ユーさんのブログが再開して嬉しい。絶対界の転記は終わった。もうブログに書くべきことも無いけれど、一つあるとすれば 言霊と未知日記 この二つを合わせて見た視点 未知日記にも言霊について語られている。 元々コトタマノマナビの分からない部分を模索中に未知日記に出会いすっかり没頭し...
無気学を研究せば迷信妄信は悉く排除することを得るなり。有気学のみにては往々間違いを生ず。されど無始終霊子より研究するならば、無気学有気学共に同一歩調を辿るものにて誤つものにあらず。中途因果の法則を旨とし居る諸子の世界なるが故に、甲論乙駁絶ることあらざるなり。絶対性原理とは即...
今や慈音はこの無気の教へをうけて盛に研究なし居るにて、有気の原理は既にきはめ尽しての後なるが故に、彼は無気に対して日夜工夫もし行じ居るなり。無機の原理を把握してそれによつてすべてにあたらば、決して暗黒の世界にふみ迷ふものにあらず。盲者の慈音に於てすら行ずればかく迄進み得る具...
例へばここに大なる地震をこりて多くの被害をあたへたる時、その後に至つて研究すとも其は後の備へのために計る方法となるに依つて、所謂葬式すんでの医者ばなしとなるにすぎざらん。是を順に研究するならば、地震の発生せざる以前に予知する方法を講じをかば、災害をまぬがれ得る事は誰も異論の...
諸子の言葉に去る者は日々に疎しと云ふあらん。その言葉の如く有気が次第々々に去り行けば、軈ては無気に化せられる事の意味なりとして考究し見よ。有気の中に含まれ居る無気の力は、ものを遠ざける方向に向ひ居る如く感ぜられるならん。然りとせば有気のはたらきより無気のはたらきが、何れを大...
未知日記前巻自在論に於て語りをきたる如く光源体性気源体性なるもの、即ち、是等も帰するところは気に他ならず。光源と云ふも気なり。然らば光源は如何なる気に属するやと云ふに、諸子の考へにては肉眼に映る光は光気と思ふならん。肉眼に見ゆる光は、気によつてすでに実在化なしたるものにて、...
我今欣情慈音に対して注意することあり。汝等舜策故人に対する質問は余りに必要ならざることを聞き居る事は悪し。日々生活に於て己自らが修養の糧となるべき方向に向かつて、質問し其によつて己が徳をつむことに努力せよ。斯ることは気に対して重大なる事柄なるによつて注意なしをくものなり。空...
魂の気によつて相手方の精神状態を鑑別し、其によつて適宜の処置をなすは、霊気の任務なるが故なり。例へば相手方の性質を、魂によつてさとり得たらば、そのものに対して魂気が働かんとする時、霊気を伴ひて共に是にあたるが故に、任務は完全にはたさるると知らば可なり。故に悪化せしめんとすれ...
ここに注意することあり。魂の気と心の気との鑑別法は、如何にせば良きかと云ふに対して一言語りをくべし。例へば人と相対する時俄かに一種の気力が感じ来る底の如きは作りたる気なるが故に、是等は心気と見なして可なり。されど相対したる時より一種の霊気に打たれて、我自ら威儀をただすの止む...
今も慈音と欣情が国家の再建に対して、憂慮の言葉もて語り居るを我は聞きたり。両人の語るところを聞けば、日本の如き戦乱のあと今尚人心動乱して安からぬ世相にありて、是を再建せんと計り居る政治家の常識の不完全なるに対して、痛歎なし居るを聞く。実に尤なることなり。されど是等は光明論に...
諸子の口にし居る神懸りと称するものは、すべて気の現はれに他ならず。気の感じをうけて其が神懸りの如く、又神の声とも聞かれて迷ひを深くし居るなり。即ち神懸りとか云ふことは、霊気の波長にすぎざるなり。我かく語れば慈音と我との間は如何。これ等も気の感じなるかと疑ふならん。もとより我...
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ユーさんのブログが再開して嬉しい。絶対界の転記は終わった。もうブログに書くべきことも無いけれど、一つあるとすれば 言霊と未知日記 この二つを合わせて見た視点 未知日記にも言霊について語られている。 元々コトタマノマナビの分からない部分を模索中に未知日記に出会いすっかり没頭し...
ユーさんの更新が途絶えてから因果論の続きを過去記事から探して本日読み終わる。 ユーさんは次、何を載せたかな。
さればたとえ善念にもあれ、悪念にもあれ念を残すこと勿れ。宗教者は善念を残すべし。悪念は残すべからずと教へ居れど、我等は然りとは思はざるなり。又然にはあらざるなり。念を残さば魂は分離を妨げられて昇天すること難きが故なり。慈音の母の如く善念を残しをきたるため、空中楼閣をつくる結...
魂と肉体が分離せられたる時、是に対して諸子は唯其迄なりとのみの考へにて、すべてを放棄するならば大なる誤解なり。肉体を地下に埋るは即ち有形を、無形に化せしむる方法に他ならず。又肉体を一片の煙となすも是又有形より、無形に移したるのみなり。然して肉体と魂とが分離さるれば、今迄無形...
行、酣とならば我等の説より考察せば明らかに覚ることを得るなり。もとより有無は一体なるによつてつながりは切るることなし。是を徐々に有より無に変ぜしむると、或は有を忽ち切断して無に移るとの相違によつて、ここに一時の迷ひを生ずることは云ふ迄もなし。例へば一本の木の枝を徐々に曲ぐる...
有気無気すべては不滅母に帰する時ここに始めて絶対の世界となるなり。ここに行ずる人の為に参考としていささか教ゆべき事柄あるによつて掲げをくべし。 其は他ならず。有気の研究終りて更に無気の研究に移らんとする者の為に教へをくものなり。是は非常に大切なる事なればよくよく熟読翫味して...
例へば禅門に入りて坐禅する時、小児は早く見性すれば知識すぐれたる人は容易に見性することを得ざるなり。然るに一度見性すれば小児の如き比にあらざることの体験は、禅したるものの其々語り居るところなり。兎に角我意をたくましくすることは修行の妨げとなる故に、修行する者は先づ我意即ち我...
すべて催眠術などは此種の類にて、術者が被術者の心を混乱せしめてその心の働きを制止し、然して魂に徹さしむる暗示を送るが故に、忽ち一種のはたらきを即時に行ふことを得るなり。是等も矢張り無気の力に他ならず。術者の暗示の言葉は有気にして魂に徹して無気となり、其が忽ち有気に化してはた...
例えば機械なくして、翼なき肉体を以て空かけらんなど計り居る如き事は理にあらず。若し斯る考へを起す人には注意しやるべし。是等は物理学よりなしあたはざる事の理は、誰にも知らるる事柄なるが故なり。仙人が天かけり空かけりすると聞かされて、其を肉体上より考ふるが故に誤信するなり。され...
此不滅母の理をきはむるにあらざれば、絶対界を知ることを得ず。この理を知らばたとえ全宇宙の原子が爆破せらるるとも、直ちに是をもとに復活せしむる事を得るなり。然しながら全宇宙の原子を、如何なる方法を以てすとも絶滅する事の難き理も亦、不滅母原理をきはめなば理解することを得るなり。...
神の光明はあまねく全宇宙を照らす。然して至らざる処なし。我かく語らば諸子は不審するならん。其は他ならず。未知日記前巻に認めある蝙蝠界の如き、暗黒のところには神の光明あらざるならんと。諸子は光明と云へば光を連想するが故に暗黒界は光明界にあらずと思ふなり。暗黒と云へども光明なり...
今後医学が進むに従つて、愚者をして賢者たらしむる研究は、必ずやなし遂げらるるならん。されど其は脳の細胞の足らざることによつて或程度なし得らるることは明らかなれど、其が魂を医学によつて左右することは如何に学理を研究すとも不可能の事なり。然るに二流界の人類ともならば、その魂の力...
我、今、科学者の声を聞く。彼は言う、科学は理をきはむればきはむるほど深淵にして、何処迄追い求むるも、到底人智の及ばざること遠しと語り居れり。然り、然あるなり。哲学者又然り。然るに宗教者は宗教上より理をきはめんとするもの稀なり。故に宗教は学者に怯えて次第に影を、うすらげ居るこ...
全宇宙と云ひ宇宙と称するも唯言葉の相違にて、始めなく終りなきものの中に於て、唯種々様々に変化するにすぎざれば、帰するところはその変化も絶対の中に含まれあるが故、相対と云ふも絶対の部に属するならん。不滅母の中にありて合しては離れ、離れては合するにすぎざるなり。人体と雖も種々様...
有魂の理をきはめ無魂の理をきはむるにあらざれば、すべては明白とはならざるなり。諸子の修行は未だ有心より無心に至り居らざる人きはめて多し。故に迷ひを深くしてさとる事を得ざるなり。有心と云ひ無心と云ふも一体化すれば有心となる。されど是等をはたらかす力備はりたるが故に、時には無心...
一度教へを受けなば相寄り相助けて共に共に道を歩むべし。己のみぬけがけの功名をせんなど愚なる心を起すこと勿れ。拝みせよと教へられて諸子は唯外をのみ拝す。是等は拝みにあらず。泰岳の如く処かまはず所嫌はず拝みをなし居りたるが故に、早く天界の地に引き上げられて円満したる霊と化せられ...
兎に角絶対界とは不滅母界を指すにて、不滅母は多くの霊子を産み育て、其が宇宙或は全宇宙を造り居ることの理は、最早諸子にも理解する事を得たらん。是等は宇宙全宇宙の組織なるが故に、別段諸子の修養修行の材料とするには余りに広大無辺にして、たとえ其理をきはめ尽すとも修養修行の為には、...
今慈音が、欣情に向つて早く自己に有する魂の何なるかを発見せよと、さとし居るを我は聞きて喜ぶを感じたるなり。人間に生まれて魂を知らざる人は宝の山に入りて手を空しくして帰るに等し。不滅母霊子より生れしめられたる魂を持ちながら、その広大無辺なるはたらきをすら知らずして、空しき一生...
この書の始めより説き来りたる如く無始終霊子は、不滅母の子なりと語りたり。不滅母と云ひ無始終霊子と云ふも帰するところは一にして、何れを其と定むることあたはざるなり。是等はとにかく言葉の相違にて、諸子に語り居るにすぎず。無始終霊子は種々様々のものの集合にして、是を統括したるもの...
理由なくして人を殺す。是を殺生として罪悪と見なすならば、戦争によつて多くの人命を奪ふ。是等も罪となるべき筈なるに不拘、是は正当防衛なりとして罪せらるるにあらずして、却て称美せらるるは実に滑稽至極と云はざるを得ず。諸子の世界には斯くの如き迷信妄信の絶えやらぬにてはあらざるか。...
ユーさんの更新が途絶えてから因果論の続きを過去記事から探して本日読み終わる。 ユーさんは次、何を載せたかな。
さればたとえ善念にもあれ、悪念にもあれ念を残すこと勿れ。宗教者は善念を残すべし。悪念は残すべからずと教へ居れど、我等は然りとは思はざるなり。又然にはあらざるなり。念を残さば魂は分離を妨げられて昇天すること難きが故なり。慈音の母の如く善念を残しをきたるため、空中楼閣をつくる結...
魂と肉体が分離せられたる時、是に対して諸子は唯其迄なりとのみの考へにて、すべてを放棄するならば大なる誤解なり。肉体を地下に埋るは即ち有形を、無形に化せしむる方法に他ならず。又肉体を一片の煙となすも是又有形より、無形に移したるのみなり。然して肉体と魂とが分離さるれば、今迄無形...
行、酣とならば我等の説より考察せば明らかに覚ることを得るなり。もとより有無は一体なるによつてつながりは切るることなし。是を徐々に有より無に変ぜしむると、或は有を忽ち切断して無に移るとの相違によつて、ここに一時の迷ひを生ずることは云ふ迄もなし。例へば一本の木の枝を徐々に曲ぐる...
有気無気すべては不滅母に帰する時ここに始めて絶対の世界となるなり。ここに行ずる人の為に参考としていささか教ゆべき事柄あるによつて掲げをくべし。 其は他ならず。有気の研究終りて更に無気の研究に移らんとする者の為に教へをくものなり。是は非常に大切なる事なればよくよく熟読翫味して...
例へば禅門に入りて坐禅する時、小児は早く見性すれば知識すぐれたる人は容易に見性することを得ざるなり。然るに一度見性すれば小児の如き比にあらざることの体験は、禅したるものの其々語り居るところなり。兎に角我意をたくましくすることは修行の妨げとなる故に、修行する者は先づ我意即ち我...
すべて催眠術などは此種の類にて、術者が被術者の心を混乱せしめてその心の働きを制止し、然して魂に徹さしむる暗示を送るが故に、忽ち一種のはたらきを即時に行ふことを得るなり。是等も矢張り無気の力に他ならず。術者の暗示の言葉は有気にして魂に徹して無気となり、其が忽ち有気に化してはた...
例えば機械なくして、翼なき肉体を以て空かけらんなど計り居る如き事は理にあらず。若し斯る考へを起す人には注意しやるべし。是等は物理学よりなしあたはざる事の理は、誰にも知らるる事柄なるが故なり。仙人が天かけり空かけりすると聞かされて、其を肉体上より考ふるが故に誤信するなり。され...
此不滅母の理をきはむるにあらざれば、絶対界を知ることを得ず。この理を知らばたとえ全宇宙の原子が爆破せらるるとも、直ちに是をもとに復活せしむる事を得るなり。然しながら全宇宙の原子を、如何なる方法を以てすとも絶滅する事の難き理も亦、不滅母原理をきはめなば理解することを得るなり。...
神の光明はあまねく全宇宙を照らす。然して至らざる処なし。我かく語らば諸子は不審するならん。其は他ならず。未知日記前巻に認めある蝙蝠界の如き、暗黒のところには神の光明あらざるならんと。諸子は光明と云へば光を連想するが故に暗黒界は光明界にあらずと思ふなり。暗黒と云へども光明なり...
今後医学が進むに従つて、愚者をして賢者たらしむる研究は、必ずやなし遂げらるるならん。されど其は脳の細胞の足らざることによつて或程度なし得らるることは明らかなれど、其が魂を医学によつて左右することは如何に学理を研究すとも不可能の事なり。然るに二流界の人類ともならば、その魂の力...
我、今、科学者の声を聞く。彼は言う、科学は理をきはむればきはむるほど深淵にして、何処迄追い求むるも、到底人智の及ばざること遠しと語り居れり。然り、然あるなり。哲学者又然り。然るに宗教者は宗教上より理をきはめんとするもの稀なり。故に宗教は学者に怯えて次第に影を、うすらげ居るこ...
全宇宙と云ひ宇宙と称するも唯言葉の相違にて、始めなく終りなきものの中に於て、唯種々様々に変化するにすぎざれば、帰するところはその変化も絶対の中に含まれあるが故、相対と云ふも絶対の部に属するならん。不滅母の中にありて合しては離れ、離れては合するにすぎざるなり。人体と雖も種々様...
有魂の理をきはめ無魂の理をきはむるにあらざれば、すべては明白とはならざるなり。諸子の修行は未だ有心より無心に至り居らざる人きはめて多し。故に迷ひを深くしてさとる事を得ざるなり。有心と云ひ無心と云ふも一体化すれば有心となる。されど是等をはたらかす力備はりたるが故に、時には無心...
一度教へを受けなば相寄り相助けて共に共に道を歩むべし。己のみぬけがけの功名をせんなど愚なる心を起すこと勿れ。拝みせよと教へられて諸子は唯外をのみ拝す。是等は拝みにあらず。泰岳の如く処かまはず所嫌はず拝みをなし居りたるが故に、早く天界の地に引き上げられて円満したる霊と化せられ...
兎に角絶対界とは不滅母界を指すにて、不滅母は多くの霊子を産み育て、其が宇宙或は全宇宙を造り居ることの理は、最早諸子にも理解する事を得たらん。是等は宇宙全宇宙の組織なるが故に、別段諸子の修養修行の材料とするには余りに広大無辺にして、たとえ其理をきはめ尽すとも修養修行の為には、...
今慈音が、欣情に向つて早く自己に有する魂の何なるかを発見せよと、さとし居るを我は聞きて喜ぶを感じたるなり。人間に生まれて魂を知らざる人は宝の山に入りて手を空しくして帰るに等し。不滅母霊子より生れしめられたる魂を持ちながら、その広大無辺なるはたらきをすら知らずして、空しき一生...
この書の始めより説き来りたる如く無始終霊子は、不滅母の子なりと語りたり。不滅母と云ひ無始終霊子と云ふも帰するところは一にして、何れを其と定むることあたはざるなり。是等はとにかく言葉の相違にて、諸子に語り居るにすぎず。無始終霊子は種々様々のものの集合にして、是を統括したるもの...
理由なくして人を殺す。是を殺生として罪悪と見なすならば、戦争によつて多くの人命を奪ふ。是等も罪となるべき筈なるに不拘、是は正当防衛なりとして罪せらるるにあらずして、却て称美せらるるは実に滑稽至極と云はざるを得ず。諸子の世界には斯くの如き迷信妄信の絶えやらぬにてはあらざるか。...
一服の薬を以て万病を治癒すと云ふが如き、完全無欠の薬品はあらざるべし。然るに薬屋の看板を見ればかかる誇大の広告を認めあるにてはあらざるか。是等を諸子は迷信とは思はざるや。諸子の世界には余りに矛盾したる事柄多し。是等を一々清除して正しきものに改めなば其にて可ならん。何はともあ...