聞く聴く
「聞」は諸橋大漢和辞典によると声耳にいる。「聴」は耳声を待つ。話を聞くという行為は聴こうという気持ちが体を動かして会場へ身体を運ぶ、あるいはわからないことや不思議なことに疑問を持ち、辞書などで調べる、これも真実を聴くという行為でしょう。しかし自分で聴く行動をとったと思っても、それはそうするように仕向けられている、環境や情報に許されているから出来るのではないでしょうか。親鸞聖人は「聴」に許されてきくと解説を加えています。許されてという感性は、自分自身の思いを中心としているのではないのです。もしそうなら許「して」聞く、自分の行動は自分が決定しているという立場です。でも許「されて」は縁起の法則によって、私にかかわるすべての存在のおかげで、という意味ではないでしょうか。一神教を信じる方々には「神」に聴くことを許されて、...聞く聴く
2020/12/19 09:21