【全4作品】フランク・ロイド・ライトが残した日本建築 フランク・ロイド・ライトの日本建築作品 帝国ホテル(※玄関部分のみ) 自由学園明日館 ヨドコウ迎賓館 旧林愛作邸 1.帝国ホテル(※玄関部分のみ) photo by *Yaco*/CC
山本理顕は、横浜国立大学や日本大学などの建築科で教授などを務めた経歴を持つ、日本を代表する建築家である。代表作としては「横須賀美術館」「公立はこだて未来大学」などが挙げられ、美術館や教育施設などの大規模建築を数多く手がけている。建築としては、ガラスと力強い構造体を利用したスタイリッシュな作品が多く、派手さというより空間の面白さで勝負する建築家だ。今回は、そんな建築家山本理顕の建築作品9選をご紹介したいと思います。
原広司は、住宅建築から美術館やドーム建築まで、幅広い建築作品を手掛ける日本を代表する建築家である。代表作には「札幌ドーム」や「梅田スカイビル」などがあり、建築に詳しくない人でも知っているような大規模建築を多く手がけている。さらに、世界各地の集落を調査・研究したことでも知られており、その研究結果をまとめた著書『集落の教え100』は、建築家を目指す者なら一度は読んだことのある名著となっている。今回は、そんな建築家原広司の建築作品10選をご紹介したいと思います。
三分一博志は、日本建築学会作品賞を始めとして、多くの賞を受賞した経験を持つ日本を代表する建築家である。「建築が地球の一部となること」という一貫したテーマを基に設計活動を行っており、このテーマの通り、念入りに敷地の自然環境などを調査した上で設計された「自然と共生する建築」が特徴的。特に代表作「犬島精練所美術館」は、その土地の自然環境や歴史などを見事に設計に組み込んだ、唯一無二の建築作品となっている。今回はそんな三分一博志の代表作7選をご紹介したいと思います。
谷口吉郎は、「東京国立近代美術館」や「東京帝国劇場」など、日本を代表する建築を数多く手がけた昭和期を代表する建築家である。金沢市に生まれ、1978年には建築界におけるた偉大な功績が認められ「金沢市名誉市民」第一号にも選ばれている。また、谷口吉郎の子「谷口吉生」も建築家であり、「ニューヨーク近代美術館」の設計を務めるなど世界的に活躍する建築家でもある。今回は、日本建築界に多大なる影響を与えた建築家「谷口吉郎」の代表作7選をご紹介したいと思います。
谷口吉生は、美術館・博物館・水族館など大規模建築を数多く手がけることで知られる日本を代表する建築家である。谷口吉生の父「谷口吉郎」も昭和期を代表する建築家として、数多くの作品を残していることでも知られている。谷口吉生建築は、水平・垂直ラインを強調したスタイリッシュ作風が特徴的で、その洗練されたスタイルは海外からも高く評価されている。今回は、そんなスタイリッシュな建築を数多く手がける建築家谷口吉生の代表作12選をご紹介したいと思います。
藤森照信は元々「建築史家」をしていたが、45歳の時に「建築家」としてデビューしたという特異な経歴の持ち主である。藤森照信が設計する建築は、「ジブリ」に登場しそうな自然と一体となった作品が多く、建築マニアだけでなく建築に興味がなかった人たちすらも、建築の世界に誘う力を持っている。とはいえ本業は建築史家なので、建築史関連の著書も多く、共著なども含めると100近い本を出しているのではないだろうか。今回はそんな得意な経歴を持つ建築家「藤森照信」の代表作10選をご紹介したいと思います。
槇文彦は、国内外で数々の権威ある賞を受賞してきた経歴を持つ、日本を代表する建築家である。代表作としては、「スパイラル」「ヒルサイドテラス」などが挙げられ、洗練された空間構成が魅力的な建築を数多く手がけている。建築の傾向としては、人々が心地いいと感じる空間構成を追求されており、年月を重ねても色あせない空間が魅力的である。今回はそんな槇文彦の代表作16選をご紹介したいと思います!
青木淳は、住宅から商業建築・美術館など幅広い建築作品を手掛ける建築家である。特に、日本や海外に建つルイ・ヴィトンの外装設計をいくつも担当しており、建築界ではルイ・ヴィトンと言えば青木淳というイメージも定着している。また、青木淳の著書「原っぱと遊園地」では独自の建築論を示しており、建築の在り方について新たな議論の火種となった。今回はこのような特徴を持つ建築家「青木淳」の代表作10選をご紹介したいと思います。
古谷誠章は、早稲田大学の建築学科で教授を務めることでも知られる建築家である。住宅・学校校舎・道の駅・図書館・美術館など幅広い建築作品を手掛け、2017年には日本建築学会の会長に就任するなど、名実ともに偉大な建築家である。古谷誠章はいろんな建築を設計しているが、最も注目を浴びた作品はおそらく「せんだいメディアテーク」のコンペで2等となった案であろう。そんな異色の経歴を持つ古谷誠章の代表作8選を、今回ご紹介していきたいと思います。
乾久美子は、建築学生なら知らない者はいない横浜国立大学大学院「Y-GSA」の教授を務める建築家である。ルイ・ヴィトンやディオールといった商業建築を数多く手がける一方で、近年では旅客ターミナルや大学キャンパスなど活動の幅を広げている。今回は、そんな今勢いのある建築家「乾久美子」の代表作品をご紹介したいと思います!
石上純也は、世界的建築家「妹島和世」の事務所を出て、2014年にはハーバード大学の客員教員なども務める建築家である。建築の作品数こそあまり多くないが、KAIT広場・KAIT工房を始めとして、前例のない異彩を放った建築作品を多く手がける。また、洞窟のような建築や広場のような建築など、自然と建築の関係性を重視した作品も多く、庭の設計も行うなど活動の幅もかなり広い。
藤本壮介は、2025年に開催される「大阪・関西万博」の会場のデザインプロデューサーを務めるなど、今最も勢いのある建築家である。藤本建築は、真っ白な塗装と洗練された形態というのが特徴的で、全く異なる建築でも藤本壮介らしさというのがあふれ出ていて面白い。東京大学を卒業しながらも、卒業後数年間はニート同然の暮らしをしていたというのも親近感を覚える建築家である。
九州で最も人口が多く、福岡市と北九州市という2つの政令指定都市を抱える福岡県。博多ラーメンやもつ鍋など料理がおいしいことでも知られる福岡県ですが、実は一風変わった建築物も多く存在する。そこで今回は、「福岡県の有名建築物17選」をご紹介します。現代建築からレトロ建築までいろんな建築をご紹介します!
アクロス福岡は、コンサートホールや国際会議場を始めとする公共施設と、ショップやレストランなどの民間施設が複合された「公民複合施設」である。竣工は1995年。旧福岡県庁舎の跡地を利用する形で建設された。斜めに切断されたような階段上の大屋根と、その大屋根を覆う空中庭園が特徴的。アクロス福岡の南側には、緑豊かな天神中央公園が存在し、天神公園とアクロス福岡の緑が混じり合い、高層ビルが立ち並ぶ都市に豊かな空間を作り出している。
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【全4作品】フランク・ロイド・ライトが残した日本建築 フランク・ロイド・ライトの日本建築作品 帝国ホテル(※玄関部分のみ) 自由学園明日館 ヨドコウ迎賓館 旧林愛作邸 1.帝国ホテル(※玄関部分のみ) photo by *Yaco*/CC
内藤廣の家族構成【妻・子供・父親・母親は何者?】 https://youtu.be/l52fhioMHkg?si=anRMXGEmqFdUIVox 内藤廣の家族構成 妻:事務所マネージャーも務める「内藤鏡子」 子供:娘が2人いる 父親:航空
ジョンソンワックス本社ビルとは? photo by Michael Barera/CC 表示-継承 4.0 設計:フランク・ロイド・ライト 住所:アメリカ・ウィスコンシン州ラシーン 竣工:1939年 用途:事務所 ジョンソンワックス本社ビル
自由学園明日館とは? photo by Kakidai/CC 表示-継承 4.0 設計:フランク・ロイド・ライト+遠藤新 住所:東京都豊島区西池袋2-20 竣工:1922年 用途:校舎 URL:公式ページ 自由学園明日館は、近代建築の三大巨
建築家・白江龍三とは? 引用 白江 龍三 株式会社白江建築研究所 登録建築家 白江隆三のプロフィール 生誕:1952年1月24日 年齢:72歳 出身:埼玉県 職業:建築家 白江龍三は、あの有名な「金沢駅」を設計したことで知られる
白江龍三のプロフィール 引用 白江 龍三 株式会社白江建築研究所 登録建築家 白江隆三のプロフィール 生誕:1952年1月24日 年齢:72歳 出身:埼玉県 職業:建築家 白江龍三は、あの有名な「金沢駅」を設計したことで知られる
タリアセンは、建築家フランク・ロイド・ライトの「自邸兼設計事務所」として1911年から建設が開始された建築物である。自宅・設計事務所の他に、このタリアセンにはもう一つ「建築塾」としての機能も備わっており、ライトの弟子たちが共同生活を営みながら、建築の実践と教育を行う場にもなっていた。そんなライトがエッセンスが詰まったこのタリアセンは、アメリカ内の2か所に存在している。一つは、アメリカ合衆国中西部最北の地・ウィスコンシン州に建つ「タリアセン・イースト(1911年~)」。※単にタリアセンともいう。もう一つは、アメリカ合衆国南西部のアリゾナ州に建つ「タリアセン・ウェスト(1938年~)」である。ライトとその弟子たちは毎年2回、隊を組んでウィスコンシン州とアリゾナ州を行き来していたという。
自転車製造業で財を成したフレデリック・C・ロビーの邸宅として、2010年にアメリカ第三の都市・シカゴに建設された個人住宅「ロビー邸」。ロビー邸は、フランク・ロイド・ライトが提唱した革新的な建築思想「プレーリースタイル(草原様式)」の最高傑作とも言われる、ライトの代表作である。建築全体は、周囲の豊かな自然環境に溶け込むように高さが抑えられ、限りなく続く地表と並列するように水平ラインが強調されている。さらに平面的にも、大きなバルコニーやテラスを設けることで、周辺環境と建物内部との連続性を演出。建築全体がまるで草原に溶け込むような構成となっている。そんなロビー邸は、2019年7月に「フランク・ロイド・ライトの20世紀建築作品群」として世界遺産に登録されている。
ミース・ファン・デル・ローエは、「ル・コルビュジェ」「フランク・ロイド・ライト」と共に近代建築の三大巨匠の1人として知られる、モダニズムを代表する建築家である。ミースが残した「Less is more(より少ないことは、より豊かなことである)」という言葉は、モダニズムの思想を端的かつ象徴的に表した言葉として、建築界で語り継がれている。ミースの代表作品としては、住宅建築の傑作「ファンズワース邸」や、現代の超高層ビルの走り「シーグラムビル」、モダニズム建築の代表作「バルセロナ・パビリオン」などが挙げられる。また、モダニズムの源流となった教育機関「バウハウス」の3代目校長を務めたことでも知られており、理論と実践の両面からモダニズムと向き合った建築家であったことがわかる。1959年にはRIBAゴールドメダル、1960年にはAIAゴールドメダルという世界的権威のある建築賞を受賞した後、1969年にその壮絶な人生に幕を閉じた。
アメリカ合衆国イリノイ州・シカゴの中央部に位置する、私立の理工系研究大学「イリノイ工科大学」。このイリノイ工科大学のキャンパス内には、建築学科のスタジオとして建設された「クラウンホール」という近代建築が存在している。クラウンホールを設計したのは、近代建築三大巨匠のひとりとして知られる建築家「ミース・ファン・デル・ローエ」である。ミースは、ナチスの独裁政権から逃れるためアメリカに亡命した後、イリノイ工科大学・建築学科の主任教授に就任。加えて、同大学のキャンパス全体計画を担当している。そのため、イリノイ工科大学内にはミースが設計した建物が複数存在するのだが、その建築群の中でも特に高い評価を得ているのが、このクラウンホールなのである。
ベルリンの中心地に、複数の棟に分散する形で存在している「ベルリン国立美術館」。そんなベルリン国立美術館群を構成する建物の一つに『新ナショナルギャラリー』と呼ばれる近代建築が存在する。この建物を設計したのは、近代建築三大巨匠のひとりとして知られるドイツ出身の建築「ミース・ファン・デル・ローエ」である。新ナショナルギャラリーは、8本の十字柱、グリッド状の梁、建物全面を覆うガラス、という最小限の要素によって構成されており、モダニズムが追求したユニバーサルスペースを見事に具現化している。また、この建築はミースが亡くなる前年に竣工したことでも知られており、彼のエッセンスが詰まった最高傑作としても名高い。
トゥーゲントハット邸は、チェコ第2の都市としてして知られる観光地「ブルノ」に建つ住宅建築である。建築の設計は、近代建築三大巨匠のひとりとして知られるドイツ出身の建築家「ミース・ファン・デル・ローエ」が担当。この邸宅は、ミースの代表作であると共に、近代建築の特徴を顕著に表したモダニズムの最高傑作としても知られており、2001年にはユネスコの世界遺産にも登録されている。敷地は、ブルノの傾斜地に位置しており、その傾斜に沿うように、白く純粋な形状をした3階建ての建物が建てられている。建物内部には、コルビュジェが提唱した「近代建築の五原則」の一つ「自由な平面」を具現化するなど、近代建築家・ミースのエッセンスが詰まった構成となっている。
シーグラム・ビルディングは、1958年にアメリカの都市・マンハッタンに建設された、高さが約157mにも及ぶ超高層ビル建築である。建築の設計は、近代建築三大巨匠のひとり「ミース・ファン・デル・ローエ」と、モダニズム・ポストモダンを牽引した建築家「フィリップ・ジョンソン」の2人が共同で行われた。この建築は、モダニズムが追求した「ユニバーサルスペース」「インターナショナルスタイル」「機能主義」といった概念をほぼ完璧に具現化しており、モダニズム建築の極致とも言われている。さらに、シーグラム・ビルディングは、現在世界各地の都市で展開されている超高層ビルのプロトタイプ(原型)になったことでも知られており、現代社会に大きな影響を与えたとされている。
バルセロナ・パビリオンは、1929年にスペイン・バルセロナで開催された「バルセロナ万国博覧会」のドイツ館として建設されたパビリオン建築である。建築の設計は、近代建築三大巨匠の1人として知られるドイツ出身の建築家「ミース・ファン・デル・ローエ」が担当。この建築は、万博のパビリオン(仮設建築)として建設され施設であるため、万博終了後にはすぐに解体されてしまった。しかし、モダニズム建築の特徴を象徴的に表したミースの代表作として高い評価を得ていたため、ミース生誕100周年に当たる1986年に当時の姿のまま正確に復元され、現在は「ミース・ファン・デル・ローエ記念館」として公開されている。ミースの初期の代表作であると共に、モダニズムの傑作としても知られる建築作品である。
ジャン・ヌーヴェルは、「プリツカー賞」や「RIBAゴールドメダル」といった世界的権威のある建築賞を総なめにする、フランス出身の建築家である。フランス・パリの国立美術学校「エコール・デ・ボザール」在籍中に自身の事務所を設立し、設計活動を開始。その後、1981年に実施された「アラブ世界研究所」の国際コンペで最優秀賞を獲得。この作品によってジャン・ヌーヴェルの名は世界に轟くこととなる。そんな、ジャン・ヌーヴェルの代表作には「アラブ世界研究所」はもちろんのこと、「ケ・ブランリ美術館」や「トーレ・アグバール」など、前衛的な建築作品が数多く挙げられる。これらの作品の共通点は、ガラスと光を巧みに利用している点にある。このことから「ジャン・ヌーヴェル=ガラスと光を巧みに扱う建築家」というイメージが建築界では浸透している。
電通本社ビルは、日本屈指の広告代理店「電通」の本社ビルとして、2002年東京都港区東新橋に建設された超高層ビルである。建物全体は、約213mの高さを誇る「オフィス棟」、商業施設や劇場などが入る「カレッタ汐留」、貸事務所が入る「汐留アネックスビル」、講演会などを行える「電通ホール」の4棟で構成されている。建築の設計は、スーパーゼネコンの一角を担う「大林組」と、フランスを代表する建築家「ジャン・ヌーヴェル」、アメリカの建築家「ジョン・ジャーディ」の三者が共同で行った。プロジェクト全体のコンセプトは「クリスタル&ロック」。岩のように強固な地盤の上に、クリスタルのように鋭い高層棟を建てるという意図が明快に表れたコンセプトとなっている。
トーレ・アグバールは、アントニ・ガウディの建築作品が数多く存在することで知られるスペイン第二の都市「バルセロナ」のシンボルとして知られる超高層ビル建築である。トーレ・アグバールという名は、スペイン語で塔を意味する「トーレ(torre)」と、バルセロナの水道会社の名称「アグバール(Agbar)」を組み合わせたものである。建築の設計は、世界各地で数多くの大型プロジェクトを手掛けるフランスの建築家「ジャン・ヌーヴェル」が担当。水道会社のオフィスビルとして建てられたトーレ・アグバールは、「水」という自然要素をモチーフとしてデザインされている。そういわれてみると、確かにトーレ・アグバールの独特な形態は、噴水や間欠泉のようなイメージを誘発するし、不規則に仕上げられたファサード面は、風に揺らぐ水のようにも見える。
ルーヴル・アブダビは、フランスに建つ世界一有名な美術館「ルーヴル美術館」の姉妹館として、2017年アラブ首長国連邦の首都アブダビに設立された美術館である。この美術館では、フランスを代表する13の美術館(ポンピドゥーセンターやケ・ブランリ美術館など)から300点にも及ぶ収蔵品を借り受け、さらに独自に収集した作品なども併せて多彩な展示を行っている。ルーヴル・アブダビの設計は、フランスを代表する建築家「ジャン・ヌーヴェル」が担当。アラブの歴史的な街並みにみられる箱型低層建築の集合体(55棟)が、ここでは直径180mのドーム屋根によって覆われており、一つの街のような空間を生み出している。さらに、巨大なドームは、ステンレスの骨組みの上下に4層ずつ、幾何学的形態をしたアルミニウムのレイヤーが被せられており、計8つのレイヤーを透過して建物内部に届く光は、まるで森の中の木漏れ日のような幻想的な光へと変化する。
カタール国立博物館は、中東の国カタールの歴史を伝えるための施設として、2018年に首都ドーハに建設された国立博物館である。建築の設計は、世界的に活躍するフランスの建築家「ジャン・ヌーヴェル」が担当。建物全体は、沿岸のような水が存在する砂漠地帯でのみでしか生まれない薔薇型の鉱物結晶「砂漠の薔薇」の形態をモチーフにデザインされており、巨大な円盤を縦横ランダムに組み合わせたような形態となっている。また、その円盤は外形のみならず内部空間すらも形作り、世界的にも類を見ない異質な建築空間が生み出されている。巨大な円盤が交差するこの複雑な形態の実現には、最先端の建築技術が導入されている。これも、石油や天然ガスなどの天然資源に恵まれた国・カタールだからこそ実現しえ得た建築作品なのだろう。
ケ・ブランリ美術館は、ヨーロッパ以外の地域(アフリカ・アジア・オセアニア・アメリカ)の美術品や資料を展示するための施設として、2006年フランス・パリに開館した美術館である。本美術館は、フランス・パリの象徴であるエッフェル塔の足元に計画され、建物の周囲にはフランスのランドスケープ・アーキテクト「ジル・クレモン」がデザインした庭園が広がっている。建築の設計は、フランスを代表する現代建築家「ジャン・ヌーヴェル」が担当。建物全体は、1階部分がピロティ空間として空洞化されており、人々の流れや風の流れが建物によって途切れないような構成となっている。さらに、ケ・ブランリ美術館のファサードには多様性があり、太陽が当たる南側は鱗のようなルーバーで覆われているのに対して、北側はガラス面から複数の箱が飛び出したような異質な外観を呈している。前衛的建築家ジャン・ヌーヴェルが手がけた建築作品の中でも、特にユニークな特徴を持つ建築物である。
【全4作品】フランク・ロイド・ライトが残した日本建築 フランク・ロイド・ライトの日本建築作品 帝国ホテル(※玄関部分のみ) 自由学園明日館 ヨドコウ迎賓館 旧林愛作邸 1.帝国ホテル(※玄関部分のみ) photo by *Yaco*/CC
内藤廣の家族構成【妻・子供・父親・母親は何者?】 https://youtu.be/l52fhioMHkg?si=anRMXGEmqFdUIVox 内藤廣の家族構成 妻:事務所マネージャーも務める「内藤鏡子」 子供:娘が2人いる 父親:航空
ジョンソンワックス本社ビルとは? photo by Michael Barera/CC 表示-継承 4.0 設計:フランク・ロイド・ライト 住所:アメリカ・ウィスコンシン州ラシーン 竣工:1939年 用途:事務所 ジョンソンワックス本社ビル
自由学園明日館とは? photo by Kakidai/CC 表示-継承 4.0 設計:フランク・ロイド・ライト+遠藤新 住所:東京都豊島区西池袋2-20 竣工:1922年 用途:校舎 URL:公式ページ 自由学園明日館は、近代建築の三大巨
建築家・白江龍三とは? 引用 白江 龍三 株式会社白江建築研究所 登録建築家 白江隆三のプロフィール 生誕:1952年1月24日 年齢:72歳 出身:埼玉県 職業:建築家 白江龍三は、あの有名な「金沢駅」を設計したことで知られる
白江龍三のプロフィール 引用 白江 龍三 株式会社白江建築研究所 登録建築家 白江隆三のプロフィール 生誕:1952年1月24日 年齢:72歳 出身:埼玉県 職業:建築家 白江龍三は、あの有名な「金沢駅」を設計したことで知られる
タリアセンは、建築家フランク・ロイド・ライトの「自邸兼設計事務所」として1911年から建設が開始された建築物である。自宅・設計事務所の他に、このタリアセンにはもう一つ「建築塾」としての機能も備わっており、ライトの弟子たちが共同生活を営みながら、建築の実践と教育を行う場にもなっていた。そんなライトがエッセンスが詰まったこのタリアセンは、アメリカ内の2か所に存在している。一つは、アメリカ合衆国中西部最北の地・ウィスコンシン州に建つ「タリアセン・イースト(1911年~)」。※単にタリアセンともいう。もう一つは、アメリカ合衆国南西部のアリゾナ州に建つ「タリアセン・ウェスト(1938年~)」である。ライトとその弟子たちは毎年2回、隊を組んでウィスコンシン州とアリゾナ州を行き来していたという。
自転車製造業で財を成したフレデリック・C・ロビーの邸宅として、2010年にアメリカ第三の都市・シカゴに建設された個人住宅「ロビー邸」。ロビー邸は、フランク・ロイド・ライトが提唱した革新的な建築思想「プレーリースタイル(草原様式)」の最高傑作とも言われる、ライトの代表作である。建築全体は、周囲の豊かな自然環境に溶け込むように高さが抑えられ、限りなく続く地表と並列するように水平ラインが強調されている。さらに平面的にも、大きなバルコニーやテラスを設けることで、周辺環境と建物内部との連続性を演出。建築全体がまるで草原に溶け込むような構成となっている。そんなロビー邸は、2019年7月に「フランク・ロイド・ライトの20世紀建築作品群」として世界遺産に登録されている。
ミース・ファン・デル・ローエは、「ル・コルビュジェ」「フランク・ロイド・ライト」と共に近代建築の三大巨匠の1人として知られる、モダニズムを代表する建築家である。ミースが残した「Less is more(より少ないことは、より豊かなことである)」という言葉は、モダニズムの思想を端的かつ象徴的に表した言葉として、建築界で語り継がれている。ミースの代表作品としては、住宅建築の傑作「ファンズワース邸」や、現代の超高層ビルの走り「シーグラムビル」、モダニズム建築の代表作「バルセロナ・パビリオン」などが挙げられる。また、モダニズムの源流となった教育機関「バウハウス」の3代目校長を務めたことでも知られており、理論と実践の両面からモダニズムと向き合った建築家であったことがわかる。1959年にはRIBAゴールドメダル、1960年にはAIAゴールドメダルという世界的権威のある建築賞を受賞した後、1969年にその壮絶な人生に幕を閉じた。
アメリカ合衆国イリノイ州・シカゴの中央部に位置する、私立の理工系研究大学「イリノイ工科大学」。このイリノイ工科大学のキャンパス内には、建築学科のスタジオとして建設された「クラウンホール」という近代建築が存在している。クラウンホールを設計したのは、近代建築三大巨匠のひとりとして知られる建築家「ミース・ファン・デル・ローエ」である。ミースは、ナチスの独裁政権から逃れるためアメリカに亡命した後、イリノイ工科大学・建築学科の主任教授に就任。加えて、同大学のキャンパス全体計画を担当している。そのため、イリノイ工科大学内にはミースが設計した建物が複数存在するのだが、その建築群の中でも特に高い評価を得ているのが、このクラウンホールなのである。
ベルリンの中心地に、複数の棟に分散する形で存在している「ベルリン国立美術館」。そんなベルリン国立美術館群を構成する建物の一つに『新ナショナルギャラリー』と呼ばれる近代建築が存在する。この建物を設計したのは、近代建築三大巨匠のひとりとして知られるドイツ出身の建築「ミース・ファン・デル・ローエ」である。新ナショナルギャラリーは、8本の十字柱、グリッド状の梁、建物全面を覆うガラス、という最小限の要素によって構成されており、モダニズムが追求したユニバーサルスペースを見事に具現化している。また、この建築はミースが亡くなる前年に竣工したことでも知られており、彼のエッセンスが詰まった最高傑作としても名高い。
トゥーゲントハット邸は、チェコ第2の都市としてして知られる観光地「ブルノ」に建つ住宅建築である。建築の設計は、近代建築三大巨匠のひとりとして知られるドイツ出身の建築家「ミース・ファン・デル・ローエ」が担当。この邸宅は、ミースの代表作であると共に、近代建築の特徴を顕著に表したモダニズムの最高傑作としても知られており、2001年にはユネスコの世界遺産にも登録されている。敷地は、ブルノの傾斜地に位置しており、その傾斜に沿うように、白く純粋な形状をした3階建ての建物が建てられている。建物内部には、コルビュジェが提唱した「近代建築の五原則」の一つ「自由な平面」を具現化するなど、近代建築家・ミースのエッセンスが詰まった構成となっている。
シーグラム・ビルディングは、1958年にアメリカの都市・マンハッタンに建設された、高さが約157mにも及ぶ超高層ビル建築である。建築の設計は、近代建築三大巨匠のひとり「ミース・ファン・デル・ローエ」と、モダニズム・ポストモダンを牽引した建築家「フィリップ・ジョンソン」の2人が共同で行われた。この建築は、モダニズムが追求した「ユニバーサルスペース」「インターナショナルスタイル」「機能主義」といった概念をほぼ完璧に具現化しており、モダニズム建築の極致とも言われている。さらに、シーグラム・ビルディングは、現在世界各地の都市で展開されている超高層ビルのプロトタイプ(原型)になったことでも知られており、現代社会に大きな影響を与えたとされている。
バルセロナ・パビリオンは、1929年にスペイン・バルセロナで開催された「バルセロナ万国博覧会」のドイツ館として建設されたパビリオン建築である。建築の設計は、近代建築三大巨匠の1人として知られるドイツ出身の建築家「ミース・ファン・デル・ローエ」が担当。この建築は、万博のパビリオン(仮設建築)として建設され施設であるため、万博終了後にはすぐに解体されてしまった。しかし、モダニズム建築の特徴を象徴的に表したミースの代表作として高い評価を得ていたため、ミース生誕100周年に当たる1986年に当時の姿のまま正確に復元され、現在は「ミース・ファン・デル・ローエ記念館」として公開されている。ミースの初期の代表作であると共に、モダニズムの傑作としても知られる建築作品である。
ジャン・ヌーヴェルは、「プリツカー賞」や「RIBAゴールドメダル」といった世界的権威のある建築賞を総なめにする、フランス出身の建築家である。フランス・パリの国立美術学校「エコール・デ・ボザール」在籍中に自身の事務所を設立し、設計活動を開始。その後、1981年に実施された「アラブ世界研究所」の国際コンペで最優秀賞を獲得。この作品によってジャン・ヌーヴェルの名は世界に轟くこととなる。そんな、ジャン・ヌーヴェルの代表作には「アラブ世界研究所」はもちろんのこと、「ケ・ブランリ美術館」や「トーレ・アグバール」など、前衛的な建築作品が数多く挙げられる。これらの作品の共通点は、ガラスと光を巧みに利用している点にある。このことから「ジャン・ヌーヴェル=ガラスと光を巧みに扱う建築家」というイメージが建築界では浸透している。
電通本社ビルは、日本屈指の広告代理店「電通」の本社ビルとして、2002年東京都港区東新橋に建設された超高層ビルである。建物全体は、約213mの高さを誇る「オフィス棟」、商業施設や劇場などが入る「カレッタ汐留」、貸事務所が入る「汐留アネックスビル」、講演会などを行える「電通ホール」の4棟で構成されている。建築の設計は、スーパーゼネコンの一角を担う「大林組」と、フランスを代表する建築家「ジャン・ヌーヴェル」、アメリカの建築家「ジョン・ジャーディ」の三者が共同で行った。プロジェクト全体のコンセプトは「クリスタル&ロック」。岩のように強固な地盤の上に、クリスタルのように鋭い高層棟を建てるという意図が明快に表れたコンセプトとなっている。
トーレ・アグバールは、アントニ・ガウディの建築作品が数多く存在することで知られるスペイン第二の都市「バルセロナ」のシンボルとして知られる超高層ビル建築である。トーレ・アグバールという名は、スペイン語で塔を意味する「トーレ(torre)」と、バルセロナの水道会社の名称「アグバール(Agbar)」を組み合わせたものである。建築の設計は、世界各地で数多くの大型プロジェクトを手掛けるフランスの建築家「ジャン・ヌーヴェル」が担当。水道会社のオフィスビルとして建てられたトーレ・アグバールは、「水」という自然要素をモチーフとしてデザインされている。そういわれてみると、確かにトーレ・アグバールの独特な形態は、噴水や間欠泉のようなイメージを誘発するし、不規則に仕上げられたファサード面は、風に揺らぐ水のようにも見える。
ルーヴル・アブダビは、フランスに建つ世界一有名な美術館「ルーヴル美術館」の姉妹館として、2017年アラブ首長国連邦の首都アブダビに設立された美術館である。この美術館では、フランスを代表する13の美術館(ポンピドゥーセンターやケ・ブランリ美術館など)から300点にも及ぶ収蔵品を借り受け、さらに独自に収集した作品なども併せて多彩な展示を行っている。ルーヴル・アブダビの設計は、フランスを代表する建築家「ジャン・ヌーヴェル」が担当。アラブの歴史的な街並みにみられる箱型低層建築の集合体(55棟)が、ここでは直径180mのドーム屋根によって覆われており、一つの街のような空間を生み出している。さらに、巨大なドームは、ステンレスの骨組みの上下に4層ずつ、幾何学的形態をしたアルミニウムのレイヤーが被せられており、計8つのレイヤーを透過して建物内部に届く光は、まるで森の中の木漏れ日のような幻想的な光へと変化する。
カタール国立博物館は、中東の国カタールの歴史を伝えるための施設として、2018年に首都ドーハに建設された国立博物館である。建築の設計は、世界的に活躍するフランスの建築家「ジャン・ヌーヴェル」が担当。建物全体は、沿岸のような水が存在する砂漠地帯でのみでしか生まれない薔薇型の鉱物結晶「砂漠の薔薇」の形態をモチーフにデザインされており、巨大な円盤を縦横ランダムに組み合わせたような形態となっている。また、その円盤は外形のみならず内部空間すらも形作り、世界的にも類を見ない異質な建築空間が生み出されている。巨大な円盤が交差するこの複雑な形態の実現には、最先端の建築技術が導入されている。これも、石油や天然ガスなどの天然資源に恵まれた国・カタールだからこそ実現しえ得た建築作品なのだろう。
ケ・ブランリ美術館は、ヨーロッパ以外の地域(アフリカ・アジア・オセアニア・アメリカ)の美術品や資料を展示するための施設として、2006年フランス・パリに開館した美術館である。本美術館は、フランス・パリの象徴であるエッフェル塔の足元に計画され、建物の周囲にはフランスのランドスケープ・アーキテクト「ジル・クレモン」がデザインした庭園が広がっている。建築の設計は、フランスを代表する現代建築家「ジャン・ヌーヴェル」が担当。建物全体は、1階部分がピロティ空間として空洞化されており、人々の流れや風の流れが建物によって途切れないような構成となっている。さらに、ケ・ブランリ美術館のファサードには多様性があり、太陽が当たる南側は鱗のようなルーバーで覆われているのに対して、北側はガラス面から複数の箱が飛び出したような異質な外観を呈している。前衛的建築家ジャン・ヌーヴェルが手がけた建築作品の中でも、特にユニークな特徴を持つ建築物である。