歴史紀行 78 - 4 壇ノ浦の戦い 壇ノ浦古戦場 4
壇ノ浦古戦場山口県下関市みもすそ川町壇ノ浦の戦い〜驕る平家は久しからず〜古代、飛鳥時代の蘇我馬子、入鹿父子。平安時代の貴族の頂点に立った藤原道長。そして平清盛。権力の絶頂にある為政者が驕り昂ぶるのは無理もないことなのでしょう。ぼくの個人史観になりますが、平家最大の罪は、驕り高ぶり一門を優遇させたことよりも、三種の神器と幼帝である安徳天皇を同行させたことにあると考えます。平家滅亡への布石1185年寿永4年2月18日、四国、屋島の戦いで敗れた平家の軍勢は海上に逃れました。屋島の戦い直前、帰属しない河野通信を討つべく、平家の信任の篤い阿波教能が出払っていたことが後の壇ノ浦の戦いの決定的な布石となります。平家の軍勢は屋島の東の志度浦にて体勢を立て直すべく赴くも、屋島から追撃してきた義経の軍勢に襲われ、海路で逃れま...歴史紀行78-4壇ノ浦の戦い壇ノ浦古戦場4
2024/03/31 06:00