今はデジタルになってしまい、なんでも便利になりました。でも昔は八百屋さんもお菓子屋さんもはかりを使っていました。その量りがなぜかとても好きで、いつも買い物に行くと一生懸命見ていました。たとえば、八百屋さんだとお店の天井からひもで下がっていて
秋の新番組、何見てますか〜?
駅から家に帰る道とは逆に少し歩くと、小さな牛乳屋さんがありました。たぶん、牛乳屋さんだと思います。そこはガラス戸の引き戸で、戸を開けると、そこに冷蔵ケースがあり、中にはたくさんの牛乳製品がおいてありました。またお店のなかに小さなソファがあっ
幼稚園の頃の記憶はもうほとんどありません。たぶん、東京までしばらく通ったのだと思いますが・・・・さて小学校に入学してからのことです。近くに小学校がまだなかったので、うちから25〜30分くらいかけて小学校に通いました。以前に書いたとおり、駅か
[:家:]その頃の家はほとんどが平屋でした。うちも東急の住宅地でしたが、2階建てはあまりありませんでした。うちは3畳一間、6畳二間、4.5畳一間、3畳の台所、お風呂、トイレ、増築の7畳くらいの洋間一間でした。私は最初、3畳にいました。狭いけ
家の帰る途中、家に近い場所ですが、一軒の雑貨屋さんがありました。そこには、おかしや、飲み物、駄菓子などたくさんのモノが売っていました。毎日、学校帰りにそのお店の前を通ると、そこのおばさんが声を掛けてくれました。そこには駄菓子をよく買いに行き
住んでいる家の近くには小さなお店がいくつかありました。小さい頃はそれが普通だと思っていたので、買うものによってあっちに行ったりこっちに行ったりしていました。その中である一軒のお店の話です。それは狭い三叉路の角にあった「コロッケ屋」さんです。
東京都から神奈川県横浜市へ引っ越しました。私が幼稚園の頃です。場所は横浜市港北区です。駅から約20分のところでした。結構閑静な住宅地で、家の前は広い田んぼでした。少し遠くには東急線が見え、もっと遠くには新幹線も見えました。幼稚園の終わりごろ
私は昭和の半ば生まれです。東京の目黒で生まれました。その頃は東京もまだまだ静かな街でした。住んでいた場所は「東町」というところでした。小さい頃の記憶なので、はっきりしたことはわかりませんが、電車も「目蒲線」といっていました。街並みは静かで今
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