どうも村田です聖徳太子が「仏教や律令制度を取り入れないと日本が持たない」と感じたことと同じで清水は、だからこそ古典古代の精神に簡単に戻ることはできないと、次の文章で強調しているのだ...
2025年6月
どうも村田です聖徳太子が「仏教や律令制度を取り入れないと日本が持たない」と感じたことと同じで清水は、だからこそ古典古代の精神に簡単に戻ることはできないと、次の文章で強調しているのだ...
どうも村田です聖徳太子の時代に日本固有の精神と大陸からの制度や仏教が融合し、日本が文化的な頂点を迎えたと述べているのだ。共同体同士が恒久的な対立関係に入った場合、そのもっとも重要な事業...
どうも村田です日本に奴隷制度が存在しなかったことについて清水なりの解釈を紹介するのだ。これを今少し、より詳細に説明するならば、牧畜の民は水草を追って移動する為、勢い他の集団との衝突を...
どうも村田です清水は、古代の祭りや神話が農耕儀礼と結びついていたと考えていたのだ。神話は、豊かな想像力をもつ人びとが書いたものではなく、当時の農業や人びとの生活儀礼、とくに米作りや...
どうも村田です9月23日には女子挺身隊が始まり、女性もふくめて勤労動員されるという時代になったのだ。そして日本にとって大きな局面は続くのだ。1943年10月に学徒出陣が始まり、11月には...
どうも村田です今回からは焚書にされた本について書いていくのだ日本の近代史の常識とされているものが如何に偏った物であるか隠されていて現代日本人に知らされずにいるのだ先人たちが命がけで守ろうと...
どうも村田です首は切り落とされて、その首は3日間板橋にさらされて、そしてその後塩漬けにされて京都に運ばれて、京都の三条河原でもさらされたそうなのだ。胴体はその場で打ち捨てたのだ。昔...
どうも村田です近藤勇(いさみ)は京都に送られることになって、そこで裁判しようということになるのだが、捕まえたのは上田楠次という土佐藩の人間で、そこに土佐藩の上田楠次の上司に当たる土...
どうも村田です近藤勇(いさみ)は部屋の中で腹を切ろうとするのだ。すると土方歳三は「待て。今腹を切る必要はない」と言ったという説と、「2人そろって腹を切ろう」と言いだして「いやいや、...
どうも村田です普通は銃に撃たれると、撃たれただけでもびっくりしてしまうのだが、そういうことがあるのではないかという覚悟があったのかもしれないが、きっちりときちんと馬にしがみついて、右肩を撃たれながらも奉行所に駆け込...
どうも村田です彼ら伊東一派は高台寺党と呼ばれるようになるのだ。その高台寺党は、その時は山陵奉行の戸田氏のお預かりで、だけれども給料がきちんと出るわけではないのだ。そこで、一...
どうも村田です伊東の言い分はこうなのだ。「長州征伐が失敗したからには、長州はほかの激派を誘って倒幕ののろしを上げてくるに違いない。その探索が急務となるから、彼らは新撰組を目の敵にしているので、 探索するのであれば新撰組と...
どうも村田です明治4年の廃藩置県を迎えて、大名として後に爵位をもらうのだが、その時はまだ大名にはなっていなかったのだ。その志筑藩の鈴木専右衛門の息子である大蔵(だいぞう)が、...
どうも村田です近藤がだんだん偉くなってきて、「近藤もわれわれ平大使も含めて、みんな同志であるはずなのに、何か家来のように扱われているのではないか」というような不満があったのかもしれないのだ...
どうも村田です真木隊は、大阪と京都の間にある山崎の宝積寺、宝寺というのだが、この宝積寺に部隊が入り益田隊は対岸の石清水八幡宮に陣取ったのだ。京都を西から南にかけて全部包囲して、そして...
どうも村田ですさらに捕縛された人間がいて、後に10人が斬首されているのだ。攘夷(じょうい)派としては大変な痛手を被ったわけだが、実は会合の2時間から2時間半ぐらい前に木戸孝允、桂小五郎がやはり会合に参加するためにここに...
2025年6月
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どうも村田です聖徳太子が「仏教や律令制度を取り入れないと日本が持たない」と感じたことと同じで清水は、だからこそ古典古代の精神に簡単に戻ることはできないと、次の文章で強調しているのだ...
どうも村田です聖徳太子の時代に日本固有の精神と大陸からの制度や仏教が融合し、日本が文化的な頂点を迎えたと述べているのだ。共同体同士が恒久的な対立関係に入った場合、そのもっとも重要な事業...
どうも村田です日本に奴隷制度が存在しなかったことについて清水なりの解釈を紹介するのだ。これを今少し、より詳細に説明するならば、牧畜の民は水草を追って移動する為、勢い他の集団との衝突を...
どうも村田です清水は、古代の祭りや神話が農耕儀礼と結びついていたと考えていたのだ。神話は、豊かな想像力をもつ人びとが書いたものではなく、当時の農業や人びとの生活儀礼、とくに米作りや...
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どうも村田です今回からは焚書にされた本について書いていくのだ日本の近代史の常識とされているものが如何に偏った物であるか隠されていて現代日本人に知らされずにいるのだ先人たちが命がけで守ろうと...
どうも村田です首は切り落とされて、その首は3日間板橋にさらされて、そしてその後塩漬けにされて京都に運ばれて、京都の三条河原でもさらされたそうなのだ。胴体はその場で打ち捨てたのだ。昔...
どうも村田です近藤勇(いさみ)は京都に送られることになって、そこで裁判しようということになるのだが、捕まえたのは上田楠次という土佐藩の人間で、そこに土佐藩の上田楠次の上司に当たる土...
どうも村田です近藤勇(いさみ)は部屋の中で腹を切ろうとするのだ。すると土方歳三は「待て。今腹を切る必要はない」と言ったという説と、「2人そろって腹を切ろう」と言いだして「いやいや、...
どうも村田です普通は銃に撃たれると、撃たれただけでもびっくりしてしまうのだが、そういうことがあるのではないかという覚悟があったのかもしれないが、きっちりときちんと馬にしがみついて、右肩を撃たれながらも奉行所に駆け込...
どうも村田です彼ら伊東一派は高台寺党と呼ばれるようになるのだ。その高台寺党は、その時は山陵奉行の戸田氏のお預かりで、だけれども給料がきちんと出るわけではないのだ。そこで、一...
どうも村田です伊東の言い分はこうなのだ。「長州征伐が失敗したからには、長州はほかの激派を誘って倒幕ののろしを上げてくるに違いない。その探索が急務となるから、彼らは新撰組を目の敵にしているので、 探索するのであれば新撰組と...
どうも村田です明治4年の廃藩置県を迎えて、大名として後に爵位をもらうのだが、その時はまだ大名にはなっていなかったのだ。その志筑藩の鈴木専右衛門の息子である大蔵(だいぞう)が、...
どうも村田です近藤がだんだん偉くなってきて、「近藤もわれわれ平大使も含めて、みんな同志であるはずなのに、何か家来のように扱われているのではないか」というような不満があったのかもしれないのだ...
どうも村田です真木隊は、大阪と京都の間にある山崎の宝積寺、宝寺というのだが、この宝積寺に部隊が入り益田隊は対岸の石清水八幡宮に陣取ったのだ。京都を西から南にかけて全部包囲して、そして...
どうも村田ですさらに捕縛された人間がいて、後に10人が斬首されているのだ。攘夷(じょうい)派としては大変な痛手を被ったわけだが、実は会合の2時間から2時間半ぐらい前に木戸孝允、桂小五郎がやはり会合に参加するためにここに...
どうも村田ですこの事件は大変奇妙な事件で、その会合があるという日にちは分かったのだが、どこでやるかということについては、結局古高俊太郎は白状していないのだ。自供していないのだ。...
どうも村田です幕府としては、将軍警護のために幕府が雇い入れて、そして浪士組を作ったわけだから、これは幕府から見れば完全な裏切り行為で、清河八郎に対して「とんでもないことだ」ということで、特に老中であった板倉...
どうも村田です明治維新というのは大変に面白いと言っては何だが、奇妙な出来事であり、幕末に攘夷(じょうい)をしなくてはいけないということについては、気持ちとしては幕府もそうだし、朝廷はもちろんそうだし、各藩もそうなのだが...
どうも村田です幕末というのは、いわゆる嘉永6年、1853年にペリーが浦賀にやって来た時から始まるのだそして明治維新までの15年を普通は言うのだが、まだ嘉永6年にペリーが浦賀に来た...
どうも村田です権力を分散して自由を推進しようとする大規模な大衆運動だけが現在の国家主義への傾斜を止めることができるのだこの国家主義というのは全体主義と呼んでもいいが権力を分散して、自由を推...
どうも村田です安定が与えられたいと思ったら、社会主義の方向に行くのだ自由人の道がいいのか、奴隷の道がいいのか最終的にはそういうことになるのだでも、それは奴隷に見えないのだ、そうじゃ...
どうも村田ですこの世界では快楽のために行ういわゆる日本人が言うとフリーセックスで英語で言うとフリーラブなのだ好きな者同士がいつでも性的関係を結んで面白おかしく楽しくやって複数の人間...
どうも村田です今日からはオーウェルの『1984年』と一対で論じられることが多いオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』というタイトルで翻訳されてる『Brave New World』という...
どうも村田です人間の理想社会そういう社会がソ連で生まれようとしてるんだとイギリスの知識人たちはそれに熱狂しバートランド・ラッセルもその考え方の持ち主だったのだしかし、実際に行ってみ...
どうも村田です同じ社会主義を言って異議を唱えているトロツキーの子分とか反スターリン主義者そういう連中が一番彼らからすると敵であるということなのだそして、それは国内の粛清、ソ連で行われた粛清...
どうも村田ですジョージ・オーウェルはスターリン主義のような全体主義を支持する気は全くなかったのだで、1936年に結婚しそのほぼ同じ週にスペイン内戦が勃発したのだ妻と私はどちらもスペインに出...
どうも村田ですウクライナ語版は2000部を頒布したところで、残部1500部すべてを米軍が押収、何とソ連に引き渡したというのだ渡したというので、うわさ話でどこまで本当か確かめられないが、本国...
どうも村田ですナショナリズムというものは全体主義、独裁になりようがないのだアメリカでもトランプ運動、トランプ政権というのは、国民の草の根運動が盛り上がってトランプを大統領にまで押し上げた運...
どうも村田ですイギリス知識人の相当部分が1941年以来、ロシアのプロパガンダをうのみにして広めてしまったのだ一つだけ例を挙げると、BBCは赤軍25周年を祝うとき、トロツキーに全くふれなかった...
どうも村田です『動物農場』というのは比較的短くて、1937年に彼は思いついて、1943年末になってから書き始めて、1945年にようやく出たのだで、早川書房の『動物農場』の新訳版、これを読むと参考...
どうも村田ですロシア革命をやったレーニンに当たるのがメイジャーというブタなのだこれはマルクス、エンゲルスと例えてもいいかもしれないが動物主義の理論的な創始者で革命以前に死んだのだ...
どうも村田です今日からはジョージ・オーウェルの、これまた代表作である『動物農場』、『Animal Farm』という面白い寓話小説というか、風刺小説について書きたいと思うのだこれは原著は19...
どうも村田です画面とかカメラでわれわれを監視することもできるのだだんだん技術的にも、『1984年』の書いたような、トータルな、全体主義的なコントロールができる社会が生まれつつあり今、シナで...
どうも村田です政治的に言葉遣いが非常に制限されてきているのだいろんな宗教の人がいるから、お店のディスプレイのところに、昔はメリークリスマスと書いてあったりしたが、メリークリスマスもいけない...
どうも村田ですウインストン・スミスは悲惨な最期だったのだイギリス人ならスコッチウイスキーを飲むかといったらそうじゃなくて、イングランドの飲み物というのは元来ジンなのだそして、プロレ...
どうも村田です考えること自体が、思考犯罪この犯罪を中止しなきゃいけない、犯罪中止、クライムストップというのだ思考犯罪はソートクライム、あるいはシンククライム、なのだから、考...
どうも村田ですイギリス人だから紅茶を手に入れて喜ぶとかいうとこが、すごくリアルに描かれているのだそれで、リンゴとかバナナというのはもう、名前だけ聞いてるけど見たことはないそういう社会なのだ...
どうも村田ですアメリカで今、バイデン大統領は、警察予算を大幅削減ブラックライブズマターが言ってるのは賛成だと言っちゃってるのだそして、ミネソタ州のミネアポリス市というところがそれを...
どうも村田ですウィンストン・スミスさんの仕事はタイムズという有名な新聞があるが、その書き換えをやっているのだ毎日書き換えると、直ちにその号が再発行され、元の号が廃棄処分になるのだそしてその...