ホーソーンと日本
ホーソーンの履歴に面白い記述を発見した。 1854年、50歳 12月 『日本遠征記』執筆を依頼するため、ペリーがリヴァプールにホーソーンを訪ねるが、辞退される。 ペリーとは、日米和親条約を結んだあの黒船のペリーだ。 もしかしたらホーソーンはペリーと一緒に日本に来たかも知れないということ? それは早とちりだったが、実はこういうことらしい。 ナサニエル・ホーソーンは、アジアはおろか、およそ海外に出ることさえなかった。 50才になる寸前までニューイングランドに留まり、時折コネティカットやニュ ー・ハンプシャーなどマサチューセッツ近隣の地方に、数週間の短い旅に出かける程度であった。 1853年50才の…
2023/07/31 20:00