●第十章権力と威信と所有物獲得への努力p148不安への防御を得るための手段として、情愛獲得の努力がしばしば用いられる。しかし、権力と威信と所有物獲得への努力も、同じ目的のために用いられる。・・・情愛の獲得は、他人との接触を強化することによって、安全を手に入れるが、権力・威信・所有物獲得への努力は、他人との接触を弱め、自己の立場を強化することで、安全を得ようとするものである。P149力への神経症的な努力は、不安と憎悪と劣等感から生まれる。定言的な言い方をすれば力への正常な努力は強さから生まれ、神経症的な努力は弱さから生まれる。p150これらの目標への努力を生み出す諸条件が何であるかを調べてゆくと、この努力が、普通、情愛の獲得によって不安から身を守ることが不可能だと分かった後に、始まることがわかる。P152権力への...現代の神経症的人格3
●第七章情愛への神経症的要求の他の特徴P102-103情愛への神経症的要求に認められる特徴の第一は、強迫性である。・・・簡単な言い方をすれば、これは、神経症的な人間いとって、情愛の獲得が、ぜいたくでもなければ、新たな力や喜びの源泉でもなく、生きるための必要条件なのだということである。この違いは、「私は愛されることを望み、愛されることを楽しむ」というのと、「どんなことをしてでも私は愛されねばならないImustbelovedatanycost」というのとの違いである。p103神経症的な人々は、彼らの存在と幸福と安全とが、すべての人に好かれることにかかっているかのように感じ、行動する。p104独りになると何となく気持ちが落ち着かず、居心地が悪いという程度から、ひどい恐怖をかんじるところまで、程度に差異こそあるが、いず...現代の神経症的人格2
現代の神経症的人格/ホーナイ[著];我妻洋訳.-東京:誠信書房,1973.TheneuroticpersonalityofourtimeKarenhorney●まえがきp私の関心の対象は、特定の神経症ではなく、その現れ方に差異はあっても、現代の神経症的な人物のほとんどすべてに共通に認められる性格構造の考察であった。p-p・・・後年の反応を幼少期の反応の反復にすぎないとみなすのは、正しくないと考えている。幼少期の体験と後年の葛藤との関係は、単純な因果関係を主張する精神分析が考えているより、はるかに複雑であることを私は明らかにしてみたい。p後年の障害は、幼少期の体験だけによって生じるわけではないのである。神経症が偶然的な個人の体験によってのみ生ずるのではなく、われわれが住んでいる特定の文化の条件によってもひ...現代の神経症的人格
p248-249彼女たちにとって、性交渉がいかに重要であるかは、彼女たちの様々な行動の中に常に一巻して、性交渉をもつ可能性をたえず確保しておこうという努力が認められることからも理解できる。こうした努力は、売春婦になるという空想と、結婚したいという願望と、男になりたい欲求という三つの形をとる。この三つは本来はまったく異質のものであるが、根本的な動機が共通しているために、かわるがわる生じるのである。というのは、売春婦になるという空想と結婚願望は、いつでも男を手に入れられる状態にいたいという願いが表れているし、男でありたい願望、あるいは男に対する憤りは、男はいつでも好きな時に性交渉をもてるという考えからきている。p252-253彼女たちは、女性としての自分がうけた侮辱に駆り立てられて、時には直接的に、また時には間接的...女性の心理その2
女性の心理/ホーナイ[著];安田一郎,我妻洋,佐々木譲訳.-東京:誠信書房,1982.6.-(ホーナイ全集/ホーナイ[著];我妻洋,安田一郎編;第1巻).p29あらゆる学問やあらゆる評価のように、女性の心理もこれまで男性の立場からだけ見られた。男性のこの支配的地位のために、女性に対する男性の主観的な感情関係は客観的な妥当性を獲得した。実際デリウスによると、女性の真理は、男性の願望と幻滅の沈殿物であった。p29女性は男性の願望に自分を合わせ、自分の適応が自分の本質だと思った。つまり、男性の意志が自分に要求するとおりに、自分自身を満たし、見ている。あるいは、無意識的に男性の思考の暗示にかかった。p220-221今日女性が自分の能力を思いのままに発揮しようとすれば、外部からの反対と戦い、同時に女を性的存在としてしか認...女性の心理
今日の読書。「心の葛藤」心の葛藤/ホーナイ[著];我妻洋,佐々木譲訳.-東京:誠信書房,1981.3.-(ホーナイ全集/ホーナイ[著];我妻洋,安田一郎編;第5巻).OurinnerconflictsP24人々のほうに動く、人々に対して動く、人々から離れるという三種の主要な道筋人々の方に動く場合、子どもは自分自身の無力さを受け入れ、他人に対して疎隔感や恐れを抱きながらも、他にの情愛を獲得することに勤め、他人に頼ろうとする。そうすることによって、子どもは他人と一緒にいることに安心感を抱ける。M沿い家庭内に対立があれば、子どもは一番力の強い家族員かグループの側につく。彼らに追従することによって所属感や被指示感が得られ、自己の弱小感と孤独感が軽減される。人々に対して動く時、子どもは周囲からの敵意を当然ことと考えて受け...心の葛藤
一番最初に読んだホーナイの本。この本に出会えてよかった。神経症と人間の成長/ホーナイ[著];榎本譲,丹治竜郎訳.-東京:誠信書房,1998.6.-(ホーナイ全集/ホーナイ[著];我妻洋,安田一郎編;第6巻).P202キルケゴールによれば、自己の喪失とは、「死に至る病」であり、絶望である。それは自己の存在を意識できないことに対する絶望であり、あるいは、自分自身であろうという意志をもてないことへの絶望である。P203この疎外は同じく強迫的な過程を通じて拡大するが、これは真の自己から離れ去ろうとする能動的な動きとして記述できる。・・・神経症者は自分が感じるべきものを感じ、望むべきものを望み、好むべきものを好む。言い換えれば、「べき」という欲動の専制によって、現在の自分とは異なった何かに向かって、あるいは自分が持つ可能...神経症と人間の成長
今日の読書。「精神分析とは何か」すっごい難しい。精神分析とは何か/ホーナイ[著];我妻洋,川口茂雄,西上裕司訳.-東京:誠信書房,1976.-(ホーナイ全集/ホーナイ[著];我妻洋,安田一郎編;第7巻).p12精神分析はもともと、治療方法としてはじめられたものであって、正しく用いられれば、最初から心の苦痛を和らげる過程として、継続的に効果を持つ。医者が患者を「統合」することなど決してないのであって、寧ろ患者が神経症的混乱から自己を解放するようになると同時に、彼自身の内部の建設的な力が働きだして、彼を人間として成長せしめるのである。p13経験豊かな分析医は、助言したり、教えようとはしない。彼の意図は、患者に自己表出を促し、心を次第に開かせ、それを通して患者が、自分が実際にどんな生活を送っているかを理解し、感じ取れ...精神分析とは何か
今日の読書。「精神分析の新しい道」。意味のある箇所を抜粋する。精神分析の新しい道/ホーナイ[著];安田一郎訳.-東京:誠信書房,1972.6.-(ホーナイ全集/ホーナイ[著];我妻洋,安田一郎編;第3巻).p65フロイトは、神経症患者の抵抗できないくらい強い欲求を本能とみなし、環境の影響は本能的な欲動に空間的な形式と強さを与えるだけだと考えた。これに対して、私が上に概略述べた概念によると、これらの欲求は、本能的なものではなくて、困難な環境をうまく処理したいという子供の欲求から成長したものだ。フロイトは、この欲求の強さを基本的・本能的な力のせいにした。ところが私は、この欲求の力が強いのは、この欲求が、その人に安全だという感じを与える唯一の手段だからだと考えている。p71私の経験によると、両親に対するよ幼児性の愛着...精神分析の新しい道
<参考文献>・日本語以外の言語で原著が書かれている文献で、日本語訳のみを参照した場合は日本語のタイトルのみ、日本語訳と原著を参照した場合は、双方を記してある。・本論のなかで記されている引用文が、必ずしも邦訳の通りであるとは限らない。JudithLewisHermanTraumaandrecovery1992(中井久夫訳『心的外傷と回復』増補版みすず書房、1999)p.140KarenHorneyTheneuroticpersonalityofourtime1937(我妻洋訳『現代の神経症的人格』誠信書房、1973)KarenHorneyOurinnerconflicts1945(我妻洋、佐々木譲訳『心の葛藤』誠信書房、1981)KarenHorneyNeurosisandhumangrowth1950(榎本譲、...参考文献
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