日、家を手直しするので、手伝ってくれと言うと、「はいきた兄貴、まかせてくれ」と引き受けてくれた。 仕事も無事完了、ビールと泡盛を飲むと、ペラペラ喋りだした。 俺みたいな男の所へ、嫁に来てれた女房、神様だよ、ありがたいと思っている。 実は、それには訳がある、と喋りだした。 小学校5年生の時、担任は若い女のS先生だった。 この先生には、隣の西表島に、同じ教員で恋人、K先生がいたという。 そのK先生は週末になると、考えられない事だが、西表島に打ち上げられた、写真の飛行機の残骸、燃料補助タンク、それに乗って、一人で櫂をこぎ、8キロ近くもあり、海流もある荒海を渡って、この島のS先生..

  • y1148 画像

    ジュラルミン製、飛行機の残骸。

  • 1147 島移住失敗男の物語。

    ラッシュガードシャツ ラッシュガード シャツ レディース 吸水 速乾 UVカット 長袖 シャツ 接触冷感 ひんやり 紫外線対策 UV対策 おしゃれ 普段遣い プール 海 水着 フェス レジャー rectangle 夢展望 オーバーサイズ ゆったり 体型カバー価格:4,990円(税込、送料無料) (2024/5/5時点) 楽天で購入 定年島移住した、吉田氏(仮名)が、深刻な顔で相談に来た。 移住した時、世話をしてくれた人が、いつの間にか疎遠になり、その次に親しくしていた人も、付き合ってくれなくなった。 とうとう3番目に親しくしていた人に、酒を飲んでいる時、怒鳴りつけられたという。 本土では、男同士が親しくなると、肌を触れあったり、肩をたたいたりするのは、ごく当たり前だ。 しかし島人達は、男が男に触れる事、べたべたしたり、肩をたたいたりする事は、一番嫌悪感を感じるのだ。 俺は、オ..

  • y1147 島移住失敗男の物語。

    定年島移住した、吉田氏(仮名)が、深刻な顔で相談に来た。 移住した時、世話をしてくれた人が、いつの間にか疎遠になり、その次に親しくしていた人も、付き合ってくれなくなった。 とうとう3番目に親しくしていた人に、酒を飲んでいる時、怒鳴りつけられたという。 本土では、男同士が親しくなると、肌を触れあったり、肩をたたいたりするのは、ごく当たり前だ。 しかし島人達は、男が男に触れる事、べたべたしたり、肩をたたいたりする事は、一番嫌悪感を感じるのだ。 俺は、オカマじゃないんだ!、べたべたするんじゃない!、という、男っ気が異常に強いのだ。 吉田氏は、島の気質を知らずに、親しくすればする程、こまめに、べたべた、肩をたたいたりしたようだ。 島人にとって、肩をたたかれようものなら、とんでもない事で、往復ビンタを喰わされたような、嫌悪感を覚えるのだ。 吉田氏もそれに気付き、なんとか関係を修復したいとの事だが、..

  • y1146 至福の時間

    人生、いくつになっても苦楽は付き物だ。 おじさんも東京に二人の孫がいるが、二人とも、小児喘息持ちだ。 娘からのメールで、今病院で点滴をして来たとの事。 孫のゼーゼー苦しむ顔、普通の人並の子になって欲しい、と夕日に願をかけていたところだ。 若い時の辛さや苦しさは、いくらでも取り返す事が出来る。 歳をとると時間と体力に焦りを感じ、本当に肝が痛む。 胆汁を搾り切られる思いがする。 確かに今は辛いかも知れない。 しかし取り戻せるのだから・・ その辛さを肥やしとして、強い女性に変身したほうが良い、と言うと、二人は目を合わせてうなずいた。 最初の娘は、横浜出身で、続いた子が名古屋出身だという。 二人とも年齢は20代後半、ぎりぎり30前かなという感じだ。 話をしていて感じた事は、二人とも、私に限って、という自信があった。 そして、まだまだ遊びたいという気持ちが働いたようだ。 もし男が、それを察知したら..

  • y1145 馬鹿野郎!!

    私の前を通り過ぎる時の思いつめたような横顔からして、ただごとではないな・・ 取り急ぎ、島の消防団を呼ぶ必要があるな、と腰を浮かせ携帯電話を取り出すと、その子は胸元まである深さへ行くと、ピタリと止まった。 そして両手を口もとへ持っていき、腹の底から、あらん限りの声で、夕陽へ向かって叫び出したのである。 OOの馬鹿野郎! OOなんか死んじまえ! OO! あんたなんか動物以下だ! 失恋した男の名前だろうか、悔しさを夕陽にぶつけている。 そうしていると気がつかなかったが、砂浜の岩陰にでも居たのだろうか、今度は左側からもう一人、女の子がズブズブと海へ入って行き、同じ態勢で叫び出したのである。 XXの馬鹿野郎! XX! 今に見ていろ! 若い女の子が、真っ赤に沈む夕日を真ん中に、ステレオで叫ぶ様は、心打れ、物悲しい。 涙を洗い流しているのだろうか。 両手で、ざぶざぶ顔を洗った後、女の子は砂浜を上がっ..

  • y1144 画像

    島の夕日。

  • S1143 ミステリー島

    ラッシュガードシャツ ラッシュガード シャツ レディース 吸水 速乾 UVカット 長袖 シャツ 接触冷感 ひんやり 紫外線対策 UV対策 おしゃれ 普段遣い プール 海 水着 フェス レジャー rectangle 夢展望 オーバーサイズ ゆったり 体型カバー価格:4,990円(税込、送料無料) (2024/5/4時点) 楽天で購入 古老の話によると、昔、東南アジアや中国と直接交易し、アンナ村跡はベトナムのアンナンからの移住者村で、方言はベトナムとリンクしている、との事だが、本当かな? 島に人口が溢れ、繁栄していたと言う事は、マルコポーロの東方見聞録、黄金島、ジバングはこの島の事かな? ロマン溢れる、ミステリー島だ! 縄算***前回紹介した住民登録台帳、これと同じような形をした、そろばんとは違う、この島独特の計算機が、あったという。 島の人はそれを、縄算と呼んでいたそうだ。 古..

  • y1142 大量出土

    この島で、妙な貝が、大量に出土した。巻貝ではあるが、大きさがサザエの数倍あり、ホラガイとはまた違う、形そのものは、サザエオバケみたいな貝だ。 ところがその貝には、どうしても人工的としか思えない、穴が一つ空いている。 この貝はひかるが子供の頃、60年前には一度も見たことがない。 古老に聞くと、自分もその貝を見たことも、食した事もないという。 しかし、大量に出土したということは、100年、いや200年前、この貝はこの島の周りに、大量にいたと思われる。 シャコ貝と同じぐらいの出土量があるから、かなり生息していたと思われる。 シャコ貝は60年前、足の踏み場もないくらいリーフやリーフの上にはおり、この貝だけは誰も見たことがない。 疑問は、人工的に開けられたと思われる穴だ。 穴のことを古老に聞くと、話には聞いたことがある。 貝に穴を開け、石にゆわえ付け、海中に放牧?していたという。 目の前は太平洋、..

  • y1141 画像

    夜光貝。

  • y1140 不思議島

    沖縄本島から、南へ450キロ、日本の最南端は波照間島であるが、その手前に、ものの見事なハートの形をした、黒島がある。 この島は、1771年、明和の大津波以前、あふれんばかりの人がおり、一大文化を謳歌していた。 山も川も無い、周囲12キロの小さな島だが、島を取り巻くように、南半分、8キロにわたる、グレートバリアリーフに匹敵する、見事なサンゴ礁がある。 そこからは、素潜りで大量の魚がつかみ取り出来、それで島の人たちは、豊かな生活をしていたようだ。 しかし、この島には、紙と文字という文化はなかった為、今では歴史に跡を残す事なく、殆んど知られない存在となってしまった。 写真の、しめ縄を小さくしたようなものだが、これは何かというと、この島で使われていた、住民台帳だとの事だ。 縄から、ひげの如く出ているもの、それによって、家族の人数や大人、子供などの情報が、全て入っているとの事だ。 また、同じしめ縄..

  • y1139 画像

    島の住民台帳。

  • y1138 喉輪

    絶滅危惧種で、天然記念物イリオモテ山猫は西表島にしかいないが、実は石垣島にもいたと言う説もあるが、この黒島にも60年前頃まで生息していた。 黒島でこの山猫を見た人は最近他界したので今ではひかる只一人しかいなくなった。 この山猫は普通の野良猫と比べ、顔がまん丸くてシッポが太くて短い、足も短い、いわゆる短足ずんぐり型だ。 顔が丸いのは顎の筋肉がかなり付いているのだろう。足が短いのもかなり筋肉が付いているせいで短く感じられるのだろう。 運動能力は通常の猫の域をはるかに越えている。 まずは完璧な夜行性、真っ暗い夜、眼光がものの見事な黄金のビームを発する。50メータ先でも確認できる。消えたかと思うと、こちらの動きや声で別の所から黄金のビームを発する。 また獲物を捕る時の動作が見事だ。 島のニワトリはこの猫のためか、桑の木の枝で寝る。観察するとある程度風があり、木の葉の音がワサワサし、多少しなってい..

  • y1137 思考配分

    また思考配分をした生き方をすると、チャンスが間違いなく時系列で捉えられ、その時の流れや風向き、風色など、一気に喉輪を噛み砕く手法が採れる、といえる。 配分思考、なんて初めて聞く言葉でしょうし、学校でも教えてくれない、がしかし騙されたと思い、頭へ叩き込み実行して間違いない、人生最良のチャンス獲得思考だと言えるでしょう。 十人十色、チャンスもまた十人十色で違います。己の脳、波長に合ったチャンスを捕らえる。 それには、配分思考を常に心がけ、好奇心を絶やさない。その二本柱の元に前もってチャンスを見据える、そこから間違いのない決断が生まれ、実行力へと繋がる。そして結果が出るのだ。 多くの人が夢を諦めるな、と説くがこの夢がこまったものだ。寝て見るうつつのゆめと己の希望なる夢が同じ字で、子供たちに混乱を招く。 時の総理が沖縄の基地問題などたちどころに解決してみせる、殿下の宝刀、腹案があると言って印籠を..

  • y1136 時代背景

    昭和30年代、集団就職で沖縄から大勢の人が本土の工場へ寮生活でなだれ込んだ。 数年もすると飛び出すが、身よりもなく親の援助や庇護もない。 世の厳しさに負け、犯罪をおかす人も出る。 ニュースで名字から沖縄出身者であることは判明する。 沖縄出身者は犯罪者的な偏見が漂っていたのだ。 ひかるはパスポート時代に結婚。単なる反対ではなくこのような時代背景もあり、塩をまくだけではなく、警察を呼ぶ、と喚かれたことがあった。 何もなくても、その内事件を起こすだろう、と見られていたようだ。 先日沖縄の会合へ出ると演壇の挨拶者が昔の偏見話を持ち出し、沖縄出身者には大家が部屋を貸さない風潮で、心底悔しい思いをした・・・衣食住に事を欠いた、等々話をし、大泣きで挨拶を終えたが、年輩者が頷きもらい泣き、ひかるに同調を求めてきたが、過去よりもこれから前向きに生きようよ! といってやった。 当時アパートには沖縄出身者入居..

  • y1135 彫刻刀

    人体にとって、血液は酸素やビタミンを運び調節、無くてはならない重要な役割を果たす事はいうまでもないが、人生においては、その役目を好奇心が果たすのではないだろうか。 好奇心があるからこそ、知恵が湧きだし工夫もするし、トライも出来、幸せも湧き出る。 小学校時、貧しくてクレヨンが買えない、がしかしじっとしていなかった。 ふしん場を周り釘を見つけてくる。五寸釘は最高で、硬い木に打ちつけ、頭を火にくべ、トンカチで叩き、砥石で研ぐと色々な形の彫刻刀が出来る。 カエルやハト、面や仏像など彫りまくる。 デイゴの木は枯れると硬いが、生の状態は柔らかい。 石膏代わりに使えるのだ。メガネの木なるものがあるが、その木を切って自分の骨格に合わせ、自作の水中メガネ、ゴーグルを作る。 三角や四角いガラスを根気よくコソギ、丸くして取り付ける。 ヤラブの木の根に傷を付けると、蝋状の樹液が出る、それをガラスの隙間へつめる。..

  • y1134 簿記

    石垣島の高校に理系コースはなく、ひかるは商業コースで簿記やそろばんを習い、上京後たった二年間夜学の理系専門コースを出、局入り。 昼間は重労働のため、勉強もままならない。 入社時、専門知識は同期の連中に比べれば雲泥の差で、かなり出遅れていたため、情報最先端のシステムは驚きの連続でしたが、好奇心の固まりのひかるにとって最高の場でした。 父の言った、思った通りやればいい、これは生涯ひかるの座右の銘、となった。 進路や会社選び、仕事の上、結婚など、誰にも相談することなく、存分に思った通りを貫いた。 おそらく、このブログを見ている人でひかるより恵まれない境遇にある人は皆無でしょう。 かすかなチャンスを確実に生かす。後へは引けない境遇が効を奏したといえるでしょう。 そう、島育ちの子供は15才で親の傘下を出、親離れする。 親の庇護から外れるという事は、辛酸を舐める事になるが、この人生の第一関門をどう乗..

  • y1133 高校

    当然石垣島での下宿、高校を出ることなどあり得ないことだ。石垣島にいる父の弟、叔父が乗り込み、産まれた子が栄養が行き届かず三人も他界して、やっと出来た男の子だ、せめて高校くらいは出さないとあまりにもかわいそうだよ、と迫るが父は貝になるしかない。 とうとうひかるを叔父が引き取り、高校を出す事になり、一年おくれで入学。しかし二年も終わる頃、叔父と叔母の言い争いがひかるの耳に入る。 叔父はご用聞きの便利屋家業。五人もの子沢山が、自分の子供すら育てられないくせに他人の子供まで預かる甲斐性なしが・と。 二年終了で中退を決意し島に戻ると、今度は別の叔母さんが、もう少しだ、もったいない。私が預かると申し出、やっとの思いで卒業。 当然地元で働き親や周りに恩返しをすべきだが、どうしてもあの五コマ漫画の映画が見られるテレビが忘れられない。 父に上京を打ち明けると、思った通りやればいい、と絞り出すように言ったの..

  • y1132 おいしい画どす

    ところがこの男、とんでもない事をしでかすのであった。 野球中継の技術総責任者は、中継車の中でカメラやVTR、音声や照明等に指示を出し、画像を瞬時に切り替えるテクニカルディレクター(TD)である。 このTDは12台のカメラ、6台のスローなど18画面、音響や照明など、インターカムで繋がっており、適宜に指示、かなり経験を積んだ15年、20年選手が通常は座る。 まさかの出来事だが、このB君、五年を待たずしてTDの席へ座っていたのである。 当然大ベテランは自分がTD席へ座る番。10年早い! と怒鳴りつけ、足を引っ張りそうなものだが、どういう訳かB君にはトチらせたくない、という雰囲気を持ってホローしたくなる性格だ。 大先輩、三カメさん、頂きました、あんがとさん・・ およよ、五カメさん監督キープ・・おいしい画どす、OK。なんて、京弁丸だし。 怒号飛び交う車内の雰囲気が、がらりと変わっていたのだ。 TD..

  • y1131 映像分野アメリカ完敗

    放送業界、歴史の最重要なVTR問題に立ち上がった人は一人もいなかった。アメリカへ立ちはだかった人はいなかった。 当時民放から見ると、国家予算にも匹敵する巨額の開発予算を行使していたNHKですら、このオメガ方式には関与する猶予はなかった。技術資料館にはオメガ方式、これに由来する物証は一行たりともないでしょう。 このオメガ方式、電子編集こそがNASA開発のVR-300を駆逐し、日本が先進国アメリカを一気に抜き去り、映像王国にのし上がった瞬間である。 ひかるは3年で方式問題、編集問題をクリアー、5年後にはアメリカ大リーグがお手本にするスローVTRを多用した番組をつくりあげたのだ。 全国のお茶の間が明るくなった事はいうまでもない。 チャンネルや電波の系列など、小さすぎる、コタツでテレビを楽しむ全国の人々を常に意識しろ、が口癖。 ひかるの上司は慶応大卒の切れ者と言われた人物だったが、ひかるの事は、..

  • y1130 ソニー社長さんよ!

    ソニーは昔、ホームビデオVHSとベーター方式戦争で大敗、放送用VTRもかなり立ち後れており、VTR事業撤退かと言われたが、ひかるの出現で一気に逆転、なお独占体制。 開発担当部長だったM氏は後に副社長まで掛け上っていったのである。 そこでまたまたひかるのズッコケが出てしまうのである。 ひかるは何時も会社の近く、すぐ戻れる一キロ圏内の焼鳥屋で後輩達と番組談義をしていた。 ソニーM氏から夜食をしたい、との連絡。夕方営業マンが迎えに来、連れていかれたのがホテルニューオータニ最上階の、当時最高級のフランスレストランだった。 髭の剃り後が青く、格闘技家風のがっしりした体格、ニタリ顔が似合わない、チョコンと乗った白い帽子がこれまた似合わない男がうやうやしく迎え入れた。 ひかるが主賓だと分かっているのだろう。横でメニューをさかんに進める。 これがまた訳の分からない言葉である。 焼鳥屋に指定席を持っている..

  • y1129 テリーを生かす

    機材は各メーカーが協力体制を採っているので時間の問題だろう。 問題は完璧にテリーに反発しているスタッフだ。 帰りに焼鳥屋へ立ち寄り、この番組は思い切った強化策をとる、と切り出すとM君は、怪訝な顔をしていた。 カメラ、音声、VTR課の課長がすべてスクラムを組みスタッフを出さない事になっている。 ひかるが部長命令を出したとしても社内事情は無理だと分かりきっている。 業界にはボツボツフリーでやっている人がいるはずだ、彼たちを動員しよう、と言うと、やったー、と膝を叩いて納得。さすが、と握手をして来た。 ゴールデン番組なので日当は割り増し払いの触れ込みに、一気にスタッフ問題は解決。 テリーはまだ初心者、タケシとの間を取り持ち充分なるホロー体制を取るように、とMカメラマンに指示。 軌道に乗っていったのです。 当時、雨傘番組だと手を抜き、二流カメラマンを当てるのが普通だが、キー局のゴールデンカメラマ..

  • y1128 立ち往生

    テリー伊藤君の若き頃を書いてみよう。 彼は学生運動の火炎ビンで斜視になった、と他のブログで書いてあったので書くが、卒業直後タケシの元気が出るテレビのディレクターだった。 勿論番組作りは初めてで、ロケの技術を受注したのがひかる。 スタート時、テリーはあまりにも番組作りを知らな過ぎる。 番組にならない、とスタッフが総スカン、立ち往生してしまったのである。 Mカメラマンにはゴールデン番組なので決して手を抜かないよう指示はしていたが、とうとう彼ですら限界を超えた。 残るはひかるがロケ総責任者として一括すべし、との事になり会うことになった。 会ってびっくり、彼は童顔でどう見ても学生アルバイトではないのか、いかに雨傘番組とて、と思わせる状況。 更に火炎ビン事件直後なので、斜視があまりにもひどかった。 そして赤面、猿が温泉で真っ赤な顔をしている状態。 更にどもりのひどさ、どどど・・もも・・・り・・と言..

  • y1127 さすが東大

    M君をここまで育て上げ、上司として心より感謝しています。実は私もM君の才能を高く評価しています。 彼に民放両局のゴールデン番組のチーフを張らせ自信を付けさせたい。民放ナンバーワンのカメラマンにし、世界に通用する人物に育てたい。 そして、その才能ノーハウは今後、必ずフジテレビの為に使います。と淡々としゃべったのである。 H氏はしばらく天を仰ぎ沈黙の後、いきなり立ち上がると、握手を求め、この話はなかった事にしよう、と言ったのである。 さすが東大出だな、とひかるは感じいった。 論争を続ければ、ひかるは業界、世界までも視野に入れている、一局、一番組だけにこだわっている己がケツの穴の狭い男に写るか、また先ほどからの態度を見れば、この男は決して引かないだろう、クビが飛ぼうがみじん切りに会おうが平気だろう、ととっさに考えたのだろう。 ひかるは名字で即沖縄出身である事は分かり、普段は沖縄と呼ばれ、かくし..

  • y1126 雨傘番組

    タケシは20代、漫才でちょっとだけテレビに出ていたがその後、影が薄くなっていた。 浅草あたりでやけ酒を飲んでいる、と噂されていた。 ちょうど30歳になった頃だろうか、初めてタケシの名前を番組の冠に付けた、元気が出るテレビなる番組の企画が持ち込まれた。 この番組は日本テレビ系列、後楽園球場のドーム化前で、巨人戦が雨で中止になった時に流す、鬼瓦権造なるキャラクターでフィーラー番組、いわゆる雨傘番組であった。 名の通った役者なら断りそうなものだが、タケシは縋るしかなかったのだろうか。 当時、フジテレビ日曜夜8時は欽ちゃんのオールスター家族対抗歌合戦が好評。 ひかるはそのチーフカメラマン、M君を裏番組、タケシに起用する事にした。 歌合戦はスタジオ番組で日曜日収録、翌週日曜日放送でタケシは日曜日は収録無しとの事で起用を決めたが、ゴールデン番組の裏表。 両局のメンツがぶつかり、ひかるは窮地に追い込ま..

  • 1125 人生の証

    我々が地上で生きられる時間は、大きな宇宙の営みから見た場合、まばたきの瞬間なのかも知れません。 例えまばたきの一瞬でも、地上に生を受け、鼓動が動き出した以上、この鼓動が動いている間、止まる前に、自分自身が生きていた、という証、足跡を残したい。 人々がひしめく大都会、巨大化した組織の中、これが自分の足跡だと言えるものは、なかなか見つけられません。 ひかるの場合、少年の頃見た夢に、人生の殆んどを費いやし、追い求め続けた、魔法の箱、テレビ少年物語、ブログそのもの自体が、ひかるの細やかな人生の証ではないかと、考えています。 たかがブログ、だけど、宝だブログ。 たった一人でもいい、人生灯台の一コマになれば・・・ 長年待ち望まれた、沖縄最南端八重山地区への民放、2局ながらも開通、ひかるの両親が眠る墓にも、電波が届きました。 ひかるの夢は実現したのである。 島を訪れると、わざわざ船で..

  • y1124 挑戦

    ひかるの、もの言わぬ少年時代を知る人は、これ程変身出来た人はいないだろう、何かあったのか、と聞かれますが、何もない。 ただ情熱のほと走るまま、人生の波を味方とし、知恵を使っただけだ、と。 抑圧された人間の悔しさが開き直る時、その悔しさの度合に応じ、変身出来るのです。 人生のチャンスという波が訪れた時、蓄えたエネルギーをバネとして使える生き方をして欲しい。 背伸びし切った生き方は、いつの日か息切れする事でしょう。 また、ひかるの場合、物事に挑戦する時、一つの思考パターンがある。 作物を育てる時、出来の良い種を翌年植え、徐々に収穫を増やし、満足するまでには、数年必要とします。 この事から、ひかるも、何か成す時は、畑を耕し、種を蒔き、水をやる。 3年目に花を咲かせ、4年、5年目に、実績という収穫を得るの例えで、3年から5年先を視野に入れた実行方式を取り入れてきました。 この思考パターンは、じっ..

  • y1123 傘をさすのは人間だけだ !

    イベントは晴天に恵まれ大成功。その会社の社長が「ひかると言う男、雨が降ろうが、やりが降ろうが、しっかり仕事をやり遂げる、一番信用出来る」と尾ひれを付けて回ったのである。 もっと大きな財産は、回りが全員風邪を引いていても、部屋中菌が充満していても、絶対と言っていいくらい、この男の体はまともじゃないのでは、と疑うほど、風邪を引かない、丈夫な体になったのだ。 そして言う「地上にいる動物の中で、雨が降ったからとて、傘をさすのは人間だけだ、雨なんぞ、負けるな」と。 母との約束で学校へ行きはしたが、やはり借りてきた猫の如く、もの言わぬ人(オシ)とあだ名され、中学を卒業。 高校へ進むにもまた、島からは同学年で、ひかる一人。 地元の石垣中学から、なだれ込んだ連中が、徒党を組んでいるように見え、ここでもまたもの言わぬ人とあだ名され、卒業。 上京後、就職するにも、今度は異境の沖縄人として見られ、その事が自分..

  • y1122 大きな財産

    筋肉が付き、ビッコも徐々に目立たなくなり、勉強で他のいじめっ子を負かす事が出来る、と悟ったひかるは、必ず一番になる、と猛勉強をするように成った。 回りの家では、石油を一升瓶で買うが、貧しく二合瓶でしか買えない、小さなランプだが、父はひかるに明け渡し、細かい仕事を明るい内に済ませ、暗闇でせっせせっせかと内職をする。 子供の時の境遇は大人になってから、大きな財産と成る。 小中学を通し、どしゃ降りの雨に打たれた事は、いつの間にか苦痛ではなく、ひかるの中で、修行僧が滝に打たれる如く、快感になって行ったのである。 ある日、営業で大きなイベント収録を受注、最終打ち合わせ確認時、途中よりどしゃ降りの雨となったが、例によって快感を感じ、客先へ行った。のき先で滴る雨を切り、客の前へ立つと、相手がびっくり。 タクシーも有るだろうに、傘も買えるだろうに、と・・・ ソファーに座ると濡れるので、立ったまま最終確認..

  • y1121 ペルテス病

    振り返ると、ひかるは小学校入学時、登校拒否児でした。 五歳の時、股関節を痛め、かなりのビッコ、入学時、他の子が運動場一周するにも、半周しか出来ない、ピコタンピコタン状態。貧しくカッパが買えない大雨の日、母は蓑傘を着させ、登校させる。 途中、ひかるはあまりの格好悪さに気ずき、帰ると脱ぎ捨て、ずぶ濡れで登校。急に体を冷やしたせいか、下腹部に激痛を感じるが、我慢できずウンチを漏らしてしまう。ビッコ野郎、ウンチ野郎、といじめられる。 女の子が木切れでつっついて逃げるに、ピコタンピコタン追いつかない。更に、他の村は、同級生が大勢いたのですが、ひかるの村はたった一人。しこたまいじめ貫かれたのである。 登下校時、他の村の連中が徒党を組み、襲ってくるのではないかと、恐怖を感じ、とうとう言葉を失う、しゃべらなくなったのです。 登校拒否に、母はひかるを抱きしめ「ひかるが学校へ行ないんなら、お母さんは生きてい..

  • y1120 放送、開局!

    ブログによる放送、そんなに難しい事ではない。即、実現可能である。 例えば、野球放送を考えた場合、12球団、各球団のフアンブロガーを、6名集め、試合が行われると、その球場へ行き、逐一1分単位でもいい、ブログで、結果を上書きして、立ち上げる。 6試合であるから、六つのブログを一つのサイトとして、位置づけるのだ。 常に、各球場の最新情報が、ポータルサイトで書き換えられているという事になる。 テレビで、ダイジェスト版として、プロ野球ニュースがあるが、そんな番組はもう用をなさなくなる。 例えば、TBSが、東京ドームで行われる巨人、横浜戦を中継しようとしても無理だ。 素材をニュースとして使うぶんにはいいが、番組としては使えない規則になっており、お互い縛りっこしている。 ブログの場合、携帯を球場へ持ち込ませない、という訳にはいかない。 縛りがないので、誰でも自由にブログ番組の立ち上げが出来るのだ。 ブ..

  • y1119 ドザエモン

    ひかるがパスポート時代、結婚には、女房の親から猛反対を受けた。 その親が、ある会合で、放送関係者と出会った。 その人の話で、放送業界に、沖縄出身の誰もがリスクを恐れ、引き受けない仕事でも、平気で引き受け、ものの見事に成し遂げる、素晴らしい男がいるという話を聞く。 よくよく聞いてみると、それが、自分の娘の婿、ひかるだという事が分かった。 そして、今までの考え方を一変させたのだ。 勿論、ひかるも和解、何事もひかるを頼りにするようになったのである。 そして、都心の一等地の不動産をひかる夫婦に託し亡くなったのである。 ひかるは先見性では、ずば抜けた面をもっている。 建築法が緩和され都心回帰、マンションのブームが来る、といち早く高層マンションをぶち立てたのである。 六本木ヒルズには届かなかったが、ひかるは最上階で、ベランダから東京の夜景を眺め、日々旨い酒を飲む。 また南の島には、父が残した、広々と..

  • y1117 竜宮の使者

    最近、伝説の生き物だと思われた、竜宮の使者と呼ばれる魚が釣りあげられたとの事。 体長数メートル、巨大な太刀魚に似た、鋭い切っ先の口に、流線形の見事な背ビレ。 銀色の魚体には、ブルーラインが1本入っていたとの事。 巌流島の決闘、佐々木小次郎の物干し竿は言うに及ばず、この魚を怒らせると、人間の心臓は、簡単にぶち抜かれる事でしょう。 欲に目の眩んだ男が、海で見事に心臓をぶち抜かれ、成敗された、という昔話を聞かされた事があります。 竜宮の使者の怒りに触れたのだろうか? 最近では、重さ数10キロ。体長1メートルにも及ぶ、巨大な白イカが釣れ、話題になっているとの事。 海面はスミで黒く染められ、釣り上げる醍醐味は格別だった事でしょう。 一度釣り上げたい、格闘技をしてみたいと描く、楽しい夢。 また、畳4枚分にも及ぶ、巨大なマンタをテレビでご覧になった事があるかと思いますが、ひかる家の、プライベートビーチ..

  • y1116 自論

    「人生には、ロマンと、スリルと、メルヘンが、必要である!」これは、ひかるの自論である。 ロマンについては、別に書いた通り、スリルも、命を張れる生き方をすれば当然。 さて、ひかるにとって、メルヘンの世界とは? やはり、ひかるのメルヘンは、南の小さな島にしか求められません。 生きる厳しさ、激しさを教えてくれた、台風に遇いたい! 灼熱の太陽エネルギーを浴び、風と戯れ、小鳥達や、百面相の雲と語り合いたい。 そうだ、命を誕生させてくれた、母なる海の世界もある。 華やかで、色とりどりの熱帯魚達、格好良くないけど、ナマコも、クラゲもいるだろう。 ヒトデは手が五つ、五回も握手を交わせるなんて、おまえは幸せものだ。 人が親類に見えるのか、擦り寄って来る、小さな耳かきヒレのタツノオトシゴ君、泳ぎが下手で、立ったまま流に漂い、どうやって、家に辿り着くのだろうか? 魚達の親子は夜、どうやって寝るのだろうか? ま..

  • y1115 画像

    クマノミちゃん

  • 1114 明日は華

    そして、人生の大海原、舵の取り方次第で、己の未来形は思いのまま。 しかし人々は、先輩の歩んだ人生、位置づけを参考として人生航路を航海。 人それぞれ、目指す分野や人生に、夜空に輝く星の如く、目標とする先人が居る事でしょう。 何時までも、人生航路の人生灯台として、目標にされる立派な人間になろうではないか。 群れ星の中、ひときわ輝く星になろうではないか。 78年前、遥か南の小島で動き出したこの鼓動。 嘘のような魔法の箱物語を求めた60年間。 常に夢一杯、幸せ一杯の人生を送る事が出来ました。 ひかる少年の求めた魔法の箱、単なるテレビにとどまらず、素晴らしい幸せの宝箱だったのです。 今の少年なら、月に別荘を建て、どでかい花火を打ち上げ眺めてやる、といった壮大な夢を持てば、結果は50年後に出る事でしょう。 昭和30年代、時代の求める流れも加味したかと思いますが、若者達が未曾有の..

  • y1113 幸せの鼓動

    一人一人平等に与えられた、この莫大な鼓動エネルギーと、尽きる事のない知財を最大限に引き出し、己の目標を真剣に求める、情熱的な生き方。 脳いっぱいに詰め込まれた、溢れ出んばかりの人生のアルバムで、老後を楽しみ、周りに幸せエネルギーを放射出来る生き方。 振り返った時、後悔は ない! これしか なかった! と言い切れる人生。 これこそ、幸せの鼓動、と言えるのではないだろうか。 そして、油面の海が、雄叫びをあげ、暴れ狂う海に変化するが如く、我々の人生においても、厳しく辛い時期もあり。 決して、平穏無事で終りません。 夢が大きければ大きい程、理想が高ければ高い程、苦労は付き物。 高く険しい登山、直線登山では、息切れ必定。 いろは坂登山になるかと思いますが、夢が大き過ぎ、理想が高過ぎ、いろは坂人生もやむなし。 考え方、目標さえしっかりしていれば、決して、到達不可能という事は、ありません。 平和な飽食..

  • y1112 伝説

    2百年前の伝説ですが、この島のある男が、くり舟で遭難し遥か南方の無人島へ漂着。 半年後、夢に出てきた神様のお告げを頼りに海へ出ると、黄色いサメが、又間へ入り込み、背ビレに捕まると、そのまま北上。 一昼夜かけ、元の島にたどりついた、という伝説があります。 法事も済ませた後での男の帰還に、島中大騒ぎで、話は広まり、男は琉球王朝へ呼び出され、詳細を報告。 多良間真牛(たらまもーしー)の伝説として、日本の伝説沖縄編に、しっかり位置づけされており、素晴らしい掛け軸と、当時の状況を克明に記述した古文書が今に残されています。 ジュゴンに助けられた伝説は、北欧諸島にあるとのことですが、サメに助けられた伝説は、どこにもないとのことで、国内外より、民話伝説等の研究者が、調査にくる貴重な物語です。 何を隠そう、この話は、わがひかる家に代々伝わる伝説で、掛け軸に使われた色や図柄などの調査結果から、描写の技法は、..

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