半隠遁生活実施中
主に日常生活を綴っています。 記事書き過ぎ内容なさ過ぎと評価されています。 知人たちにブログ開設を通知したものの 閲覧しているものは皆無のようです(T_T)。 そんなこんなですがよろしくお願いしますm(__)m。
2025年7月
終わった人 (講談社文庫)内館牧子講談社2018-03-15というのを読んでいる。小説とかいつ以来だろうか。高校生のときは、赤川次郎や西村京太郎などの推理小説は読んでいた記憶がある。最近は、特に学ぶこともない小説はまったく読んでいなかった。ところが同級生が何のコメント
実名顔出しで発信を長年やっていると実名顔出しをやっていない人たちとの意識差があることに気付かされるときがある。こちらからすると「誰も何も気にしていない」と思うのだが、おそらく実名顔出しなし発信者は、実名か顔がバレたらとんでもないことになると思っているのだ
𝕏を見ていると「研究が好きだ」という投稿を目にするときがある。あれはどうなんだろう。投稿していて恥ずかしくないのだろうか(笑)。あれは、どうも自己陶酔しているだけなのではないかと勘ぐってしまう。もちろん、楽しいは楽しいとは思うのだが、院生の場合は、諸事情
私は仕事の関係上、夏休みがある。だが、2000年に大学を卒業して以来、休日とか長期休暇は全て① 受験勉強② 研究(読書か論文執筆)のどちらかに充ててきた。もちろん、どちらもやらない日もあるわけだが、意識は常にそれらが常駐している状態だった。考えてみると、かれ
フェイスブックを始めたときは、いろんな同級生と再会して、かなり楽しかった記憶がある。で、懐かしいということで、しばらく色んなやりとりが続いたものである。しかし、ここ何年かは同級生たちの投稿もあまりなくなり、交流もまたなくなってしまった。まあ、考えてみると
が100も行かなくなってしまった。ということは、ある意味で、私の𝕏もまたオワコンになってしまったということだろう。たしかに私のようなポストはあまり面白くはないし拡散する内容でもないのだろう。昔はこうだったという話ではないが、昔は内容空っぽのツイートが多く、良
ある人が、ある地域の老人達は、漬物と病気と孫の話しかしないと嘆いていた。まあ、そんなもんなのかもしれない。大抵、そこまで生きてきた老人たちだろうから、ある程度、老後の安定は確保できてはいるだろう。そこで、そういう話にもなるのではないか。ちなみに、老人でな
やはりというか何と言うか誰も読んでいないようだ😅。まあ、復活劇というのは、そんなものなのかも知れないが、なんとも侘しいかぎりである。しかし、やめると宣言しないと宣言しておきながら、今度は、8月3日のTwitter(現𝕏)のアカウント開設16周年が区切りが良いのでま
というのが可能な時代になったと感じる。私はChatGPTとGeminiの両方を使っているのでAIと表記している感じだ。先行研究も論文ファイルをアップすればまとめてくれるし、こちらの考えを入れていけば論文の章構成も考え出してくれる。また、この発想は原文から許容できるかどう
2025年7月
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