邪馬台国を考える 伊都国から奴国・不彌国へ向かってみる②
須玖岡本遺跡は南北2キロ、東西1キロの大きさがあり、おびただしい量の遺物が出土し、鏡・青銅製武器・勾玉の三種の神器様のセットも出土しています。青銅器鋳造工房跡も見つかっています。またガラスの璧が出土しているのは、三雲南小路遺跡とこちらの2例のみのようです。奴国の丘歴史資料館・奴国の丘歴史公園として整備されているこの地が、いにしえの奴国なのでしょうか。奴国がどこかについて考えるにあたっては、志賀島で見つかった金印について気になるところですが、偽印説もあり今回は棚上げしておきます。もし奴国が春日市ならば、東へ百里の不彌国は太宰府あたりになるのでしょうか。不彌国の有力候補地である宇美だと方向が違ってしまいます。しかし、太宰府のような7世紀後半に地方行政機関が置かれる要所が不彌国で良いのか、という思いも…。壱岐から伊都...邪馬台国を考える伊都国から奴国・不彌国へ向かってみる②
2020/08/31 11:22