2025年3月30日(四旬節第4主日)「変容したもう主イエス」
2025年3月30日(四旬節第4主日)14:00東濃3教会合同・坂下教会消火礼拝マタイによる福音書17章1節~13節「変容したもう主イエス」 事前黙想 「キリストの変容」の出来事を、どこまでも合理的な解釈をしないと気がすまない人々は、教会が後のキリストの復活体との出会いを、主イエスの生前の出来事として物語化して伝承したのではないかなどと、自己の理性の限界内におさめようとする。 しかし、わたしは、主イエスが「まことの神」でありたもうという現実を、繰り返して無理解を重ねてきた弟子たちが、それでも繰り返し神の奇跡を経験せしめられてきたのであるから、それにもかかわらず、なおも重ねて物語を創作する必要が…
2024年3月23日 (四旬節第3主日) 〈受難の予告〉 マタイ 16:13~28、 詩編 86:5~10 黙想 サタンの視点、「キリストは決して殺されてはなりません
黙想 サタンの視点、「キリストは決して殺されてはなりません」 ペトロの信仰告白を、主イエスは「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」と、信仰は人のわざではなく、天与の賜物だと、祝福されます(幸いだ) ところが、ペトロの信仰告白を祝福した直後から、主はご自身の受難の予告をかたり始めるのでした。 「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。」 ペトロの信仰告白は、主イエスが「だれであるか」という事柄に…
2024年3月16日 (四旬節第2主日)マタイによる福音書12章22節~32節 ベルゼブル論争
ベルゼブル論争について触発される黙想 以下は、キリストを主と信ずる人に向けてのブログからの引用です。 yakedake2455.exblog.jp 本日の黙想はベルゼブル論争と言われる有名な箇所です。 主イエスが弱き人々の病を癒し、障害を取り除き、悪霊を追放するみわざを行うと、パリサイ人らは、それは「悪霊の頭ベルゼブルによるものだ」と断定して、中傷しました。 パリサイ人が、主イエスを攻撃する材料として、主イエスの行われる奇跡に対して、その解釈、意味づけを、そのようにしたことは、ある意味で当然だったことでしょう。 しかし、彼らの内心は、決して主イエスへの敵意・憎悪で一色だった訳でもなかっただろう…
「ブログリーダー」を活用して、JOSHUAさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。