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生命哲学の泉 https://akasaki.blog.jp/

人間の根本規範を解き明かした、日蓮大聖人の御書を学び、仏法哲理を究明していくことに主眼を置いた、私の学びのノートです。

博美
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2023/04/20

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  • 広宣流布の信心で立ちあがれ

    今なお、世界には、ウクライナ戦争をはじめ、さまざまな戦乱や紛争があります。テロの危険も広がっている。貧困・格差などで社会の分断が進み、苦悩の闇も深い。地球環境の悪化の中、甚大な自然災害も打ち続いています。 しかし、どんな苦難の嵐が吹こうが、どんな試練の

  • 大願には自発能動の「歓喜」が

    大聖人は、法華経の経文に照らし、ご自身が虚空会に列なった地涌の菩薩であり、それを思えば「流人なれども喜悦はかりなし」(御書1360p)と仰せです。<語句の解説> 虚空会・・・虚空会で行われた付嘱の儀式のこと。法華経の見宝塔品第11から嘱累品第22までの説法の会

  • 諸法実相抄に学ぶ

    法華経において、釈尊から滅後末法の広宣流布を付嘱された「久遠の弟子」地涌の菩薩。この地涌の菩薩の使命を明かされた「諸法実相抄」を拝する。 末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一

  • 救われる存在から、救う存在へ

    前号、顕仏未来記の続きになります。 この「歎きから喜びへ」の大転換を、私たちに寄せて考察してみたい。 例えば人間は、自分が生まれてくる時代や社会を選ぶことはできません。時には、なぜ、こんな悲惨な世の中なのかと慨嘆したくなる残酷な現実もある。何のゆえあって

  • 顕仏未来記に学ぶ

    顕仏未来記の一部より 法華経の第七に云く「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」等云云、予一たびは歎いて云く仏滅後既に二千二百二十余年を隔つ何なる罪業に依って仏の在世に生まれず正法の四依・像法の中の天台・伝教等に値わざ

  • 末法の経典「御書」

    「末法の経典」である「御書」は、「諸経の王」といわれる「法華経」と切り離すことのできない関係にある。それは、経文という客観性、普遍性の次元を尊重されたからです。 また、大聖人は末法を救う法を法華経に求められた。そして、その答えを見いだされた。 その答えと

  • 民衆救済の闘争

    日蓮大聖人の御書は「末法の経典」である。大集経に「闘諍言訟・白法隠没」とあるように、末法は、釈尊の仏法のなかで混乱が極まり、民衆を救う力が失せる時代であるとされている。要するに、仏法も社会も行き詰まり、このままでは混乱と破局に陥りかねない危機的な時代が末

  • 師の教えを知っているから偉いのではない

    師の教えを知っているから偉いのではない。何のために知っているかが大切なのだ。「師の教えは素晴らしい」とは誰でも言える。「だから何としても人々に伝えていくのだ」。一見、同じように師匠を尊敬しているかに見えて、内実は”天地・水火”の違いがある。ここを見誤って

  • 一人立つ信心に楽土の建設が

    ( 三世諸仏総勘文教相廃立 )心の一法より国土世間も出来(しゅったい)する事なり、一代聖教(しょうぎょう)とは此の事を説きたるなり現代語訳( 心という一法から、国土の違いも生まれる。釈尊一代の教えとは、この事を説いたのである) 「三世諸仏総勘文」とは、三

  • 熱原の法難と出世の本懐

    弘安のはじめごろの身延の草庵には、「人はなき時は四十人ある時は六十人」(兵衛志殿御返事、御書1099ページ)、「今年一百よ人の人を山中にやしなひ」(曾谷殿御返事、1065ページ)とあるように、常時、四、五十人から百人もの門下が各地から集まって、大聖人の指導を仰ぎ

  • 法華経の行者と第六天の魔王

    辧殿尼御前御書に出てくる、「法華経の行者」とは、言うまでもなく、日蓮大聖人のことです。 「第六天の魔王」とは、実際には特定の存在を指しているわけではなく、生命の働きを指しています。この魔王は、別名を「他化自在天」といって、その特徴は、人を意のままに動か

  • 絶対勝利の信心

    人々の生命にひそむ魔性に打ち勝つ要諦を教えられた御書に、 「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海(しょうじかい)の海中にして同居穢土(どうこえど)を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余

  • 幕府を三度諌める

    文永十一年(1274年)になると、二つの太陽が現れるなどの天変が続き、蒙古軍襲来の気配が強くなりました。 そうしたなかで、執権の時宗は二月十四日、幕府内で反対する者が多かったのを押し切って、大聖人の赦免を決定しています。 鎌倉へ帰った大聖人は、四月八日、幕

  • 諸宗の僧等を論破した塚原問答

    文永九年一月十六日、佐渡・越後・越中・出羽・奥州・信濃など、北陸・信越地方一帯の諸宗の僧が数百人も集まり、塚原の三昧堂の前庭で、本間六郎左衛門尉立会いの下で、日蓮大聖人との公開の法論が行われました。 佐渡の諸宗の僧が、大聖人の処刑を要求したのに対して、

  • 佐渡・塚原の三昧堂と一谷の配所

    佐渡に入られた大聖人は、「十一月一日に六郎左衛門が家のうしろ塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし、上はいたま(板間)あはず四壁はあばらに雪ふりつもりて消ゆる事なし、かかる所にしき(敷)がは打ちしき蓑(みの)う

  • 竜の口の頸の座において御本仏の境界へ

    いよいよ処刑の時が来た、という瞬間に、江の島の方角から光り物(隕石が燃えながら飛ぶ飛球)が光渡ったため、太刀取りの武士が驚き恐れてしまい、大聖人を処刑することができませんでした(竜の口法難)。 この瞬間に、日蓮大聖人は、名字凡夫の命を捨てられて、久遠元

  • 祈りこそ、一切の勝利の原動力

    妙法の祈りは、どんな苦悩の境界であろうと、歓喜と幸福へと転じていく大生命力を奮い起こします。聖愚問答抄(御書498ページ)には、 されば一遍此の首題を唱へ奉れば一切衆生の仏性が皆よばれて爰(ここ)に集まる時我が身の法性の法報応(ほっぽうおう)の三身(さんじん

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