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潮騒が聞こえる https://sionecafe.livedoor.biz/

1997年のビーチボーイズから僕らの夏は終わらない。ロケ地館山から街の情報を。

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2020/01/07

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  • SIONE文庫フォトプレッソ

    このシリーズも数冊ありましたね。

  • 困った日弓連名誉会員の宿泊 2

    平成時代の困った宿泊客 五〇天〇社弓道部の連盟名誉会員朝がやって来た。板前さんは早朝 5時から来ていて朝食の準備を始めていた。「昨日はずいぶんお客さんは飲まれたようだね」「そのようです。おふたりとも強いですね」朝、風呂を利用してから食堂にやって来たのは11時

  • 困った日弓連名誉会員の宿泊 1

    平成時代の困った宿泊客 五〇天〇社弓道部の連盟名誉会員これは父が弓道に関わっていたので、公には出来ず我慢と忍耐で押さえてきましたが父が他界し、宿も道場も壊し、もう何も遠慮することはないので書いてしまいます。旅館をしていた父母が入院した6年ほど前の話です。

  • 駅前、この建物の話

    館山駅のロータリーから中パン前を通って交差点があります。駅から見て正面に見える建物の話です。駅前に残る建物でも古い建物かもしれませんね。いまは1階に補聴器屋さんが入っている建物です。ここは高梨肉屋さんでしたね。昭和の写真には高梨肉屋さんのお店として写ってい

  • 2月がゆく

    いろいろあったね。2月がゆく。。。

  • 安房の弓道の夜明け

    SIONE文庫の一冊限定写真集の新刊です。「安房の弓道の夜明け」です。表紙は大正13年、三浦平之介を師範に招き安房弓道倶楽部が結成された。アークスの辰野さんを中心に、六軒町の旦那衆が集まった。僕の祖父は蒸気機関車の運転手なので、国鉄職員のまま倶楽部に参加していた

  • 2000年代のSIONE文庫 2

    CD大の写真集でした。飾っておくとかわいい写真集でしたね。この写真集はけっこうプレゼントで使ったので、お持ちの方も多いですね。

  • 2000年代のSIONE文庫

    1990年代から2000年代に作ったCDケース大のsionecafe写真集.。

  • 春の気配の夕日

    館山の海岸にいると、海側に広がる空が広いですね。東京のようなビル群がないので、パノラマの海空風景が飛び込んできます。海の様子、雲の流れ、雲間から漏れる太陽の光。。。夕陽は洲崎灯台よりも北に位置して、伊豆の天城山の山影に沈みます。それだけで、春が近いことが

  • ビーチボーイズの夏

    1997年の夏、館山市布良の浜には民宿ダイヤモンドヘッドのオープンセットが建てられていた。6月に台風が房総半島に近づき9月に再び台風がやってきた。台風がもたらしてくれた異次元の空間がビーチボーイズの館山ロケでした。僕らはあのドラマに魅了された。海都は一流企業

  • フィリョ世代

    フィリョ、ギャリー、ぺタスの雄姿ですね。世界大会出場前に、フランシスコ・フィリョ選手は南房総の清澄山清澄寺にある大山総裁の山籠もり修行の地を訪れ、来たる世界大会での必勝を願った。当時は植物園の眼下を見渡せる場所に極真空手発祥の地、修行の地と書かれた四角柱

  • 平砂浦の料金所

    平砂浦ビーチホテルから館山カントリークラブ前を通る房総フラワーラインが出来た頃、この短い道路は有料道路でした。いまのおどやさんの近くに料金所がありました。画像の奥に布良のトンネルが見えますね。ある程度の工事費対費が回収されて、料金所がなくなりました。

  • 週末昭和歌謡

    ランチャーズの真冬の帰り道。「白馬のルンナ」の内藤洋子さんと結婚された喜多嶋さんもいますね。 

  • 館山桟橋のたもとには

    多目的桟橋(旧館山桟橋)前の道路の角にあるピザ、パスタのグラッチェの駐車場がいま工事に入りましたね。さて今度は、どんな風景になるのでしょうか?ピザ屋の前はすかいらーくかデニーズでしたよね。1997年のBBロケ時は広末さんがここから花火を見たようです。ここには昭

  • 夕映えうつる富士山の

    ♪ 夕映えうつる 富士山の 姿ににおう 大いなる

  • 夕陽に見る早春

    冬の間、北条海岸から見て南の波佐間の山影に沈んでいた太陽がだいぶ館山湾内に戻ってきました。いまは伊豆の天城山の山影に沈んでいきます。春はもうすぐ、がんばって陽気に行きましょう。

  • 南房総の面白岩 2

    根本から白浜の灯台を目指した浜です。ここにも、面白い岩たちがありますね。「3人のリーゼントのツッパリが 海に叫んでいる」の岩。肩から上ですね。砂浜に肩まで埋まっているのかな?「ナポレオンフィッシュ」岩。目が可愛い。これは。。。「足のウラ」岩最後にこれは人工

  • 南房総の面白岩

    白浜の海岸沿いから根本にかけての面白岩をご紹介します。根本の海岸の岩から。。。表紙に使ったのは、タイガーマスクの虎の穴かと思うようなトラに見える岩です。題して「虎の穴」そして、かつてジャック・マイヨールさんが館山滞在中に、根本にイルカが住み着いて、ジャッ

  • ITと犯罪の令和に備える

    これも、脱出法ですね。。。まずは逃げる事。

  • ITと犯罪の令和に備える 2

    こういう時代が急に来た。令和はIT化と犯罪に備える時代なのか?これは、参考にして欲しいですね。まずは逃げろ!

  • ナイフを持った相手との実戦

    ナイフを持った相手だと、実践空手の熟練者は刺されてしまう。そういう戦いをしているからだと思う。芦原英幸さんの場合はケンカ空手と言われる街中の実践対応ですね。だから、芦原先生のサバキは身を護る。空手の組手も、間合いを考えた真剣勝負を想定しないといけない時代

  • 館山の銭湯文化

    昭和30年代には館山市の各町内に一軒の割合で銭湯がありました。この頃は、まだ各家にはお風呂がなくて、銭湯に通っていました。午後3時になると開店、この時間に行くと身体に刺青のある方たちが入っていました。4時頃から深夜までは、町内の人たちがやってきます。祭りの世

  • 週末の館山

    風の強い館山ですが、週末ということでピーナッツソフト屋さんは混みあっていますね。もう木村屋さんではないんですね。

  • 館山の歴史を織り込んだお話 最終回

    再びロンドンへそれから一週間、純子は凪の母と親子のように日常を送っていた。純子はこの時代に慣れようと積極的に何でもやってみた。それはこの時代に来るのが約束されていたように、不思議と見違えるようにこの時代に溶け込んでいった。純子の努力は、最初は凪と暮らして

  • 館山の歴史を織り込んだお話 21

    兄妹の再会夕方になって、凪と純子は小料理 藤子に向かった。暖簾をくぐると懐かしい空間が待っていた。藤子さんがなぎを見るなり声をかけてくれた。「あら、凪くん行方不明って聞いてたけど、無事に帰って来れたのね。良かったわ」「ご心配かけました」「あら、凪くん、き

  • 館山の歴史を織り込んだお話 20

    スマホを取り出した凪はすぐに連絡を取って、いつもの藤子で石井と会う約束をした。石井は凪からの連絡に驚いていた。「凪、どこにいたんだ?地震の後で居なくなったから心配したぞ」「話すと長いから、今夜藤子で話すよ。石井が驚くような話もあるからさ」「えっ、なんだい

  • 館山の歴史を織り込んだお話 19

    「ピーヒョロー、ピーヒョロー」遠くでトンビが鳴いている。波の音が近く感じる。舟は鷹の島にある造船所の浜に打ち上げられていた。ここは、館山航空隊水上班滑走台跡であり、鷹の島の造船所の敷地内にある人工の浜だ。あのとき、ここから米軍占領軍本隊が上陸して来た場所

  • 館山の歴史を織り込んだお話 18

    未来への旅立ち ふと気づくとあの老人が背後に立っていた。今度は純子にもその姿が見えているようだ。「凪よ、元の時代に戻ったら、何をしたい?」「普通に、静かに、生きていることに感謝すると思います」「これはおまえにとって、貴重な経験なのかもしれんよ。望んででき

  • 館山の歴史を織り込んだお話 17

    阿由戸の浜まで下りてきた凪は老人の姿を探した。老人は岩場の上で沖を見つめていた。そして凪を振り返って言った。「凪よ、今夜だ。今夜南の水平線近くにカノープスが現れる。わしはこの浜に舟を用意しておく。お前は今夜ここから舟で漕ぎ出すのだ」「この辺では言われてい

  • 館山の歴史を織り込んだお話 16

    布良崎神社。。。Canopusを探せ上陸してきた米軍と館山市民は良好な関係だったということで、米軍は凪が思ったほどには厳しい監視がなかったことが幸いして、何とか布良の町までたどり着いた。電柱に「竹やり訓練」という張り紙があった。誰しも42歳ぐらいになると第2国民

  • 週末午後5時は

    週末午後5時の 館山に流れる週末午後5時のフォーエバーラブ

  • 館山の歴史を織り込んだお話 15

    ふたりは砲術学校の裏手の低山の裾を抜けていった。なるべく田畑の際を選んで歩き、純子の足を気遣っていた。早朝とはいえ、山の上り下りはその速度を遅らせていく。凪はこの地域がこんなに人家が少ない自然な地域だったということを認識した。山間の川を超えると民家が見え

  • 館山の歴史を織り込んだお話 14

    夜を駆ける旅館を出たふたりは、暗闇の中、町中を走り抜けた。凪の先導で若い純子もあとに続いた。いったん城山へ向かい、おちかん様から田んぼのあぜ道を走り抜けて、真倉〈さなぐら〉の地域を後にした。裏通りを抜けて広い道に出た。ここは410号、この時代の特37号国

  • 館山の歴史を織り込んだお話 13

    老人は、突然目の前に現れ、布良を目指さなくてはならないことを凪に告げた。いまは自分の曾祖父であるこの老人を信じるしかない。米軍であふれる町なかを抜けて、館山の最南端の町「布良」を目指す。老人はいつの間にか消えてしまった。すると、突然木陰から純子が現れた。

  • 館山の歴史を織り込んだお話 12

    謎の老人の言葉。。。Canopus木村屋旅館には庭があった。大きくはないが、池には小さな石造りの橋がある。橋の上に立つと、池の鯉が口を開けて寄ってくる。軍関係の宿泊客がパン屑を鯉にあげていたので、鯉も習慣になっているのかもしれない。凪は夜間の見回りの準備で

  • 館山の歴史を織り込んだお話 11

    米国占領軍館山上陸 翌日、ロケ隊は東京へ帰って行った。男の人は国民服にゲートル姿、女性はモンペの上下に防空頭巾を持っていた。監督は、もう防空頭巾はいらないだろうと置いて行った。旅館の従業員、凪と純子はそれを見送ったが、東京が混乱していることは想像ができ

  • 館山の歴史を織り込んだお話 10

    本土上陸に備えて兵力を温存すると言うのが中央部の方針だったので、館山の山裾に造られた掩体壕にゼロ戦を隠していたのだ。同じく厚木に於いても「銀河」は石川県小松に、「月光」「彗星」は群馬県前橋に、この目的で一機ずつ飛び立っていった。雷電一機とゼロ戦4機が厚木

  • 館山の歴史を織り込んだお話 9

    夢の人に会える瞬間翌朝、凪は石井の祖父に礼を言って、館山の町なかにある木村屋旅館に石井の妹を訪ねた。同級生の石井から見れば、祖父の妹ということになるのだろう。木村屋旅館は館山の町中にあった。凪の時代には、館山信用金庫が建っている場所だ。ここは海から見る

  • 若い力は令和に向かっている

    親戚のO君にすすめられて見たけど、いい仕事してるよね。O君、これからもがんばって!南房総市の仕事。。。素晴らしいね♪館山も頑張らなくちゃいけないね。館山十万人計画もなくなっちゃったし、館山市に仕事場を作るのではなくて、思い切って、「東京通勤圏計画」にかえた

  • 館山の歴史を織り込んだお話 8

    石井の若い祖父 行くあてを失った凪は、幼いころからの遊び場だった城山に向かった。城山には上る道がふたてに分かれていて、左手から上るとすぐに門があり上方に幼稚園があった。凪の時代には孔雀園になっていたため、この時代の様子を眺めながら坂道を上って行った。す

  • 館山の歴史を織り込んだお話 7

    謎の老人の正体凪のいる掩体壕は、平成の時代となっても1カ所の掩体壕が残されているが、まさかその掩体壕の中が一夜を過ごす隠れ家になろうとは想像もできなかった凪であった。服に着いた汚れを手で払おうとして、それに気が付いた。ズボンのポケットに携帯が入っていた

  • 館山の歴史を織り込んだお話 6

    赤山地下壕赤山地下壕は館山航空隊基地の南側に位置する赤山にある全長1.6キロメートルの地下壕と巨大な燃料タンク2基が残っている。戦時末期は本土決戦に備えて大規模に堀削されている。大部分はツルハシによる素掘りである。壕内には戦闘指揮所、指令室、医療施設、兵舎

  • 館山の歴史を織り込んだお話 5

    夢の女性館山湾に沈む夕日を見送った後、凪は渚銀座の「小料理 藤子」に向かった。渚銀座というのは、館山駅の海側に広がる飲食店街を言う。昭和の時代には星野哲郎作詞、中川博之作曲、山田太郎の歌唱でレコードが発売された「花の館山」という楽曲の中でも歌われたエリ

  • 館山の歴史を織り込んだお話 4

    Part3.TATEYAMA 2年ぶりの帰宅高速館山道を南下していたバスは富浦インターを降りて、館山バイパスを館山駅に向かって街灯の中を走っていた。スピードを緩めたバスが、とんかつ屋の角を右折した頃、凪は目を覚ました。八幡神社を左折する頃にはバスを降りる

  • 館山の歴史を織り込んだ話 3

    夢の中の女性 その夜、凪は夢を見た。ひとりで波打ち際でタカラガイを拾っている。凪が顔を上げると、そこには美しい女性が立っていた。凪は心惹かれてたちまち恋に落ちた。「こんにちは」と凪が話しかけると、女性は何も言わずに微笑んだ。そして、悲しい泣きそうな顔を

  • 館山の歴史を織り込んだお話 2

    Part2.Hampstead 凪の留学していた英国のハムステッドは、ロンドンの中心部より北郊6~7㎞の高級住宅地で、ロンドンっ子が住んでみたいと思う地域と言われる。凪のホームステイ先は、ハムステッド駅近くの路地にあるムーア家だ。フラスクウォークと

  • 館山の歴史を織り込んだお話

    1話 謎の老人  再編集版Part1 .The mystery of the old man 英国のロンドンのハムステッドから帰国した凪〈なぎ〉は、羽田空港国際線のバスターミナルで館山行きの高速バスを待っていた。2年間のホームステイを終えて日本に帰国したところである。

  • 館山と極真空手のつながり

    若き孤高の空手家、大山倍達氏は南房総の清澄山に2年半のあいだ、山ごもりをして空手の修行に励みました。自分の心がへこたれないように眉毛を片方そり落としてしまったそうだ。こうすれば、恥ずかしくて人里へは近づかない。 孤高の空手家、大山倍達氏は南房総天津の清澄

  • 館山のカフェ文化

    中学時代から20年近く住んでいた東京深川の門前仲町ですが、同じエリアに清住白河があって、「カフェの街」になってますね。街には数えきれないくらいのおしゃれなカフェが出来ました。さて、故郷の館山はどうでしょうか?サルビアさんのような老舗は頑張っていますが、清住

  • 村松電機レコード店

    館山信用金庫の斜め前にあったいとう屋デパート、その隣にあった黄色い建物。。。いまは学習塾になってますね。ここは昭和40年代は村松電気さんでした。写真の右端に写ってますね。左のたばこ屋さんのある所は、木村屋さんがあった所ですね。まだ阪神の虎の看板もありません

  • あの日のキネマ通り

  • Once Upon a Time in TATEYAMA

    個人で楽しむための写真集の新刊が出来ました。CANON bookです。32ページからなるブックです。大正~昭和の館山の光景ですね。一部を紹介しますね。当時は人力車の時代です。大珍宝の森さんの話から。白浜の岩目館の先々代に森田新太郎って言う人がいた。いま生きていれば<昭

  • 館山の懐かしいお店 2

    まずはキネマ通りのハヤカワカメラさん昭和通りのまつなえさん、そして、渚銀座のJAZZ,サニーさん

  • satokenさんありがとう

    今朝の番組で、リクエストがかかりましたよ。sionecafeのリクエストは何だったでしょうか?2023/02/11/土 09:00-09:30 洋楽処POPS倶楽部 ラジオNIKKEI第1 radiko

  • 館山の懐かしいお店

    千葉銀行のある交差点にあった懐かしい昭和です。成瀬写真館さん、山本菓子舗さん、イイダさん、そして鏡軒のアイス!!

  • 懐かしい館山小学校 2

    昭和の館山小学校の続きです。この写真は僕らの通った木造時代の館山小学校の正門です。右に曲がると正面に講堂、右には小宮先生のいた図書館です。正門前には祝一給食があって、毎朝そういう匂いが感じられました。正門から大通りに向かう道には大通り沿いにかじやさん、道

  • 懐かしい館山小学校

    明治41年、館山小学校が改築落成された時の写真です。東京に近いと言えども、当時は海路が主な手段でした。陸の孤島としては、立派な校舎が建てられています。そして、昭和30年代から40年代にかけて通ったぼくらの校舎はこの写真です。写真からは切れていますが、右に職員室

  • 日本の3大祭り

    新・日本3大祭りの一つと言われる「春の山崎パン祭り」が始まりましたねえ。全国の人が白いお皿をもらうためにシールを集めます。お皿をもらう頃は、春がやってきているのでしょうね。

  • 館山の昭和 養老乃瀧

    昭和の館山には「養老乃瀧」がいくつあったんだろう?僕は館山地区だったから、下町の川名写真屋さんのお隣にあったね。それから上須賀の館山神社の先の歩道信号の所、北条にもあったね。となりのDPEは川名写真屋さん。

  • 館山の大正ロマン 館山桟橋

    館山桟橋は明治11年(1878年)、辰野安五郎による汽船就航のために造られたとされます。桟橋に着けた小舟に乗り、沖に停泊する汽船に乗り込みます。館山~東京霊岸島は約5時間かかったそうです。大正11年(1922年)、辰野が東京湾汽船会社と館山町等の共同出資で、館山桟橋株

  • 春を待つ港

    和田浦の漁港は捕鯨で有名ですね。昭和の頃は小高い場所に小屋を建てて、外国の団体の人が捕鯨船を見張っていたと思います。六本木の政策大学院の小松正之先生を訪ねた時、小松先生は「これから鳥インフルエンザや豚コレラなどで、家畜が食べられない時代が来る。そんな時南

  • 酋長の行列

    昭和40年代の館山小学校の音楽部のみなさん、これを聞くとねえ。。。。。

  • 昭和の館山桟橋

    館山桟橋KKの経営する食堂としてあった大正ロマンの建物ですが、戦後そのまま水道会社の建物で使用されましたが、その1階を東海汽船の切符売り場として昭和40年代まで使われました。大正8年に鉄道が開通するまでは東京~館山は海路が中心でした。明治15年の相沢文書では、内

  • こころの薬

    仁先生、げんきだろうか?

  • 過去最高のX

    過去最高の「紅」み~つけた。7人のX、みんな登場してるね。

  • 南房総は花盛り

    白浜と千倉の境の白間津と言えば、ぼくらビーチボーイズファンは広海と海都が最終回で別れた所、初回で広海が時計を投げた所ですね。いま、白間津のお花畑は花の最盛期に向かっています。色とりどりのお花たちを眺めていると、心があったかくなりますね。

  • 館山の週末だから

    週末だから。。。

  • 波待ちの頃

    南千倉の海は少し暖かですね。海鳥と一緒に波待ちのサーファー。。。春はもうすぐ、そこまで来てますね。拓郎の歌に「泣きたい気持ちで 冬を越えてきた人♪」ってあるけどこの4年間、いろんな想いで乗り越えてきた人たちがいます。そろそろみんなの心にも、暖かさが

  • 温めてもらいなさい

    草刈正雄さんの養命酒のCM。。。「温めてもらいなさい」「私は養命先生に頼んでいます」白浜のあの橋ですね。

  • 館山の大正ロマン 富士見橋

    大正8年(1919年)、汐入川の河口に木橋が架けられました。関東大震災で崩壊した後、昭和元年まで仮の橋でした。富士見橋より海側には橋はありません。昭和25年(1950年)、新しく富士見橋が架けられました。富士見橋は、海岸道路がなかった時代の旧安房水産高校の正門前か

  • 聴き比べ。。風になりたい拓郎

    吉田拓郎が書いた「かぜになりたい」は当時川村ゆう子さんが歌っていました。川村ゆう子で「風になりたい」 沢田聖子で「風になりたい」では、ご本人、拓郎で聞きましょう。

  • 今の君はピカピカに光って~♪

    昭和の頃、週刊誌の表紙を篠山紀信さんが撮っていて、そのときに熊本大学在学中の宮崎美子さんが表紙を飾った。学生時代に買わなかったような週刊誌を本屋で探した。オールナイトフジとかミスDJなどの女子大生ブームのはじまりはじまり~。宮崎さんは、いまもピカピカに光っ

  • 昭和36年~40年代の城山

    いま館山の城山の頂上には館山城が建っているけど、昭和30年代はなにもなかった。ときどき大人に頂上へ連れて行ってもらってたけど、芝生の広場だった。登山道も狭くて、夏にはヘビが道を横断していた。昭和36年には、登山道に街灯がついた。街灯の柱にはお店の名前が書いて

  • みんな疲れてませんか?

    ほんの少しだけ、癒されましょう♪なんか、あつくなります。これを見て泣けるのは疲れてる証拠ですね。

  • 館山の大正ロマン 北條文庫

    まだ館山に鉄道がなく、木の根峠を越えて旅人が来ていた頃のはなし。大正4年の地図を見てみましょう。館山の中心街が新宿~南町~仲町の道路だった頃、右に長須賀のクランクがあります。秋山虎𠮷さんは秋山酒屋さん。新宿の通りに「北条文庫」さんがありますね。裁判所やブッ

  • 火の見やぐら

    青柳は、上真倉と下真倉にまたがった地域で、館山地区を流れる汐入川の東側に位置し、東は日枝神社、南は館山バイパスの下真倉南交差点、北は下真倉交差点とJR内房線との中間地点までで、4区45班で構成された広い地域です。館山小学校では西は大賀あたりから通う同級生が遠

  • 待合室の切り絵展

    受験シーズンを前に、切り絵は大学がテーマ。まずは、上 立教大学、下 明治大学(昭和の姿) 青山学院ですね。昔の三田、慶應義塾大学お茶の水、駿河台下の中央大学(昭和の姿)

  • 仲町の路地を行くと

    城山公園入口から少し戻った仲町は僕の育ったところです。君塚パーマ屋さんの前の道を海に向かう道です。池田荘跡を過ぎると十字路になります。ここからの道のはなしです。僕を海辺の大学生ライブに誘ってくれた五十嵐さんの家が左にありました。さて、この通りの右側には、

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