高校で不登校になってしまった長男との日々を綴ります。 真っ暗な日々の中、通信制高校や新しい仲間との出会いで 彼に笑顔が戻り、私自身も人生を見直す(転職)きっかけとなりました。 今ものんびり、のんびり、スローライフです。
何のために高校へ行くのか 大事な分岐点 自分でしっかりと考えられるように 兄者の高校進学の際思った事 学校はアテにならない 安全パイでかつ公立を推してくる ということでした。 受験を経験していない親御さんは 実際のところ判断がつかず苦労します。 もちろん決めるのは子ども本人です。 でも学校側の進路指導には疑問が残りました。 責任を負えない、というのと 公平に、というのもあるのでしょうが なんというか 個人の特性や学力、 学校の特色やその先を見据えての指導ではないんですね。 とにかく「もれなく全員進学」 が学校側の目標でした。 今の世の中、高校進学は一般的だとは思います。 その先大学(専門学校)…
夏休み明け 親はホッとするが 子どもにとってはゆううつだ 夏休みが終わり 2学期が始まりました。 休みの間に 友達とも、先生とも打ち解けた兄者は 楽しそうに学校へと通っていました。 弟君の方は いよいよ受験へのカウントダウンが始まります。 2番目は何かと要領も良く 学校も勉強も部活も そこそここなしていたので ほとんど心配はしていませんでした。 人から強要されるのが、何よりキライな弟君は 言われる前にきちんとするスタイルです。 朝もどんなに早くても自分で起きる。 5分前行動。 部活で朝練に行くのにも まったく手間がかかりませんでした。 そんな弟君も 現役の時1度だけ 部活の練習に寝過ごしたこと…
色んな事が ありすぎた夏でした 兄者のことと 父の看病の事があり 会社を辞め、家に居た夏休みでした。 そうはいっても ほぼ毎日 父のリハビリ先にいっていたので なんやかんやと 毎日慌ただしく過ごしていました。 それでも 家族の側に居られることは幸せです。 夏休みも後半 父も無事退院し 自宅療養と通院に切り替えました。 手術で胃を全部取ってしまったため 食事には気を使いました。 それでも 胃がなくてもご飯が食べれること 胃がない状態に、体のほうが段々と慣れていくこと 人間てすごいなぁとしみじみ思いました。 兄者も新しい学校へなじみ始め 心療内科への通院も徐々に減っていきました。 落ち着いた日常を…
一人一人に合わせた対応 先生と生徒の距離が近い 気持ちを大切にしてくれる友達 自分の事を分かってくれる先生 兄者にとって通信制の学校は ようやく見つけた安心の場所でした。 毎日元気に通う兄者の姿を見ながら なぜもっと早く移ってあげなかったのだろうと 悔やまれました。 学校へも何度か行きましたが 子ども達がまたみんないい子です。 大人しい子が大半で 元気がいい子もいますが 自己主張が強いのとはまた別でした。 髪型も服装も自由で お化粧をしていたり、ピアスをしていたりもしますが 見苦しい、というのではなく 上手におしゃれをしている、 そんな印象でした。 また先生方が皆さん面白い。 個性が豊かです。…
家族の側に 居られる幸せ 兄者が通信制高校へ通いだし その間に手術を終えた父は リハビリのため別の病院へ転院しました。 会社を辞めたため 時間的にも余裕ができ 家族とゆっくり過ごす時間ができました。 新しい学校への連絡や 転院の手続き またリハビリ先の病院へも 顔を出すことができたため 子どもと一緒にお見舞いにも行け 経過も順調でした。 春先からかなりバタついていたので 子ども達にとっても、落ち着かない日々だったと思います。 私自身にゆとりがあるからか 兄者もゆっくりと 新しい学校に慣れて行っているようでした。 夏休みに、全学年でキャンプがあるのですが 兄者も日が浅いのですが参加で。 買い出し…
見ている人は必ずいる ここへ来たことにも意味がある そうこうしている間に、会社も最後の日になりました。 前職で長年勤めた会社をパートだったため辞め それから就活をしたのですが 時の流れとは恐ろしいもので 履歴書の書き方や添付する書類まで変わっていて ものすごく戸惑ったのを覚えています。 年齢も40歳を超え 持っている資格も高校時代に取得したものばかり。 現代に通用するスキルのなさに ことごとく希望する会社に落ち続けました。 子ども2人はこれから高校生。 お金もいります。 その中で目に留まったのが、今勤めていた会社でした。 ちょうど10社以上落ち続け、 さすがにへこむのと、焦りもあり、 早計に決…
学校へ元気に行く姿が 何より嬉しい 夏休みなので、授業もなく ぼちぼち慣れてくれればいいな、ぐらいのスタートでした。 先生はそれぞれ科目ごとの担当が1人づつで 分からないことは個別に聞けるようでした。 学年ごとに1クラスづつですが 人数も限られているため すぐに他の学年の子たちとも仲良くなれてほっとしました。 丸1日いるわけでもないので お弁当も特に持たせていませんでしたが 帰ってくるのがけっこう夕方近くで。 お昼はどうしているのか聞くと ほぼ毎日先生と一緒に作っていると(笑) 学校菜園であれこれ作っていたり 自炊?に近いくらい 先生とみんなで 料理教室が夏休みの間は 開催されていました。 ほ…
通信制の学校は 自由だ!!! 夏休みに入り、通信制の高校へは 2学期からの転入が決まっていました。 だけど、慣れるためにも 学校へおいで♪と言っていただいてたので 通学を始めてみることにしました。 この年は例年にない猛暑で 慣れない距離をいきなり自転車で、は さすがに無理かと思い バスで通うことを勧めました。 ホームルームもあり 時間割もありますが 1時間目のスタートが10時過ぎと ゆっくりペース。 朝が苦手な子ども達や 起立性障害などで起きることが困難な子供たち また他の学校との登校時間をずらすことで 行きやすいよう、考えてありました。 朝からバタバタしなくてよいのは 親も助かります。 全日…
教師も人間だから 万能ではない でも 子ども達は 信頼できる大人を きちんと見極める 兄者と高校を後にした日 帰りの車の中で 兄者がポツリと話し出しました。 「あのね・・・もう言ってもいいかなぁ。」 「ん?どした?」 「1年生の時さ、進路で悩んだときあったじゃん」 進学校だったため、2年時からはクラスを 理数か文系かを選択しないといけませんでした。 兄者は当時進学先は理系の学校で、 資格をとることを第1希望にしていました。 でも勉強面では文系のほうが成績が良く 得意な分野を生かすか、行きたい学部を優先するかで迷っていました。 「2学期の途中で、担任の先生に 進路のことで相談があります、て言いに…
雨と桜のあの日 兄者と希望を持って入った学校だった 学校を最後にした あの夏を 一生忘れない 1学期の終業式の日。 それまで通っていた高校へ最後の登校をしました。 すでに放課後、生徒はいなくなった時間に 教室においてある私物を取りに行きました。 色々あったけれど それでも兄者にとっては 初めて通った高校です。 受験をし 合格発表に歓喜し 笑顔で入った学校でした。 最後教室で一人、過ごさせてあげたいと思い 早めに行くことを伝えると 困ります、と言われました。 勝手に入ってもらうわけにはいかないので 職員玄関で待っていてくださいと 言われました。 一番、ショックな言葉でした。 色んな事を言われ 憤…
仕事は人生の一部だ ここで本当にいいのか 父の手術が無事終わったものの 途中、熱発等で退院も延期になり 7月半ばリハビリのため、 転院することになりました。 兄者も残りの期間は やはり登校はできず でも部活動の連絡は取り続けていたようです。 父のリハビリ 兄者の転校 考えた末、 私は会社を辞めることにしました。 もちろん主人にも話はしました。 日ごろから義母からも「母親が家にいないから」 と言われていたのもあり、即賛成でした。 会社へは相談する気もなかったため 「退職願」を出して伝えました。 一緒に仕事をしていた女性陣からは 冷ややかな反応でしたが、まあ想定内で。 社長からは速攻お呼び出しが。…
一つ一つ クリアしていくしかない がんばれ 手術前に父の日があったこともあり 私の方の家族全員で、久々に集まりました。 食べ盛りの子ども達はもちろん 手術で胃を全摘出してしまう父のために お寿司屋さんだったのですが、 長女が大奮発してくれ それぞれに、好きなものをオーダー。 父は生魚は苦手ですが、海老かに類は大好き。 旬のマジャクもあり大喜びでした。 後日迎えた胃がんの摘出術。 分かってはいても 運ばれるときは、どうしても万が一が頭をよぎります。 でも一番不安なのは本人。 なのであえて笑いながら、冗談を言いつつ 明るく送り出しました。 姉達も駆けつけてくれたため、一人ではない心強さ。 こういう…
何が大切か 家族 仕事 私は、このままでいいのか 兄者の転校 父の癌の手術 弟の中体連 この頃は毎日てんてこまいでした。 不登校になり 仕事をしている中で 学校へ相談に行く時間もなく かといって、終わってからや土日は 「対応できません」と断られ 学校との連携も全く取れていませんでした。 2年の担任の先生も一生懸命でしたが 他にも不登校の生徒を抱えており 手が回らないというのが本当でしょう。 部活の顧問の先生だけは 時間や土日を問わず いつも対応してくださっていました。 途中からは 私自身も 学校への不信感が高まっていたのも事実です。 通信制への転校に伴い、書類の手続きもありました。 もう転校へ…
前年度までの単位が 引き継がれる その年に それまで頑張った分は どうなるのだろう 1学期の終業式をもって 通信制の高校へ移ることに決めましたと 高校の担任に伝えると、ホッとした様子でした。 学校で取得した単位が そのまま次の学校へ引き継がれることは この時に初めて知りました。 しかも前年度までの単位しか持っていけないことも。 兄者は1年の時途中までは 皆勤で頑張っていたため、 後々通信制で換算?すると かなりの単位を取っていたため、助かりました。 2年になってからは、ほとんど行けていませんでしたが 前年度までの単位しか引き継げないらしく 今思えば2年に上がるタイミングで移ればよかったとも 後…
なんでこんなに色々起こるのだろう 前世でよほど悪事を働いたのかと本当に思う兄者の不登校と 今度は父の病気まで加わりました。 後日病院の先生から説明があり胃がんの大きさを考えても全部摘出が最善だと 胃・・・全部取っちゃうの・・・ 胃がんでは転移を防ぐために全摘手術は珍しくないようでしたが 父は高齢なこともありまた心臓も悪いため不安はぬぐえませんでした。 容体は落ち着いたので退院はすぐにできました。 1ヶ月後に再入院をして手術をすることになり それまでに悪化しないよう、祈るばかりでした。 義両親には緊急入院はバレずホッとしました。 当の本人の父もやはりショックを受け私たち子どもでさえ不安で一杯な中…
子どもが苦しむ姿は 何より辛い さらに追い打ちをかけるように 父が癌になった このすったもんだのさなか ある日の夕方兄者から連絡があり 「じいちゃんの様子がおかしい」と 急いで帰ると下血をしており ぐったりと動けなくなっていました。 兄者は汚れた父をお風呂に連れて行き 洗って着替えさせてくれていたうえ 汚れた床を片付けてくれていました。 こういう優しさが、兄者なのです。 普通の子どもなら、とまどうところですが 兄者はまったくちゅうちょしません。 心から感謝しました。 急いで病院へ連れて行くと 救急外来に行くよう言われ 検査の結果 胃がんが判明しました。 このタイミングでまさかの、癌。 もう言葉…
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