人は皆自身を良く見せようとする傾向があり良く見てもらいたいという欲望がある。顕示欲とでも言うのだろうか人には本来備わっているものらしい、良きにつけ悪しきにつけ自己を飾っての証言がうまい人もいるようである。例えばここに100点満点で60点の評価の犬がいた
agenesdream犬舎代表の小林春夫 一言コラム。 犬にまつわること、ビーグル犬のブリーダーとして語ります。
ソクラテスは瘦せていたのか<古代の人だから実際のことは解からない>、ただこの人の書き残したものはなく、のちに弟子たちがその思いや考えを書き記したものと思う。想像するに痩せていた人物像がなんとなく浮かび上がるのは何故なんだろう、世の中色々な考え方があり
すべての生き者はそれを生きるために捉えたり飼育したりして生命を保つ術を行っている。<もうすぐたべられるぼく>という絵本があるという。生き者の中で全てにおいて特化している者は言われもない人間である。ただ人間は悲しみや辛い事や憎しみや妬みなど多くの思いを
私は花を咲かせることが好きである。犬舎周りにいろいろな花を通年咲かせている。きれいなものを見る事はとても気持ちの良いもので何事にも通じるものだと思う。私は特には蘭を咲かせることが好きです。何年もの間失敗しては捨てていたものがこの7年ほど前からは大事に管
皆さんは雑種と言う言葉をご存じでしょうか、今では懐かしい古の言葉になってしまったかのように使われなくなったのかも知れません。現在ミックスドックと言われている呼び名がそれです。何故雑と言うのか、色々な方向からのいろいろのものが入りまじっている、多くのも
2023年今年の本部展<JKCさくらアニュアルショー2023の結果>オス ベストドック CH 19.8 AGNESDREAMS’ FAIRY STORYメス ベストビッチ CH. 21.12 AGNESDREAMS’ HERAT OF MY HERATBOB。G 1ST CH AGNESDREAMS’ FAIRY STORY 〈オス>
私は20歳代の中頃に、その頃言われていたウサギ小屋ごとくの小さな建売住宅を手にした。勿論全額ないので半分をローンで借りた。先にも後にもこれが私の人生での初めての借金でしたがやがてバブルが来て4倍の値でその物件を売却したので残りの借金をきれいにした。今に思え
2023年の本部展が終わった。3月31日から4月2日の開催であった。私がショーを始めた頃は晴海の東京見本市会場であったが、今はお台場のビックサイトに会場が変わっています。また私が始めた頃のハウンド種のグループは、全てのハウンド全犬種であったので相当数の
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人は皆自身を良く見せようとする傾向があり良く見てもらいたいという欲望がある。顕示欲とでも言うのだろうか人には本来備わっているものらしい、良きにつけ悪しきにつけ自己を飾っての証言がうまい人もいるようである。例えばここに100点満点で60点の評価の犬がいた
あれから40年と言う漫談がある。大変楽しい漫談であるが個人的な趣味に於いては私はその上を行く年が過ぎている。人は良く長いようで短いなどと言うようであるが、そもそもが物事を短く思うのは人生にときめきがないためである。人生にはすべてにこのときめきが大事なので
22年度からFCIのショーシステムが変わり大変楽しくもない状況になっている中で、つまらない、見合わないチャンピオンドックが作られている。どれもこれも、全てのものが一つの形に完成もしくは作られてしまう様はどういう事なんだろうと思う。過去の歴史をたどるとJKCがFCI
これまでに記憶に残る犬達、思い出に残る犬達がたくさんいる。アグネスドリームのケネル名のもとになる犬、84年のチェリーオブ・・他のケネルからの犬であるがこの犬の名を<アグネス>と名付けた。チャンピオン登録の際にこの子の名を付けてアグネスドリームと名付け
私の中に残されたものは何なのか、犬達の笑顔のつまった大きなバルーンなのか今は何もわからないというか、はっきりとしたものが見えてこないのです。いくつものそれこそ数多い犬達は私を置いてきぼりにして逝ってしまった。私は夢中で彼らを探し彼らの暖かであった私への
何事においても世代をつなげるという事には大変な労力が必要になる。長い間の犬達との暮らしで残したいものが沢山あるような気がしてならないのは、いかに大事に思いながら犬達の事に関与して来たかなのです。無学であった頃の事を思うと何だか淋しく思うのだが、原点回帰
子犬は夢を見る。ぴくぴくと夢を見る。どんな夢を見るのかはわからないが気持ちよく見ているのかもしれない、どんな思いで見ているのかが知れたなら楽しいだろうとは思う、子犬の能力は大したことがないように思われるのだが、それでいて飛んで遊ぶような日にちになると何
もしかして、~だったなら、とよく人は思い話すものである。後悔先に立たずなのである。常に思い考えながら物事を進めていく様は決していけない事ではない、長い目で見て長い計画で前向きに進んでいく様は良い方向に進むことなのではないか、私達は常にどのようなものを作
私には数多くのわかれがある。その多くの事は忘れてはいる、人と言う動物は都合の良い動物であるから多くの事を忘れてしまっていても不思議さは思わないものである。これまでに子犬を預けた方々の数は相当な数になるのだが、そのほとんどの方々はその後の連絡付き合いがな
アグネス1を読んだ方々へ、このページを読み返して書き終わらないまま掲載したことを知り少し内容を付け加えましたので再度お読みになって下さい。尚、全編をたまに読み返しておりますので、それぞれに手を加えた個所が沢山あります。
お空に逝った犬はいない。良くこのような事を聞くが命あるものが死んだらどうなるのか、生あるものは息を引き取る時点で無になり全てのものは土に返るのだ。日本の国土は本来が神道であり、もしくは仏教である事が多い中で何故だか人々は他のあらゆる宗教の行いと言うか宗
線引きと言う言葉がある。物事を線引きするという事は難しいものである。良きにつけ悪しきにつけその出来事の判断基準のあやふやなものの線引きには不確かなものがある。例えば白紙に縦線を引き左に良い事、右に悪い事とした場合に羅列された事柄はどちらが早くその余白が
この犬種に携わり長い時間が過ぎ想うことがたくさんあるのだが、人それぞれが思いが違うようにそれぞれが思い思いに過ごして来た時がある。人の気持ちと言うものは不思議、かつあやふやなものと思うのだが、時としてその勝手さは人の想いを純粋な思いの中で留まらせない
きれいなものを見ると気持ちが落ち着き、私達を幸せにする。反対に汚れたものを見ると気持ちがざわめくのは何故なのだろうか。 ビーグルと言う犬種にグルーミング<美容>が必要であると考える人は本当に少ないのが現状です。私の所にこれまでに沢山の方がお出で頂きまし
JKCに於いてはアワードの発表の時期になりそれぞれが、取ったぞと言わんばかりに全国的に伝える事が多くなった。だがしかしその歴史的にはだいぶ折れ曲がった時期が長くありました。1994年であったと思うが、当時マスターフーズと言う社名でペデグリーアワードと言う優
店舗では狂犬病ワクチン接種済みと言うのはあまり聞かない事であるが、混合ワクチン接種済みは良く説明書きが貼ってあるように思います。買う方の思いは無視するように、ほぼ強制的に接種してしまい、それにかかわる経費の計算が表示されている。譲受者にとっては犬体やそ
犬におけるワクチンの違いを説明します。通常考えられるワクチンは狂犬病、混合ワクチンの2種類が考えられます。その他予防を必要とするものには、犬フェラリアとノミ、ダニの予防薬フロントラインなどが考えられる。ここではまず前記二つのワクチンについて考えてみます。
ものには終わりがある、ものには始まりがあるから全てに終わりがある。犬達の死、人の死を終わりとするなら、全てのものに終わりは必ず来るものである、それも始まりがあったからで世に生きた時から全てのものには決められた終わりの時が決められているのかもしれない。例
私は亡くなるという方向に向かっている。人の命はいつ果てるとは予想もつかないものではある。私は必要であろう人を無くしたことがあるが、何だか後悔と言うものが長い間抜けきらないでいた。暮らしには思いもよらない事が起きる。好き好んでそうしたことが起きることを望
人は着飾ると何かと気持ちが穏やかでなくなるような気がします。一張羅と言う言葉が日本にはあるがそんな装いはなんだか気持ちの高揚が始まるような心持です。私事ではあるが、私には少し変わった思いがあり、一度気に入るブランドがあると何だかその物ばかりを集めてしま
私は30代の後半まで会社勤めをしていた。今でいう二刀流である、百貨店を相手の営業部に所属していて百貨店に自社製品を売る仕事に就いていた。そこでいろいろと気づくことがあり、日本の人は何てバカ丁寧な事を平然とするのだろうかと不思議に思う事があり、例えば日本の
自身の体調が不完全のまま1か月が過ぎた。しばらくこのコラムも休止していた。その間出産があり動かない身体と相談しながらようやく出産を終えた。この数年経験しない事が起きたがそれも何故なのかが解からないまま、子犬は出産後1週間以内に息を絶つ子がいる。私には何が
ソクラテスは瘦せていたのか<古代の人だから実際のことは解からない>、ただこの人の書き残したものはなく、のちに弟子たちがその思いや考えを書き記したものと思う。想像するに痩せていた人物像がなんとなく浮かび上がるのは何故なんだろう、世の中色々な考え方があり
すべての生き者はそれを生きるために捉えたり飼育したりして生命を保つ術を行っている。<もうすぐたべられるぼく>という絵本があるという。生き者の中で全てにおいて特化している者は言われもない人間である。ただ人間は悲しみや辛い事や憎しみや妬みなど多くの思いを
私は花を咲かせることが好きである。犬舎周りにいろいろな花を通年咲かせている。きれいなものを見る事はとても気持ちの良いもので何事にも通じるものだと思う。私は特には蘭を咲かせることが好きです。何年もの間失敗しては捨てていたものがこの7年ほど前からは大事に管
皆さんは雑種と言う言葉をご存じでしょうか、今では懐かしい古の言葉になってしまったかのように使われなくなったのかも知れません。現在ミックスドックと言われている呼び名がそれです。何故雑と言うのか、色々な方向からのいろいろのものが入りまじっている、多くのも
2023年今年の本部展<JKCさくらアニュアルショー2023の結果>オス ベストドック CH 19.8 AGNESDREAMS’ FAIRY STORYメス ベストビッチ CH. 21.12 AGNESDREAMS’ HERAT OF MY HERATBOB。G 1ST CH AGNESDREAMS’ FAIRY STORY 〈オス>
私は20歳代の中頃に、その頃言われていたウサギ小屋ごとくの小さな建売住宅を手にした。勿論全額ないので半分をローンで借りた。先にも後にもこれが私の人生での初めての借金でしたがやがてバブルが来て4倍の値でその物件を売却したので残りの借金をきれいにした。今に思え
2023年の本部展が終わった。3月31日から4月2日の開催であった。私がショーを始めた頃は晴海の東京見本市会場であったが、今はお台場のビックサイトに会場が変わっています。また私が始めた頃のハウンド種のグループは、全てのハウンド全犬種であったので相当数の
桜の花びらが舞う時期が来た。今年は例年よりも早く迎えたようである、ふた昔前までは、本部展の頃にはいまは無いが東京見本市会場の周りには桜が咲いていた。時が過ぎ世の中も変わり、そうした風景までも変わりました。 長い間にいろいろな犬達がインポートされて私のケ
犬達の生涯を決めるのはどのような飼い主に出会うかによってその生涯が決められてしまう。飼い主にはいろいろな思いで犬を飼う事になるのだが、用途と言うか目的にもよってその犬達は大きく変わらずを得ない事も起きえる。飼い主は気に入った犬達を選ぶことが出来るが、犬
外は穏やかで温かい春、花粉が飛ばなければ良い季節なのだがどうも今年は花粉が車の屋根にまるでワックスのように残るのが見られる。 子犬は繁殖者の管理下から離れると、どんな状況下の中でも過ごしていかなくれはならない。泥だらけで過ごす犬もあれば、きれいに爪を
人は本当に非力なものだと思う、例えば人は他人の性格や性質を変えることは出来ないし、世の中を変えようなんてことが出来るのか思い悩むところである。個人が出来る事なんか、ごくごく限られた範囲の中でしか成立しない。人は悲しみや、辛さ怒りなど犬達には持ち合わせな
私の所には現在、ホーク、そらちゃん、音ちゃん、そして,ののちゃん<野々花>が暮らしている。以前のような30数頭の頃から思えば本当に少なく管理も楽、その他私名義の犬達は弟子の所で暮らしている。私が長い事犬達との生活の中で、ここにいるそらちゃんと言う子は本当
最近、今年になってから私は犬の知り合いやオーナーさんたちに対して、連絡を取ることが無くなった。そして出来る限り愛犬家と言う言葉を使わなくなりそのように呼ばなくなった。何故なんだろう、愛犬家とはいったい何者なんだろう、犬に愛を与える人の事なのかも知れない
犬に関するブログはどれほどの数があるのか数は私には解からないが、おそらく何千ブログにもなるのではないか、そのほとんどが飼育犬の日常や何を食べどのような遊びをしたなどのたわいもない出来事のものかもしれない、そしてそこに写真を重ねて見る人達の関心を引く、そ
たがいに忘れないということが ただひとつの約束になる そんな別れかたをして私は町に還ってきた 彼女は降りしきる雪をみていた雪は傷痕にしみみるみる関東ローム層の赤い土を覆いかくした彼女はいつまでもそうしていた連翹<れんぎょう>の花が枝を差しのべる窓に倚
15の春に 私は何を無くしたのだったか もう忘れてしまった 真珠色の万年筆だったか 姉譲りの密かな恋だったかもう忘れてしまった。10代の頃の懐かしい詩の一部である。歳が経過して思うことは何故こんなに頑張ったのに思うような成果が上げられなかったかと、努
いつもいつも紙面上には犬はきれいに飼うものと言い続けてきました。 けれども、皆さんがどのように飼い犬と向きあっているのかが解からない状況の中では、ほとんど様子は見えてこない事が現状ですから、伺い知ることができないまま日は過ぎていく、また、情報サイトの中
何の前触れもなく 2023年はやって来た。思うこと多く成すことの少ない2022年だったから、今年は疲れ切った昨年の気持ちをどうにか立て直す事から始まるようです。昨年私は本当に疲れ切って、待っていてもモノは来ない、こちらから行かない限り来ないのだと想いな