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廿日市鋳物師の鋳造作品⑤-浄教寺の梵鐘
廿日市で中世から江戸期に鋳造活動をしていた鋳物師の現存作品を紹介しよう。広島市西区草津本町にある浄教寺の鐘楼門に架けられている梵鐘で、狭い鐘楼内で画像が撮りづらかった。刻銘によると享保元年(1716)に山田治右衛門貞能が鋳造しており、中帯下段には唐草文様が抽出されている。廿日市鋳物師の鋳造作品⑤-浄教寺の梵鐘
2024/08/31 07:00
廿日市鋳物師の鋳造作品④-善行寺の喚鐘
廿日市で中世から江戸期に鋳造活動をしていた鋳物師の現存作品を紹介しよう。三原市幸崎能地地区にある善行寺の本堂に架けられている喚鐘で、刻銘によると延享3年(1746)に山田次右衛門貞幹が鋳造している。草の間には唐草のくずし文様が鋳出されている。廿日市鋳物師の鋳造作品④-善行寺の喚鐘
2024/08/30 07:00
廿日市鋳物師の鋳造作品③-多田八幡神社の鰐口
廿日市で中世から江戸期に鋳造活動をしていた鋳物師の現存作品を紹介しよう。広島市佐伯区湯来町の多田地区にある多田八幡神社の鰐口で、寛保2年(1742)8月に上多田四原総氏子中が寄進している。冶工は廿日市山田氏と鋳出されているので、当時の鋳物師山田次右衛門貞幹が鋳造したものとみられる。廿日市鋳物師の鋳造作品③-多田八幡神社の鰐口
2024/08/29 07:00
ならず者御用だ!
先日、田んぼの防護柵を壊してならず者が田んぼの中を歩き回っていた。まだ稲の穂が出たばかりであり稲の被害はなかったがもう少し実ってくると大変だ。一昨日捕獲檻のセットをして貰いならず者を御用とした。6月以降この場所での捕獲は7匹目であり吉野山には多く生息しているものだ。ならず者御用だ!
2024/08/28 07:00
廿日市鋳物師の鋳造作品②-善徳の梵鐘
廿日市で中世から江戸期に鋳造活動をしていた鋳物師の現存作品を紹介しよう。広島市安佐北区深川2丁目にある善徳寺の鐘楼に架けられている梵鐘で、寛永11年(1634)7月に広島市中区の白神神社の鐘として山田次右衛門尉が鋳造したものである。どのような経緯で当寺に移ったのかは定かでない。梵鐘の中帯上部には仏型座像と中帯下部には蓮弁のくずし文が鋳出されている。廿日市鋳物師の鋳造作品②-善徳の梵鐘
2024/08/27 07:00
橋本辻地蔵
昨日紹介した辻地蔵がある橋本はかつて石州往還道と山縣道が分岐する交通の要所で賑わっていたところである。辻地蔵はかつて道路向い側にあり、地蔵の基礎石には「是ヨリ右山縣道左石州道」とある。江戸期には『原で橋本田舎で名所、出馬入馬市がたつ』と唄われるほどの賑わいであったようで、昭和中頃まで役場、郵便局、農協、商店、医院、駐在所、理髪店、鍛冶屋などあったが今や商店一軒のみで閑散としている。橋本辻地蔵
2024/08/26 07:00
橋本辻地蔵まつり
昨日は原地区にある橋本辻地蔵の地蔵まつりが近所の人達で行われた。当ブログ主が子供の頃、地蔵まつりは原村の一大イベントで盆踊りや子供相撲などが行われ、一番の楽しみは麦藁クジで、麦藁クジは小さく小切った麦藁の中に当たりクジが入っていたものであった。最終のバスが通った後に道路一杯に麦藁が撒かれ一斉に我先にと搔き集めて当たりクジを探すもので、当たりクジがあれば生活用品が貰えていた。橋本辻地蔵まつり
2024/08/25 07:00
インドの国民車アンバサダーが!
先日紹介した蓮台寺の境内にレトロな車が置かれて「アンバサダー釈CARしゃ(インドの車)」と表示してあった。Wikipediaによるとヒンドゥスタン・アンバサダーはインドのヒンドゥスタン・モーターズが1958年から2014年まで生産した自動車で、インドの国民車として生産されていたようである。インドの国民車アンバサダーが!
2024/08/24 07:00
疥癬病発症のキツネか?
家の周りを見たことがないような小動物がうろついていた。孫が画像を撮って何かと検索してくれたがすぐには分からなかった。夏休みで博多から来ている孫たちは携帯ばっかりいらっており何をしに来たのかと昭和初期人間は・・・しかし、色々と調べてくれ疥癬病を発症しているキツネではなかろうかと教えてくれた。疥癬病発症のキツネか?
2024/08/23 07:00
瑜伽大権現―「蓮台寺」・由加神社
瑜伽大権現は明治期の神仏分離令により由加神社と蓮台寺に分離されているが、山内の広くに蓮台寺の施設が散在しておりその中に由加神社の境内があり、神仏混合の瑜伽大権現時代の名残りである。客殿は本瓦葺裳階付入母屋造の堂々たる建造物で県の重文に指定されているようであり、多宝塔は県内最大の規模のようで県の重文に指定されている。瑜伽大権現―「蓮台寺」・由加神社
2024/08/22 07:00
瑜伽大権現―「由加神社」・蓮台寺
以前に権現山頂の廃瑜伽祠について記し、江戸期の地誌に「此祠、備前児島に移すといひ伝ふ」とあったので、児島地区にある瑜伽大権現(由加神社・蓮台寺)まで足を延ばした。由加山は古くから磐座信仰が行われ、瑜伽大権現と呼ばれ神仏習合の山であったようである。由加神社の鳥居は珍しい備前焼の鳥居であり、狛犬も熊野神社と同じような備前焼のものであった。本宮本殿は県の重文に指定されているようであり、本殿脇には磐座信仰が行われていた巨岩がみられる。瑜伽大権現―「由加神社」・蓮台寺
2024/08/21 07:00
五流尊瀧院
三重塔梵鐘後鳥羽上皇御影塔後庵室五流尊瀧院は修験道の寺院で昨日紹介した熊野神社は明治時代の神仏分離令により十二社権現が熊野神社として祀られたようである。三重塔は文政3年(1820)に建立されたようで県の重文に指定されており、鐘楼に架けられている梵鐘は康正3年(1457)に鋳造されたようで県の重文に指定されている。後鳥羽上皇御影塔は仁治元年(1240)に亡くなった後鳥羽上皇の供養のために建立されたようで国指定重要文化財に指定されている。五流尊瀧院
2024/08/20 07:00
熊野神社
昨日は孫娘の運転する車に便乗し倉敷美観地区からは車を借りて別行動で、林地区にある熊野神社に久しぶりに参詣した。備前焼に近い地であり備前焼の狛犬に出迎えられた。社殿は第一殿から第六殿まであるが現在第四殿は修復工事中であった。熊野神社
2024/08/19 09:33
廿日市鋳物師の鋳造作品①-誓光寺の梵鐘
廿日市で中世から江戸期に鋳造活動をしていた鋳物師の現存作品を紹介しよう。呉市吉浦中町にある誓光寺の鐘楼に吊り下げられている梵鐘は貞享5年(1688)に山田貞栄が鋳造している。銘文によると広島金屋町の長安寺に寄進されていたようであるが、どのような経緯で当寺に移されたのかは定かでない。この梵鐘は呉市の有形文化財に指定されている。廿日市鋳物師の鋳造作品①-誓光寺の梵鐘
2024/08/18 07:00
広島はつかいち大橋の今
時折紹介している臨港道路廿日市草津線の広島はつかいち大橋の下り線側海上部橋桁架設工事の昨日の進捗状況である。看板表示によると来年4月14日までの工事のようである。工事名は「国際拠点港湾広島港臨港道路廿日市草津線広島はつかいち大橋海上部上部工工事」と表示してあった。広島はつかいち大橋の今
2024/08/17 07:01
平良丘陵開発の今
田んぼの水廻りを兼ねた早朝ウォーキングで、宮島サービスエリアの展望所に行き平良丘陵開発の用地を展望した。西側の用地内では仮設の建物が建築中のようであり、その向こう側では市道堂垣内広池山線の工事が行われていた。工事ケ所北側入口に掲示されている看板によると、どの範囲かは分からないが工期は来年3月末のようである。平良丘陵開発の今
2024/08/16 07:00
掘削機器が勢揃い
田んぼの水廻りを兼ねた早朝ウォーキングで、宮島サービスエリアの展望所に行き平良丘陵開発の用地を展望した。用地内では盆休みのために多くの掘削機器や先日紹介した大型ダンプカーなどが勢揃いしていた。掘削機器が勢揃い
2024/08/15 07:00
遊びの菜園-陸稲・陸植2代目黒米の今
陸稲の苗と古代米の陸植2代目黒米の苗を畑に植えてみた現在で、右側は陸稲、左側は陸植2代目黒米である。黒米は本来水田に植えるものなのであるが陸植2代目黒米は画像のような状態であり、籾は取れないかもしれない。手間暇かけてこれらがどのように育っていくのかまさに遊びの菜園である。遊びの菜園-陸稲・陸植2代目黒米の今
2024/08/14 07:00
河野原大歳神社の今
取り壊し前先日、上平良地区にある河野原大歳神社の拝殿が取り壊されたことを紹介した。ウォーキング途中に訪れてみると本殿上に仮設的な覆屋が設けられていた。少ない氏子でありこれが存続していく限度のようである。河野原大歳神社の今
2024/08/13 16:06
取壊し前先日上平良地区にある河野原大歳神社の拝殿が老朽化により取り壊されていたことを紹介した。ウォーキング途中訪れてみると本殿の上に仮設的な覆い屋根が設けられていた。少ない氏子で守っていくのはこれが限度のようである。河野原大歳神社の今
2024/08/13 07:00
トッピン―肉桂水
昨日ラムネ瓶を紹介したが懐かしい飲み物で、画像のような肉桂水は今でもあるのだろうか。子供の頃トッピンと言っていたが催し物か町に出た時しか飲むことはなかった。当時瓶の蓋はコルク栓であったが後にアルミ蓋となったようである。左側はハタ鉱泉㈱のニッキ水、中央はオーパイ㈱のニッケ水の空瓶、右側は四国明治飲料㈱のニッキ水である。トッピン―肉桂水
2024/08/12 07:00
ラムネ瓶のいろいろ
酷暑が続いており、呉市の飲料メーカーではラムネの生産が最盛期を迎えていると新聞、テレビで報道されていた。当ブログ主が子供のころはなかなか飲ませて貰えるものではなかった。中に入っているガラス玉が不思議でほしかったのを思い出した。上画像の右側は昔のリサイクル瓶で、左側は「¬吉ラムネ製造所、山崎商店」と浮文字があり専用のリサイクル瓶だったようである。時代が下がると下画像のように上部がプラスチック製となっているのである。ラムネ瓶のいろいろ
2024/08/11 07:00
消滅した蔵飾り
ウォーキング途中にあった民家が取り壊されて土蔵に施されていた蔵飾りも消滅した。屋敷側の蔵飾りは牛に袋みたいなものを乗せ金太郎が籠を背負いあぐらを組んでいる像であった。反対側は宝貴祈願の福袋が表されていたのであるが・・・通常は鏝絵と称されているが蔵に施されているものを当ブログ主は蔵飾りと称している。消滅した蔵飾り
2024/08/10 07:00
蔵飾り―那須の与市
ウォーキング途中にある民家の土蔵に施された蔵飾りで、道路側は弓の名手那須の与市が扇の的を射落とす様子を表した像が施されている。屋敷側は見ることが出来ないが以前に拝見させてもらった時の画像で、祝福芸能である萬歳を表しており、太夫が扇をかざして祝言を唱え才蔵が小鼓を打っている像である。通常は鏝絵と称されているが蔵に施されているものを当ブログ主は蔵飾りと称している。蔵飾り―那須の与市
2024/08/09 07:00
蔵飾り―恵比寿
ウォーキング途中にある民家の土蔵に施された蔵飾りで、道路側は鯛乗り恵比寿が表されている。屋敷側は見ることが出来ないが以前に拝見させてもらった時の画像で、犬が福袋を引っ張っている像である。通常は鏝絵と称されているが蔵に施されているものを当ブログ主は蔵飾りと称している。蔵飾り―恵比寿
2024/08/08 07:00
謎の石燈籠
速谷神社境内の儀式殿前に建立されている石燈籠は、萬治3年(1660)に奉納されたもので境内に建立されている石燈籠の内で一番古いものである。江戸期に奉納された石燈籠はすべて地元の住人によるものであるが、この石燈籠は刻銘に「肥前国松浦平戸住人、谷川助左衛門尉成勝」とある。谷川助左衛門は長年平戸町の町役人や町年寄などを務めていた有力町人であったが、遠く離れた地の住人がどのような経緯で当神社に寄進したものであろうか・・・謎の石燈籠
2024/08/07 07:00
盆燈籠の習俗
高松市地域高松市地域高松市地域丸亀市地域丸亀市地域昨日盆燈籠を作ったことを紹介したが、このようなカラフルな盆燈籠の習俗は浄土真宗の安芸門徒を中心に現在は他宗派でも行われている。他地方での盆燈籠の習俗については数年前に訪れた讃岐地方でみかけたもので、上画像は高松市と周辺地域、下画像は丸亀市地域でみられたもので地域によって盆燈籠形状が異なっていた。盆燈籠の習俗
2024/08/06 07:00
盆燈籠作り
昨日紹介した燈籠の骨組みに張り付けたり、取り付けたりする各パーツを燈籠紙を使って作っていく。燈籠各面に貼る長三角形の燈籠紙、六角形の頂部に取り付ける飾り房などを順次張り付けて完成となるのである。長三角形の燈籠紙は一ケ所だけ下半分は糊付けしないのである。昔は漏斗型の下部にナスやキュウリのへた等を置いてローソクを立てており、ここから火をつけていたのである。盆燈籠作り
2024/08/05 07:00
盆燈籠作りー骨組み
盆が近くなったので毎年作っている盆燈籠の下準備で、竹藪から切り取った篠竹の根元部を六つ割にする。六つ割の上部に六角枠を入れ込む割れ目を入れる。竹ひごをロウソクの火で炙り六角に折り曲げて六角枠をつくり、割れ目にはめ込んで燈籠の骨組みが出来上がるのである。盆燈籠作りー骨組み
2024/08/04 07:00
後畑河内神社
先日、後畑河内神社の鳥居と天然記念物指定の巨樹を紹介したが、昭和57年(1982)に祠堂調査を行った時に御神体を拝見させて頂いた。神仏習合時代の名残りで薬師如来像と随身像が祀られていた。後畑河内神社
2024/08/03 07:00
巨大起重機船「駿河」
先日来紹介してきた広島はつかいち大橋の橋桁架設には巨大な起重機船によって行われた。起重機船は深田サルベージ建設の「駿河」で、主巻定格荷重2200tのようである。このような巨大な起重機船を見ることはほとんどないが次はどこに行くのであろうか・・・巨大起重機船「駿河」
2024/08/02 07:00
時折紹介している臨港道路廿日市草津線の広島はつかいち大橋の下り線側海上部橋桁架設工事の昨日の進捗状況である。廿日市市側の橋桁第5ブロックの架設は先日紹介したが、昨日の午前中、廿日市市側最後の橋桁第6ブロックが起重機船により橋脚上に吊り降ろされていた。これで全架橋となったのである。広島はつかいち大橋の今
2024/08/01 07:00
2024年8月 (1件〜100件)
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