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2020/06/17

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  • ヘビとハオコゼ

    画像は娘のペット。よく見ると可愛い顔をしてる。 小中高校の帰りにはよく大きなため池のほとりを歩いた。ススキなどカヤに囲まれた、人間が草を踏み潰すからできた獣道のようなものだった。一歩踏み出すたびにバッタが驚いて飛び跳ねた。晴れた日はバッタ、トンボ、コオロギ、スズムシ。雨の日はたくさんのカエル。いつもにぎやかなものだった。 昆虫がたくさんいるものだから、当然ヘビもいた。アオダイショウ、ヤマカガシ、マムシ。ヘビを見つけると『あっ、ヘビだ!』と言いながらつい指さしてしまう。 これがいけない。ヘビを指さすと指が腐るらしい。しかし対策がないわけではない。誰かにその指を踏んでもらうと良いのだ。一人の場合は…

  • 大田のおばちゃん

    大田商店跡 クラブの帰りにはよく3、4人で駄菓子屋に寄り、ジュースやアイスを買って狭く暗い土間で食べた。そこは和服を着たばあさんが一人でやってる店だった。みかけはばあさんだが、中身は肝の据わったおっさんで、言葉使いもきっぷの良いものだった。中学校の向かいにあり、美術の写生の時間はぜんざいを食べさせてくれたり、校則違反をする生徒の側に立ち、先生に啖呵を切るようなばあさんだった。 見た目はイカツイが中身はおばさんの私は全てが真反対で相性が良かったのか、高校生になっても一人で行って、炬燵まで上がり込んでいた。 ばあさんがボロボロの若い時もらったラブレターを見せてくれたことがある。あの時はばあさんが少…

  • 野球部ランニングコース

    ランニングコース ここは中学校野球部のランニングコースだった。つきあたりはお宮の山で、そこの長い階段で今非難されているうさぎ跳びをやった。鼻血が出ると首筋に空手チョップをしていた時代である。 この辺りは全てミカン畑で、野球部員ははじめは道を走っているが、一人、二人と畑の中に入ってゆき、みかんを食べた。みかんがたわわに実っている畑にオレンジ色のウィンドブレーカーがうごめいていた。当時は知らなったが、左側はばあちゃんの弟の畑だった。しんじおっちゃんに知れたら、どんなに叱られたろうか? 昔を思いだすと叱られネタばかりになるのは、皆同じですよね??

  • 英語塾

    英語塾 小学校4,5,6年は英語塾に通った。ハワイ帰りの厳しい先生だった。自信がなくて小声になると、『はあ?』とすぐ怒鳴られ、泣かされたこともある。それまで勉強を本気でやったことがなかったが、臆病者の私は怒られるのが怖くて、初めて集中して勉強した。今は褒めて伸ばす教育が主流だろうが、私は褒めると増長するだけだったろうから、私には良かったのだろう。他の科目は中学校に上がってもパッとしなかったが、臆病者ゆえに英語だけはできた。もしあの時勉強していなかったら、歯医者じゃなくて敗者だろう。 豊田先生ありがとう。 先生がサーフボードが首に当たって死んだ親戚の話をしてれたことがある。叱るばかりの先生の数少…

  • 安下庄小学校

    安下庄小学校グラウンド 小学校のグラウンド。当時ここで何百人も昼休みに遊んでいたなんてもうイメージできない。 ドライブで島を訪れる人にとっては瀬戸内のハワイで、頭に流れるのはフラのメロディーなのかもしれないが、私にとっては、どこへ行っても国破れて山河あり、の趣である。カーペンターズのイエスタデイワンスモアか青春の輝きが似合う。さすがに荒城の月ではない。 小学校卒業時に渡された通知表の結果はふがいないものだった。小学校の集大成がこれかと情けなくて、奥の滑り台の所に当時あった相撲場で一人で泣いた。今考えると、悔し泣きする資格があるほど勉強などしてなかったクセに、やはり妙なマセ方をしている。情操教育…

  • アスファルト補修材

    アスファルト補修材 歯科医院経営に欠かせないものがこのアスファルト補修材である。最近は特に僻地は人材不足で、ちょっとしたことを頼める人がいないので自分がやるしかない。というか、本当は自分がやってみたい。成果など考えず体をヒイヒイ言いながら動かすのが好きだ。絶対に私には百姓のDNAがある。 回転が悪く飲み込みの悪いこの頭を使っても成果はあまり出ないが、筋肉さえ動かせば地面に穴が開くことだけは確かだ。 駐車場はアスファルトだが、劣化してきて割れて雑草が生える所は除草剤をまく。車の重みで凹んできた所は最近深い水たまりになるので、このアスファルト補修材を敷くつもりである。できるだけ熱い日に、敷いて、上…

  • 周防大島安下庄小学校

    実家周辺 小学校2年から高校卒業まで過ごした実家周辺である。家はミカンの段々畑で囲まれ、近所の子と、ある時は正義の味方、ある時は悪の秘密結社になり、山猿のように走り回った。あだ名はダメゴリラと命名された。ひどい。あんまりだ。命名されて約8年間はこの名前で呼ばれた。ここは安下庄(あげのしょう)という名称の入り江の集落で、私はそこの安下庄小学校、安下庄中学校、安下庄高等学校へ通った。当時は小学校が約6百名、中学校が約3百名、高校が約4百名?くらいいて、今と違って、遊び相手に困ることはなかった。同級生で隣の家なのに同じ名前の、ひでっくんと高校まで一緒に通った。ひでっくんが仮面ライダーの時は私がショッ…

  • 月刊 『冒険王』と『ぼくら』

    防府北基地官舎跡地 上の画像は歯科医師会の仕事で山口市に行った時に撮ったもの。 仕事が済んで時間ができると時々ここに来て、母親の思い出に浸って帰る。 私は4,5歳の頃、幼稚園が怖かった。境港市の美哉幼稚園もいやだったが、特に防府市の中ノ関幼稚園の黒い背広を着た大きな園長が怖かった。近付いたことも何か言われた事もない。遠目に見てゴア様のようで怖かったというだけで、私が超臆病者というだけの事である。防府北基地の官舎から自転車の荷台に乗せられて園まで行っても、母のスカートの裾を握りしめて離さず、そのまま帰った。優しい伯父さんが連れて行ってくれたことがあったが、優しいのだから当然一緒にUターンして帰っ…

  • 赤いカーペット

    下宿内観 先日お話しした幽霊屋敷の続編です。お話ししたように6畳一間に真っ赤なカーペットです。貧しい食生活がわかります。 これは前にお話しした当時国東に住む幼馴染のいとこが、遊びにやってきて盗撮したものです。 六畳一間の貧乏長屋で、白壁と柱の間から隣の明かりが漏れ、布団の中にいながら、明日の時間割を隣の同級生に確認することができました。ボチボチ学生もワンルームマンションに住み、DCブランドやメンズファッション誌が注目され初めていた時代です。 公立だけど歯科大なので、親の平均所得レベルが高く、新車とともに入学してくる者もいる。ガソリンも飲み代も無制限に親のツケという者もいました。 皆が持ってる電…

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