中世大内氏の人々、ゆかりの地についてのサイトです。全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者の資格をもつミルが、公的機関の発信情報、信頼のおける書籍を参照に、自ら現地に赴いて書いています。
二十一代当主・弘家の子。後醍醐天皇の倒幕からずっと足利尊氏を支持。南北分裂でも武家方につき、家中一の実力者として、幕府から周防守護に任命された。惣領家を凌ぐ勢いだったが、死後にその子・弘直は大内弘世に
応仁の乱が勃発した際、当主・政弘の留守中に、分国で叛乱を起こし、家督を簒奪しようとした伯父。救国の英雄・陶弘護の前に敗れ去った。九州に逃れて再起を図ったが、態勢を立て直すいとまもなく、自害に追い込まれ
大内氏の氏寺・興隆寺は天台宗寺院です。神仏習合の時代、天台宗と日吉神社は密接に結びついていました。現在はそれぞれ別々の寺院と神社ですが。昔の姿を知っておかないと、中世のことはわかりません。そうは言って
祇園祭で有名な八坂神社。御祭神は素戔嗚尊。かつて素戔嗚尊と習合していた異国の神さまがいました。牛頭天王です。明治以降、祇園社は八坂神社となりました。牛頭天王は神社から姿を消しました。いったいどんな神さ
熊野権現と熊野信仰について。修験道の霊場から、極楽往生をかなえてくれる場所へと変化。法皇、上皇から皇族・貴族がこぞって訪れる聖地へと変貌。貴族たちの没落により、武士や庶民が目指す浄土へ。そしてやがては
「ブログリーダー」を活用して、ミル@周防山口館さんをフォローしませんか?