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私たちはみな、同じ一つの世界に住むと、誰もが考えている。 だがしかし、本当は、それはそうではない。 あなたの住む世界と、私の住む世界は違う。共通に見えてはいても、住んでいる部分が――見えている部分が違うのだ。ましてや遠い異国の、見知らぬ民族同士であれば
世界は変わらないと言う。どう頑張っても、変えようがないと思っている。 それは私たちの、外側にあるもの。 不可塑な石質の素材で出来上がった、何か堅固な牢獄ひとやのようなものであると。―― もちろん自然世界は、冷厳たる物理の法則で、自律的に動いている。私たち
AIが人間並みの知性を持つようになると言われる。 知性であるからには認識する。 ではそのとき、そのAIには、世界はどのように見えているのか? 私たちは自分の身体からの類推で、物質世界をとらえている。 自分の身体に似たものが物質であり、実在である。そうでな
私たちは誰もが、神々が記しるした、台本通りの生を生きる。 もちろんこの場合の「神」とは、けっして〇〇教と呼ばれるような、宗教たちの説く神ではない。 それはただ、宇宙のすべてをかつて創り、現在いまも動かし続ける根本の原理――あくまでも仮に、その名を神と呼
物質世界は、物理の法則が統べている。 そこには原因と結果の、一対一の対応がある。 一つの原因は必ず、たった一つの結果を生む。 あるいは一つの原因のセットには、たった一つの、結果のセットが対応する。 原因となるある状況が、次の瞬間に、結果となる新しい状況
先日NHKの『笑わない数学』という番組で、こんな数式が紹介されていた。 1+2+3+4+・・・=-1/12 ナビゲーター役のお笑い芸人が、絶叫していた。「どんどん大きくなる数を、無限に足し合わせていったら、とんでもなく大きな数になるはずだろ! なんでマイナスになるの?
なぜ情報は「光よりも速く伝わる」か――アインシュタインの誤謬
最近科学の分野で、「量子もつれ」という言葉をよく耳にする。 中途までは、このサイトの受け売りである。 いわく、粒子が互いに「量子もつれ」の状態にあるとき。 たとえば観測によって、粒子Aが赤であることが判明すると、粒子Bは青になる。 粒子Aが青であれば、粒
「ゼノン」と「クレタ人」の話をしたから、同じ論理系のテーマで「モンティ・ホール問題」に触れてみたい。 かつてアメリカの人気クイズ番組で、クイズで正解を重ねた挑戦者が、賞品獲得のために最後に挑むのが「3択の扉」というゲームだった。 「モンティ・ホール」とは
(話は前回から続く) 「ゼノン」にしても「クレタ人」にしても、微妙な言葉遣いによって印象を操作する、手際は共通である。 当然のことながら、詐欺師が金を巻き上げるときにも、しばしば用いられる手法なので心されたい。 だがとりわけ、論戦のときの武器として、こい
(話は前回から続く) さて、応用問題です。 ゼノンではないが、同じくらい有名な詭弁に「クレタ人は嘘つきだ」がある。 話は以下のように展開する。 * ――あるクレタ人が「クレタ人は嘘つきだ」と言ったとする。 もしその発言通り、 クレタ人が嘘つきだと
「ゼノンの逆理」と呼ばれる、一連のパラドックスがある。「アキレスと亀」「止まっている矢」などが有名だが、実はいずれも同工異曲なので、今回は「二分法」を取り上げてみたい。 その主旨は、以下のようなものである。「陸上のトラックで、ある競技者がゴールに向かっ
alternative fact という英語をご存じだろうか? これもまた、日本語にはしづらい言葉である。alternative 「代用の」だから、「代替的事実」などと訳されるが、それでは意味不明だ。 大ざっぱに言えば、「事実の代わりになるもの」「真実もどき」というような意味合い
(話は前回から続く) だとしたらもし帰る地図を、帰る船を、再び手にすることができたら、―― * もう一つ、頭の体操をしてみよう。 現在いまのこの、世界を照らし出す光。私たちを映す光。地球が放った光は、宇宙を旅して進んでいく。 今からちょうど1年後
私たちが亡くした者。そして悼む者。 たがしかし、本当は誰一人、死んでなどいないのだ。 * 一つ頭の体操をしてみよう。 一本の、無限に延びる直線があるとする。1次元の世界である。 その直線が無数に寄り集まって、面を作る。2本の座標の軸を持つ、2次
(話は前回から続く) * 地球も太陽も、共通の重心を中心として回っている―― 上記の議論をもって、天動説に言い及ぶ者もいる。 だが私が前項で論じたものは、それとは違う。まったく別の問題――座標設定の問題である。 この世界の事象を――その位置や動き
(話は前回から続く) 同じ議論は、地球と太陽の関係にも、当てはめることができる。 * 地球が太陽の周りを回る、と言う。「太陽の方は止まっていて、地球がその引力に振り回されて、公転するのだ」(a)と。 さてここでもまた、同じ思考実験をやってみよう。
思考法についての、アドバイスが一つある。 もっとも極端な場合を想定することで、物事の本質が見えてくる、というものだ。 日常の、普通の事例の場合、あまりにも雑多な要素が絡み合っていて、純粋な論理の骨組みが見えてこない。 そんな不純物を排除するためにも
地球の方が、太陽の周りを回っているのです、と小学校で習う。 そんなことも知らなかった、昔の人の愚かさを笑う。 だがその実、間違っているのは、あなたの方かもしれない。 そうして鬼の首でも取ったように、得意がるとき。あなたは、太陽が動くと信じて疑わなかっ
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