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smgrh1992
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2005/09/15

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  • 般若経典のエッセンスを語る――六波羅蜜にあって八正道にはない「布施」

    強調点がぼやけてしまっているので、この前の部分では特に慈悲に関わる誓願の話に強調を置いて述べたが、次には、やはり空・智慧の基礎づけがなければ慈悲は大乗の慈悲にならないことを述べていく。「大乗」はサンスクリット語で「マハーヤーナ」という。「マハー」は「大きい」、「ヤーナ」は「乗り物」という意味で、音を漢字に移して「摩訶衍(まかえん)」となっている。日本語では「えん」と読むが、かつては「ヤーナ」に近い中国語の発音だったのだろう。一般的な仏教知識では、大乗はそれ以前の派を「小乗(ヒナヤーナ)」と呼んで全面的に批判・否定しているかのように語られることが多く、正直なところ筆者も般若経典をしっかり読み込むまでは、何となくそういうふうに思ってきた。しかし、以下は、大乗がそれ以前の部派仏教(小乗)をただ否定するのではなく...般若経典のエッセンスを語る――六波羅蜜にあって八正道にはない「布施」

  • 般若経典のエッセンスを語る47――智慧と慈悲のバランスを

    最初のほうで、大乗仏教は一言で言ってしまうと「智慧と慈悲」であること、そして智慧は空・一如に裏づけられていることを述べた。日本では明治以降、もっとも典型的には京都大学の哲学科の主任であった西田幾多郎が、坐禅の実践をベースにした思索によって、西洋の哲学の概念と、禅の空いわば東洋を、ひとつの哲学に統合して体系づけるという仕事をした。西田の最初のまとまった著作は『善の研究』であり、それ以後の著作も含め次第に日本の知識人・教養人たちの教養書・基本図書になっていった。そのように、日本の仏教に関する文化全体の中核の一つに京都学派宗教哲学があり、その源泉に西田幾多郎という人物がいて、さらにその背後に臨済禅がある。そこでなされた「無」や「空」という概念の哲学的な詮索、およびそこから出てくるさまざまな文化的なムードがあった...般若経典のエッセンスを語る47――智慧と慈悲のバランスを

  • 般若経典のエッセンスを語る46――「四弘誓願」+仏国土建設という理想

    さて最後に、かつて本ブログでも書いたが、改めて「四弘誓願(しぐせいがん」について書いておきたい。『大般若経』で三十一項目にもわたって述べられた菩薩の誓願を、中国の天台宗を開いた天台大師智顗(ちぎ)は主著『摩訶止観(まかしかん)』の中で四つにまとめていて、「四弘誓願」という。「大変広い四つの誓願」という意味で、なぜ「弘・広い」のかと言うと、私だけではなくてすべての衆生に関わるものだからである。日本仏教では古くから天台宗だけではなく多くの宗派で、この「四弘誓願」が唱えられてきたようである。派によって言葉は少し違うようだが、以下、臨済宗で用いられているテキストをあげる。衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)仏道無上誓...般若経典のエッセンスを語る46――「四弘誓願」+仏国土建設という理想

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伝えたい!いのちの意味―岡野守也の公開授業+α
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