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生命哲学の泉 https://akasaki.blog.jp/

人間の根本規範を解き明かした、日蓮大聖人の御書を学び、仏法哲理を究明していくことに主眼を置いた、私の学びのノートです。

博美
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2023/04/20

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  • 熱原の法難と出世の本懐

    弘安のはじめごろの身延の草庵には、「人はなき時は四十人ある時は六十人」(兵衛志殿御返事、御書1099ページ)、「今年一百よ人の人を山中にやしなひ」(曾谷殿御返事、1065ページ)とあるように、常時、四、五十人から百人もの門下が各地から集まって、大聖人の指導を仰ぎ

  • 法華経の行者と第六天の魔王

    辧殿尼御前御書に出てくる、「法華経の行者」とは、言うまでもなく、日蓮大聖人のことです。 「第六天の魔王」とは、実際には特定の存在を指しているわけではなく、生命の働きを指しています。この魔王は、別名を「他化自在天」といって、その特徴は、人を意のままに動か

  • 絶対勝利の信心

    人々の生命にひそむ魔性に打ち勝つ要諦を教えられた御書に、 「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海(しょうじかい)の海中にして同居穢土(どうこえど)を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余

  • 幕府を三度諌める

    文永十一年(1274年)になると、二つの太陽が現れるなどの天変が続き、蒙古軍襲来の気配が強くなりました。 そうしたなかで、執権の時宗は二月十四日、幕府内で反対する者が多かったのを押し切って、大聖人の赦免を決定しています。 鎌倉へ帰った大聖人は、四月八日、幕

  • 諸宗の僧等を論破した塚原問答

    文永九年一月十六日、佐渡・越後・越中・出羽・奥州・信濃など、北陸・信越地方一帯の諸宗の僧が数百人も集まり、塚原の三昧堂の前庭で、本間六郎左衛門尉立会いの下で、日蓮大聖人との公開の法論が行われました。 佐渡の諸宗の僧が、大聖人の処刑を要求したのに対して、

  • 佐渡・塚原の三昧堂と一谷の配所

    佐渡に入られた大聖人は、「十一月一日に六郎左衛門が家のうしろ塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし、上はいたま(板間)あはず四壁はあばらに雪ふりつもりて消ゆる事なし、かかる所にしき(敷)がは打ちしき蓑(みの)う

  • 竜の口の頸の座において御本仏の境界へ

    いよいよ処刑の時が来た、という瞬間に、江の島の方角から光り物(隕石が燃えながら飛ぶ飛球)が光渡ったため、太刀取りの武士が驚き恐れてしまい、大聖人を処刑することができませんでした(竜の口法難)。 この瞬間に、日蓮大聖人は、名字凡夫の命を捨てられて、久遠元

  • 祈りこそ、一切の勝利の原動力

    妙法の祈りは、どんな苦悩の境界であろうと、歓喜と幸福へと転じていく大生命力を奮い起こします。聖愚問答抄(御書498ページ)には、 されば一遍此の首題を唱へ奉れば一切衆生の仏性が皆よばれて爰(ここ)に集まる時我が身の法性の法報応(ほっぽうおう)の三身(さんじん

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