【あの頃イタリアで その75 世界一のカルボナーラとは?】

【あの頃イタリアで その75 世界一のカルボナーラとは?】

午後の教室は春先の柔らかい光と食後の気だるさで満たされていた。卒業設計のグループ作業の前日は、割り振られた課題を完了するため、徹夜作業になることが多い。私はその日も明け方に仮眠をとっただけだったので、ついさっきマルコと食べたピアディーナが胃の中で膨れて来るにつれ、耐えきれない眠気に襲われていた。