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ズッコケひかるの元気が出るブログ https://tara19.blog.ss-blog.jp/

沖縄から450キロ、南端超過疎小島、ランプで育った少年がTV界で活躍していく、珍騒動記。

タケシのデビュー番組、その後「ねるとん紅鯨団」など、当時不可能と思われた、オールロケ番組を手がける。 実際にあった、ノンフィックション番組です。

ひかる
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住所
墨田区
出身
竹富町
ブログ村参加

2008/01/08

  • y1102 東京スカイツリー

    この地区の島は、サンゴ礁で出来ているため、耕作地が少なく、重税感は過酷を極めたとの事。 島々には石を高く積み上げた、見晴らし台があり、税金取締役人の船を発見すると、各島へ狼煙で連絡され、村長は、税金対象物を隠させ、島一番の美女を引き連れ、少しでも納税額を軽くするよう、役人を饗応し、村人を守ったと言う。 島人達が、汗にまみれ積み上げた見晴らし台、ささやかな税金逃れをし、生き延びる、歴史と知恵の結晶でした。 国民の生活を守るのが、政治家。 税金逃れや天下りが、取りざたされる毎日。 都会にひしめくサラリーマン。 どうあがいても、逃れられないのが税金。 マイホームは遥か彼方。 やっとの思いで確保して、月々支払うローンと税金。 ガツーン、カツーン、心はコブだらけ。 どうしたらよいのでしょうか? 仕方ありません、見晴らしのいい、東京スカイツリーへ上り、叫びましょう。 沖縄県3番目に大きな石垣島は人口..

  • y1101 西表島

    そして、この残された自然を観察すると、動物たちは、月の引力による旧暦での行動。 黒島では、旧暦の決まった日の満潮時、島中のカニが、一斉に海へ向かい産卵をします。 道路や砂浜までが、足の踏み場もないくらい、カニで埋め尽くされ、これ程のカニが生息していたのかと思わせる数。 海は、卵で赤く染められ、殆んど魚の餌食になる中、わずかながら、生き残って行くのです。 甲羅が5センチ以下のカニ、どうやって産卵日を計算しているのだろうか? 年に一度、間違いなく日時を計算し、一斉に産卵する自然の営み、一度は都会の子供達に見せたいものです。 また、日本では、唯一亜熱帯気候に属するこの地区は、2月に入ると、気温が二十二、三度にも上昇し、どっと春風が押し寄せ、百花繚乱の季節。 もし桜があれば、間違いなく正月には咲くでしょう。 3月には日本一早い海開きが行われ、暖かい春風が、沖縄本島へ九州へと北上、日本の春は、八重..

  • y1100 画像

    川平湾(かびらわん)

  • y1099 魔法の箱物語

    普段は、15、6頭の牛を庭先の牧場で放牧し、牛には家族の名前をつけ、子や孫と話すように、牛と対話しながらの生活。 いち早く血統書に注目、島根県産の血統書付母牛を導入。 初めの内は、訝かられたそうですが、今では血統書が重宝されるようになりました。 牛は、子を産む事に、角に一輪ずつ節目がついて行きますが、父の牛は、血統書の生年月日と、節目の数がぴったり合う、いわゆる、毎年子供を産む安産型、骨太で肉付のいい優良牛だったのです。 その牛を競売に出したところ、今までにない最高値が付き、大きなトロフィーが贈られ、位牌の横に、誇らしげに据えられました。 父は小さな島で一生を終え、息子と一つ屋根の下で生活する事が、叶わなかったにも関わらず、幸せだったと思います。 きっと、ひかるがテレビを運んで来る、と信じ、自慢していた父。 親にとって、息子が信頼出来、自慢出来る事は、最高の幸せではないだろうか。 そして..

  • y1098 テルビ

    親に隠れ、おじいちゃんの位牌に線香をあげる、中学1年生の息子を感じた時、一人旅は、無駄ではなかった。 学校では学べない、大事な事を南の小さな島で、学んで来たな、と。 おじいちゃんも、孫と1カ月間、同居出来、天国へのなによりのお土産だった事でしょう。 ひかるの父は、島で生まれ育ち、島から出た事がありません。 勿論、テレビなんて物は見た事もなく、何度言い聞かせても、テレビの発音が出来なく、テルビ、テルビと、言っていました。 役場や農協の窓口の事務員を捕まえ、息子が東京で、テルビをやっている、といつもの自慢話。 遠い田舎の事です。テレビの組立配線工として働いているのだろうとしか、思わなかった事でしょう。 帰郷の際、早速農協や色々な所へ連れて行かれ、東京でテレビの番組を作り、全国へ放送しているんだ、と話したら、驚かれたのも当然。 更に、自慢話にハクが付きました。 子供達との同居をかたくなに拒..

  • y1097 恐怖の体験

    ひかるの息子、光一が、小学校6年生の夏休み。自然との触れ合いや冒険を体験させる、良いチャンスと、島のおじいちゃんの所へ、一カ月間、一人旅をさせました。 12歳で飛行機や船を乗り継ぎ、2000キロも離れた島への一人旅、不安だった事だろう。 島へ着いた夜9時頃、息子からの電話。 「おじいちゃんが、寄り合に行き、一人でいるけど、オバケが出るよ! 怖いよー、今すぐ帰りたいよー」と、泣きべそ。 無理もありません。周りは家もなく、静寂そのもの。 時期的に、コウモリの大好物な、防風林の福木の実が熟し、暗闇の上空を奇妙な声で行き交っており、遠くに聞こえる、フクロウの泣き声も、都会で育った子供には、恐怖の体験でしょう。 その家は、お父さんの育った家だし、オバケなんか出ない、男の子が、1カ月間の約束を破るな、と諭しました。 息子は畑仕事や牧場を手伝い、漁へも同行。 腰痛で、50メートルごとに立ち止まるおじい..

  • y1096 別れ

    昭和63年4月、父危篤の報に、急ぎ帰郷。 しかし、父と会えたのは、息を引き取ってから既に15時間が過ぎていました。 ひかるがきっとテレビを運んで来ると、ひかるの作ったテレビが見られる日を、生涯の楽しみにしていた父は、突然心筋梗塞に襲われ、79歳で帰らぬ人となりました。 ひとつ屋根の下で住みたかったのに・・ 許してくれ! 少年の夢を見守ってくれて、 有難う・・ 有難う・・ 冷たくなった父を抱きしめ、何度も何度も呟きました。 お互い死に水は取れないと、覚悟の上とは言え、何の反応もしなくなった父の姿に、「親不孝な息子だったのか」、最後に一言答えて欲しかった。 15時間も経過しており、ゆっくり対面している間もありません。 喪主としての段取りや、弔問客との応対、時は目まぐるしく過ぎ、仏事での貸切船や船頭への式たり等、長老の皆さんに教わり、石垣島から黒島の墓へ無事納骨。 島の家で、位牌となった父と二..

  • y1095 画像

    親父〜・・

  • y1094 防風林

    太平洋に浮かぶサンゴ礁の島は、リーフに打ち寄せる白いさざ波と、砂浜で、二重に縁どられ、家々は、四角い石垣と、鮮やかな緑の防風林にかこまれ、サンサンと降り注ぐ光と、鮮やかな原色の中、大地を踏み鳴らし、指笛を吹き、拳を握りしめ、力強く、激しい陽気な歌と踊りの世界に、汗あり、人々は、嬉々として、活気づいております。 そして汗ばんだ体を、夕凪が心地よく洗い流していく頃、待ちかねたように現れる一番星。 静寂の夜も深まり、ひときわ心を揺する、潮騒の音。 見上げると、満天に光り輝く星空。 しかし、この夜景は、昼間と様相を一変させてくれます。 星々の光は反射光で、影や色を再現する程強くなく、明るくない。闇でもない。淡い幻想的な、ふわっと浮く明るさのモノクロトーン。 青白い、冷たく透き通る光が、温暖な気候には、見事に溶け合います。 真っ赤なハイビスカスや、エメラルドの海など、原色の世界から色が消え、影のな..

  • y1093 二十歳の夢

    いち早くコンピューターを導入、ステンレスを設計図通り自由に曲げる技術を確立し、列車や飛行機の厨房システム、ホテルの大型厨房システムなどの特別注文品を作れる会社を設立し、二十歳の夢を見事に実現して見せのです。 小さな島から着の身、着のまま上京、金やコネ、頼れる人とでなく、自分の夢を追い続け、寸分の狂いない技術を確立するには、どれだけ知恵を絞り徹夜をしたのだろうか。 「この工場の地には、俺の汗が沁み込んでいるんだ」と言った言葉は、忘れられません。 共に少年時代を南の小島で過ごし、体一つで上京、二十歳の夢を語り、貫き通した二人。 「夢は実現出来るものだなあ・・」としみじみ。 「いつまでも、老少年で生きよう、旨い酒を飲もう・・」と、年に数回酒を酌み交わし、今だに未来を語り合う、弥次喜多道中の男同士。 いつの日も、友は宝だ、ライバルだ! 現在、人口5万人の八重山地区からは、著名な人達が数多く輩出し..

  • y1092 サンゴの花

    親サンゴは、動く事出来ず、自分の産んだ卵が、生き延びているのか、生死すら確認する事叶わず、2度と会う事も出来ず、ただひたすら、子の無事を祈るだけ。 私たちに、生き延びる厳しさを教えてくれ、まかり間違っても、殺めないで欲しい、と叫ぶ、親サンゴの願いが届くはず。 そしてサンゴの産卵、潮の流れが風となる、命の舞。 一度見ると、サンゴに対する愛着と理解が、一層深まるのではないだろうか。 また、黒島のサンゴに囲まれた海面下、1メートル前後の岩に、ある日忽然と、直径十数センチくらいの、岩の付け根が薄い茶色、花自体は、濃赤色のシャクナゲに似た花が咲きます。 薄くて、ゼラチン状の、ぬるっとした肌触りで、あまりにも薄く、潮流があると破れてしまい、咲く事は出来ません。 台風が綺麗に洗い流した後、潮流が殆んどない、直射日光が届く場所。 毎年咲く訳でもなく、同じ岩に咲くのでもなく、ある海域の何処か、一輪咲くだけ..

  • y1091 珊瑚の産卵

    美しく咲き乱れるサンゴ群、実は厳しい条件で、生き延びているのです。 サンゴの育成には、年間18度以上の海水温度と、ある程度の塩分濃度、透明度が高く、太陽光が届く条件が必要です。 しかし日本の最南端、八重山地区は、地球の母なる大河、黒潮が満たしてくれます。 また、このサンゴは、紛れもなく、口も胃もある、れっきとした動物だとの事ですが、自然界に同じ形は二つとなく、段々花畑のように作られたサンゴ郡の景色を眺めるとき、人間の作り上げた日本庭園や町並み等、比較に値しない事が、歴然と感じられます。 植物の光合成は当然ですが、サンゴは、動物でありながらも光合成をする為、太陽を食べる動物。太陽の子、と呼ばれています。 光合成の結果、カルシウムの結晶で、骨格を形成して行くとの事ですが、実は年に一度、産卵をします。 普段はザラザラとした感触のサンゴが、ある時期になると、ぬるぬる状になり、臨月を迎えます。 8..

  • y1090 画像

    珊瑚の産卵。

  • y1089 島ザル

    ひかるがVTR問題で仮眠の連続、死闘を繰り広げていた頃、家計は火の車であった。 食事は殆んど外食、疲れるので、たまにはビジネスホテルに泊まる事もある。 全てが会社の伝票で落とせる訳ではなく、小遣いが足りなくなると、女房が爪に火を灯して蓄えたお金を、むしり盗るように持って行く。 団地住まいで、奥様族は、週に1、2度しか帰って来ないひかるを見、 「あの男、顔に似合わず、やるわね!」 「間違いなく女がいるのよ!」と井戸端会議だ。 当然、女房の耳にもそれは届いてしまった。 そして、二人の子供を抱え、貯金は底をついていたのである。 疲れ果てて帰って来たひかるの顔を見ると、女房は爆発した。 「母子家庭なら覚悟のしようもある!」 「しかし、もうこの貧乏生活、我慢出来ない!!」とテーブルをひっくり返し、怒鳴り付けたのである。 角が出る、なんてものではない。 針千本、いや、角千本だ! さんまもびっくり、前..

  • y1088 NASA

    当時、可搬型VTRとして、あのNASAが軍事偵察機用に開発した、VRー3000なる機種が、国内では4,5台導入されていた。 どういう訳か、その機種が、ひかるの会社にあった。 設立時、TBSとフジテレビが折半出資、別々に確保するよりは、子会社に持たせ、両局で使用出来る、という事で、導入されたらしい。 当時は、カラーテレビが飛ぶように売れ、大企業はフィルムCMから、色再現の良い、VCM作りに軸足を移しており、このVRー3000が威力を発揮していたのである。 オペレーター一人付で、日だて15万円でも、飛ぶように注文があった。 ひかるは売れれば売れる程、早く可搬型国産機開発の必要性、反米感情が日に日に増していった。 当然、ソニーも可搬型、Hー500という機種を開発しておりフィールドテスト中だが、どうにも訳の分からない回転エラーが出る。 チェックをするとOKで、エラーの原因が、全く掴めないのだ。..

  • y1087 オメガ方式発進

    この昼メロが放送されるとソニーから電話、キー局がオメガ方式、大量の発注があったと歓喜の連絡が来た。 以後、あっと言う間にオメガ方式に切り変わっていったのである。 それどころか、ソニーは、海外でもその一インチを売り捲り、世界中でこのオメガ方式が統一方式となったのである。 編集システムを担当させた、ひかるの部下K君は、三越とフジテレビが折半出資、アルタスタジオを設立するとの事で、そこへ移籍させた。 今も元気で頑張っているようである。 また、K君は昼メロのヒロインと結婚。 ひかるは、上司として大勢の前で主賓挨拶。 しどろもどろで汗をかき、恥をかいて大きく成って行ったのである。 今なら書ける。***ソニーと方式問題で画策している時、フジテレビの予算執行、発注出来る立場にある、お偉さんから呼び出しを食った。 「君は、親会社、キー局にタテついて、あらぬ動きをしているようだけど、やめろ! 親会社から、..

  • y1086 ノーベル賞

    日本の映像技術の原点にはノーベル賞が絡んでいた。 当時CCD搭載カメラとオメガ方式VTR。BVH-500の電源にリチューイオンBP-90バッテリーが使われアメリカでは想像不可能。 デジタル先進国アメリカがどうしても日本に勝てなかった訳である。 更にビデオ編集にはとんでもないアイディアが組み込まれていく。 電車の線路と枕木、スピード串刺しが編集に使われたのだ。 線路を見て分かると思うが等間隔に枕木がある。 ビデオで言うとその枕木がワンフレームという事だ。 一秒間に30フレームだが枕木が30個あると思えば良い。 ねるとん求婚番組ではロケカメラ VTRを常時四チエーン使っていた。 30分テープを装着し同時スタート、ガチンコ映像を4台とも入れ止めない状態でそのまま30分間4台のカメラVTRが動き回って収録。 これでワンロール終了、ツーロール、スリーロールも同様にして収録していく。 編集時に、再生..

  • y1085 デジタル編集

    このデジタル編集方式はソニーのオメガ方式とセットで発売されあっという間に世界制覇、 VTR産業で世界を席巻していたアメリカアンペックス社は完敗したのである。 このサイトは10年も前に立ち上げられましたが、当時から個人放送局という名称を使ってます。 現在ユーチューバーやビデオクリエイターなどという言葉をよく耳にします。 10年前このサイトを見ていち早く個人放送をやっていれば今頃はかなりヒットしていたのではないだろうか。 テレビの世界では40年以上も前から、ブルーバックにし、ブルーを抜き取りビデオ信号を合成するクロマキーという技術が使われて来ました。 もしも貴方が歌手だったとしましょう。 音楽のスタート10秒前に爆竹の音を入れて録音しておきます。 ブルーバックの前でそのオーディオで演技をします。激しい動きであったりダンスであったり。 それをカメラ二台で録画し、音楽が終わるとまた前の爆竹のとこ..

  • y1084 枕木

    新しいテープ50本なり100本を録画モードで先にタイムコードを手作業で記録する。とてつもないアナログ作業である。 そのテープを現場へ持ち込み記録されたタイムコードと同期をさせながら録画して行く。 編集時も編集用記録テープにも先にタイムコードが入っているので、再生VTR 4台なら4台と記録VTR計5台を完全にタイムコードをロック、同期させればよい。 そのような事を考え実行した人は誰もいない。ひかるは平気で実行、世界初の電子編集が実現したのである。 更にアイディアが重なる。 手作業のタイムコード入力作業、時間ロスを無くす方法を考えだした。 VTRストップ時、ストップボタンを押すと画像はその時点で無くなり黒味、しかしタイムコードをそのまま30フレーム記録し、そこで止める。 止めたところから30フレーム戻し、最後の画像のところでスタンバイを掛けておく。 次の録画時はタイムコードは既に記録されてお..

  • y1083 カミソリ編集

    しかし誰もやった事がない。コンピュータもラックに基盤を嵌め、自作するしかなくバグとの闘い。 記録方式もフロッピーディスクも無い時代、紙テープにパンチ穴での記録方式。 ひかるはとんでもない知恵を出した。 それはデジタルとアナログをごちゃまぜにするというデジアナチャンプル方式で、更に多重編集を路線と枕木同期方式を実践するのである。 VTRには映像トラックと音声トラック更にタイムコードトラックを設け一秒間に30枚、ワンフレーム単位でタイムコード、所番地を記録していく。 その所番地でストップスタート等の制御を行い、更にワンフレーム単位で映像を抜いたり嵌め込んだりする事である。 当時の日本のデジタル技術では一秒間に30枚単位のタイムコード記録、呼び出しが無理であった。 ひかるは何をやったかというと、録画時に新テープに先にタイムコードのパルスを手作業で全編記録してしまう方法である。 収録時には既に最..

  • y1082 方式論

    α方式とω方式の図で解るようにグリーンのヘッド部分を一回りしているのがα方式でω方式は交差していない。 テープ幅は2、5センチあるのでα方式の場合ヘッド部分のテープ交差を考えると、かなり長くする必要がある。 図緑のヘット部分、缶ビールのロング缶を想像して頂きたい。 なおかつ送り側と巻き取り側のリールにかなり奥行き、いわゆる前後の段差をつける必要がある。 送り側と巻き取り側のリールにも角度をつける必要がある。 ソニーが提唱するオメガ方式は平面でヘッド部分はロング缶状にする必要は無い。 将来的にテープスレーディングを自動化、又はカセット化する方法もオメガ方式なら考えられる。 ひかるは将来的な事を考えオメガ方式採用に行動を起こすのである。 流れでα方式に決定すると、いずれアメリカがα方式の欠点をカバーしたオメガ方式に近い方式で日本に迫って来る事を恐れたのである。 当時の放送局はフイルム素材が溢..

  • y1081 図

    オメガ方式(ω)

  • y1080 図

    アルファ方式(α)

  • y1079 ソニーのベータ方式

    カラー放送から十年、プランビコンカメラと2インチVTRの耐用年数が限界となり更新する時期になります。 ひかるは入社10年目、もともと沖縄で育ちアメリカ嫌いが染み付いております。 更新時期を持ってカメラとVTRをアメリカから国産品に切り替えようと、とんでもない事を考え行動に出ます。 カメラは撮像管方式から国産のCCD方式に切り替え、更にVTRは国産の1インチVTR方式に切り替える。 誰がどう考えても無理な事、しかしひかるはとんでもないアイディアを次々と連発、ニ年後にはものの見事に完璧に国産に切り替えます。 時の流れも加味しました。誰一人として気付いていませんが、ひかるは40年後にノーベル賞に輝く開発されたばかりのリチウムイオン電池に目を付けます。 これがいわゆる日本の映像産業を世界ナンバーワンにした原動力です。 デジタル分野ではアメリカと日本では親子の差があると言われた時代。 NASAが国..

  • y1078 放送用VTRとカメラ

    テレビのカラー放送が始まった昭和40年代東京の放送局キー局のVTRやカメラ等、全てがアメリカから輸入された機材でした。 日本のテレビ放送がアメリカのNTSC方式に準じて開始された為です。 世界には他にヨーロッパ方式と共産圏方式、この3つの方式でテレビの放送は行われておりました。 当時のテレビ自体がブラウン管と呼ばれる巨大な真空管であった事は往年の方なら分かるかと思います。 テレビ局側のカメラも真空管でプランビコンと呼ばれる撮像管が使われておりました。 レンズで取り込んだ映像信号をRGBの半透過ミラーで反射させRGBの映像信号を取り出していたのです。 プランビコンの形状は懐中電灯を想像してください。 画面の部分に高圧をかけ電池の部分から電子銃を発射、走査し信号を取り出していたのです。当然三本必要。 その映像を変調して東京タワーから各家庭へ送り込む、テレビ側では巨大なブラウン管後方のRGB..

  • y1077 真っ白い砂浜

    南の島には眩しいくらいの真っ白い砂浜があります。 どうしてこれ程までに白いのだろうか? 本土の砂は、岩が砕けた破片や内陸部より川に流された土や泥が、海水で洗われ砂浜を形づくっていますが、サンゴ礁で出来た小さな島は川もなく、周りと中心部が小高いコマのような地形になっており、大量の雨が降ったとしても、雨は地下水となり、土や泥が内陸部から海岸へ流れ出る事はありません。 島の砂浜は、海側から珊瑚の死骸や貝類がうち寄せられ、砕かれた石灰砂で出来ており、波の激しい浜では、角がとれ、普通の丸みのある砂になり、波の穏やかな湾や入り江では、星状のままになっています。 本土の砂とは、素材そのものが違う。幸せを呼ぶ星砂としてお土産品にもなっています。 子供の頃、巻貝の殻が高い値で売れており、白い殻がワイシャツのボタンに使われていたのです。 その貝殻や珊瑚の死骸等が、砂になるのですから、島の砂浜が精製された白糖..

  • y1076 定年うつ病?

    場所は錦糸町、知人に、定年したばかりの正彦爺ジーが居る。 体格はスポーツ系、顔も若造りで、いつも元気に散歩、どうみても50代半ば、としか見えない元気の良い爺ジーだ。 ここのところ元気がなく、空ろな眼差し、脅えたような状態。 定年うつ病かと、声をかけてみた。 話を聞いてびっくり、以下の内容である。 先日、暇を持て余し、駅前の喫茶店でも行こうと思って出かけたという。 駅から400メーター手前の信号で、誰もいなかったので、おならを、思いっ切り、ヴオーンと放ったとの事だ。 稀に見る快感、後に人の気配を感じたので、ヤバイ・・と恐る恐る振り返ると、二十歳前後の、ミニスカートを履いた女の子が、自転車で信号待ち、真後ろにいたとの事だ。 しまった!?・・思いっ切り放ったおならを聞かれた!・・ と、照れ隠しに、にが笑いしょうと思った瞬間、なんとその子は、ヘッドホンで音楽を聴いていたのだ。 彦爺ジーは、おなら..

  • y1075 我輩は猫ではない!!

    当時の沖縄は米国の統治下、東京から遥か二千キロも離れ、生まれ育った島は、日本の地図のどこを探しても載っていなかったのです。 そんな島があるはずがない! 地図にない、一週間以上もかかる、地の果てへ、娘を嫁に出す訳にはいかない! 代々江戸っ子の親には、とても理解してもらえず、あたかも出所不明の住所不定男か、結婚詐欺師の扱い。 訪ねる度に塩を撒かれ、しまいには座布団を投げられる始末。 結婚話は暗礁に乗り上げ、破談になるかと思われましたが、男としてここで引き下がる訳にはいかない。 意地を見せようと、芯から怒ったが、親戚、頼る人とてない二十五歳の若さ。 一人で立ち向かうしかありません。 結婚は当人同士の問題、親や家族が結婚する訳ではない。 文句を言われる筋合いは無いはずだ! 決して、路頭に迷わせるような事はしない。 信じて欲しいと説得。 最後の手段に訴えるしかありませんでした。 これ以上話をしても..

  • y1074 恋

    毎日が、ひもじい思いをし、泥棒走りをしていた二十歳。 この世にこれ以上いないかと思われる、美しい女性に、バイト先で出会いました。 声をかけるにも気が小さく、沖縄生まれだと言う、多少の劣等感もあり、ひたすら胸をときめかすのみ。 ある日、まさかと思われる、一大事発生。 その女性が、食欲がないので、自分のお弁当を食べて欲しい、と持って来たのです。 鮭と卵焼きだけのお弁当でしたが、まさかと思われる、好きな女性。 手作りの弁当かと思うと、美味しいの、どうのと言っている場合ではありません。 そして、彼女が目の前で見ているのです。 全身パニック! 世の中バラ色、生まれて最高に甘い食べ物に出会いました。 このままずーっといつまでも一緒にいたい・・・ 弁当の味が忘れられず、恋が芽生え、一気に炎と燃え出し、この女性なしに人生はあり得ないと思うようになったのです。 男の恋、一度燃え出したら、止めようがありませ..

  • y1073 食糧戦争

    人類は間違いなく、100億に達しており、カラスとの食糧戦争は回避しがたい事でしょう。 都市部では、身近に感じられない事ですが、農村部や温暖な国では、すでにカラスとの食糧戦争が始まっています。 果たして、人類は勝てるのだろうか? カラスは、人家に近い所に棲んでおり、核や化学兵器は使えず、戦車を出動させたとしても、一羽打ち落とされれば危険を察知し、戦車よりも早く、自由に空を飛び、山や川、海を越え、国境を破り、逃亡。 人類の一点攻撃型兵器は、通用しません。 例え、二、三万羽打ち落とされたとしても、毎年増える数からして、彼らにとっては平気な数。 もしひかるが、カラスの大統領に就任したならば、人類との食糧戦争は、大勝利を収める事でしょう。 一万羽単位で、カラスの編隊を組み、地球上の各ゴルフ場へ基地として集結させ、上空300メートルから、ホールを狙って、小石を落下させる訓練をします。 ゴルフボールは..

  • y1072 カラスの大統領

    カラスの行動を観察すると、見事な連携プレー、編隊行動をとっている事が、分かります。 ニワトリのヒナを狙う時、一羽は見張り役。 もう一羽は、ケンカを仕掛ける役。 残りの一羽は、ヒナを奪う役目で、三羽での連携プレー。 親鳥が、ケンカを仕掛けられ、一羽のカラスに向かって行き、ヒナ鳥は、親の泣き声、様子に、危険が迫った事を感じ、オロオロ逃げ回るだけ。 奪う役目のカラスは、空から急降下し、逃げ回るヒナ鳥を事もなげに持ち去ります。 この行動を三度繰り返す事により、平等にヒナを確保。 雑食性で、食欲旺盛なカラスに、殆んどの鳥類は、木の実や虫、卵やヒナ等をことごとく持って行かれ、その悪知恵には、とても追いて行けません。 小学生の頃、ひかるはカラスに弁当を取り上げられ、仕返しに卵を取ってやろうと、カラスの巣へ近付くと、何時どうやって呼び寄せたのか、数百羽のカラスが、上空に飛来し、編隊行動。 カラスは、巣を..

  • y1071 画 カラス

    カラスの大統領。

  • y1070 夫婦喧嘩

    また、沖縄のおみやげ店で目に付くのか、100歳にもなるかと思われる、シワシワだらけの、歯っ欠け老夫婦のお面でしょう。 この老夫婦面、実は、夫婦和合の、不思議な力が秘められている面だという事は、あまり知られておりません。 夫婦喧嘩は、どこでもあるかと思いますが、口もきかず、冷戦状態が続いた後でも、このシワシワだらけの、歯っ欠け老夫婦のお面を見ると、思わず吹き出してしまい、些細な事での夫婦喧嘩が馬鹿馬鹿しくなり、仲直りするとの事。 また、このお面をかぶっての、老夫婦の面踊りは最高です。 おじいちゃんは若い時、人一倍スケベーだったとの事。 腰も立たなくなった今、おばあちゃんが、「私のこと、好いとるか・・」と色っぽく迫り、もじもじし・・「おばあちゃんは、世界で一番美しい・・昔も今も一番好いとるぞー」と答えると、「よくも、焼きもちを妬かせてくれたもんだ・・」、とつねり、100歳もの老夫婦が、這いず..

  • y1069 画 面踊り

    ジジババ面踊り。

  • y1068 パーイ

    日本人のルーツは、南方説、北方説、中国説と、色々議論されていますが、南端の黒島では、南方説を裏付ける、珍しい方言が残っています。 例えば、農耕に使うクワの呼び方ですが、島では、「パーイ」と呼びます。 言語学者によると、ペルーの山奥の原住民が、同じ「パーイ」と、呼ぶとの事。 どうしてこのような事が起きるのか、学者自身も不思議がっていました。 一説によると、ペルーやミクロネシア諸島等、赤道付近の島から、黒潮により言葉や生活様式が、運ばれたのではないか、と言われています。 更に不思議な事に、島では、足の事を食べるパンと同じ、パンと発音します。 もしかすると、南の島で、足の事を、パンと呼ぶ所が、あるのではないだろうか。 個人的な推測ですが、食べるパンの語源が、どこから来たのかは分かりませんが、その昔、小麦粉を足で踏みこね、発酵させたか、麦踏の足に関係しているのではないだろうか。 そして、足の事を..

  • y1067 鼓動は泣きません

    これから先、何十年間、動いてくれるのだろうか・・ きのうも、明日もご苦労さん! どんなに、どんなに辛くても。 泣く事、知らない鼓動さん。 打ってみせます、淡々と・・ 淋しがり屋の、精神さん! 泣き虫、弱虫、飛んで行け! そうです、我々の精神は、淋しがり屋で、泣き虫です。 しかし、鼓動は泣きません。 しっかりとした足取りで、辛かろうが、嵐が来ようが、淡々と打ち続け、精神も一緒に頑張ろう、と元気ずけ、導いてくれる事でしょう。 人は、一人ぼっちだと思うから、辛いんです。 寂しいんです。 愛する人を失い、生きる事すら辛く寂しい時、貴方を命ある限り、励まし続ける・・ そうです、頼りになる味方が、身内にいたのです。 生涯の伴侶が、出来たのです。 現時点でスタートする鼓動や、最後の一鼓、役目を終わる鼓動あり。 例え五十億個の一つでも、響きに無意味はなく、人種や貧富、男女や宗教の差別や区別なく、全ての人..

  • y1066 鼓動との対話

    脳死という言葉がありますが、脳が死んでも鼓動は続いており、逆は成り立ちません。 不幸にして道半ば、やむなく止まる事を宣告され、残る鼓動をどう使うべきか、と思案に暮れる人生があるかと思うと、朝の目覚めに己の鼓動へ触れる時、昨夜来、全ての機能が休んでいる間も、元気に続けるこの響き。 値千金で、感謝せざるを得ません。 これほどすばらしい鼓動でも、一度止まったら終点。 例え、栄耀栄華を極め、いかなる名声を得ようとも、間違いなく止まる宿命を帯び、ただひたすら打ち続ける。 これしかなく、無意味に打たせれば、白髪とシワが増えるだけ。 しかし、精神には終点がありません。 音楽や芸術の世界、生き方など、先人達が残してくれた思想や、素晴らしい作品に、何百年後でも感動させられ、小さな事でもいい、自分の子供にだけでもいい。 何かを残せる人生を、歩みたいものです。 一人ぼっちで寂しい時、人生の嵐が襲い掛かり、苦し..

  • y1065 値千金

    我々の日常は、朝晩寝起きし、時計は回転して元に戻り、一年が終ると、また新しい年を迎える、が繰り返されています。 人生もまた、繰り返しの連続のように錯覚しがちですが、繰り返し以外にも、子供の誕生や親との別れ等、繰り返す事の少ない事もあり、人生が成り立っています。 人生を80歳まで、生きられると計算し、80センチの物差しに置き換えて見ましょう。 物差しの10ミリを12か月単位に置き換え、仕事や結婚の経歴、上段には親の年齢で、下段には女房や子供達の年齢を棒線で記入。 この一方通行のスケール上で、家族や人生を考えると、子供の進学や成人の時、自分は何歳で、子供達と、どのような会話が必要か。 教育資金が、一番必要な時期に、どう対応すべきか。 定年時、家族の年齢や状況が、どうなっているか。 位置付けが、よく理解出来、今後の展開等、色々な新しい事が、発見出来るかと思います。 人生は不確定要素があり、完璧..

  • y1064 ハブジャンプ

    また、ある虫が発生すると、ある魚種が近海に集まっている、と言う虫との間違いない関連もあります。 小さな島、周りの海から吹いて来る風、虫などの情報は、生きて行く大事な知恵でした。 ひかるが子供の頃、島の収入源は、サトウキビ生産で、サトウキビは、ネズミの格好の餌。 ネズミが繁殖し、その天敵として、猛毒を持ったハブが、大繁殖していました。 ハブは、脱皮をするので、皮を見ると、どれくらいの大きさか、ハブの棲家が、どの近辺かは、子供同士の情報交換で察知出来ます。 しかしハブは、かなりの行動範囲を持っているので、常に心の準備が必要でした。 ハブに噛まれた人を数多く見、ひかるも噛まれる直前の危険な目に何度か遭い、毒の猛威は、嫌という程知り尽くしていました。 噛み所によっては、命に関わります。 昔からの知恵で、島の道には、真っ白い砂を敷きつめてあり、美観の問題は勿論、夜道を歩く時、ハブが発見可能なように..

  • y1063 怒鳴られる

    ハブの性器は、メスには二つ、オスには四つあります。 数が合わないので、疑問に思いますが、オスの性器は、ペアになっており、しかもイボイボ状。 ペアでメスの性器へ挿入し、交尾。 蛇体は絞め縄の如く、もつれ喰い込み、飲まず食わず、執念深くエキスをむさぼりあう。 その姿はすさまじく、犬や牛馬の交尾とは比較にならず、ゾクゾクとさせられます。 しかし、ハブは害のみにあらず。 初夢にハブを見ると、大金が転がり込む、金運の女神、とも言われています。 興味は、海へも向けられます。 魚のヒレに切れ目を入れた場合、まともに泳げるか実験。 必死に、尾ビレで舵を取るにも、ほろ酔いチドリ泳ぎ。 残酷な事をしてしまった、と後悔させられました。 ある時、父が空を見上げ、急に、今日は、ハトッシ(方言魚名)が、大量に捕れる日だと、漁へ出かけ、間違いなく、言った通りの魚種を捕って来るのを目撃。 陸に居ながら、何んで海中の魚の..

  • y1062 画 ガニ股

    ガニ股。

  • y1061 似た者同士

    子供の好奇心、色々な事に、疑問を感じます。 ひかるは、野生のハトを生け捕り、飛べないよう羽先を切り、ニワトリ同様、飼い慣らそう、と実験。 難なく飼い猫に食べられてしまい、小さなウズラですら、野良猫に襲われても逃げ切れるのに、何んでいとも簡単に食べられるのだろうか、と考えさせられました。 やはり、空を飛ぶ鳥は空で生き、たとえ小さなウズラでも、地上で生きる代々の知恵が備わっているのだなぁと感心。 また、大空を飛び交う、ひばりを観察すると、巣へ入る時、直接巣には入りません。 わざと別な場所へ降り、茅の根を這って近づき、巣に入ります。 直接巣に入ると、カラスに巣の場所を狙われ、卵や雛を食べられる為、知恵を使っているのです。 しかし、巣から出る時は、直接飛び立ちます。 頭隠して、尻隠さず、の格言通り。 やる方もやる方、気付かない方も気付かない方。 どちらも、似たもの同士。 間抜けな鳥もいます。 ニ..

  • y1060 時差処理

    生きていく中、誰もが持って生まれた財産、知恵を使わない方はありません。 基本的な知識は、学校なり、本を読む事で得られますが、知恵は見方、考え方、立場や状況等で、十人十色。 絞り出せば出す程、無尽蔵に出て来ます。 親子や将来に関する問題等、少なく見ても、一人30以上の問題があるかと思いますが、一つ一つの問題に対し、いま採れる最良の方法。これしかない! 道を選んでみましょう。 30通りの、これしかない! があるはず。 後は、その最良の方法を実行するだけ。 そして、30通りの問題すべてが矢と成り、自分の方へ向かって来ますが、すべての問題には時間差があり、その時間差を利用し、一つ一つ処理して行く。 100問題があったとしても、決して、処理不可能と言う事はありません。 今は小さな問題でも、将来は大きな問題になる場合もあり、それに対しては、今の内に手を打っておけば、大きくならずに済ます。 今は大きな..

  • y1059 母は母

    母は晩年、アルツハイマーとなりました。 上京させるべく父を説得するにも、「母の面倒は自分が見る」の一点張り。 やむなく、石垣島の療養施設へ入所させました。 アルツハイマー特有のものなのか、白衣の医者や看護婦、薬を極端に拒んだとの事ですが、東京のひかるの所へ行けるんだ、と言うと、素直に病院や薬も受け入れ、見知らぬ人を捕まえ、東京のひかるの所へ行くんだと口走っていたとの事。 日増しに容体が悪化しているとの連絡に帰郷。 しかし、あれだけ待ち望んだ対面は、まさかと思われる再会となってしまいました。 既に息子ひかるの面影は、母の記憶の領域に跡形も無くなっていたのです。 お母さん、帰って来たぞ! ひかるだぞ!と声をかけるにも後ずさりをし、部屋の隅へ逃げ、脅えて睨む拒否する眼差し。 妖気すら漂う、一度も見た事のない視線でした。 ひかるが帰って来たんだぞ、と近寄れば近寄る程、恐怖の色は濃くなるばかり。 ..

  • y1058 画 懺悔の丘

    懺悔の丘。

  • y1057 男泣き

    入社5年目、放送局では心臓部門の「テレシネ」職場へ配属されました。 放送開始から終了まで、交代制宿泊勤務がある、映画やアニメ、大量のコマーシャルなどを送出する職場。 数10台もの映写機がずらりと立ち並び、指定された映写機へ素材を装填。 魔法の箱の心臓部は、ミスが即全国へ流れ、緊張感がピリピリ伝わる職場です。 遂に自分自身の手で、フイルムをかけ、全国へ映画を流す時が来たのです。 興奮のあまり胸は高鳴り、震える手。 映写機の爪の噛み具合をニ、三度確認。 3秒前! 2秒前! 1秒前! スタート、オン! ・・大成功!! 遂に魔法の箱へ辿り着いた。 見果てぬ夢だと思っていたのに・・ 熱く込み上げるものがあり、私と同じ映画館に行けない子供達が、テレビで映画を観る事でしょう。 体が不自由な人で、映画館に行かなくても、家で映画が観られる。 病院で療養中の人も・・ お年寄りで映画館に足を運べない人も・・ ..

  • y1056 正義の目

    また、テレビマンの世界は、視聴者には考えられない、過酷な職場でもあるのです。 ジェットコースターの後ろ向き乗り、後ろ向き走りや、高所恐怖症の解消は勿論。 野球中継などでは、どこへ飛ぶかも知れないホームランボールを、一瞬たりとも画面から外す、見逃す事は許されません。 小さなファインダーに望遠レンズ、当たった瞬間の初速度は想像出来るかと思いますが、球を捉え続けるのは至難の技で、かなりの熟練を必要とします。 また、一、三塁にランナーが出、一打同点の時等は、盗塁をするのか、先にホームを突かせるのか、両監督の腹の内を読み、全スタッフが瞬時に連係プレー。臨場感溢れる内容を放送。 他のスポーツのルールやマナーは勿論、政治経済、芸能界や水中撮影など、あらゆる分野の勉強と訓練。 そして、張り込み取材にいたっては、忍耐あるのみ。 ジェットコースター後ろ向き乗りで、フォーカス、ズーマーを自由に操作出来るカメラ..

  • y1055 人間セミ

    他にもテレビの裏側には、色々なエピソードがあります。 鉄塔での高所取材時、スタッフが本番終了までは無事でしたが、いざ降りる段になり、下を見た瞬間、高所恐怖症が走り、降りるに降りられなくなりました。 下から声をかけるにも、見向きもせずボンドで貼り付けたのではないか、と思われるくらいベッタリしがみ付き、ワナワナと震える姿は人間セミその物、お笑い番組のシーンのようで、笑ってしまいそうですが命にかかわる一大事。 救出作戦は大騒ぎになりました。 思い出したくない事件もあります。 雄巣鷹山日航機墜落事故。取材活動の帰社後、スタッフの食欲が進まず、落ち込みが激しかった事には参りました。 真夏の出来事、犠牲者と泣き崩れる遺族の姿が、あまりにも多過ぎ、山全体を覆う臭気と霊気中での取材。 規制線は無く、生々しい現場を見、精神的に受けたショックが大き過ぎたのです。 食べ物を見ても、衣服を焼き捨てても、風呂に何..

  • y1054 冷凍人間?

    テレビ界就職直後の昭和40年、晴海に新設された、零下30度という、冷凍倉庫取材に遭遇。 当時は冷蔵庫自体の普及率は低く、冷凍室付の冷蔵庫は未発売。 冷凍という言葉すらほとんど使われていませんでした。 冷凍倉庫自体も初めての開業で、大きな話題として取り上げられたのだ。 常夏の地で育ったひかるには、零下30度という世界は、かつて今まで生きて来た中では、とても考えられず、即座にコチコチの冷凍人間にされてしまう事しか頭に浮かんで来ません。 いよいよ本番になり、意地悪にも女性レポーターは奥の方へと入って行きます。 仕事なので、やらなければ、という意識はあるのですが、冷凍人間への拒否反応で足が竦み、何時でも逃げ出せるよう、入り口のノブに、しがみ付いているだけ。 本番が終ると、表へ飛び出すと同時に座り込み、二度とこのような仕事はやりたくない、と思いました。 周りからは、「テレビより、お前の恐怖に慄く顔..

  • y1053 画像

    天気予報報

  • y1052 美顔人「ビガント」

    そして、しかるべき国語として定め、教育にも取り入れ、外国にもアピール。 小中学生の女の子達が、大人に成った時、あの総称で呼ばれるような、素敵な女性に成りたいと、自分を磨き、実現出来た時、本当に、幸せを感じるのではないだろうか。 個人的な提案ですが、清らかで、品位のある、美しい心の素敵な女性、美顔人(ビガント)、と称したらいかがでしょうか。 発音は外国人にも、受けるかと思います。 思わず拍手喝采、乾杯! 乾杯! と言いたくなる、素敵な女性には、「ビガント!、ビガント!」 と賞賛しようではありませんか。 現実は、オバタリアンなる言葉が流行っており、残念至極。 もし、オバタリアンと呼ばれる行動があったとしたら、即、反省すべきではないだろうか。 日本女性として、ビガント姿。 子供達に、見せつけよう。 世界へ、見せつけよう。 オバタリアンと、呼ばれるな! オバタリアンと、呼ばせるな! オバタリアン..

  • y1051 オバタリアン

    現在、不愉快な言動ではあるが、オバタリアンが定着しています。 電車がホームに近づくと、周りをキョロキョロ、ソワソワ見、前の席が空くならともかく、所かまわず、空席を取らないと、人生が大損するかの如く、席を立つ人とぶつかり会いながらでも、席を確保する姿。 降りる流れに平気で逆らう姿。 娘時代は、そうでも無かったはずなのに、自分さえ良ければいいのか、と聞きたくなり、切符を買う時、乗り物に乗り込む時も品のない素行に度々会い、やはりオバタリアンだと認めざるを得ない場面に出会うのは事実である。 何も先んじたからとて、長生き出来る訳ではなし。 飛び抜けて幸せとも言えないだろう。 綺麗な衣装を纏い、化粧をしたとしても台無しで、悲しい限りだ。 おそらく、バーゲンやスーパーの限定品売り出し等で、早い者勝ちの行動が、何時の間にか身に染み付いているのであろう。 大売り出しは、直接財布に影響が出るのでやむを得ま..

  • y1050 障害者自立

    しっかり自信をつけ、笑顔が戻った妹に、1番辛かったのは、何んだったんだと聞くと、体育の時間が1番辛かった。何度体育の時間がなくなればいい、と思ったことか、と小さな声での呟き。 島の広い運動場、友達が木登りをし、飛び回る姿、一人で見ているのは辛かった事だろう。 手術の傷跡が多く残る足を「よくも私の足、魚の腹わたを取るように、あっちこっち切り開いてくれたもんだ」と笑って言っていました。 東京での生活、銭湯へ行くしかありません。 傷跡の多く残る、麻痺した足を人前にさらす事は、辛かっただろうに・・・ 耐えるしかなかったのです。 あれから何年か経った後、今度は、一級国家試験の更に上級、特級に挑戦するとの事で、ルートやパイ、微積分などの入り組んだ、ややこしい計算式を、どうしたら解けるのか教えて欲しい、と持ち込まれた。 特殊な電卓をプレゼントする。 問題は、どう考えても、大学卒業の学力を必要とした難..

  • y1049 神さま・・・

    片方の足でペダルをこぐ乗り方を必死に練習。 遊び盛りの姿を見、何んでこんな目に会うのか。 完全にマヒした足、妹は、いつも男の子のように、ズボンを履くしかありません。 他の女の子同様、スカートを履かせてやりたい・・ 何んで、スカートが履けない体になったんだ! 何んで3歳の女の子が、杖をついて歩かなければならないんだ! 何んの罪も犯していないのに・・・ 何んで幼い女の子に、過酷な試練を背負わせるんだ・・・ 何んで、不公平な扱いをされなければならないのか・・・ 神様がいるなら助けて欲しい・・・ 妹のマヒした足を見るたび、動作を見るたび、涙が止まりませんでした。 ひかるより妹のほうが、悔しい思いを数千、数万倍した事でしょう。 不自由な体での行動範囲はわずが、車を自由に乗り回し、本当の足代わり、見聞きする喜びは、人生最大の喜びだった事でしょう。 免許取得から数年後、妹の友人から連絡があり、電話は通..

  • y1048 杖つく少女

    やはり数年もの間、その一言が、忘れられなかったのでしょう。 「障害者が免許を取得する場合、東京都には奨励制度があるし、大丈夫だ」と説得すると、長期休暇が取れそうにもない、との事。 会社の方には、兄からお願いしよう。長年働き、休暇の目的もはっきりしている事だし、理解してもらえるはずだと。 妹は最後に、全ての段取りは、自分一人でやってみる、と言って納得しました。 数ヶ月後、「取れた! 免許が取れた!」と、弾んだ声で連絡があり、祝ってやりました。 よほど嬉しかったのでしょう。 無口で必要な事以外はしゃべらない、兄にすら一度も笑顔を見せなかった妹が、車庫入れで失敗した事や、S字カーブで踏み外した事など、笑顔でしゃべりまくっており、30年以上も背負って来た何かが吹っ切れた様子。 このきっかけが自信となり、妹の人生は大きく展開していきました。 車を購入、地方出身の同僚達と、お盆やお正月に友人の田舎へ..

  • y1047 乙女心

    ひかる24歳。妹が上京するとの事。 友人、及び親戚がなく、優しい言葉をかけてくれる人も居ない、厳しい東京で生きて行けるのだろうか。 片方の足は完全に麻痺しており、パスポート持参。15歳の少女である。 しかし、妹は余り干渉されない東京で、ひっそり生活したかったのでしょう。 小さな島、偏見の中で育ち、生きる全て、唯一の頼りは、兄だったのでしょう。 幸いにも東京都の身体障害者職業訓練校へ入学、卒業後、訓練校の紹介で縫製会社へ就職。会社の寮へ入れました。 数年後、同業他社へ転職した同僚から、「今までより条件が良いので来ないか、との誘いに乗りたい」との件で、相談。 無計画で、衝動的な行動に、思いっ切り叱ってやりました。 元気な友達は、あっちこっち転職するかも知れない。お前は障害者なのだから、他人の真似事はするな! じっと我慢しろ! と。 妹は寂しそうな、そして芯から怒っている、射抜く眼差しで睨みつ..

  • y1046 火風

    単純過ぎる答えの様ですが、登山者に、何んで山に登るのかと聞いたとしても、山が有るからだという答えの如く、岩と波がある限り、千年先も、1万年先も、只、「これしかない!」と繰り返す。 自然の摂理だったのです。 そして、台風が過ぎ去った翌日、父が畑を見回るのについて行きました。 大切に丹精込め、育て上げた作物は、揺さぶられ、薙ぎ倒されています。 うつろな眼差しで、何やらブツブツ呟き、根本に盛土する父の姿を見た時、哀れで、かわいそうに見え、反面、怒りを覚えました。 台風は、間違いなく毎年来る。近所の人達は、このような生活に見切りをつけ、歯が抜けるように、島から出ていく中、何んで父もそのような生活を求めないんだろうか。 この父は、馬鹿じゃなかろうか、と言いようのない失望感に襲われました。 しかし上京後、必死に生きる中で、父の本当の気持ちが、理解出来るようになったのです。 当時は、妹の小児マヒが治せ..

  • y1045 異様な音

    人工的に作られた防波堤に叩きつける波は、30メートルものしぶきをあげ、音も想像出来るかと思いますが、大自然の熾烈な戦いは、えぐれた岩の横腹に、下からしゃくり上げる時、しぶきは粉末状に、前方へ飛び散るだけ。 搾り出れる音も、これまた想像も出来ない、炸裂、唸り声の異様な合体音。 巨大な鯨が、押し潰され、もがき苦しみ、訳の分からない、悲痛の叫び声を出している様にも聞こえます。 「ドキューン」 「ドズーン」、言葉では表現のしようがありません。 そして台風通過後、一面に油を流し込んだような穏やかな水平線。 嵐の前の静けさ、という諺がありますが、嵐の後の静けさの方が、はるかに静かです。 なぜ、あれだけ熾烈な戦いをするのか? 静かにしていればいいのに・・・ なぜ無意味な戦いをするのか? 普段は遊園地であり、色とりどりの熱帯魚達が見せてくれる、アニメの世界。 穏やかで、母のように優しい海が、何んで異様な..

  • y1044 難問

    ひかるが中学生の頃、人生最大の難問にぶつかりました。 島の生活や子供達にとって、海は切っても切り離せない重要な存在。 都会の子供達が、公園や遊園地で遊ぶように、海と魚は、遊園地や動物園であり、熱帯魚と戯れ、遊んで育ちました。 しかし、一度台風が荒れ狂うと、恐ろしい海に変化します。 瞬間最大風速、70メートルの台風が暴れ狂った時の事を想像してみてください。 普段は、波と岩が何気なく、仲よく調和しており、さざ波が、えぐれた岩の横腹をくすぐり、今は、眠たいから、くすぐるのはやめてくれよ、と戯れているように見えますが、 一度台風が襲い暴れだす時、目の前に現れた姿は、凄まじいものでした。 木々は否応なしに揺さぶり、ねじ伏せられ、風雲は、摩擦のあまり、雷音稲妻と化し、 海は、怒涛のうねりを片時も休む事なく送り続け、攻撃の手を緩めません。 海鳴りは耳をつん裂き、雨は天から降らず、横から殴りつけ、風雲波..

  • y1043 VTR

    ロケーションを多用した番組作り、ひかるにとって、それ自体は朝飯前の仕事だ。 並行して、大きな壁が目の前に立ちはだかったのである。 それは、VTRの問題だ。 当時日本では、アメリカアンペックス社のテープ幅2インチVTRが導入され、独占していた。 勿論、ローカル局では買えない代物で、キー局に5、6台納入されていたから、NHKも含め、国内には30台前後が導入されていたであろう。 なんといっても、目玉が飛び出る程の値段で、日本のメーカーでは、パテントなどがあって、真似の出来ない。 極めつけは、可搬型のVR3000という、旅行トランク大の機種で、アンペックス社とNASAが軍事偵察機搭載用に開発したという、当時の最先端技術が集約された機械だ。 キー局すら持てず、パビックという会社とひかるの八峯テレビしか持っていないため、ドラマロケやスタートしたVCM等で重宝されていた。 ひかるはこの機械で稼げば稼ぐ..

  • 1042 熱意

    どうせなら、半端でない覚悟を持って、一気に攻めよう、それしか道はない」 と説いたのである。 いや、間違いなく、説教だった。 あまりの熱意に社長は、反省をした。 飛び出した連中は、折あらば、更に社の弱体化をさせよう、取って代わるべく、虎視眈々と狙っている。 それに比べ、注目もされず、黙々と仕事をし、管理職の機会を与えられなかったこの男が、本気で社を憂い、例へどのような事があっても、最後まで残って踏ん張ると言い切る。 「飛び出したい人は、飛び出せ! 自分は最後まで残る、看板は俺がはずす!」と不動の姿を見せるひかるを見直したのである。 逞しく、一回りも二回りも大きく脱皮した姿で、全社員に号令を発したのである。 社長は、自分の人材登用が間違っていた・・と そして最後に言った。 責任は、すべて社長である自分がとる、社長の采配すべて任せる、存分に暴れてみろ・・と ひ..

  • y1041 パスポートから解放

    そして沖縄の本土復帰、パスポートを焼き捨てた時、本土の同期の連中と論争も出来る、ケンカも対等に出来る、と目に見えない鎖の呪縛から解放されたのである。 そんな事は多分、体験した人にしか分からない事であろう。 そんな時、窓外族から、社の中心へ戻るはめになったのだ。 そしてひかるは暴走した。今度はいい意味での暴走だ。 同期の連中は先に管理職として登用され、会社の経営にまで携わり、後輩達からは一目もニ目もおかれていた。 それが、徒党を組んで会社に反旗を翻したのである。 ひかるにとって、その行為は許せなかった。 今まで従いて来た後輩たち、女房子供もいるだろうに・・ 自分の利益ばかり考えていいものか! と頭へ来たのである。 社の中心に座ると、ひかるは重役や社長を論破した。 そして社長には、三日三晩、いやと言われても追いかけ回し。 「取り巻く状況は最悪だ、しかし守りに回っていると、さらに社員は、歯が抜..

  • y1040 360円時代

    ひかるは、入社早々ある事件を起こした。 友人、上司と府中駅前の飲み屋へ行った時の事である。 スナック風の飲み屋で、4人で楽しく飲んでいた。 店はママさんと、若い女の子が一人手伝っているだけで、小ぢんまりした店であった。 かなりアルコールも回った頃、米兵のお客が二人入って来た。 近くに調府基地があり、その近辺は結構米兵がいたらしい。 思春期を沖縄で過ごし、敗戦後、米兵はやりたい放題。 勝ち誇った米軍による犯罪、本土では報じられない事が日常茶飯事起きていた。 犯人は沖縄の裁判所で裁く訳にはいかない。勿論、日本の法律も通用しない。 米国へ送還され、どういう処罰が下されたか知る権利もなかったのだ。 当然、この地区で青春時代を過ごした連中は、否応なしに反米感情が叩き込まれていたのである。 米兵が入ってくると、ママさんの態度は一変、目いっぱい色気、愛想を振りまいているのである。 当時は1ドル360円..

  • y1039 おいタケシ! ヤバかったぜ2

    年齢的にはタケシとテリー伊藤君の間、番組作りはベテラン中のベテランで、不慣れなテリー君のフォローとタケシの間を取り持て、と指示。 またMカメラマンはフジテレビ日曜日ゴールデンタイム8時からの萩本欽一「オールスター家族対抗歌合戦」のチーフカメラをやっていた人物で同時進行中。 収録日程を確認し、民放キー局8チャンネルの裏番組4チャンネル、ゴールデンタイム同時間帯に同一チーフカメラマンを起用したのである。 ひかるはお笑い番組もやっていたのでタケシとは顔見知りだ。 これといった印象はないが関西に対抗する東京のお笑い界の起爆剤人になるのではないかと見ていた。 ひかるは毎日平均して15本前後のスタジオ番組や中継、ロケやニュースの取材等忙しい思いをしていたがMカメラマンにタケシの番組、細かに報告するよう指示してあった。 ロケが終わると必ずMカメラマンとは時間を取り状況報告は受けると同時にMカメラマンに..

  • y1038 おいタケシ! ヤバかったぜ!

    話はタケシの話に戻す。 タケシは20代ツービートで漫才をやっていたがチョボチョボでヒットしなかった。 当時は大阪の上方漫才、西川ヤスキヨがブームで、東京では萩本欽一と坂上二郎のコント55号、伊東四朗のテンプクトリオやドリフターズが人気。 テレビ界で影の薄くなったタケシを起用し、大雨で中止になる野球中継番組の代替え、フィラーの雨傘番組企画が持ち上がった。当時後楽園球場はドーム化されていなかった。 王選手と長嶋茂雄の属する巨人軍大ブーム、読売日本テレビの野球中継が雨で中止になった場合に流す、いわゆる雨傘番組「天才タケシの元気が出るTV」での起用。売れているタレントなら断るだろうがタケシは、雨傘番組だとしても初めてタケシの名前が番組の冠に付くタイトル、鬼瓦権蔵役だ。 この番組はスタジオメインでロケの映像、話題をどれだけ取り込めるかにポイントがあった。 ひかるはそのロケの部分を請け負ったのである..

  • y1037 番組、ねるとん紅鯨団

    タケシの番組でロケを担当させたMカメラマンを、ねるとんに起用、ロケの経験が豊富で、他のカメラマンとの連携がスムーズに行ったのである。 勿論オールロケで、これ程充実した内容の番組が出来る、という事で、業界では予想以上の評価を得る事になったのである。 労使問題で青息吐息だった会社が、誰もが目を疑う活況ぶりだ。 当然、業界では注目され、後にフジテレビ100%子会社と成って行く。 アナウンサーの早稲田出身、露木氏はじめ、東大、慶応出身者が周りにゴロゴロいるが、ひかるは益々異彩を発揮していく。 威張る事なく、腰が低い、テレビの命は番組だ!、と茶の間を意識。 人間として生まれ、一番愚かな事、一番の不幸は、せっかく親から貰った知恵を、使う事なく、墓場へ持っていく事だ! とひかるの口癖は響き渡っていた。 当時、テレビ局はカラー放送、ネット局充実へと殆んどの資金、人材が当てられ、番組の内容がスタジオ中心で..

  • y1036 不毛の時間帯

    この番組の放送時間帯は、不毛の時間帯と言われ、なかなか視聴率がとれない売り物にならない時間帯だったが、一変したのだ。 この番組が放送されると、業界の人達から見ると、中継車を持ち込んで、かなりケーブルを引き回し、番組が作られていると、思ったらしい。 コスト的に中継車をキープすれば、キープしただけで一日百万以上はかかってしまう。 こんな時間帯に、中継車を使って、番組を作るなんて、とても考えられない・・・・といわれたのである。 この番組は、スタジオで番組を作る以上の、素晴らしい画が、低コストで、茶の間に届けられたのである。 ロケの場合、だいたいバッテリーは5、6個持っていく。 ねるとんは、4チェーン必要なので、照明やVTRなどを含めても、30個前後あれば十分だ。 他にも、海外や国内ロケがあるが、トータル的には問題なし。 このシステムは、威力を発揮したのである。 スタジオの音楽番組やドラマなどは..

  • y1035 多重ロケ方式

    ねるとんでは、今迄にない、全く新しい多重ロケ方式が採り入れられた。 常に、4台のカメラとVTRが対になっており、同時にスタートさせ、テープが終わるまで、一切ストップをさせない。 4台のカメラVTRが回っている状態で、映画で使われていたガチィンコを撮りスタートマークにする。 4台のカメラは、自由に動き回り、あらゆる角度から収録。例えばグラスを落として割るシーンなど、手元と落ちる床面を撮るカメラを決め撮影。 編集時に、スタートマークを揃え、同時にスタート、4分割画面に、それぞれの画をはめ込んで編集ポイントをチェックする。 早い話が、4画面を見て、タッチをしていけば、面白い表情が、リアルに編集出来るというシステムだ。 もちろん、素人相手なので、従来のストップ、スタートを繰り返していたのでは、とても表情が硬く画像にならない。 まかり間違い、演技をつければ、完璧なやらせになってしまう。 勿論、常に..

  • y1034 フローティングシステム

    ロケを採り入れた番組を作りたい、誰もが考えうる発想だが、具体化するには何らかの着想が不可欠だ。 当時のロケ、一番の難点はバッテリー問題だった。ひかるもカーバッテリー等、あらゆるバッテリーを考え、実験したが、やはり無理だった。 試行錯誤、明けても暮れても実験中、小型弁当箱大、きゃしゃに見えるが、ビニール樹脂でコーティングされた物が目に止まった。 テストをすると十分行ける代物だ。ひかるは、これで放送業界を一変させられる、と小躍りした。 BP90という型名で、早速チャージャーを分解、誰もが驚く75連のフローティング式チャージャーを部下を動因し、一月もたたない内に完成させたのである。 メーカーが四個チャージ出来る4連式を得意になって売り込みに来たが、75連を見せると、腰を抜かさんばかりに驚いた。 こんな事をする人など、想像も出来なかったであろう。 タケシの番組で威力を発揮したが、さらに多重ロケ..

  • y1033 窓外族

    20代後半、沖縄が本土復帰をする。 ひかるは大事にしていたパスポートを焼きすてた。 ひかるの中で何かが吹っ切れたようだ。 そしてちょうどその頃、社内には、一大異変が起きていた。 第一期入社の同期の連中は、管理職として各部門を統括していたが、よりによって、その連中が束になって会社を辞め、別会社を設立し、従来の仕事をそっくり持って独立していったのだ。 労使問題でガタガタしているとはいえ、発注先であるフジテレビ゛が、設立されたばかりの、資本の入っていない独立会社へ翌日から仕事を廻す。 明らかに契約違反であり、フジテレビは、ひかるの所属する会社を潰しにかかった、と解釈されても仕方のない事情であった。 取り巻く周りからもかなり注目されている中、唯一残った第一期生、ひかるは社のどまん中へ担ぎ出されてしまったのである。 しかし、ひかるは苦境に立たされれば立たされる程、頭を使う。 次から次と、誰もがあ..

  • y1032 倒産

    東通は、TBSから社長が送り込まれ、経営陣もTBS色が強かった。 第一事業所がTBS内に置かれ、第二事業所が、フジテレビ内に置かれた。 頭が良く入社試験の成績の良い人がTBS内第一事業所に配属されたと言れたが、たぶん事実であろう。 TBSはドラマ制作に力を入れ、ドラマのTBSというイメージで、フジテレビは、ピンポンパンなど子供番組がヒット、母と子のフジテレビというイメージで、両局とも快調に業績を伸ばしていった。 そして、お互いがライバル局として見るようになり、第二事業所は、後に100%フジテレビ子会社化していくのである。 バブル時、東通の経営陣が、巨額の資金をゴルフ場開発に注ぎ込み、バブル崩壊と同時にあっけなく倒産した。 新聞紙上を賑わせ、昨日まで社長と崇めた社長を、今度は社員が放送カメラを持って犯人扱いで追い回すという、考えられない事が起きたのだ。 第一事業所配属、同期の連中は、設立..

  • y1031 巨人戦

    野球放送は、巨人戦を中心に編成されている事は言うまでもない。 野球ファンの5割は巨人ファンと言われ、アンチ巨人が2割いるとすれば、7割が巨人戦、観戦という事になる。 同時間帯に、巨人戦以外のカードを放送しても、なかなか視聴率が取れないのである。 巨人戦は、資本関係にある、日本テレビが過半数の放送権を持っている。 年間、140試合とすると、70試合は、日本テレビが放送する。 残りの70試合が、五つの球団、14試合ずつ分割されるという事だ。 横浜は、TBSと資本関係にあり、横浜対巨人戦14試合は、必然的に放送する。 フジテレビは、ヤクルトとの資本関係で、ヤクルト巨人戦14試合を、必然的に放送する。 それ以外に中日、阪神、広島もそれぞれ14試合ずつ権利がある。 例えばフジテレビだと、ネット系列の関西テレビが、阪神や広島などと交渉し、放送権を獲得する。 それを、関西テレビ発、フジテレビ系列で全国..

  • y1030 TV界、就職状況

    昭和30年代、NHKに続き、4チャンネルの日本テレビ、6チャンネルのTBS、8チャンネルのフジテレビ、10チャンネルのテレビ朝日、12チャンネルのテレビ東京の順に、民放は開局していった。 NHKは、ニュースが主体で、民放は、王、長嶋選手が活躍する野球放送、力道山が活躍するプロレス中継が、横綱的存在の番組であった。 世相も、戦後の混乱期を脱しバブルの助走時代、人々は工場で汗、油まみれに働き、野球放送とプロレス放送を見ることによってストレスをはらしていた。 当然まだ白黒放送で、放送時間も、現在みたいに、一日中放送しているわけではない。 夜のゴールデンタイムと昼メロが主で、昭和30年代後半になると、朝のモーニングショーがヒットし、その後、午後3時代の番組も放送されるようになったのである。 民放では、巨人戦、プロレスの放送権を持つ日本テレビは、後から開局したTBSやフジテレビに比べるとダントツで..

  • y1029 主の役目

    避難場までは、1キロくらいあり、風速70メートルの逆巻く突風は、前後左右から揺さぶって吹き、決して同一方向から、均一的に吹いて来ません。 会話は嵐の中へ千切れ飛び、痛い程叩き付ける雨に、目も開けられず、風圧で、息をする事すら苦しく、顔をあげておられません。 大人ですら、進むのが困難な状況である。 闇夜の畦道、吹き飛ばされ、足に纏わり付き、やっとの思いで、避難場へ到着。 不安な一夜を過ごしました。 抗し難い、大自然の力とは言え、コツコツと築き上げた我が家が吹き飛ぶ。 翌日からの生活を思い巡らし、家を後にする時、父親の気持ちはどのようなものだったのだろうか。 南国の真夏、殆んど着る事の無いオーバーコートを着、荒れ狂う嵐に悠然と立ち向い、家族を守る。 父の背中はあまりにも大きく、凛々しい姿として瞼に焼き付けられ、ひかるが生きていく中、人生の厳しさに背を向ける事なく、前向きに立ち向い、家族を守る..

  • y1028 画像

    台風

  • y1027 真夏のオーバーコート

    ひかるが小学校へ入る前の出来事で、瞬間最大風速70メートルくらいはあったでしょうか。 大型の台風が、島を直撃。平たんな島は、風圧をまともに受け、遮る物は何も有りません。 電気は無く、真っ暗闇の真夜中、轟音渦巻く風の音、激しく叩き付ける雨の音、そして、家がギシギシとマッチ箱を揺するが如く、激しく揺れ動いているのに目が覚めました。 暗闇に目を凝らすと、父と母が、いつもと違う、重苦しい不安げな顔で天井を見つめ、会話を交わしております。 父は、「台風は我が家を直撃する。この分だと屋根が吹き飛び、危険なので避難をする」と、ため息を残し、立ちあがりました。 母は、「この嵐の中、どうやって避難所まで、行き着くのか」と、脅え声。 (台風は目に向かって、左回りに風が吹き、一点にいて、刻々変わる、風向きと風力で、台風の目がこちらへ向かって来るのか、逸れて行くのか判断出来ます) 具体的に北東の風が東になり、時..

  • y1026 脳内アルバム

    ひかるが、南の島へ帰郷した際、ある85歳のおじいちゃんと、ゆっくり話をする機会が有りました。 おじいちゃんは、10人もの子だくさんで、孫やひ孫を数えると、40人は、いるとの事。 子供達は、高校がないので、一度島を離れますが、もう二度と島には帰って来ません。 おばあちゃんと二人っ切りは、淋しそうに見えるのですが、私は一番幸せ者だ、と自慢。 事実、温和な丸みのある、幸せが滲み出ているのが、感じられます。 何んでそれ程までに、幸せを周りに放射出来るのだろうか? 体力的には、庭の散歩がやっとで、寝ている時間が大半のおじいちゃん。 不思議な力を感じ、その場を離れるのが勿体無く、ついつい色々な話をし、時を過ごしてしまいました。 「今にも天国から、迎えが来るかも知れない」と平気でしゃべっている姿からは、死に対する不安が、微塵も感じられません。 どうしてなのだろうか? 話を聞くと、おじいちゃんの人生は、..

  • y1025 またまた、大失敗

    上京直後、組み立て配線工として働いていた時、またまた大失敗です。 昼食には、出前をとっていました。 食べ物の名前は初めて聞くものばかりです。 周りの注文を見聞きしながら覚えていこうと考え、真似をする事に決めこみました。 初日は、天丼、ラーメン、チャーハン、焼飯と、みんなが注文するのを聞き、唯一知っているメニューで、焼飯を注文。 その日は、無事に何事も起こりませんでした。 翌日、例によって皆なが注文をした後、中身は知らないけど、しゃれた名前なのでチャーハンを注文。 みんなが取った後に残った物が、チャーハンだろうとの考え。 待っていると、残っているのは前日と同じ焼飯。 「誰か注文を間違えた人はいませんか!?」と大声で聞きました。 誰も間違えていないとの事。 「君、何を注文したのだ?」と聞かれたので、 「誰か注文を、間違えているはずです。私は間違いなく、チャーハンを注文したのですが、焼飯しか残..

  • y1024 画像

    焼き飯

  • y1023 あれ〜

    前席の女高生だと思われる女の子が、あれ〜と甲高い声を出し、椅子を軋ませ逃げ出す。 周りの客は、針でつっ突かれたかの如く、一斉に注目。 見るとテーブル上は、運悪く、ツユが前の方へ流れています。 娘が飛んで来て、ツユを拭き、お客に誤り、調理場からもう1本ツユを持って来ました。 こぼしたものと勘違いをしたのです。 さて、2本目です。 どうするか?? あまりの出来事に、多くの客も、野次馬気分で立ち上がっての見物。 前の女高生はすでに避難し、どうしてよいのか分からず、恥ずかしさと冷や汗。 当人は完全に、舞い上がっています。 店全体の視線を一身に受け、仕方なく、そばを一本ずつ、ツユに浸しながら食べていると、隣の客が親切に教えてくれましたが、時すでに遅し。 周りの雰囲気からして、何が何んだか食べた気がしません。 さて、次は下のご飯だぞ! はやる気持ち、ぎこちない手つきで、すのこを取りました。 何んだ..

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    おおもり

  • y1021 見事な閃き

    だけどいいや・・・ おそらく、そばの下に、ご飯がたっぷり有るだろうと、一人合点し、空腹から湧き出る食欲と、生唾を飲み込む。 さあー食べようか! 初めての食べ物、食べ方が分かりません。 大もりの下に、お盆があるのですが、隣の客には敷いてありません。 注文を運ぶお盆を忘れ、そのうち取りに来るだろうと気を使い、お盆を横に置き、器を直接テーブルに置きました。 更に、ツユ壺の上に、ツユ入れが被せてあるのに、それが分からず大失敗の因。 ツユ壺に被せてあるツユ入れを、フタだと思い、伏せたままお盆の上へ置きました。 さて、その後どうやって食べるのか? ハシでツユを確認。 そばを1本1本、ツユ壺に入れて食べるのか? 試しに1本やってみましたが、どうも具合が悪い。 腕組みをし、しばらく考えました。 どうしても、周りの視線が気になります。 過疎の村で外食とは関係なく育ったひかる、食事作法を知らずオロオロ上目..

  • y1020 おおもり

    毎日が、ひもじい思いをし、夢にまで食べ物が出てくる上京当時の出来事。 一度でいいから、腹一杯ご飯を食べてみたい、という願望を叶えるべく、アルバイトのお金が初めて入った時、思いっ切り食べようと心に決め、外食をすることにしました。 子供の頃から、外食の経験がなく、今日は腹一杯食べられる。 自分の稼いだお金で、思いっ切り食べよう、という期待に胸をはずませ店に入りました。 日曜日の昼時で、ほぼ満席の状況。 何を食べようか? 壁に貼ってあるメニューを、ひと通り往復して見ました。 だいたいのお客は、椅子について注文を考えます。 壁の前をウロウロし、しかも顔色が浅黒く、栄養失調ぎみの飢えた目。 変な男が入って来た、と他の客が注目しているのは視線で感じられます。 女子高生と思われる、女の子二人との相席でした。 店は、母親と娘なのでしょうか、中学生くらいの女の子が手伝っておりました。 メニューで一番、腹..

  • y1019 就職

    早速、翌日から職探し。 皿洗いや組み立て配線工、自転車での配達等経験しましたが、日給が5百円程度と安く、生計を維持するには無理がありました。 そこで日給8百円で、なんとか生活可能な、トラックの助手の仕事を見つけ、会社の寮へ入れてもらいました。 毎日、鈴や亜鉛のインゴットを満載し配達周りの力仕事でしたが、運転手は荷物には何一つ手をつけず、栄養不足と睡眠不足の体には、過酷な仕事でした。 過労の為なのだろうか。腰がふらつき、時々目まいが襲います。 作業中、荷物に指をはさみ、潰してしまいましたが病院へ行く金もなく、休めば食べていけません。 潰れた指を手袋で隠し、なにげない様子で翌日も働き続け、あまりの痛さに指が腐るのではないかと、心配でしたが何時の間にか治りました。 人は過酷などん底生活の中、己の体につけた傷跡や心に染み込んだ教訓は、生涯忘れられません。 今でも辛い時は、傷跡を見、あの時の痛..

  • y1018 貧食時代

    現在の飽食時代、パンの耳で過ごす事等、考えられないかも知れませんが、日記に昭和40年当時の状況を見る事が出来ます。 「3月29日、月曜日、今日は朝から会社は休み、給料日は目の前だけど、どうしても金が不足。 しかたないので、電子工学、図解パルス工学、電気論の3冊、2000円相当を古本屋に売りに行った。 売りたくない気持ちは山々、そうかと言って、飯を食べずに過ごす訳にもいかない。 ある一軒の古本屋に入り、買ってくれと頼むと、今はその本ありますから、との事で、この本屋を出る。 この場に成って、自分ではよく分からない程の本に対する未練が出てきて、そのまま帰る事にした。 やっぱりどんな事があっても、参考書だけは、今後売るような事はしないようにしよう。 仕方ないので、今日は朝から食パン1個で、1日中過ごす。腹の虫がグーグー鳴っている。 ペンさえも、いつもと違い、ふらふら千鳥足、残る2日間の我慢だ。..

  • y1017 何んだ、これは!

    今考えると栄養状態は極度に悪く、凍死寸前の状態だったのです。 食べ物が欲しい・・。 着るものが欲しい・・。 誰か話し相手が欲しい・・。 頼る人が一人でもいてくれれば・・・ お金はみるみる底をついて行き、孤独、辛さに、このまま生き続けられるのだろうか? 不安のどん底に陥りました。 父が、やっとの思いで作ってくれたお金、周りの反対を黙って押し切ってくれた事、あの拗ね顔を思い出すと、おめおめと島へ戻る訳にもいかず、自分自身が情けなく、疲れ果てたある日、一人で天井を見つめ、孤独をかみしめながら、何気なく手を胸に当ててみました。 「何んだ、これは!」 思わず、声が出ました。 これだけ辛い思いをし、悲しんでいるはずなのに、鼓動は平常通り、何事もなく、すがすがしい響で脈を打っていたのです。 身も心も一心同体、体全体で苦しんでいるはずが、孤独、寂しさ、辛さは、精神だけの問題にすぎず、鼓動は平常通り淡々..

  • y1016 パンの耳

    ひかる19歳。パスポート持参で、貧しい中での上京。 頼る人とて無く、バイトに夜学。 バイトの金が入るとラーメンを箱ごと買い込み、コッペパンとの連続。 食べ物さえ確保するのが大変な時期でした。 何時ものパン屋へ行った、ある日の出来事。 顔色は浅黒く頬は痩せこけ、明らかに上京したての田舎顔。 手はズボンのポケットへ入れ、十円玉を数え、買えるかどうか思案中。 目は卑しくも買えるはずのない、美味しそうなケーキの方へ行ってしまいます。 一度でいいから、ケーキを食べてみたい・・ しかし金がない。 空腹、みじめ・・ 飢えた目で周りのパンをキョロキョロ見ている姿、気の毒に思えたのでしょう。 店のおばちゃんが、他の客がいないのを見計らい、紙袋をそっと渡してくれました。 部屋へ帰り開けると、パンの耳でした。 他人様から始めて貰った食べ物、心から有難いと感謝したのは言うまでもありません。 早速、コップに水を入..

  • y1015 テレビ初対面

    大勢の人が行き来し、ビルへ吸い込まれていく様子を見た時、これはアリンコの世界だと直感。 家の庭に数えられないくらいのアリ達が、それぞれの巣を作り、せっせせっせかと働き、食べ物を蓄えていた姿にそっくり。 東京の人々が一段と小さく見え、何んで人間がアりンコになってしまうのだろうか、と考えさせられました。 そして翌日、魔法の箱としか思えないテレビを一刻も早く見たいと、早速新橋駅前の街頭テレビを見に行きました。 黒山の人だかりで、全ての人がテレビのプロレス中継一点に集中。 確かに、プロレスは別の場所で行われ、テレビにはそれが写っているのです。 夢にまで見続けたテレビ、魔法の箱ではなかった。 そして力道山の空手チョップに群衆が熱中し、興奮している姿を見た時、テレビに挑戦しても、間違いではないと確信。 夢は大きく膨らんでいったのです。 見果てぬ夢がある限り、命を張って生きてみよう。 何時の日か、我が..

  • y1014大パニック

    急に走り出す事を全く想定していなかったので、心の準備が出来ておりません。 いきなりバランスを崩し、「どう成っているんだ! あー あ〜!」と見事に転倒。 瞬間、恐怖と驚きで頭の中は大パニック、「止めろ! 止めろー!」と絶叫してしまったのだ。 周りは何事が起きたのか、と一斉に注目、総立ちになりました。 昔の電車、急発進、オーバーランは、日常茶飯事。 電車は何事もなく走り出しているのです。 四つん這いになり、起き上がる時、総立ちで見ている人々の視線の冷たさ。 田舎者! バカ! トンマ! いい加減にしろ! と言いたげな視線は、今でも忘れられません。 車内の今にも吹き出したい気持ち、我慢しながら見ている視線を、一身に受け続ける事は、なんとも気まずいもので、恥ずかしさを通り越し、居たたまれない雰囲気。 追われるように、次の駅で飛び降り、後続電車に乗り換えました。 また、右を向いても目、後ろを向いても..

  • y1013 画像

    発電車 (ちなみに、徳島の読者より我が県に電車が無い、沖縄にはモノレールがあるではないか、との指摘をうけた。ひかるが上京時、モノレールはなかった)

  • y1012 初! 自動ドア

    昭和38年4月、一週間も船に揺られ上京。 沖縄は電車のない県ですが、島には車や耕運機すらなく、電車という乗り物は初めての体験。 (現在はゆいモノレールが走っています) けたたましく責め立てるベルに、前の人に連られ急いで乗り込みました。 すると、あまりにもタイミング良く待っていたかのように、ゴロゴロとドアが背後で閉まったのです。 生まれて初めて見る自動ドア。 好奇心旺盛な少年は、ドアに目が付いているはずだ・・ ドアの目がどこに付いているのか、と探しておりました。 次の瞬間、電車は走り出したのです。 自然の息吹と共に伸び伸びと育った、少年の初めての電車。

  • y1011 生き別れ

    今更、船から飛び降り戻る訳にはいかない・・ 戻れない・・ 親子の全てを断ち切った! 木の葉のような橋渡船の父に、最後の別れを一言。 「許してくれ! 息子は亡き者と、諦めてくれ・・!」 心底絞り出す言葉は、声になりません。 千切れんばかりに手を振り、今後の無事を、ひたすら願うしかありませんでした。 船は全ての未練を断ち切り、一路北へ・・・ この船の進む先に、ロマンがある・・ そしてテレビがある・・ 過酷な試練が、刻々と近付いているのも露知らず・・ ひかる少年は帆先へ立ち、目を大きく見開き、未来を見つめるだけでした。 (これから先、ひかるはテレビ界で縦横無尽に活躍、結果的に両親の死水は取れなかった)

  • y1010 夕陽の涙

    年老いた両親と、体の不自由な妹を島に残し、旅立つ息子は親不幸なのだろうか・ 10歳の遊び盛りに、足の不自由な妹の遊び相手は誰がするのだろうか・・ 何時迄も、何時までも、元気に暮らして欲しい・・・ 夕陽は周り一面を真っ赤に染め、西の海へ深々と物悲しく沈んでいきます。 なびく髪、風さえも赤く染められ、心に滲み渡る蛍の光。 大海原に落とす夕陽の涙は、今生の別れを惜しんでいるのだろうか・・ 無常にも二度目の汽笛は空と海へ途切れ、鳴り渡るドラの音に一段と激しく身を揺するエンジン振動。 溢れる涙に視界はこぼれ落ちて行きます。 未練の糸なのだろうか、夕日に赤く染まった海面に尾を引く白い航跡。 橋渡船の父と本船の少年は、縋る甲斐なく引き離され、大きな人生の別れをするのでした。 この先、妹は兄の帰りを待ち切れなかった。 東京がどんなに厳しい戦場なのかつゆ知らず、松葉杖を突いて着の身着のまま、兄を頼りに上..

  • y1009 画像

    別れ船・・

  • y1008 別れの杯

    空路が開かれた今では想像出来ませんが、当時、上京するには黒島から朝一便の船で石垣島迄行き、夕方石垣を出港し翌日の昼頃那覇港着、夕方那覇港を出、東京の晴海埠頭まで3泊4日、便数も週2便しかなく更にパスポート持参での上京。 もし危篤の知らせがあったとしても、帰郷するには最低一週間は必要。 ニキビだらけのあどけない顔の少年ながら、決して死に水は取れないだろうと、覚悟しました。 両親を前に生き別れの杯を交わさせてくれと頼み、別れの杯を交わしての旅立ちと成りました。 杯を交わす時、父は決して目を合わせまい、としていました。 拗ねているように視線を外し、何かを必死で耐えている様子。 多分、視線が合えば、上京は取りやめなさい、と口から出るのを耐えていたのでしょう。 両親にとって一番辛い時だったのかも知れません。 ひかる少年は、心から寂しがる両親の横顔を見せつけられ、白髪の様子や禿げ具合、シワの数まで..

  • y1007小さな寝息

    米国の統治下、勿論、保険制度もなく手術や渡航滞在費等、細々と暮らす一家にとって、とてつもない費用。 遊び疲れたのだろうか、妹は膝に抱かれ小さな寝息、ランプの薄灯かりに映し出される、疲れ切った父の横顔は、藁をもつかむ眼差し。 普段ですら無口な父は、更に無口になって行きました。 11歳の多感なひかる少年は、この大きな試練に家族が押しつぶされるのではないか、と不安に成り子供心にも明るく振る舞う。 無邪気な妹の遊び相手をするよう、心掛けたのでした。 そのうち小児マヒが伝染病でない事が分かり、明るさを取り戻して行ったのです。 9年後の昭和38年、ひかるは高校卒業と同時に東京へ出、魔法の箱、テレビを解明しようと決心。 経済的、精神的にもまだ暗いトンネルの中、上京は誰が考えても無理な相談。 心の内を父に相談すると、「自分の思った通りやればいい・・」と一言。 しかし周りは大反対、年老いた両親と足の悪い..

  • 1006 小児麻痺

    ひかる11歳、妹が3歳の昭和29年夏。 父は漁へ出かけ、母は野良仕事。 やっと走りまわれるようになった、妹の遊び相手をしていると、元気がなくなり、そのうちグッタリ倒れてしまいました。 急いで母を呼び戻した頃には、泣き声一つ出す力さえなく、痙攣の合間に断続的にひきつけを起こす程の異常な高熱。 40度以上の高熱が続いているのだろうか。 火照った体は風呂上がり状で、体内はそれ以上の高温でしょう。 解熱剤なるもの、薬と呼べるものは何一つなく、助けを求めるにも近所には誰一人いません。 母は知恵熱やカゼ、普通の発熱でない事を咄嗟に感じ取っていたのでしょう。 取り乱し、「助けて欲しい!」と叫ぶその只事でない形相に、命に危険が迫っている事が感じられます。 次々と他界した、三人の子供達の事が脳裏をよぎっているのだろうか。 脈をとったまま、水!、水をくれ、との催促に冷たい井戸水を..

  • y1005 3文字

    情報の全くなかった島、電波など考えられなかった島で育った少年には、そんな望遠鏡が有るはずがない! 魔法使いにでも出来ないはずだ、と思えるのでした。 しかし、何度読み返しても5コマ漫画は同じ答えしか出してくれません。 以後、テレビの3文字は少年の脳裏に焼き付けられたのです。 どうしても映画が観たい・・ この映画が、家に居ながら観られる・・ だったらテレビを勉強してみたい・・ 解明してみたい・・ 何時の間にか、ひかるは5コマ漫画の世界へ夢を膨らませ、魔法の箱解明に人生を賭けてみたい、と行動を起こすのでした。

  • y1004 挑戦!TV界

    昭和18年8月、八重山地区の黒島にひかる誕生。 出産設備や病院のない島で、生まれた子供が次々と3人も他界した後、3歳違いの長女に続く男子、ひかる誕生で、両親の喜びはひとしお、八年後、母43歳で妹が誕生、妹は高齢出産の子、特別可愛がられ幸せな五人家族でした。 小さな島には電気はなく、勿論、水道もありません。 情報と呼べるものは、特にありません。 飲み水は雨水を瓶に溜め、大事に飲みます。 ボウフラが湧き、瓶の首をコント叩き、潜った瞬間すくって飲む、ボウフラとの協同生活。 ランプのホヤを拭くのは、大人の手が入らないので子供の仕事と言われ、何の抵抗もなく毎日拭かされ、何度かホヤを割り叱られて育ちました。 サンゴ礁で出来た島では、岩だらけの合間に点在する、猫の額程の畑を耕し、家庭菜園に毛が生えたような自給自足の生活。 小学校高学年の頃には、島の貧しい生活に見切りを付け、石垣島や沖縄本島へと引っ越す..

  • y1003 貴重な財産

    台風情報を一番先に捉える、日本南端の石垣島気象台で知られ、空から見下ろすと全てサンゴ礁で縁どられ、そこへ打ち寄せるさざ波は白くリング状に取り巻く鮮やかなコバルトブルーから、濃いネイビーブルーへと変化。 まばゆい紺碧、膨大な絵の具を流し込んだのではないか、とさえ思われる風光明媚な大自然が豊富に残されています。 またこの地区は郷土芸能の宝庫とも言われ、マタハーリヌ、チンダラカヌシャマヨー、と歌われる、沖縄県を代表する安里屋ユンタ等、数多くの民謡や踊りを生み、方言や風習等、貴重な財産として引き継がれ、サンゴの種類や規模の大きさ等でも世界屈指の群棲地として注目の的となっています。 現在、テレビは全国の家庭に入り込み生活の一部となっている事は言うまでもありません。 信じがたい事ですが、この地区は5万人もの人口を有するにも関わらず平成5年末迄、NHK以外の民放テレビの電波が届きませんでした。 沖縄本..

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