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競馬番組理論のすゝめ https://note.com/jra_ope

競馬番組理論の研究者。 ■主な執筆 「ディープインパクト誕生の裏に隠されたシナリオ」(東邦出版) 「競馬の達人」(光文社) 「競馬最強の法則」(KKベストセラーズ)

冴羽拳史郎
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2023/01/20

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  • 天皇賞(秋)~回顧

    痛恨のミス~1995年の再現性 天皇賞(秋)はかなり見えていると思っていたので、やられることはないと思っていたが、痛恨のミスによる大失敗。 絶対的連軸であるイクイノックスとジャックドールの1点で決まると会員の方々にお伝えしたが、ジャックドールではなくパンサラッサの方であった。 ここでは深くは書けないが、私の理論を一つだけご披露したいと思う。 まず、今年の解読のポイントの一つは、札幌記念が【最後の定量57kg戦】というのが挙げられるかと。 これと同じ状況なのは、1995年。 1996年に行われた改革として、安田記念と宝塚記念の2レースが定量57kgから58kgに変更されたこと。 その

  • 天皇賞(秋)検討会を開催しました!

    東京オフ会を開催しました! 10月24日(月)に天皇賞(秋)の検討会を兼ねた東京オフ会を開催しました。 平日の昼間にも関わらず多くの方がご参加いたしました。 雑誌『競馬ゴールド』の話 参加者のお一人が、昔の競馬雑誌『競馬ゴールド』を持参。 『競馬ゴールド』に執筆していた方もオフ会にご参加頂き、執筆陣の裏話も聞けて大盛り上がりでした。 また、ハガキでの読者競馬予想で1位だった方までw 懐かしいですねぇ~ 今回のオフ会は凄く盛り上がりまして、2次会へも突入。 2次会は、ご参加された方の知り合いのお店へ。 約8時間(?)ものロングランのオフ会となりました。 今回、平日にも関わら

  • 【WEB版】『ディープインパクト誕生の裏に隠されたシナリオ』(16)

    ルドルフ二分割だったテイオーとマックイーン シンボリルドルフから(外)シンボリクリスエスまでの20年間の話をしたが、もう少し掘り下げてみよう。   1984年(昭和59年)~1993年(平成5年)の10年間 1994年(平成6年)~2003年(平成15年)の10年間   まず、昭和59年のシンボリルドルフから平成5年までを取り上げる。 平成5年の最後のGⅠ、有馬記念を勝利したのはシンボリルドルフの子、トウカイテイオー。つまり、昭和59年の皐月賞馬シンボリルドルフから平成5年の有馬記念馬トウカイテイオーまでの10年間がひとつのスパンとなる。 ここで、もう1頭の馬

  • 【WEB版】『ディープインパクト誕生の裏に隠されたシナリオ』(15)

    象徴から印象の時代へ シンボリルドルフで幕を開け、(外)シンボリクリスエスで幕を閉じた20年間。同じ「シンボリ」牧場の馬が時代の幕開けと幕引きで活躍するなどということが偶然に起こるはずがない。馬名ももちろんオペレーションなのだ。 では、なぜ「シンボリ」なのだろうか。 「シンボリ」とは「シンボリック【symbolic】」、「象徴的な」という意味を持ち合わせている。つまりシンボリルドルフは【象徴的な存在として誕生した馬】なのである。だから、ルドルフからクリスエスを【象徴の時代20年間】として括ったのだ。 では、次の新たな時代とはなにか。 ディープインパクトの「インパクト【impac

  • 【WEB版】『ディープインパクト誕生の裏に隠されたシナリオ』(14)

    シンザンからシービーまでの20年間を括る では次の三冠馬誕生を見てみよう。 昭和58年に誕生したミスターシービー。昭和58年と言えば、翌年に導入されるグレード制導入の前年になる。主催者は、シンザンからミスターシービーまでの時代、「グレードの付かない三冠」をひとつの時代の区切りとして線引きをしたことになる。   昭和29年~昭和38年 昭和29年・日本中央競馬会設立。競走の時代10年間 昭和39年~昭和48年 昭和39年・三冠馬シンザン誕生 昭和49年~昭和58年 昭和58年・三冠馬父ミスターシービー誕生 昭和59年~平成5年 昭和59年・三冠馬シンボリルドルフ誕生 &nb

  • 【WEB版】『ディープインパクト誕生の裏に隠されたシナリオ』(13)

    オペレーションはシンザンとともに生まれた 日本中央競馬会設立以降初めての三冠馬シンザン。私はこのシンザンからオペレーションが構築されたと考えている。それは、昭和39年からすべてのレース名が変更されたからである。「えっ? レース名の変更って?」と思われるかもしれないが、主催者のホームページになるデータファイルのなかの全GI成績を見れば一目瞭然だ。 例えば、東京優駿(日本ダービー)のデータを見てみよう。第30回(昭和38年)のダービー馬メイズイまでと、第31回(昭和39年)のダービー馬シンザンからの競走名が違うのである。 第30回東京優駿競走(昭和38年まで) 第31回東京優駿(昭和

  • 【WEB版】『ディープインパクト誕生の裏に隠されたシナリオ』(12)

    第二章  21年間の軌跡~マクロ的見地でオペレーションを斬る! 本章では、シンボリルドルフからディープインパクトの誕生に至るまでの軌跡をお話ししよう。 オペレーション解読と言うと、どうも「重箱の隅」を突っつく手法に終始される方が多い。全体像が見えなければ、そうした手法も片手落ちとなる。また、全体像が見えなければ、主催者がやろうとしていることがわかるはずもない。この第二章を読めば、主催者の狙いが見えてくると思う。 歴史は10年単位で作られる 主催者のホームページ上にある「中央競馬50年の蹄跡」をご存知だろうか。年度別にその年の出来事が書かれているページだが、トップページ

  • 【WEB版】『ディープインパクト誕生の裏に隠されたシナリオ』(11)

    単馬指定で勝つのはスペシャリスト この単馬指定を踏まえ、ディープインパクトに与えられたゲートを見てみよう。 まず若駒Sは7頭立ての4番。7頭立ての4番はど真ん中の単馬指定。次に出走した弥生賞はどうか。10頭立ての10番に座った。隣馬が存在しない端だから弥生賞も単馬指定。次走の皐月賞はどうか。18頭立ての14番。皐月賞もまた単馬指定。そして日本ダービーは18頭立ての5番。ダービーもまた単馬指定となる。 なんとディープインパクトは若駒Sからダービーまで、すべてのレースで単馬指定された馬なのだ。 そして「特別な存在」だからこそ4レース連続で単馬指定されたことになる。過去GIレースで、

  • 凱旋門賞~単勝、馬連1点目的中!

    日本馬は想定通り全滅だった 現在競馬ブログ2位です! 応援をお願いいたします! 上記バナーのクリックをお願いします! お陰様で凱旋門賞は単勝、馬連1点目的中だった。 凱旋門賞を考える(1)で述べたように、日本馬は想定どおり全滅だった。 凱旋門賞は基本的にダービー連対馬(もしくはオークス連対馬)のもの。 ダービーを負けてしまっているタイトルホルダーは論外だった。 将来的に日本馬が凱旋門賞を勝利するなら、日本ダービー馬かオークス馬で、凱旋門賞の前に、欧州のレースで古馬戦を使っている馬だと思う。 どうも古馬歴が免除されているのはフランスの馬だけのようなので。 ヴァデニが連軸 凱旋門賞を考

  • 【WEB版】『ディープインパクト誕生の裏に隠されたシナリオ』(10)

    単枠指定はいまも生き続けている 単枠指定をご存じだろうか。 単枠指定とは、馬連導入以前に9頭立て以上のレースで特に人気が集中しそうな馬を1頭1枠(単枠)に入れるようにしていた制度のこと。特に人気がある馬とそうでない馬が同枠に入ったとき、人気がある馬が馬券発売後に出走取消したら、同枠にもう1頭の馬がいるために払い戻しにならないという問題点があったために、この制度は設けられた。しかし、この単枠指定は主催者が認めた実力馬と取ることができ、問題の多い制度でもあった。そして、馬連発売とともに廃止された。 オペレーションは「過去を否定せずに進化する」という特徴がある。単枠指定制度も、さらに進化

  • 片岡勁太氏~JRAからの贈り物

    片岡勁太氏の元に送られた物とは 以前に競馬番組理論との出会いの記事で述べたが、競馬番組を世に広めたパイオニアは片岡勁太氏である。 その際、1990年に発売された『恐るべき競馬の本』が大ベストセラーになった話をした。 恐るべき競馬の本(ベストセラーズ) この本が出版された後、JRAから片岡氏の元に手紙が添えられて資料が送られてきたそうだ。 手紙には 『この本の内容は面白いから、この資料を参考にしてみてはいかがでしょうか? ただ競馬番組の本を世に出すのは早すぎたのでは?』 と書かれていたとのこと。 その時、送られた資料が「競馬実績」という資料。 これが、その資料の一部。 「競馬実績」

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