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わさびの日記 https://blog.goo.ne.jp/tsuki29_1954

老後の暮らしを模索しています。健康のためランニング、楽しみにクラリネット、それに古文書解読を趣味にしたいと思っています。

わさび
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2021/08/08

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  • 徒然草第ニ百四段 (犯人を笞にて打つ時、拷問道具に緊縛する)

    「犯人はんにんを笞しもとにて打つ時、拷問道具に緊縛する」、犯人を捕まえて取り調べする時、鞭で打って白状させる。時代劇ではよく出てくる場面です。しらを切っているならば兎も角、罪を認めていても拷問します。そして、犯人になった哀れさを表現するためか、鞭で打たれ、髪が乱れて、顔が傷だらけになり、ぼろぼろの姿で牢に入れられます。岡っ引きに捕まった太吉は、白洲に引き出される。被害者の野州屋の主人と対面させられ、「こいつがやったんだ」と指さされる。奉行から「それは慥かなのか?」と聞かれ、「アッシが悪うございました」と素直に認める。そこに、もう一人ヤクザ者が引き出され、「こいつに唆されのではないか?」と問われる。後ろから、若い娘が現れ、「おとっさん~」と声を掛ける。そこで、奉行が「野州屋、アッシの顔に見覚えねえとは言わせ...徒然草第ニ百四段(犯人を笞にて打つ時、拷問道具に緊縛する)

  • 徒然草第ニ百三段 (勅勘の所に靫懸くる作法)

    「勅勘ちよくかんの所に靫ゆき懸かくる作法」、矢を入れる道具を懸けたりすると、忌まわしいものを封じるという意味があったようです。先祖の怨念を鎮めるために、高額の坪や印鑑を買わせる霊感商法をしている宗教団体が話題になっています。キリスト教系といいますが、本来、キリスト教は偶像信仰を厳しく禁止していますから、この教団は似非キリスト教です。キリスト教という仮面を被って、違法な行為で集金する犯罪集団といわざるを得ません。アメリカでは、共和党中心に、福音派と呼ばれる宗教勢力によるナショナリズムが政治に蔓延っていています。共和党が中国に厳しいのは、中国で宗教の自由が保障されていないからだと言われます。中国指導部の覇権的な思想には全く共感できませんが、宗教が政治に悪影響を及ぼす危険があるのは歴史的にも明らかです。日本でも...徒然草第ニ百三段(勅勘の所に靫懸くる作法)

  • 信貴山朝護孫子寺

    日帰りで、信貴山朝護孫子寺に行ってきました。麓の旅館に車を停め、山門から本堂まで、山道を登っていきます。途中に、赤い開運橋があります。橋の中ほどで、バンジージャンプができるようです。とても谷が深く、高所恐怖症の私は、橋の中央しか歩くことが出来ません。石段の道を歩いて行くと、大きな寅が見えてきました。昔、聖徳太子が、物部守屋を討伐する際に、この信貴山で戦勝祈願したら、天空から毘沙門天が現れたとのことです。その後、戦いに勝利したので、この山を信ずるべき貴い山、信貴山と名付けたそうです。また、毘沙門天が現れたのが、寅年の寅の日、寅の刻だったことから、寅が信仰されるようになったそうです。寅の前で記念撮影し、さらに石段を登っていくと、馬に乗った勇ましい姿の聖徳太子像があります。その後、成福寺、玉蔵院と参拝し、本堂へ...信貴山朝護孫子寺

  • 徒然草第ニ百二段 (十月を神無月と言ひて、神事に憚べきよし)

    「十月じふぐわつを神無月かみなづきと言ひて、神事しんじに憚はばかるべきよし」、十月は神事を憚るべきなどとは、どこの文献にも書いていない。神無月は、神様が伊勢に出かけていて不在だと言われるが、そうとも限らない。旧暦の10月は、年にもよりますが、11月から12月にかけての時季です。神様にとって、夏から秋の忙しい季節が終わり、来年に向けて一休みする時季なのでしょう。一種のバケーションなのかもしれません。神々が神殿を離れ、自然の中で自由に戯れると、神が宿ったように山々が紅葉する。宗教で、神に祈るのは、自力では何ともできないことを解決したいことがある時です。自力ではないので、他力ですが、他力、つまり神の力に祈るのは、自力の慢心を戒め、自力ではどうにもできないことを受け入れる意味もあるのでしょう。個人がどのような神を...徒然草第ニ百二段(十月を神無月と言ひて、神事に憚べきよし)

  • 徒然草第ニ百一段 (外なるは下乗、内なるは退凡なり)

    「外そとなるは下乗、内うちなるは退凡なり」、車両乗入れ禁止と立入禁止の意味のようです。世の中には、ルールに従わない人がいるものです。故意に従わないのか、気づかずないのか、気づかなかったから許されるものでもないでしょう。気づけよ!と言いたくなることもあります。年とともに気づかないことが多くなり、その部類に入った自分も気をつけなければ、人から嫌悪の目で見られると心配です。気づかないこととに加え、常識が分からないことがあります。特に、今時の常識は要注意です。先日も、レジに並んでいると、最近は間隔を空けて列の立つ位置に印がありますが、何人も並んでいるのに、一番前の人が終わると、スーとおばあさんがレジに横入りしました。悪びれる様子もないので、後ろに並んでいるのに気づかなかったのでしょう。注意したものか、待ち時間なん...徒然草第ニ百一段(外なるは下乗、内なるは退凡なり)

  • 徒然草第ニ百段 (呉竹は葉細く、河竹は葉広し)

    「呉竹くれたけは葉細く、河竹かはたけは葉広し」、竹にも色々と種類があるようです。呉竹は、ハチクと呼ばれ、高さが15mと大きくなる種類です。細く割りやすいので、茶道具の材料に利用されるそうです。河竹は女竹と呼ばれ、高さは5m程度、主に川や海岸に群生します。やわらかいことから、竹細工に利用されるそうです。春の味覚のたけのこは、孟宗竹(モウソウチク)で高さが20mにもなる大きな竹が良いそうです。江戸時代に中国からもたらされたといいますから、それ以前には、たけのこは食べなかったのでしょうか。近所にも竹林があり、なんとなく時代劇の雰囲気を感じさせます。どうして時代劇かと考えてみると、二人の侍が切り合いになり、竹林に入っていく、一方が竹を刀でバッサリ切ると、その竹が地面に落ちその後、ゆっくり相手の侍が崩れ落ちる。その...徒然草第ニ百段(呉竹は葉細く、河竹は葉広し)

  • 徒然草第百九十九段 (和国は、単律の国にて、呂の音なし)

    「和国わこくは、単律たんりつの国にて、呂りよの音なし」、雅楽の12音階で、偶数番目の陰の音が呂で、それ以外が律の音だそうです。つまり、中国と日本では音階が半音ずれていることになります。半音ずらすことで、全く違う世界を造り出せたのでしょう。日本の文化は、昔は中国、今は西洋の文化に影響を受けてきました。彼らからすると、単なる物まね、本家本元は自分達だと言いたいところでしょう。全く新しいものを発明・発見するにはスバ抜けた能力、天才的な閃きが必要なのかもしれませんが、創意工夫して改良し、より良いものにするにはコツコツと努力することが求められます。勤勉な日本人は、後者が得意との定評があります。なかなか画期的なものは思いつかないし、見つけ出す感性もないとされてきました。最近の日本人の活躍、スポーツにおいても、科学技術...徒然草第百九十九段(和国は、単律の国にて、呂の音なし)

  • 徒然草第百九十八段 (揚名介に限らず、揚名目といふものあり)

    「揚名介やうめいのすけに限らず、揚名目やうめいのさくわんといふものあり」、昔の国の名誉職、地方の名誉職です。名誉職は、何の役にも立たないのに、本人を納得させるために置く職のことです。政治家の国葬が話題になっています。個人的には、政治家を国葬するのは反対です。それは、政治家の評価は功罪大きいからです。国を挙げてということになると、功の部分を強調し、罪の部分を押し隠そうとします。政治の功罪は、後世に議論されなければなりません。そうすることにより、これからの国の有り方を自由に議論できます。国葬によって、それまでの政治が正しかったと決めつけるのは未来のためにも良くありません。少なくとも、この数年間の経済政策は、成長を阻害してきたと思っています。少子高齢化は分かっていても人口減少は加速、東日本大震災の経験があるのに...徒然草第百九十八段(揚名介に限らず、揚名目といふものあり)

  • 徒然草第百九十七段 (すべて、数定まりたる)

    「すべて、数定さだまりたる」、組織には定員というものがある。定員とは、許容数とも期待数とも考えられます。お店の定員も、これ以上多いと席が足りない、少ないと採算が悪くなる。できればいつも満席にしたいが、人気があれば定員以上の人が集まり、人気が無ければ定員割れになってしまう。さて、日本の人口に定員はあるのでしょうか。10年連続で人口は減少しています。これは、日本の社会に魅力が無くなったからかもしれません。国は、少子化対策で出生数を増やそうとの考えですが、その割には本気になってるとは思えません。それもそのはず、20年後も生きれるかどうか分からない、将来に対して他人事の老人ばかりで政治をしているからです。世の中、60歳を過ぎるとなかなか職に就けないのに、政治の世界はどうしてこんなに違うのでしょうか。社会も会社もダ...徒然草第百九十七段(すべて、数定まりたる)

  • 徒然草第百九十六段 (殊に先を追ふべき理あり)

    「殊ことに先を追ふべき理ことわりあり」、神社は人々が集い参拝するところだから、人々を追い払うようなことは良くないとする考えと、群衆の中には良からぬ者もいて、危険を避けるためには追い払うのも必要とする警備の論理の違いでしょう。リスク管理ということが、色々な事に意識される時代です。リスクマネジメントという言葉があります。何かする際には、必ずリスクはつきものです。リスクは、単に危険ということだけでなく、その危険が顕在化したとき、つまり事故やトラブルが起きた時、どれだけの損害を被るかということも含めて考えるものです。マネジメントは管理という意味ですが、危険への備えと蒙る被害とのバランスを図ることです。日本の国も社会も、このリスクマネジメントが弱いです。どうしても一かゼロかで考えがちです。先の戦争でも、もう戦うしか...徒然草第百九十六段(殊に先を追ふべき理あり)

  • へんな夢2

    夢の中で、勇気のいる行動が求められる場面があります。悪党に追い詰められるような夢ですね。昨夜も、そのような夢でした。真夜中、怪しい物音がして、誰かが家の外にいる。おそらくかみさんだと思いますが、見に行くようせっつかれます。嫌々ながら、そっと外を覗くと、怪しき人の気配、「誰だ!」と叫びながら、家の外に飛び出たら、ベットから落ちました。ああ~、そういうことなのねとベットに這い戻って、再度、眠りにつきました。かみさんは、気付いているのかいないのか。もちろん、夢の中とはいえ、私の勇気にも気が付いているはずはないでしょう。へんな夢2

  • 徒然草第百九十五段 (尋常におはしましける時は、神妙に)

    「尋常よのつねにおはしましける時は、神妙しんべうに、やんごとなき人にておはしけり」、人は見かけによらないということでしょう。普段の姿からは想像できない行動をする。どちらが本当ということではなく、二面性を持ち合わせている。二面性には、相矛盾するというか、正反対という意味合いがあります。どちらも有りにしたいというのは、人の性さががというものでしょう。人は悩み、迷う、心が揺れる、こっちだとはっきりできない。そこに、共感できる余地があります。人は嘘をつきます。後ろめたいことを隠したい、逆に見栄を張りたい、人を騙して利を得たいなど、何某かの邪悪な下心があります。最近の政治家は、嘘つきの塊のような人物が多く、ボロが出てくると居直り、責任回避する、人としてどうかと思ってしまいます。嘘にも、二面性のような要素があれば許せ...徒然草第百九十五段(尋常におはしましける時は、神妙に)

  • 徒然草第百九十四段 (達人の、人を見る眼は、少しも誤る所あるべからず)

    「達人の、人を見る眼まなこは、少しも誤あやまる所あるべからず」、達人とは、人の生きる道を究めた人ということでしょう。宗教の教祖は、人を苦しみから救うために人の道を説くのが本来ですが、最近は人を苦しみに突き落とすのが平気という宗教もあるようです。日本では無宗教の人が多いですが、それでも多く人が正月は神社に初詣し、お盆には墓参りします。神社で一年の幸福や家族の安全を願い、お賽銭を投げ入れるのは、日本の日常的な光景です。日本では、昔から、神社やお寺は宗教的な存在としてだけでなく、人々の生活を維持するための役割を担ってきました。人と人との間には諍いが起きるものです。土地について言えばどっちの土地か、山の柴木は誰のものか、川の水を独り占めするな、揉め事は当事者だけでなく、村全体、あるいは幾つか村の集まりの間に広がり...徒然草第百九十四段(達人の、人を見る眼は、少しも誤る所あるべからず)

  • 徒然草第百九十三段 (自分とは関係ない世界にいる人と張り合うべきでなく)

    「自分とは関係ない世界にいる人と張り合うべきでなく」、一点を深く極めるか、広く浅くは人夫々です。一芸に秀でた人がいれば、何でも器用にこなせる人もいます。人のことなど気にせず自分らしく生きればよい。そんなことを示唆しているように思います。世間には、何一つ秀でたところが無ければ、何をやっても上手く行かない人がほとんどでしょう。私もその一人ですが、得意なことと苦手なことはあります。得意なことを自慢したところで、上には上がいるものです。苦手なことを避けて通りたくても、運が悪くどうにも逃げられないことがあります。人と比較して意気消沈してばかりいると、メンタルになってしまいます。そうしたことを乗り越えていく、それが生きるということなのかもしれません。60年以上生きてきて、今の自分は、過去にやってきた事の積み重ねの上に...徒然草第百九十三段(自分とは関係ない世界にいる人と張り合うべきでなく)

  • 徒然草第百九十ニ段 (神・仏にも、人の詣でぬ日、夜参りたる、よし)

    「神・仏にも、人の詣まうでぬ日、夜参まゐりたる、よし」、短い段です。神・仏は、本来は別々の宗教ですが、それを並べられるのが日本人です。森羅万象に神は宿るという神道の自然崇拝が基本にあるからでしょう。一神教の宗教とは相いれないものがあります。その意味では、仏教はまだ親和性はありそうです。日本は、宗教の自由が保障されている国ですが、538年以来、どんなに仏教が広まっても、日本人の心には神道の心が深く根を張ってきました。個人的には、一神教の傲慢な宗教には違和感があります。美しい日本と唱えながら、一方で一神教をルーツとする宗教団体に肩入れしていた政治家には不誠実さを感じます。日本を守るというならば、政治家は票集めの打算で宗教を利用してはいけません。信念を貫く政治家が求められています。徒然草第百九十ニ段(神・仏にも、人の詣でぬ日、夜参りたる、よし)

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