ブログみるアプリ
日本中の好きなブログをすばやく見られます
無料ダウンロード
ブログ村とはIDが異なります
メインカテゴリーを選択しなおす
フォロー
三 雲景未来記の事 ~3~
雲景は不思議な話を見聞きしたことだと思って、天下の重大事や将来の安否を聞きたいと思って、「それで、将軍ご兄弟と執事の間の不和は、どちらが道理にかなって一貫しているでしょうか」と尋ねると、「三条殿(直義)と執事の不仲は、この一、二ヶ月で起こるだろう。大
2022/04/30 08:44
三 雲景未来記の事 ~2~
雲景は恐ろしく思いながら不思議なことだと思ってじっとしていると、第一の座にいた長老の山伏が、「これはどこからおいでの人か」と尋ねたので、案内の山伏がこれこれと申し上げる。するとこの老僧は会釈して、「それではこの間、京中のことを皆お聞きだろう。何事があ
2022/04/29 08:56
三 雲景未来記の事 ~1~
またこの頃、またとない不思議なことがあった。出羽国羽黒という所に一人の山伏がいた。名を雲景と言った。珍しい体験をしたと言って、熊野の牛王宝印の起請文の裏に誓い文として書いて出した未来記があった。 雲景が諸国修行の全てを終えて、今年の春の頃から思い立って
2022/04/28 08:50
二 田楽の事 付けたり長講見物の事 ~2~
こうしているところに将軍の御桟敷の辺りから、美しい女性が練貫の裾を高くとって、扇で幕を上げると見えたその時、大きな五、六寸角の柱で打ち付けてあった桟敷が傾いて、あれよあれよという間もなく上下四百五十mに渡って全部将棋倒しをするように一気にどっと倒れた。
2022/04/27 08:50
二 田楽の事 付けたり長講見物の事 ~1~
今年多くの不吉な事が続く中で、洛中で田楽を楽しむことが常軌を逸していた。将軍がこれを好まれることが、他に類を見ない。そこで誰もが浮き足立って、朝夕このために金銭を浪費する。関東が滅びるに当たって高時が打ち興じていたが、北条一党は断絶してしまった。よくな
2022/04/26 08:43
一 天下妖怪の事 付けたり清水寺炎上の事
貞和五年(正平四年 一三四九)正月頃からその年の暮れまで。 貞和五年正月の頃から、流星や彗星が絶え間なく現れたので、どちらも慎みをおろそかにできないことであり、帝位への懸念、天下の異変、戦乱や疫病が起こるのではないかと、陰陽寮がひそかに奏上する
2022/04/25 09:05
九 直冬西国下向の事
まず西国を平定するためにということで将軍の嫡男宮内大輔直冬を備前国へ下される。そもそもこの直冬というのは、昔将軍がお忍びで一夜お通いになった越前局という女性の腹に生まれた人ということで、初めは武蔵国東勝寺の小僧だったが、元服させて京に上らせた人である。
2022/04/24 08:30
八 妙吉侍者の事 付けたり秦の始皇帝の事 ~2~
中でも言葉巧みに、例え話ももっともだと思われる事があったのは、ある時首楞厳経の講義が終わって異国や我が国の話になった時、吉侍者が左兵衛督に向かって、「昔、秦の始皇帝と申し上げた王に、二人の皇子がおられた。兄を扶蘇、弟を胡亥と言った。扶蘇は第一の皇子でい
2022/04/23 08:32
八 妙吉侍者の事 付けたり秦の始皇帝の事 ~1~
この頃、左兵衛督直義朝臣は、将軍に代わって天下の実権を取られて後、もっぱら禅の教えに傾倒されて夢窓国師の弟子になり、天龍寺を建立して説法や法要に絶えずお招きになって、仏の供養や僧への布施の品物は人目を驚かさないということがなかった。 そこで夢窓国師の兄
2022/04/22 08:37
七 上杉、畠山高家を讒する事 付けたり廉頗・藺相如の事
この時、上杉伊豆守重能と畠山大蔵少輔直宗という人がいた。能力が乏しいのに官位は人より上であることを望み、功績は少ないが褒賞は人以上に得ようとしたので、師直と師泰が将軍兄弟の執事としてすべてを思い通りにしていることを妬んで、何かにつけて絶えずあら探しをし
2022/04/21 08:53
六 執事兄弟奢侈の事 ~2~
これらはまだたいしたことではない。越後守師泰の悪行を伝え聞くと、思いも寄らぬことであった。東山の枝橋というところに山荘を造ろうというのでこの地の持ち主を誰かと尋ねると、北野神社の有力者である菅宰相有登卿の領地だということだったので、すぐに使者を立ててこ
2022/04/20 09:06
六 執事兄弟奢侈の事 ~1~
そもそも富貴に驕り功績に驕って終わりが立派でないということは、世の常として誰でもあることだから、武蔵守師直がこの度吉野での戦いに勝って後、ますます心が驕って振る舞いがほしいままになり人の道をも顧みず世間の嘲りも気付かないことが多いのだった。 普通の決ま
2022/04/19 08:31
五 賀名生皇居の事
貞和五年正月五日、四条畷の合戦で和田、楠の一族が皆滅んで、今は弟、次郎左衛門正儀だけが生き残っていると伝えられたので、このついでに残るところなく皆を滅ぼそうというので、高越後守師泰が三千余騎で石川河原に拠点の城を作って、互いに攻めたり攻められたりして合
2022/04/18 09:12
四 吉野炎上の事 ~2~
そもそもこの北野天神の社殿というのは、承平四年八月一日に、笙の岩屋の日蔵上人が急死されたのを蔵王権現が左手にお乗せして閻魔王の宮殿にいらっしゃった時に、閻魔庁の第一の役人が一人の俱生神を付けてこの上人に六道をお見せした。鉄窟苦所というところに来てご覧に
2022/04/17 09:11
四 吉野炎上の事 ~1~
そこで、楠の館も焼き払い、吉野の帝も捕らえ申し上げようということで、越後守師泰が六千余騎で正月八日和泉の堺を発って、石川河原にまず拠点の城を築く。武蔵守師直は三万余騎を率いて同じく十四日に平田を発って、吉野の麓へ押し寄せる。その軍勢がいよいよ吉野の郷に
2022/04/16 08:26
三 楠正行最期の事
そうして師直と楠の間が百mほどになった。これこそが求めていた敵だとはっきり見て、魯陽が二度も白骨を連ねて韓と戦った時の気持ちもこれ以上ではあるまいと勇み喜んで、千里を一歩で飛び掛かろうと気持ちばかりははやったけれども、今朝十時から午後五時まで三十回の戦
2022/04/15 08:34
二 四条縄手合戦の事 付けたり上山討死の事 ~6~
楠が上山を討ってその首を見ると、逞しく端正な男である。鎧を見ると、輪違いの紋を金属で透かし彫りにしている。「さては間違いなく武蔵守を討ったのだ。長年の願いを今日ついに果たしたのだ。これを見よ、方々」と言って、この首を宙に投げては受け取り、受け取っては手
2022/04/14 08:31
二 四条縄手合戦の事 付けたり上山討死の事 ~5~
いよいよ楠と武蔵守との間はわずかに五十mあまりの隔てになったので、あわや楠の多年の本望がここで遂げられるかと見えたところに、上山六郎左衛門が師直の前に駆けつけて塞がり、大音声を上げて、「八幡太郎殿からこれまで、源氏累代の執権として、武功を世に知られた高
2022/04/13 08:28
二 四条縄手合戦の事 付けたり上山討死の事 ~4~
これを見て、細川讃岐守頼春、今川五郎入道、高刑部大輔、高播磨守、南遠江守、同じく次郎左衛門尉、佐々木六角判官、同じく黒田判官、土岐周済房、同じく明智三郎、荻野尾張守朝忠、長九郎左衛門、勝田備前次郎、宇津木平三、曽我左衛門、多田院の御家人を初めとして武蔵
2022/04/12 08:33
二 四条縄手合戦の事 付けたり上山討死の事 ~3~
小旗の一隊は、初めから四条中納言隆資卿が偽って備えている見せかけの軍勢に対して、飯盛山に上って正面の軍勢の戦いをただ遠くから見下ろしていたが、楠の第二陣の勢いが戦い疲れて麓で休んでいるのを見て、小旗の一隊の中から、長崎九郎資宗、松田左近将監重明、弟七郎
2022/04/11 08:44
二 四条縄手合戦の事 付けたり上山討死の事 ~2~
そうしている中で、正月五日の早朝に、まず四条中納言隆資卿を大将として、和泉、紀伊国の野武士二万余騎を引き連れて、いろいろな色の旗を手に掲げて飯盛山に攻めかけた。これは、大旗、小旗の軍勢を麓に降ろさないで、楠を四条縄手へ攻め寄せさせようという策略だった。
2022/04/10 09:25
二 四条縄手合戦の事 付けたり上山討死の事 ~1~
師直、師泰は淀、八幡で年を越して、なおも諸国の兵が集まるのを待って河内へ向かおうと話し合っていたのだが、楠がすでに逆に攻めかかるために吉野へ参って暇乞いをし今日河内の往生院に着いたと伝えられたので、師泰がまず正月二日に淀を発って、二万余騎で和泉の堺に陣
2022/04/09 08:39
一 正行吉野へ参る事 ~2~
京の軍勢が雲霞の如くに淀、八幡に着いたと伝わったので、楠帯刀正行と弟・正時一族は連れだって十二月二十七日吉野の皇居に参上し、四条中納言隆資を通して、「父正成が乏しい勢力で大敵の威勢をくじき、先帝のお心をお休め申し上げました後、天下は間もなく乱れて逆臣が
2022/04/08 08:47
一 正行吉野へ参る事 ~1~
貞和四年(正平三年 一三四八)十二月頃から翌貞和五年四月頃まで 安部野の合戦は十一月二十六日の事だったので、渡辺の橋から押し落とされて流れる兵達五百余人が、死んでも仕方がない命を楠に助けられて河から引き上げられたけれども、秋の霜が体を傷め夜明けの氷
2022/04/07 08:47
五 住吉合戦の事 ~2~
また大将山名伊豆守が切り傷や矢傷を七ヶ所も受けておられたので、兵達が前に立ってかばって、疵を吸い血を拭って少し時を過ごしたところに、楠の兵の中から年の頃二十歳ほどの若武者が和田新発意源秀と名乗って、洗い皮の鎧に大太刀小太刀二振りを腰に、百八十㎝の長刀を
2022/04/06 08:31
五 住吉合戦の事 ~1~
去る九月十七日に河内国藤井寺の合戦で、細川陸奥守顕氏が戦いむなしく敗れて引き退いた後、楠帯刀左衛門正行は勢いに乗って都の周辺を常に侵略して奪っていったが、年内は寒気が甚だしくて兵達がみな指を落とし手がかじかむこともあるので、しばらくは措こうと放置してお
2022/04/05 09:01
四 伊勢より宝剣を奉る事 付けたり黄梁夢の事
今年、昔安徳天皇が壇之浦で海底にお沈めになった宝剣が出てきたと、伊勢国から奏上した。その経緯をよくよく尋ねてみると、伊勢国の国崎神戸に、下野の阿闍梨円成という山法師がいる。伊勢神宮へ千日詣でを志していたので、毎日潮水で身を浄めて、一晩おきにお参りをして
2022/04/04 09:13
三 藤井寺合戦の事
楠帯刀正行は、父正成が先年湊川へ下った時に、「考えるところがあって、今度の合戦で私は必ず討ち死にをするだろう。お前は河内へ帰って、帝がどのようになられるかというご様子を、最後まで見届けよ」と言い含めたので、その教えを忘れず、この十余年自分が一人前になる
2022/04/03 08:19
二 宮方の怨霊六本杉に会する事 付けたり医師評定の事 ~2~
四、五日経った後、足利左兵衛督の奥方が体調を崩して、和気と丹波両流の博士や内科外科の名医数十人を招かれて脈を取られると、ある者は、「お加減が悪いのは、風邪から起こったものですから、風邪を治す薬には、牛黄金虎丹と辰沙天麻円を合わせてお飲みになるのがよいで
2022/04/02 08:39
二 宮方の怨霊六本杉に会する事 付けたり医師評定の事 ~1~
院の御所の妖怪だけでも世に稀な出来事と思って聞いたのに、また仁和寺に一つの怪異があった。嵯峨から京への帰りに通りかかった禅僧が、夕立に遭って立ち寄るところがなかったので、仁和寺の六本杉の木の下で雨の晴れ間を待っていたところ、そのまま日が暮れてしまったの
2022/04/01 08:02
2022年4月 (1件〜100件)
「ブログリーダー」を活用して、いかるのうたさんをフォローしませんか?