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死別シングルマザーが立ち直るブログ https://atelier-aoihosi.com/?page_id=9799

2011年夫を突然亡くし、死別シングルマザーに。 子供たちは0歳と3歳。 死別して生きることと少し向き合い、楽に生きられるようになりました。 未亡人の暗いイメージを変えたいと、全国の死別シングルマザーの力を信て、毎日情報発信中。

死別シングルマザー当事者として、死別シングルマザーカウンセラーとして活動しています。 また、月1回、死別シングルマザーのランチ会とオンライン飲み会を開催。 死別シングルマザー同士共感できて、前に進むコミュニティをご用意しています。

月城 真佑美
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東京都
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2020/03/04

  • 死別後の自分の人生を主体的に!

    人にどう思われているか気になる事って多々あります。 母として、ちゃんとできているだろうか? ひとり親として、かわいそうに見られていないか? またまた、友達から浮いてるように見られていないか? わたしはだいぶそれらを取っ払うことはできていますが、それをもっと主体的に考える事で、自分を敢えて作っていく、自分ブランディングができます。

  • 死別した後、分岐点がわかる簡単な方法〜死別した未来はどうなるの?

    普段の生活で、思考の比重は何ですか? 例えば、亡き夫のことばかり考えている場合。 大切な夫のことばかり考えるのなんて当然でしょうと思う方、そう言えば最近夫のことを考えていないなと思う方、色々あるでしょう。

  • 長く美しく、生き生きと生きる

    ウォーキングの先生の古希(70歳)バースデーバーティーに参加してまいりました。 夫を亡くして13年が経とうとしていて、心情的には落ち着いていますが、こんな華やかな場所に自分がお招き頂くのは恐れ多いと思っていましたが、勇気を持って参加。 美意識高い先生と過ごしているうちに、人生いくつになってもチャレンジしている人は本当にチャーミングだなと思います。

  • 死別後どうしたら良いのか分からない時、誰に相談したらいいのか?

    崔先生の講演を受けるその日の朝、私は長男と大バトルをして、全てが嫌になっていました。 でも、これじゃいかんと崔先生の講演を申し込み、崔先生と言う強運者と繋がりました。 そこから流れがガラリと変わりました。 出かけるまでの時間、私は、悶々とソファの上で項垂れていました。

  • 運のいい人の習慣〜明日から試してみよう

    運が良くなる人は人とのご縁を大切にしています。 そしてそこに感謝をすごくしています。 それの大元を辿ること大事です。 ご縁を繋いだ方は誰か?その方を紹介してくださった方は誰か・・・行き着く先を考えてみましょう。

  • 運気のあげ方〜崔燎平先生の講演会に行ってきました

    私は夫を亡くしたときに本当に運のない人間だと思っていました。 夫と出会う前も、人生はパッとせず、いつも目立たない場所で、ひっそりと生きていたように思います。 それが大学に入ったときに夫が、そんな私をみそめてくれて、そして、色々ありながらもずっと思ってくれていて、結婚しました。

  • 【つぶやき】夫と死別した自分史を振り返って

    前回まで自分の死別後の道を振り返ってみました。 私の自分史は、なかなかなものだなと思いました。 この企画をご提案をいただいたK先生に感謝いたします。

  • 夢には期限を決める~シングルマザーの話(最終話)

    死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しておりますカウンセラー万珠(マジュ)です。「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。夢に期限をつけると、

  • 自分が欲しかった場所を作る〜シングルマザーの事10

    死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しておりますカウンセラー万珠(マジュ)です。「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。私の「やりたい」が目

  • 自分が未来にやりたいことは?〜シングルマザーの話9

    私はこの会社主催の講座にやや半強制で受講させられることになります。 自分と向き合い、乗り越える講座です。 私は今まで、産業カウンセラー講座でとことんやってきたし、その後も仲間と良さそうな講座に受けているし、もういいんですけど…と密かに思っていました。 産休代替雇用ですが、密かに、この会社に居続けたいなと思っていた私。

  • 環境の当たり前が自分の当たり前になる~シングルマザーの話8

    うちの会社皆さんは、2回離婚している人もいれば、彼氏がいる人もいました。 それだけではなく、特定の人を決めなくても、いい塩梅でいろいろな人とご飯を食べに行っている人もいました。 私は大の仲良しの夫を亡くしてから、これ以上私のことを理解してくれる人も現れないければ、恋愛だってもうできないと思い込んでいました。 結局死別であっても離別であっても、そこは関係なく、私はシングルであることは変わりません。

  • 環境を変えて、考え方を変えれば、不幸はなくなる?~シングルマザーの話7

    私は自分のことを不幸と思っていたから、不幸なんじゃないか? 私は、世界で一番不幸で悲劇のヒロインだと思い込んでいたから不幸だったんじゃないか?と思う様になります。 だってこの会社では私のことを誰一人とし私のことをとくべつあつかいしないのだから。私がシングルであることも、夫を亡くしたことも、ふ~んって、今日天気がいいですね、くらいの感覚でいい意味で聞き流されてました。

  • 職場の人のシングルストーリー〜シングルマザーについて6

    職場の人はみんな離別シングルマザーでした。 私は、死別をした当初、私は望んでシングルになったわけではなく夫が亡くなって、嫌でもシングルになったのだと思っていました。 だから、離別シングルマザーの方を、「自分で離婚を決めてシングルになった強い人」というイメージがありました。

  • 夫がいないから不幸は間違い??〜シングルマザーについて5

    私が、今の会社に入った時に衝撃を受けたことがあります。 私の職場はシングルマザーの相談が絶えません。 就業支援を行なっている会社ですから、仕事のお悩みが一番多いのです。 しかし、それを掘り下げてみると、離婚相談や、旦那様への不満を抱えてた方が非常に多いと言うこと。

  • 朱に交われば赤くなる・誰と過ごすか?〜シングルマザーについて4

    死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しておりますカウンセラー万珠(マジュ)です。「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。誰と過ごすかで、立ち

  • 世界が一変した職場~シングルマザーについて2

    周りがシングルマザーばかりの職場になった私は、価値観がガラッと変わります。 シングルマザーは少数派だと思っていたのに、そうではなく、こんなにたくさんの方がひとり親として頑張っているのかと分かったことでかなり前向きになったのです。 そして、その中でもこの集団はひときわ明るく、ひときわ前向きでひときわ個性があり面白い。 なんだなんだ、なんだか楽しそうだなと、私はとにかくこの集団に興味津々。

  • 「自分の当たり前」が育てた価値観〜シングルマザーについて

    わたしはシングルマザーに関して、なぜ偏見を持っていたのかはわかりません。 ただ、自分の両親が健在で、そこそこ可も負荷もなく生きてこられたからなのかもしれません。 わたしの生きてきた時代にシングルマザー家庭の友達はいませんでした。 だから、両親健在が当然な様な気がして、それが当たり前、シングルマザー家庭が何か特別に思っていたのかもしれません。

  • 夫と死別して一番苦しめていたのは自分の偏見〜シングルマザーについて1

    夫突然死別をして、シングルマザーになりました。 シングルマザーである自分を到底受け入れられず、しばらく苦しい思いをしていました。 それは、きっと周りにシングルマザー自体がいなかったからです。 自分が勝手にシングルマザー像を作り上げていて、それはきっと幸せなイメージではなかったから、シングルマザーになったら自分は不幸で、それこそ、父親のいない子供は可哀想と思い込んでいた自分自身の偏見が一番自分を苦しめていたのです。

  • キャリアなし死別シングルマザーが仕事のことを通して気がついたこと〜仕事のこと最終話

    私は、夫を亡くした時、乳飲児を抱えた完全無職の専業主婦でした。 たらればを言っても仕方がないのですが、もし私が仕事を続けていたら、夫を亡くしたとしても、育休中で過ごすこともできたかもしれません。 それどころか、夫が辛かったことに対して、もっと違う声かけができたかもしれないと、ずっと私は後悔してきました。 20代きちんとキャリアを構築していたら、就活も苦労せずに仕事が道かったのかもしれないと不採用通知をもらう度に思いました。

  • パワハラの終焉〜仕事のこと27

    新しい職場が向こうからやってきました。 私は、夫にその報告をしにお墓参りに行きました。 その行きしな、面接を受けた会社さんから電話があります。 なんと、不採用の連絡。

  • 急展開〜仕事のこと26

    私は、転職の一番の条件を「自宅から近い職場」にして、転職活動をしていました。 その間、ひとり親コンシェルジュの説明会を受けにいきます。 この資格を取れば、相談業務を生業にできる「かも」しれないとの説明でした。 契約満了になると仕事が無くなることが確定していた私は、その説明会の後にどれくらい仕事がもらえるかなど、聞きにいきました。 そんな簡単に稼げるものではないと一喝され、本業を持っていないといけないと言われました。

  • 視界が開ける時〜仕事のこと25

    契約満了があとひと月ほどになった夏の暑い日。 私は、そろそろ次の就職活動をしないと、と思っていました。 大手の派遣会社ですから、 同じ派遣会社で他の派遣先を探してもらう 全く違う就職先を自分で探す この2択を迫られていました。

  • パワハラへの逆襲〜仕事のこと24

    私は、夫が経験したパワハラを同じように受けました。 受けている渦中にいると分からない。 パワハラは自分がダメだと思う気持ちでいっぱいになり、自己肯定感がさがり場合によっては鬱になります。

  • パワハラを受けた意味が分かった瞬間~仕事のこと23

    Nさんとの面談の帰り際、私は急に夫の想いが下りてきます。 実は夫もパワハラらしきことを受けていたことがありました。 彼はあまり悩みを人に言わないタイプだったのでそれが定かではありません。 でも今思い返せばそうだっただろうと思えます。

  • 本当に私を心配してくれる人の言葉~仕事のこと22

    面談で自分の言いたいことを伝え、それを責任者から現場のAさんに情報が行きました。 しかし、それは改善するどころか悪化するのです。 彼女の機嫌を損ねた私に対する風当たりはもっともっと強くなります。 しかし責任者の人が顔を出すようになるのです。 その責任者(男性)が来るとお得意の猫なで声。 私にパワハラの片りんも見せません。

  • パワハラに気が付く~仕事のこと21

    派遣会社の方が3か月に一度面談をしに来てくれます。 派遣先の責任者と3社面談。 その時間が設けられました。 そして、私の仕事のできなさぶりを伝えます。 派遣先のコーディネーターに、まず自分が残業ができないことと契約が違っていると伝えました。私の状況をもう一度話し、残業ができない旨を伝えました。

  • ダメ出しが続く~仕事のこと20

    自分のことをだめだと言われる、常に監視されているような環境が毎日続きます。 電話をしている時だけが私は気持ちが楽でした。 電話をしているとダメ出しをされないから。 電話を切った瞬間にダメ出しが始まります。 だから、私は電話を切ることがとても恐怖でした。

  • 病んでいく心~仕事のこと19

    私が古巣に戻って3か月ほど経ったころ、なんだか申し訳なくなって残業をした日に限って、子供がカギを忘れて家に入れないということが起きました。 お向かいの方に普段から良くしていただいていたから、預かってくれてたので、事なきを得ました。しかし私の中で、後悔と「まだ早かった」という気持ちしか残りませんでした。 ですから、職場では時間になったら帰ることを伝え、当初の約束通り残業が難しいとおつたえしました。

  • 残業を断った代償〜仕事のこと18

    死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。違和感が膨らんでいく毎日。その結果、

  • 色々な違和感が湧き上がる〜仕事のこと17

    死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。感じたことって案外当たっていたりする

  • 立つ鳥跡を濁し辞めた職場に戻った現実〜仕事のこと16

    出勤の前に簡単な面接を受けに行きました。 今までとは違う部署なので、違う責任者と派遣コーディネーターさんとの3者面談。 その後声をかけてくれた人のいる仕事部屋へ挨拶に行きました。 その人ともう一人、2人でその現場を回していると説明を受けました。 もちろん、声をかけられての配属ですから、ウェルカムの空気が漂っていました。

  • 古巣に戻る〜仕事のこと15

    「一緒に働いて欲しい」と、前職場の同僚から声をかけられて私は、調子に乗って職場に退職願を出します。 自分の中では「抜擢されたからヘッドハンティングされた」くらいの意気揚々とした気持ちでした。 あまりにも短いキャリアに私は何の疑問も持ちませんでした。 とにかく、こんなところにいたら、気持ちが持たない。

  • 仕事の依頼を受ける〜仕事のこと14

    前職の同僚の人から連絡をもらい、私はウキウキして会いにいきました。 彼女とは、病院の電話のお仕事をしていた時に手伝いに入って知り合いになりました。 10歳以上年上で同じシングルマザー。 私が仕事を辞める前に、違う部署に異動してあまり接点がなくなって行きましたが、私が辞める時にスタバのチケットをプレゼントしてくれた人でした。

  • 人恋しくなる孤独な事務作業〜仕事のこと13

    地下の一室での孤独な作業が始まりました。 日の当たらない生活、人と話さない生活は、鬱っぽくなるのを通り越して、機械のように何も感じないようになっていきました。 なるべくお昼休みに、公園で日に当たるようにして体調を整えたり、膨大に放置され続けた仕事にも必ず終わりがあるからやるという気持ちで自分のモチベーションを保つようにしていました。

  • 仕事がきついと初めて感じた時~仕事の話12

    いままで手を付けていられなかった、職員のファイルを整理したいと古株の職員さんに仕事を依頼されました。 その方は仕事をどんどん任されて断れないタイプの人。 すごくいい人で、職場の非正規の方から絶大な信頼を得ている人でした。 ゆえに、仕事を抱え込んでしまうタイプの人でした。 私もその人のことが好きだなと思っていて、だからこそこのお願いをされた時は、彼女のために役に立ちたい!と心から思い、是非やらせてくださいとお伝えしました。

  • 死別後の転職先~仕事のこと11

    お世話になった職場をあっさり辞めて、転職をしました。 経つ鳥やや後を濁すような辞め方でした。 採用されたらすぐに来てほしいと言われたから、引き留めも何も受け入れず、新しい職場へと移りました。

  • 死別後初めての転職〜仕事のこと10

    死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。転職を決めた時に、また逃げ癖が出たと

  • 仕事4年目の挫折感〜仕事のこと9

    仕事が楽しい!と思った私。 20代の頃が「結婚するまで」の繋ぎくらいに考えていて、嫌だと思ったらすぐにやめていました。 生活をしていく上で「仕事を辞めるわけには行かない」というプレッシャーの中、どうしたら続けられのか?をきっといつも考えていたのだと思います。 そこでカウンセリングの勉強と仕事がうまくつながり、私は無敵状態!と勝手に思い込んでいました。

  • 聴くことで人生が劇的に好転しました〜仕事のこと8

    仕事を得たことで、自分の心が安定しました。 安定した収入、ルーティンの仕事、そして自分の一人の時間の確保(時短取得)、忙しさ故悩む暇がないなど、辛すぎることと向き合わずに済みました。 その積み重ねが自分を大事にすることにつながり、自分の心にゆとりが出てきました。

  • 働くママにとって大切にすべきこと~仕事のこと7

    最初の勤務は月曜から土曜まで働いていました。 土曜日は外来のある午前のみの出勤が多く、その日働いた分は平日に振替をして休んだりしていました。 子どもたちは保育園に預けたまま、午後会社帰りに買い物をしたりお茶をしたり、一人の時間に当てていました。 平日に休みを取れたら、大抵カウンセリングを受けに行ったり自分のケアにいそしんでいました。

  • 私の選択は彼の死が基盤になっている~仕事のこと6

    くこと、定期的に一定の収入がはいることで、私の心は安定しました。 安定したから、それが満足化というとそうではなく、私は圧倒的に子供との時間が少ないことに疑問を持ち始めます。 働くことは尊い。お金をいただくこともありがたい。 だけれど、小さな子供たちと過ごす時間が圧倒的に少ない。

  • 仕事をしたことで夫の大変さがわかる〜仕事について5

    私は、専業主婦の頃、夫に不満をぶつけることも少なくありませんでした。 私が白黒思考が強めで、物事を効率よくサクサクと進めたいタイプだったので、慎重派の彼はなかなか物事が決められずに吟味することなどは本当に理解が出来なくて私をイラつかせていました。 でも、専業主婦と乳飲児を支えながらも子育てには相当協力的でしたし、とても優しい彼でした。

  • 結婚に逃げ込んだスーパー依存主婦が思うこと~仕事について4

    仕事を得る事でわかりやすく人から必要とされている感じを得ることができました。 それまでは、どこの面接へ行ってもお断りされていたわけですから、仕事があるだけでも、自分は何かの役に立っているのだろうと思うことができました。 勤務場所が病院ですから、人からダイレクトにありがとうと言われたり、困っている人のお手伝いができることも、その時の私にとって居場所があるような気持ちになって、良かったのだと思います。 お給料は良いとは言えませんでしたが、何とかやっていけるだけはいただけていました。

  • 仕事と通じ、視野を広げる〜仕事について3

    死別後の最初の仕事は医療事務でした。 そして、総合病院だったので、色々な科の受付を回されてました。 病院とは、色々な人が色々な病気を抱え、治療しにくる場所。 変な話、人の数だけ人生があるのだと毎日感じる事のできる場所でもあります。 つまりは、自分の人生が特別ではないと思える場所でもありました。

  • 死別一年目。仕事を得てよかったこと〜仕事について2

    私が仕事を得られたのは、ちょうど死別から1年後でした。 夫の命日の直前に、同情就職を勝ち取ります。 そこの責任者はかなりの年配の男性で、私の身の上を聞いてくれて、子供のためにも頑張らないと、みたいな感じで採用してくれました。

  • 義母の一言と戦い続けた私〜仕事のこと1

    夫を亡くしてすぐに私は、就職活動をしました。 正社員で働くことこそ、正しいと思い込んでいました。 もちろん、仕事して収入を得ないと生活がままならないという現実があります。 でも、私の中で稼ぐ力を得たいと強く思ったのには訳があります。

  • いい加減に生きてきた私が死別後に働きながら気づいたこと~仕事について 序章

    カウンセリングやスピリチュアルの話をしてきました。 それ以外でもいろいろな要因が絡んで立ち直るヒントがあります。 今回は、仕事というテーマから私を立ち直らせてもらえたヒントを思い出して綴っていきます。時系列が前後してしまいますが、夫の死後1年後まで遡りお仕事という観点から死別から立ち直るヒントを探っていけたらと思います。 私は若かりし頃、仕事が嫌だと思ったり、飽きたりしたらすぐに転職をしていました。 しかも思いつくままにキャリアを積むなどは全く無視して、仕事を転々としていました。 4流大学出身で、キャリアもいい加減さがバリバリ伝わる履歴書。

  • スピリチュアルについて私が体験して思うこと〜スピリチュアルの話

    死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。スピリチュアル体験で今思うことを綴り

  • 死別後10年、やっと夫とのピリオド〜スピリチュアルな話12

    なかなか予約の取れないスピリチュアルの先生の予約を取ってもらい先生のネームリーディングを受けに行きました。 夫の名前を書き、多少夫の話をしました。 その先生は最も簡単に夫にアクセスをして夫に何があったのかを話してくれました。 夫はそもそも、仕組まれて死に至ったと言うようなことを言われました。 詳細は個人的なことが出てしまうので、伏せますが、私の中でさまざまなことが納得のいくことでした。

  • スピリチュアル能力の持った死別シングルマザーとの出会い〜スピリチュアルの話11

    ある人を介して、死別シングルマザーで、かつスピリチュアルの能力のある方に出会いました。 その方は死別歴で言うと5年くらい。 とにかく行動力と飛び抜けて明るい人。 会食の場を設けていただきご縁ができました。 そこでも色々なものを感じるとか見えると止めどなく話していました。

  • リトライ!前世療法で夫と出会う〜スピリチュアルの話10

    私の師匠の一人のカウンセラーのK先生は、スピリチュアルの能力も高い先生です。 不思議な経験をたくさんしていて、よく話をしてくださいました。 弟子入り講座に参加した際、前世療法を学びました。 私が、かつて爆睡してしまい、失敗したやつです。 それを学ぶチャンスがやってきて、私は再度チャレンジすることになります。

  • 初めてのミディアムさん~スピリチュアルの話9

    ヒーリングがイマイチだった私は、しばらくスピリチュアルの世界から離れます。 そんなときに、死別シングルマザーのランチ会で知り合ったHさんから、亡くなった方とお話ができる、いわゆるミディアムさんを紹介されます。 死別仲間でもその方のセッションを受ける方が続々と出て、夫のいでたちを見事に言い当てた、とか、まさしく夫が言いそうなことを言っていたと話題になり、それならばと私も受けることにしました。

  • 2回目のヒーリングは失敗?!~スピリチュアルの話8

    2回目のヒーリングはあえて名前は出しません。Hヒーリングとしておきます。 外国人のヒーラーさんでした。 通訳付きになるとそこは課金がありました。人件費だから仕方ないですね(笑)。 その人は前世が見えると言っていましたが、私たちは何回も輪廻転生しているので、毎回違うことを言うとネットで書かれていました。その違和感をぬぐえません。 このセッションもあまり覚えていません。

  • ヒーリング体験~スピリチュアルの話7

    スピリチュアルを最初に経験したのは、「シータヒーリング」というものでした。 スピ好きの方から紹介されてヒーリングを受けに行きました。 その時はまだ母との問題に決着がついていない時だったので、その課題を見に行ってもらいました。 詳しくはブログに記載していたので、そちらで(笑)。

  • スピリチュアルに依存しすぎないための方法~スピリチュアルの話6

    私は彼の想念を受け取り、カウンセリングで彼の私の知る限りの生い立ちや、私の見る限りの彼の環境や、彼から聞いた育った環境、家族に対する気持ちなどを棚卸して語り、分析し、理解しました。 つまり、スピリチュアルで感じることと、そうではない論理的な解釈もしたということです。 スピリチュアルを否定はしませんが、私は、スピリチュアルだけでは片付かない、納得しない、理解できないことがあると思っています。 繋がれる方に任せるだけではなく、自分は相手を見てきたその事実をきちんと棚卸して彼の人生を理解する。 なぜ生まれ、なぜ亡くなったのか、向き合うのは辛いです。

  • 亡くなった人の想念が飛んでくることがあるのか?~スピリチュアルの話5

    夫と友達ときちんとお別れした私は、本当に夫を感じなくなりました。 ただ、いつも私の中には「死因不詳」が心に刻まれていていました。 夫はどんな最期を迎えたのだろう?夫はどういう気持ちだったのだろう? 私は理解しなければいけないと、そう強く思えば思うほど、夫の最期の映像が明確に浮かんできたことがあります。 それを思うとものすごく苦しくなり、ものすごく落ち込みます。 でも、きっとこれは真実なのだろうと思うほど明確に鮮明に、画像として浮かび上がるのです。

  • 夫を囲む会~スピリチュアルの話4

    死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。夫との節目は、この「夫を囲む会」でし

  • 夫の仏壇を整える~スピリチュアルの話3

    夫の仏壇を整える 先ず、夫の仏壇を整えましょうと、お仏様を頂きました。 それからKさんの先生という偉いお坊さんにも足を運んでいただき、仏壇に命を吹き込むような儀式を行っていただきました。 「しきみ」や「くだもの」などを用意していただき、お経を読んでいただきました。 お仏壇を整えて頂いたことで、少し心が落ち着きました。 夫のお葬式や納骨が家族葬でお坊さんも呼ばない形式。

  • スピリチュアルの始まり~スピリチュアルの話2

    スピリチュアル能力が全くない私ですが、夫が亡くなり1年後の納骨が終わったあたりから、私は夫がいるかいないかがなんとなく感じるようになりました。 いつも家にいるような気がして、お墓参りに行くとそこにはなにもないような感覚を持ったり、今日は夫がいないなと思ったときに、夫の友達から、友達と集まり夫の話を楽しくたくさんしましたと連絡が来て、夫はそっちに行っていたのかと分かったり。 そんな感じで、夫と納骨で引きはがされるようなとても苦しいことをやり切ったら、夫が魂となっていつも近くにいる感覚がありました。 でも、時間が経つにつれはたしてこのままでいいのか?という疑問を持ち始めます。

  • スピリチュアルの話1

    私は、正直言って霊感はありません。 しかし、夫を亡くしてなんとなく夫を感じるようになったり、不思議なことが起こったり、素晴らしいご縁に出会えたり、夫が亡くなる前よりもずっと「見えない世界」がみぢかにかんじるようになりました。 また、私の場合は夫がなぜ亡くなったのかはわかっていません。 私の死別の辛さを乗り越えようと前に進もうとすればするほど、夫はなぜ亡くなってしま他のかというところにぶち当たり、答えのないループにはまってしまいました。 「寿命だったよね」「あなたと結婚出来て幸せだったと思うよ」という慰めのような言葉をかけてもらうたびに、私は冷めた気持ちになり、誰にも若手もらえない苦しさをふくらませていきました。

  • カウンセリングは自分自身に戻ること~カウンセリングの話22(終了)

    死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。カウンセリングについて21話お話をさ

  • 私の辛さの原因は夫の死だったのか?〜カウンセリングの話21

    私の問題は夫の死だったのか?カウンセリングを進める中で母との関係が劇的に改善しました。カウンセリングでは自分のことを肯定的に先生が聴いてくれるので、私の自己肯定感、自己効力感が増していきます。その過程で自分を信じることができるようになったの

  • 母と対等な関係になる〜カウンセリングの話20

    カウンセリングで母の話を進めることで、母の期待に応えられない自分がダメな人間なんじゃないかと思い込んでいる自分に気がついていきます。 その自分を癒しつつ、自分から見た母の母娘(母と祖母)関係や生い立ちも話を始めます。 案外母のことなど私は理解などしてない自分に気がつき、母がどう育ったか、母が彼女の母に対してどんな気持ちを抱いていたのかを知りたくなるのです。

  • カウンセリングで母親との話を始めました〜カウンセリングの話19

    死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。カウンセリングで母親との話を始めまし

  • 母娘の問題に向き合い始める〜カウンセリングの話18

    カウンセリングを再開した私。 エンプティチェアをやったことで、夫の気持ちはわかったよね?と先生に確認指定もらいました。 夫は私たち家族のことを愛してくれていたし、申し訳ないと思っているということが自分の中に腹落ちさせることができました。 だから、夫はいなくても夫を信じる気持ちは変わらなくていいのだと思えるようになりました。 そこが私の一つの軸となり、そのこと自体が私の一部であると感じられるようになりました。

  • カウンセリング再開を決める〜カウンセリングの話17

    死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。ご縁とタイミングはあるという話です。

  • 死者との会話・エンプティチェア〜カウンセリングの話16

    前世療法を奇しくも失敗に終わらせてしまったのですが、先生は「エンプティチェア」に切り替えようと提案してくれました。 私の前に椅子を用意して、その前に座らされます。 簡単に説明を受け、私は夫をここに呼び出すように促されます。 夫に今日は来てくれてありがとうと伝えそのエンプティチェアは始まります。 そこからは先生に促されるまま、私は本当に夫と再開し話をした気持ちになります。 空の椅子なのに、目の前に夫がいる感覚を持ち、自分の今まで言いたかった思いをぶつけることができました。

  • 前世療法を受けに行く〜カウンセリングの話15

    私は一体何をするために生まれてきたのだろうか? 夫をこんなに早くに亡くした、この人生は一体何なんだろう? 前世で何か悪いことをしたのだろうか?夫と何か因縁があるのだろうか? そんな私のハッピーとは言えない人生の決着をつけるのだ!と意気込んで、前世療法の日を迎えました。

  • 本物のカウンセラーとの出会い〜カウンセリングの話15

    死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。『求めよ、さらば与えられん』という言

  • 死別後の母との距離感を調整する〜カウンセリングの話14

    母との関係が自分のストレスの原因だと言うことに気がついてしまった私。 相変わらずは母には子育ての協力を仰ぎながら生活をしていました。 その時の私の1番の話し相手は母でした。 我が家におかずを作っては届けて来てくれ、よく話をしていました。 その端々に、それはそれは悪気なく、自分のお友達の娘さん家族の話を平気でするのです。

  • 死別の悩みは本当に夫のことなのか?

    死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。義実家への思いをぶちまけてスッキリし

  • 死別後に苦しめていたのは良い人ぶる自分だった〜カウンセリングの話12

    死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。カウンセリングを深めると自分の悩みが

  • 死別後、義実家に対する本当の気持ち〜カウンセリングの話11

    夫との死別の悲しさの下に、義実家への憤りのようなドロドロとした感情が埋まっていたと気がついた私。 私は、このカウンセリングという安心安全な場で、心の内側の声のままに吐き出しました。 それは今まで自分の常識で考えると口にしてはいけないと思っていた、どぎつい言葉です。

  • 私の悩みは夫のことではなくなった〜カウンセリングの話10

    立派な建物の、一番奥の静かな部屋。 そこに笑顔の素敵なカウンセラーさんが待っていました。 産業カウンセラーの勉強で、話をし慣れているという自信がありました。 夫の話を1からするのは何回目だろう?そんな風に思いながらカウンセリングに臨みましたが、それでも夫の話をすると涙が出るものです。 でも、やっぱり「慣れ」はあって、涙の量はすごく減っているというのは分かりました。 何度も何度も夫の話をして、回を増すごとに、それは楽な作業になるものです。

  • カウンセリングで死別の辛さを軽減し継続を決めた話〜カウンセリングの話9

    無事に産業カウンセラーの資格を取得した私。 聴く事を徹底的に練習した事で仕事もすごく楽しくなりました。 私の中で、このカウンセリングを通じて、自分の可能性があると信じられるようになりました。 夫を亡くした時は、自分の人生をよくなるなんて1ミリも思っていませんでした。

  • カウンセリングで変化したこと〜カウンセリングの話8

    死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。産業カウンセラーの勉強を通して、カウ

  • 死別後の心が軽くなるために、カウンセリングという選択を持つ〜カウンセリングの話7

    死別後4年目~5年目にかけて、私は縁あって産業カウンセラーでの学びに出会い、とても役に立ちました。 カウンセリングを全く知らず、カウンセリングを受けに行くのではなく、それを論理的に学び、少しずつカウンセリングを進めていくことは、私にはとても合っていました。 人の話を聴くことと、聴いてもらうことや、カウンセリングの内容を振り返る学びは、自分の心の整理をするのにとても役に立ちました。 最初は10分、20分、30分と話す時間を増やすことで、自己理解や自分の悩みの本質は何かなどが少しずつ見えて来ました。人の意見もすごく参考になりました。

  • 死別後の生き方を考えるためのカウンセリング〜カウンセリングの話6

    産業カウンセラーの通学中という期間内のカウンセリングでしたので、約3ヶ月間でカウンセリングは終わることになります。 先生の言葉は自然とたしの体の中に染み渡り、私をとても元気にしてくれました。 先生との最後のカウンセリングで、先生に言われた言葉。 「棺桶に入るときに、この人生でよかった!と思えるように生きて行きましょう」 この言葉は私を痺れさせました。

  • 2回目のカウンセリングがうまく言ったのは共感でした〜カウンセリングの話5

    2回目のカウンセリングがうまく言った理由は「共感」です 私にカウンセリングを受けないか?と声をかけてきたM先生(女性)。 私は、2度目のカウンセリングを受けることになります。 カウンセラーを変えるということは、また一から自分の話をすることになります。 それが、私の場合ストレスで全くありませんでした。 むしろ2回目なので、スラスラ話すことができましたし、泣き崩れるということもなく、少し自分を客観的に話すことができたのです。

  • カウンセリングの必要性に導かれる〜カウンセリングの話4

    産業カウンセラーの講座は座学の授業もあります。 その日はストレスについての授業。 ストレスランキングというものを見せられて私は衝撃を受けます。 人生においてのストレスランキング、堂々一位が、「夫、妻の死」だったのです。 ランキング10位以内に、「家族の死」も入っていて、私も、子供も救いようのない気持ちになりました。 私は、休憩時間に講師に「一体どうすれば良いんだ?」と思い、質問をしに行きます。

  • 初めてお金を出してカウンセリングを受けました~カウンセリングの話3

    カウンセリングの授業が進むにつれて心が軽くなるのを確実に感じ始めた私ですが、夫のことを話すことは全くできませんでした。 そこで、カウンセリングの勉強を深める一環として、少しお安く本物のカウンセラーのカウンセリング体験ができるというチャンスが舞い込みます。 私は迷わず申し込みました。 初めてのプロのカウンセラーによるカウンセリング。 やっとカウンセリングができると思うと安堵のような嬉しさがこみ上げてきました。

  • 死別後に強くなったかも!と感じる方法「傾聴」死別後4年、カウンセラーの勉強開始~カウンセリングの話2

    産業カウンセラーの養成学校では、毎週少しずつ自分の話をします。 グループ10人、いろいろな人とペアになってとにかく傾聴。 聴くことを徹底的に叩き込まれます。 私は、仕事の愚痴を毎週のように話をします。 毎週、夫のことは触れらえないように、上司の愚痴をとにかく聴いてもらう。 こんな大人数では、夫のことなんて誰にも聴かれたくない、そう思って、私は時間が過ぎないかと考えながら話していたように思います。

  • 死別後4年、カウンセラーの勉強開始~死別ワーキングマザーになってからのブログ11

    死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。自分と向き合うための産業カウンセラー

  • 死別後の辛さからの解放を探していた頃の話~死別ワーキングマザーになってからのブログ11

    プログラムに合格した私。 だからと言って支援金がポーンと渡されることはありません。 支援員が付き6回ほどの面談を重ねました。 資金計画や今後の仕事にどう生きるのかなどを細かく棚卸しをして行きました。 体調が優れず声が出ない日もありましたが、私は這ってでも行きました。

  • 死別後3年チャンスを掴む~死別ワーキングマザーになってからのブログ10

    夫を亡くして3年過ぎたころ、死別シングルマザーの相談員であり、私のメンターでもあるNさんからひとり親のあるプログラムについて紹介したいと連絡があります。 それは一人上限20万円の支援を受け、資格取得がを目指すことができるひとり親支援プログラム。 そこで「産業カウンセラー」に挑戦したらどうかと言われました。 Nさん自身が、産業カウンセラーを学んだことで、自分と向き合い乗り越えられることができたから、あなたにも是非学んでほしい。チャレンジしませんか? と言われました。

  • 初めてママ友に死別を語った死別後2年半~死別ワーキングマザーになってからのブログ10

    長男の保育園年中の年度末の保護者会のこと。 次年度の役員決めがありました。 ずーっと身を潜めて過ごしてきましたが、だからこそ、役員をしたことのない人として私の名前が挙がりました。 毎年黙ってさえれば、だれかしらが役員になっていたから、例年のごとくしれってと保護者会に参加。 来年度の役員決めをします。やっていない方は・・・と私はじめ数名の方の名前が上がりました。

  • 死別後心から楽しいと思えた時〜

    夏休み子供たちはどこに行ったとかを子供ながらに話しているみたい。 子供が小さいうちは、何となく自信がなく母を同伴して子供たちと旅行に行っていました。 母の予定を確認し、父のお伺いを立てて計画。 私は一人では何もできないと思い込んでいたから、その段取りでいつも何となく母に「来ていただいている」という気持ちもありました。

  • 夫を亡くして2年、お金ではなく時間のゆとりを選択した心の変化~死別ワーキングマザーになってからのブログ8

    保育園2年目、そして死別後2年。 少し夫のいない生活にも慣れたころ、私は待っていましたと言わんばかりに、一気に時短勤務に働き方をシフトしました。 忙しい職場だから他のスタッフからの冷たい目もありましたが、私は気にしませんでした。 私を採用した上司からも、かなり渋い顔をされましたが、会社の制度としてあるのだからと、私は譲ることをしませんでした。

  • 命日の件(死別後、1年目と2年目の命日)~死別ワーキングマザーになってからのブログ7

    命日って本当に苦しい日。 それも時間とともに過ごし方は変わっていきます。 まだまだ苦しかった1年目と2年目の話。 1周忌 1周忌は義実家主催。 おそらくそのタイミングで納骨をしました。 坊さんは呼ばず、なぜか「千の風になって」をかけながら納骨をしたと思います。

  • 保育園1年目(死別後1〜2年)の感情〜死別ワーキングマザーになってからのブログ6

    孤独だった保育園の思い出 保育園生活1年目は、本当に毎日がしんどがったです。 保護者での自己紹介、ママとの他愛ない会話ですら、いつ 「パパは?」 と聞かれるのではないかと、ヒヤヒヤしていました。 ですので、極力人との接触は避けていました。 その反動でか、個人面談ではいつも泣いていました。

  • 死別後、母と娘の関係が変化〜死別ワーキングマザーになってからのブログ5

    死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。夫の死別後、母との時間が増えたことで

  • プライベートで苦しさが増してくる〜死別ワーキングマザーになってからのブログ4

    仕事を得て、少し自信がついたけれど、プライベートでは変わらず、自信が全くありませんでした。 私は朝晩保育園の送迎をしていました。 朝はお父さんが預けにきていて帰りはお母さんがお迎えに来ているんだな、と感じるたびに羨む気持ちが芽生えたり、寂しくなったり、虚しくなったりしていました。 保育園で息が苦しくなる事が何度もありました。

  • 夫がいない生活にかかるお金を明確にする〜死別ワーキングマザーになってからのブログ3

    死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。夫を亡くすと、「お金があっていいね」

  • 死別後、働きながら子供を育てるために捨てたマインド〜死別ワーキングマザーになってからのブログ2

    パパとママの一人二役をになっていると思い込んでいた私。 さぁ仕事も見つけたし、これからバリバリ働くぞ!と意気込んでいました。 仕事は絶対に休んではいけないと思っていました。 37.5度で保育園預かりはしてもらえない。 次男はそもそも平熱が高めの子なので、何度測り直しをして保育園にギリギリ預けたことかわかりません。

  • 死別ワーキングマザーになってからのブログ

    死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。結婚に逃げ込み、夫に先立たれた私。そ

  • 死別1年で就職を決めました~死別シングルマザーとして生きていくブログ28

    面接日。 そこは大きな総合病院の一室。 面接官は一人。 かなり年配の男性でした。 今回は、面接というよりも雑談のようでした。 その人は「子供もいるのに大変だろう」というようなことを言われました。

  • 死別シングルマザーの崖っぷちの就職活動〜死別シングルマザーとして生きていくブログ27

    職業訓練校に入って5ヶ月。 まだ授業が残っているにもかかわらず、私は就職活動を始めます。 月々入ってくる10万円の手当が途切れることと、行く場所が無くなり、また自分を責め、夫を責め、この現実を責める時間ができてしまうことがとても怖かったからです。 とにかく、死別直後の何もない生活に戻ることがとても怖かったのです。

  • 漠然とした不安と自信のなさをかき消すため懸命になれた〜死別シングルマザーとして生きていくブログ26

    半年の職業訓練校での勉強は、医療事務、調剤事務、そして簿記の資格取得を目指すものでした。 私は死別直後、無職でキャリアも何もない未亡人でしたから、少しでも自分に自信をつける「アイテム」が欲しかった。 だから、必死に勉強をしました。 早く起きて、子供を起こす前に勉強、昼休みの時間に勉強、子供たちが寝た後に勉強しました。

  • 【独り言】死別シングルマザー11年目のお正月

    本当に辛い新年を迎えたことがある私は、お正月=キラキラしたおめでたい日という認識がかなり薄れました。 年末年始って時間ができるので自分の頑張りを振り返り、気持ちの切り替えをするにはもって来いな時期ではあります。(サービス業の方はお疲れ様です!) 区切りというのは必要で、そこから自分がどれだけ変化して、そこからどういう未来を掴んでいくかという現状把握にもってこいだからです。

  • 【ご挨拶】今年1年いかがでしたか?

    1年が終わりますね。 大切な方を亡くして、間もない方もいらっしゃると思います。 去年は生きていたなと思う方もいるかもしれません。 亡くなった時のことを鮮明に思い出すこともあるかもしれません。

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