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君が旅立つまでのこと https://www.matane.site/

犬と付き合う中で、避けられないのが死別の悲しみ ついこの間まで仔犬だったのに、あっという間に自分を追い越して、老犬になっていく。衰えていく老犬と看取りについて、飼い主の気持ちを綴るサイトです。

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2019/12/27

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  • 君は旅立ってしまったけれど - あとがき

    本作を読んで下さった皆様へ 『君が旅立つまでのこと』をお読みいただき、ありがとうございます。本作は愛犬ピーチーが天国に旅立った後、闘病や看取りの時の思い出や、そのときに心に芽生えた色々な感情を記録しておこうと、書き始めたものでした。

  • もう悲しくはないよ - 全てが財産になった【ペットロス】

    犬を飼って良かった ピーチーとの別れから、あっというまに時は過ぎて、暑い夏になっていました。気持ち的には――あんまり変わらなかったように思います。 大きなペットロスはなく、一時は大きくなった寂しさは落ち着いて。しかし、寂しさは無くなったわけではなく―― 何というか、寂しさが楽しめるようになっていました。ピーチーのことを思い出すと寂しいのだから、寂しさは楽しめばいいのだと思い始めたのです。 この考えは、今も同じです。寂しさは当時と比べて減ったかと言うと、あんまり変わらないように思います。相変わらず今の寂しくて、相変わらずそれを楽しんでいます。 あの闘病は――あの介護は――あの看取りは―― 過ぎ去…

  • 悲しさと寂しさは違う - ピーチーのいない3日間【ペットロス】

    見送ってからの3日間(3/3) ピーチーが去った時、悲しくはありましたが同時に充実感があって、それがバランスを取っていたような感覚でした。 その当日は、悲しみに打ちひしがれる事も無く、淡々と過ぎました。その翌日もそうでした。 ● しかし――この3日目あたりからでしょうか―― 寂しさがだんだんと大きくなり、悲しみを上回るほどになっていきました。ああ、悲しさと寂しさは違うんだ――そんなことを考えました。 恐らくはそれが、ペットロスというものなのでしょう。しかし、良く聞くペットロスとは違うようにも思いました。重症、軽症という区別があるのなら、恐らく軽症なのでしょう。しかし――ペットロスは、重い軽いで…

  • 火葬を終えて - 本当の別れ【ペットロス】

    見送ってからの3日間(2/3) ピーチーは別れの翌日の朝、荼毘にふしました。 当日は、前の日のブログを書いて、それから斎場に向かいました。気持ちとしては、沈んでいるのではなく、むしろ前向きでした。 ピーチーの死に様は、誇らしいものであったし、飼い主としての心中も「やり切った」という充実感がありました。ペットロスの実感はありませんでした。――とは言え、やはりさびしいなあという思い。 (扉の写真は遺影です。一番好きな写真の1枚でした) 以下、当時のブログです。

  • いつもと違う朝 - 大好きだった自転車【ペットロス】

    見送ってからの3日間(1/3) ここからは、3回に渡って、ピーチーが旅立った後のブログを掲載したいと思います。 ピーチーが去った後の感覚は、よく言われているような喪失感とは、少し違ったように思いました。心にぽかんと穴の空いた感触なのですが、そこには悲壮感はなく、ただ空いた穴を眺めているような感覚。悲しいよりも、寂しいという思いです。 ピーチーはこれまでに、何度も危険な状態(特に大きいのは胆管閉塞と劇症肝炎)に陥り、そこから戻って来ているので、その経験を経て、飼い主側の気持ちも別れに備えて変化していたのでしょう。 もしかしたら、普通の ”悲しい” を、一気に飛び越してしまったのかもしれませんね。…

  • 大切な時間、悔いのない時間 - この章の最後に

    看取りのまとめとして(2/2) 愛犬ピーチーの去り方は劇的であり、ピーチーの今わの際の行動には、我が子のことながらも感動を覚えました。筆者は今も、ピーチーにとても感謝しています。 多くの方の看取りのお話を読むと、筆者と同じように、別れの時に奇跡のような経験をなさっていることの気が付きます。 ● 筆者は最近、こう考えるようになりました。「犬というのは、最期のときまで飼い主を気遣う動物なのだ」と―― 犬の一生を眺めてみて、改めて犬は可愛いと思います。それは犬を飼う前に感じていた可愛さや、子犬の時に感じた可愛さとは、また違う感情です。 愛犬を看取る経験をなさった方は、きっと同じように感じられていると…

  • 命を預かることの本望 - 最期の時に心が通う

    看取りのまとめとして(1/2) ペットを飼うということは、命を預かることだという考え方があります。 犬猫の平均寿命は15年ほど。その間、私たちは小さな命を守り、育むという重要な仕事を、神様から託されているのだという意味だと思います。 私たちは漠然と ”預かる” という考えに納得しているのですが、改めて考えてみると、”預かる” の意味は、とてもぼんやりとしているのではないでしょうか? 預かるという行為が、どういうことであるのか? また預かった者がやるべきことは何か? そんな考え方をしてみると、意外に ”命” に対する接し方がはっきりしてくるように思います。

  • すてきな最期でしたね - あの日届いた追悼の言葉【闘病記】

    仲間たちからの励まし(6/6)看取りのあとで ピーチーが去った時、ブログの仲間からいただいたお悔やみの言葉です。

  • 生きぬいて逝きましたね - あの日届いた追悼の言葉【闘病記】

    仲間たちからの励まし(5/6)看取りのあとで ピーチーが去った時、ブログの仲間からいただいたお悔やみの言葉です。

  • 春を飛び越えて - あの日届いた追悼の言葉【闘病記】

    仲間たちからの励まし(4/6)看取りのあとで ピーチーが去った時、ブログの仲間からいただいたお悔やみの言葉です。

  • お疲れ様でした - あの日届いた追悼の言葉【闘病記】

    仲間たちからの励まし(3/6)看取りのあとで ピーチーが去った時、ブログの仲間からいただいたお悔やみの言葉です。

  • またねピーチー(^_-) - あの日届いた追悼の言葉【闘病記】

    仲間たちからの励まし(2/6)看取りのあとで ピーチーが去った時、ブログの仲間からいただいたお悔やみの言葉です。

  • 忘れられない宝物 - 寄せられた沢山のコメント【闘病記】

    仲間たちからの励まし(1/6)看取りのあとで 愛犬ピーチーが天国に旅立ったのは、主治医から肺癌の疑いがあることを知らされてから、僅か11日後でした。それは筆者がピーチーのてんかんの発作を切っ掛けに、ブログを書きはじめてから7か月後の事です。

  • さようなら、ピーチー - お前を誇りに思うよ【闘病記】

    別れまでの12日(18/18)肺がん闘病記 驚くほど短くて、長い時間でした。 ピーチーに妙な兆候が見えたのが3月15日。病気の発見からこの日で14日目。ちょうど2週間です。 体感的にはその期間は、3か月はたっぷりあったように思います。だから、今でも日付を辿ると驚くのです。「たった2週間だっけ?」 それほど濃密な時間でした。振り返って、苦しかったと言う思いはまったくありません。誰かにもう一度やるかと聞かれれば、「何度でもやる」と答えるでしょう。 永遠に続けば良いと思った時間が、終わろうとしていました――

  • 今夜は一緒に寝ます - タイムリミットを過ぎて【闘病記】

    別れまでの12日(17/18)肺がん闘病記 ピーチーの苦しさは、側で見ていてよくわかりました。しかし、文句も言わずにピーチーはそれに耐えていました。 いや、耐えていたのかどうかは分かりませんね。受け入れていたのは確かです。 安楽死の選択は、ずっと頭の中にありました。ピーチーに痙攣など、劇的な症状が現れたら、恐らくはそれを選択していたはずです。 時間は過ぎていきました――決断のタイムリミットは、主治医の診療時間である18時です―― 以下、当時のブログより。

  • 生きようとする意志 - 安楽死は重要な選択肢【闘病記】

    別れまでの12日(16/18)肺がん闘病記 ピーチーとの大切な時間は、刻々と過ぎて行きます。かなり苦しい状態だと言うことは、見るからにわかります。 筆者は、安楽死は肯定しています。賛成派というほど積極的ではありませんが、尊重すべき重要な選択肢であると思っています。 しかし、どの時点でそれを選択するのか?それだけが分かりません。神様が「今だよ」と教えてくれるのならば、迷わずそれを選択するでしょう。それほどピーチーは、苦しそうに見えました。 以下、当時のブログです。

  • また新しい朝を迎えました - 昨夜は家でお花見【闘病記】

    別れまでの12日(15/18)肺がん闘病記 ピーチーの状態は劇的に下がる事はなくなりましたが、ゆっくりと下降していきます。 それを悲しむと言う気持ちはありません。全てを受け入れて、看取りという一連の時間の中にいたように思います。 ● ピーチーに「行かないでくれ」という気持ちは全くありませんでした。神様には「どうか穏やかな死を」と祈りました。 「最後にかけてやる言葉は何だろう?」そう考えるようになりました。 最後は泣かないということだけは、ずっと前から決めていました。最後は笑顔で送ろうとも決めていました。 以下、当時のブログです。

  • 恐怖の防災点検 - 酸素テントでひと暴れ【闘病記】

    別れまでの12日(14/18)肺がん闘病記 この日は、これで3回目の記事更新でした。 刻一刻とピーチーの様子が変わり、それを書き留めていました。ブログの読者に伝えることも目的でしたが、それよりも自分の心の平静のためだったようにも思います。 文章に書く行為は、冷静に事態を見つめて、心を落ち着かせる効果を持ちます。 この時に思っていたことは1つです。そう遠くなくやってくるピーチーの旅立ちを、しっかりと受け止めてやろうということだけ。 以下、当時のブログです。

  • 呼吸が苦しいだけなのに - 少し動くと息が上がる【闘病記】

    別れまでの12日(13/18)肺がん闘病記 この頃には、もう深刻な状況が定常化していました。 いつ何が起きても不思議ではなく、ピーチーはもう明日を迎える事がないかもしれないと、常に思っていました。 しかしながら飼い主の心は乱れるのではなく、逆に平静でした。むしろ、どんどん平静になっていったと言うべきかもしれません。覚悟という大袈裟なものではなかったように思います。淡々と現実を受け入れていくのです。上手く表現ができませんが、覚悟よりもっと透明感のある不思議な感覚です。 ● 変に思われるかもしれませんが、我が家にはいつも笑いがありました。病気になり、動きが制限され、元気な頃と全く違うピーチーが目の…

  • 最後の力を振り絞り - 自分で歩いていくんだね【闘病記】

    別れまでの12日(12/18)肺がん闘病記 この時期になると、ピーチーの状態は目に見えるように悪くなっていきました。しかしながら、ピーチーはまだ生きようとしており、その姿に励まされる飼い主。飼い主にできることは、最早そう多くはありません。何が起ころうと、現実から目をそむけないで、見守ってやろうという決意のみ。 ● 安楽死の選択は、常に頭の中にありました。きっとその選択をするときが、来るようにも思っていました。 その日が来なければ良いと願う気持ちが半分。しかしあと半分は、その日が来たら迷うことなく決断しようと決めていました。 ● ある時までは死を遠ざけようと、或いは忘れようと、必死にもがきました…

  • ピーチーは不思議な子 - どうするか安楽死【闘病記】

    別れまでの12日(11/18)肺がん闘病記 ピーチーは子犬のころから、食いしん坊でした。 いつも見事な食べっぷりで、かつて胆管閉塞を患い、いつ胆嚢が破裂するか分からないという時でさえ、医師が驚くほど食欲がありました。飼い主はとしてはその食欲が、決して尽きる事はないと思っていました。 ● しかし、ついにそのピーチーの食欲も尽きようとしていました。健康な時と違い、介護の段階に入り終末期が訪れると、食欲が別れまでの時間を暗示します。 走れなくなる。歩けなくなる。筋肉が落ちて、体が弱って行く――そんな姿を見るよりも、食欲がなくなることの方が、何倍もつらかったですねえ。 以下、当時のブログからです。

  • 今日は月誕生日- 酸素の吸入方法は使い分けて【闘病記】

    別れまでの12日(10/18)肺がん闘病記 ピーチーが劇症肝炎を患い、九死に一生を得てからの日々は、我が家にとってはボーナスタイムのようなものでした。 それまでは年に2回、誕生日とクリスマスにだけあげていた大好物のウニは、毎月の月誕生日のお祝いに変わりました。 「今月も生きてくれてありがとう」心からそう思いました。生きてくれること。一か月生き延びてくれることが、どんなに奇跡的なことか―― 元気な頃には、思いもしませんでした。 1年先は見通しようもありませんでしたが、こうやって1か月1か月を感謝して、お祝いしていったら、いつのまにか1年が過ぎるんじゃないか――、とも思っていました。 以下、当時の…

  • 大好きな木の棒をとりに- それはピーチー棒と呼ばれていました【闘病記】

    別れまでの12日(9/18)肺がん闘病記 この日、2つ目の記事を書きました。ピーチーの体調が目まぐるしく変化するので、この日から1日に2~3回の記事を残すようになります。 自分で過去の記事を読んでみても、別れの覚悟が固まって行くのがわかります。はじめのうちは、否定(または疑い)だったように思います。やがてそれは、あるがままの全てを受け入れようという受容の時期に―― ● この頃は、それよりも一歩進んでいて、ピーチーとの別れをどのように意味のあるものにしてやろうかと、むしろ積極的とも言える考えに、変わろうとしていたように思います。 ものすごく長い時間のように感じました。でも、この日はピーチーの変調…

  • ピーチーは虹の橋を渡らない - 友人たちへのメッセージ【闘病記】

    別れまでの12日(8/18)肺がん闘病記 本記事は、ピーチーの闘病記の中で、もっとも思い出深いものの1つです。この記事で触れたのは、『虹の橋』についての話でした。 下記の文中にもあるのですが、筆者は『虹の橋』の詩が、どうもしっくりと来ません。嫌いとかではないのです。むしろ詩として、それだけを見れば名文のようにも思います。 ”良い詩”であるという事と、”好きな詩”であるのとは、また別物なのです。 ● 筆者はこの詩が、沢山のペットロスの方を救っていることは知っていました。しかしこの『虹の橋』の詩が、自分を救ってくれるものではないという思いが、ずっと心の中にありました。 ピーチーとの別れの覚悟は、少…

  • 酸素テントが届きました- 初めての酸素テントに戸惑い気味【闘病記】

    別れまでの12日(7/18)肺がん闘病記 ピーチーの病状悪化も、前日から下る速度が増した印象でした。 トイレに行くのに、ほんの数メートル歩くだけで息が上がります。歩くたびに、酸素を吸わせて楽にさせてやる――、その繰り返し。 ● ピーチーは自分の体に何かが起きていると思っていて、「あれ、おかしいぞ」というような、戸惑いの表情を見せました。 そして自分で、自分の体が弱っていないのだと思いたいのでしょうか?それとも飼い主に、自分の元気な姿を見せようとしているでしょうか?やたらと歩きたがりました。 ● 試しにと買った携帯酸素のボンベは、残り少なくなりました。前日には、レンタルの酸素ジェネレーターを申し…

  • 状況は悪化しているように- 酸素を買ってきました【闘病記】

    別れまでの12日(6/18)肺がん闘病記 ピーチーの状況は悪くなっていきました。今当時を思うと、ゆっくりと悪くなるのと、階段を下るように悪くなる様が、ミックスしたような感じでした。 体調の小さな浮き沈みに一喜一憂しているところに、ある時ガクンと一段、明らかな下降があるのです。大きくはありませんが、確実に階段を下る感触がありました。 しかしそれは、大きなショックというわけでもなかったように思います。割と淡々と受け止めていました。 こんなことを繰り返しながら、飼い主の覚悟は決まって行くのかもしれません。

  • 今日は安定しているのかな? - 癲癇発作の翌日【闘病記】

    別れまでの12日(5/18)肺がん闘病記 ピーチーが次々と新しい病気を発症したのは、恐らくは自己免疫不全に原因があるであろうと、既に感づいていました。 しかし自己免疫不全には、根本的な治療法はまだ発見されていません。 1つの病気に目途をつけ、ホッとしかけると、次の病気――回復が、逃げ水のように遠くに去っていきます。 ● 日常生活や仕事で何度もこのようなことがあると、きっと何もかも投げ出したくなるのではないでしょうか? しかし、ピーチーの闘病では、そんな投げ出したい気持ちにはなりませんでした。何故でしょうね?きっとピーチーの前向きさに、自分が励まされていたのだと思います。 以下、当時のブログより…

  • 久しぶりの癲癇発作 - 自己免疫不全による肺炎の可能性【闘病記】

    別れまでの12日(4/18)肺がん闘病記 ピーチーの最後の闘病のはじまりは、癲癇(てんかん)の発作からでした。当初は癲癇とだけ闘っていたのです。※癲癇の闘病記は、別の記事にまとめます。 ようやくそこに目途がたってきたところで、劇症肝炎の発症。 癲癇はそっちのけで、目先の命の危機である劇症肝炎の闘いに切り替わりました。※劇症肝炎の闘病記は、すでに掲載済みです。▶ 劇症肝炎闘病記 ● この日の時点で、ピーチーの癲癇との闘病はまだ続いており、薬も飲み続けていました。そんな中で、癲癇の発作を起こしてしまうのが、今回の記事です。 因みに、癲癇の発作を起こす前は、ピーチーはとても可愛くなりました。そんな馬…

  • どうした?調子悪いのか? - 見守るしかないもどかしさ【闘病記】

    別れまでの12日(3/18)肺がん闘病記 主治医からは、肺がんの疑いが強いとは言われましたが、確定診断をしたわけではありません。 よって完全に望みがないわけではないとは思っていました。レントゲンに写った最も大きい影は、ピンポン玉くらい。人間のスケールに直せば、大人のこぶし大です。 そのように大きなものが体内にあって、咳もせずに、血痰なども出ないでいられるのだろうかと考えていたのです。 ● ただ、楽観もしていません。もしも肺がんでなかったとしても、ピンポン玉大の影は普通ではありません。 飼い主さんは皆そうだと思いますが、闘病の初期段階では”迷い”や”否定”のような気持ちが交錯します。当然筆者もそ…

  • 病院で告げられた病名は - まさかの診断結果【闘病記】

    別れまでの12日(2/18)肺がん闘病記 時々息が粗い―― そんな程度の変調だったのです。 ちょっと気分が悪そう――、ちょっとダルそう――、ちょっと熱があるかも―― これまでに何度もあった変調と較べて、取り立てて悪いわけではありません。もっと具合が悪かったことは、それまでに何度もありました。 ただ―― 今回は今までとは、ちょっと違う変調でした。 なんとなく、嫌な予感を伴うような―― 以下、当時のブログより。

  • 始まりは小さな変調でした - 体の震えと食欲不振【闘病記】

    別れまでの12日(1/18)肺がん闘病記 劇症肝炎から奇跡的な生還を果たしたピーチー。一旦はそのまま完全復活をするかと思いましたが、ステロイドの大量投与からの減薬で、離脱症状が現れます。 ステロイドによって失われた筋力は、なかなか回復せず、頬はこけたまま。しかし、辛抱強くリハビリを続けていました。 ● やがて少しずつ体力は戻ってきました。浮き沈みはあるものの、段々とその山は高くなり、谷は浅くなり、回復を実感するように、散歩の距離も伸び、少しずつですが筋肉もついてきました。 ピーチーは気持ちが若くて、8歳くらいまでは初めて会った方から、「まだ子犬ですか?」と訊ねられるほど、せわしなく動き回ってい…

  • 看取りの時に訪れる奇跡 - まるで神様が手配したかのような

    看取りの記録を残す理由(3/3) ”最期の時”に想うことがあります。 筆者にとって愛犬の最期の時(終末期~臨終)というのは、寂しいけれども良い思い出です。思い出す度に力をもらうし、今でもまだ愛犬と心が通っているんだと思わせてくれます。「今頃ピーチーは、天国でどうしているかなあ?」そう思うたびに、「あっちで、楽しくやっているだろうなあ」と思って、笑顔になります。 別れは決して、悪いものではないと思うのです。

  • 別れの予感、別れの準備 - 看取ってみて初めてわかること

    看取りの記録を残す理由(2/3) ”その時” を普通に迎えたい。そう思っていました。 別れが近いことは肌で感じ取れるものです。だからこそ ”その時” を普通に過ごしたいと思います。日常の中に別れがあるのだと思うのです。 ”その時”、愛犬と言葉は交わせないのに、心が通うのを実感しますね。ペットは自分の死を通して、飼い主に色々な事を教えてくれるような気がします。寂しい事だけれど、とても良い時間だったと思っています。

  • 看取りの時へのプロローグ - その日は駆け足でやってきました

    看取りの記録を残す理由(1/3) 3月は筆者にとって特別な月です。なぜならば2016年3月29日に、筆者の大切な愛犬、ピーチーが天国に旅だったからです。病名は肺がんでした。今でも当時のことは、鮮明に覚えています。 幸いにもペットロスはありませんでした。正確に言えば、大きなペットロスはなかったというべきかもしれません。別れのときには、笑って送ってやりました。ピーチーらしい清々しい去り方でした。悲しみはあったのですが、同時に全てをやり切ったという満足感があり、またそうさせてくれたピーチーを誇らしくも思いました。 ● ピーチーが去ってから、筆者はピーチーとの思い出をエッセイにまとめました。一緒に過ご…

  • 選択こそが飼い主の闘病 - 飼い主次第で変わる愛犬の運命

    愛犬の闘病の間、飼い主は何度も選択を迫られます。犬が口をきけない以上、飼い主が愛犬に代って治療法の選択をし、経過を追い、その治療の結果として出てくる検査の結果を待つしかありません。 検査の結果が良いものであろうと、悪い物であろうと、結果が出ると、次の選択が待っています。 ● こと犬の闘病に限れば、その選択は生易しいものではありません。何故ならば、選択を間違えれば愛犬の体にダメージを与えることになり、時にはそれが、命を左右することになるかもしれないからです。

  • 明日は14歳の誕生日 - 闘病を終えて思うこと【闘病記】

    緊迫の7日(18/18)劇症肝炎闘病記 上の写真は、この闘病ブログを書いた翌日(8月26日)に撮影したものです。ピーチーの誕生日に、お祝いのウニ(それも北海道の利尻産の高級ウニ)を食べさせてやった時のものです。写真からも分かるように、ピーチーは死の一歩手前の状態から生還してきました。 このブログは、ピーチーが劇症肝炎に罹った2105年に書いたものですが、今読見返しても、当時のハラハラした思いが蘇ってきます。 ピーチーとピタリ同じ症例(自己免疫疾患による、癲癇+劇症肝炎+多発性関節炎+内耳炎)のワンコは、そういるものではないでしょう。しかし自己免疫疾患は、症状は何でもありの病気。ピーチーとは違っ…

  • 高度医療の恩恵を実感 - 医療格差について思う【闘病記】

    緊迫の7日(17/18)劇症肝炎闘病記 退院の翌々日。またピーチーを連れてDVMs(動物医療センター横浜)に行きました。劇症肝炎を発症する前から、この日は癲癇(てんかん)の治療のために脳神経科の予約が入れてあったのです。 二次診療、高度医療は街の動物病院と違い、受診する科が専門分野で別れています。当然ながら各分野の専門医が担当するために、わずか2日の違いでも、まとめて診てもらうわけにはいきません。 しかし文句は言えません。こういう医療体制が整っていて良かったし、その恩恵に預かれる場所に住んでいたのも幸運でした。 地域ごとに、医療格差は随分とあるようです。二次診療、高度医療を、どこにいる子も受け…

  • 危機は去ったのか? - 新しい課題はまだ沢山【闘病記】

    緊迫の7日(16/18)劇症肝炎闘病記 目前にあった危機が去ると、それとは別の問題も浮上してきます。 肝臓の諸数値が全て健康な状態に戻ったわけではありません。これからは慢性的な傾向の強い肝臓疾患と、長期で付き合っていかなければなりません。 ● また劇症肝炎の原因となった自己免疫不全はそのままですから、これからは自分の免疫とも上手く付き合っていく必要があります。もしもコントロールを誤ると、また重度の肝炎が再発してしまい兼ねません。 それに加えてピーチーには癲癇の発作もあります。 ● 薬の時間を守らなければならず、食事制限も厳しいです。健康な時と違い、いい加減に済ませる事はできません。 しかし、ピ…

  • お祝いのウニを君に - 犬はウニを食べても良いのか?【闘病記】

    緊迫の7日(15/18)劇症肝炎闘病記 我が家に帰ってきたピーチー。まずは家中をパトロールしました。ピーチーは数日家を空けるとき、ペットホテルなどに預けると、帰ってきたときに必ずそれをやるのです。 パトロールの後は薄暗い脱衣所で、寝ていました。可哀そうな気がするのですが、体調が今一つの時には、それが一番落ち着くようなのです。 この日は、退院のお祝いで、大好物のウニを食べさせてあげる日。ピーチーはウニの匂いに敏感に反応して、起きてきました。 これは、病気をする前のピーチーと同じです。ホッとしました。 以下、当時のブログです。

  • 退院そして大好きな我が家 - 帰宅してすぐにやったこと【闘病記】

    緊迫の7日(14/18)劇症肝炎闘病記 結局この日夕方まで、DVMs(動物医療センター横浜)からは、何の連絡はありませんでした。ということは、ピーチーは経過観察中に何の異常もなかったという事です。 「きっと、大丈夫」そう思ってはいたのですが、予定の時間が来るまで気が気ではありませんでした。「退院できるかもしれない」逸る気持ちを抑えながら、我が家には車が無いので、迎えに行くためのタクシーを呼びました。病院につくまでは、そわそわした気持ちでした。 以下、当時のブログです。

  • 目次 - 君が旅立つまでのこと

    この作品『君が旅立つまでのこと』の目次です。

  • 退院はできるのか? - 前日の検査結果と共に【劇症肝炎闘病記】

    緊迫の7日(13/18)劇症肝炎闘病記 愛犬ピーチーの退院はほぼ決まりと思われましたが、一晩様子を見てとのこと。何もなければこの日に退院のはずなのですが、飼い主は気が気でありません。 急激に始まった劇症肝炎なので、同じように急激にぶり返すことだってあるかもしれないと思いました。 ずっと喜ばないようにしていましたが、前日にそうとう我慢できず、ピーチーの大好物を買いました。家に帰ってきたら、食べさせてやろうと思ったからです。 しかし、それで運が逃げるのではないかと、やはり心配をしてしまいました。 そして――、夜が明けました。 以下、当時のブログです。

  • 犬は強いなあ - 担当医の言葉と退院の可能性【闘病記】

    緊迫の7日(12/18)劇症肝炎闘病記 快方に向かっていたピーチーですが、この日の夕方面会に行くと、担当医から”退院”の可能性を告げられました。 正直いって驚きました。4日前には死の淵にあった子です。別れを覚悟で、ステロイドの大量投与を決断したのは3日前でした。 それが、思ってもみなかった回復――この時の喜びは、今も忘れません。そして、犬は強いなあとしみじみと思いました。 しかし、まだ安心はできないぞと、気を引き締め直したことも覚えています。 以下、当時のブログです。

  • 奇跡? 強運? 偶然? - 生かされているという思い【闘病記】

    緊迫の7日(11/18)劇症肝炎闘病記 小康状態を得たピーチーについて、色々なことを思いました。 前回書いた、自己免疫不全(自己免疫疾患)に関することはその最たるもの。本来は体を守ってくれるはずのものが、誤動作で幾つもの病気を引き起こしてしまうのですから、その振る舞いの不思議であり、怖さも感じてしまいます。 一方、ピーチーの強運も実感しました。稀有な偶然が重なりあって、まるでピーチーは ”何者かによって、生かされている” みたいです。 ● ピーチーは過去に、膵炎から併発した胆管閉塞で、死の手前から戻ってきました。その時も、絶体絶命の綱渡りの末の生還。 今回も、その時と同じような、幸運を感じまし…

  • 驚きの自己免疫不全 - 何でもあり、免疫が自分の体を攻撃【闘病記】

    緊迫の7日(10/18)劇症肝炎闘病記 段々と調子が良くなっていくピーチー。 気持ちが落ち着いてくると、今回起きたことを振り返る余裕ができてきました。 この日のブログで触れている、自己免疫不全(自己免疫疾患)と言う言葉を初めて聞いたのは、今回の闘病の少し前のことです。ピーチーが癲癇の発作を起こし、脳腫瘍は強く疑われたときに、担当医から別の可能性として示唆されたものでした。 一つ一つのことを改めて考えると、自己免疫不全は多くのことを引き起こした元凶のように思えます。そしておそらくそれは、ピーチーだけでなく、他の子(犬猫に関わらず)起きているものと思われます。 この時の印象の強さから、自己免疫不全…

  • 復活の予感 - 当たり前が嬉しい初ウンチと初ごはん【闘病記】

    緊迫の7日(9/18)劇症肝炎闘病記 前日の朝、面会したピーチーは、死を免れたように思われました。しかし、その前があまりにも悪く、危機的な状況であったために、飼い主としてはまだ素直に喜ぶことができませんでした。 いつ病状が急変するか、わからないからです。 この日も面会に行きました。具合は良くなっているのか? それとも悪くなったか?期待が半分、怖れが半分。 面会の順番が来て、名前を呼ばれたときのことを、今も覚えています。 以下、当時のブログです。

  • 愛想も愛嬌も闘病の一部 - もしかしたら闘病の秘訣?【闘病記】

    緊迫の7日(8/18)劇症肝炎闘病記 前日の面会では、ピーチーの劇症肝炎は、劇的に改善されたように見えました。しかし、まだ安心はできません。なにしろ、一昨日の夜までは、ピーチーは死の縁をさまよっていたのですから。 ブログで応援をしてくれた仲間達に、歓びの声を伝えたいと言う気持ちが半分と、そこに喜んでしまうと、足元をすくわれそうな不安が半分同居していました。 ● 一晩かけて、起きたことをきちんと頭で整理しました。少なくとも、危機的な状態は回避している。――それは確かです。 しかし――、やはり心からは喜べない。喜ぶのが怖いと言うのが、正直な気持ちでした。 以下、当時のブログです。

  • ステロイドの大量投与 - 究極の選択、その結果は?【闘病記】

    緊迫の7日(7/18)劇症肝炎闘病記 前の日の夜、劇症肝炎のピーチーに、ステロイドの大量投与という治療を決断しました。その決断が吉と出るか凶と出るか、誰にも分かりませんでした。筆者と家族とピーチーは賭けにでたのです。 あの時――押しつぶされそうなだった胸の内を、今でも鮮明に覚えています。 しかし、有り得る選択肢を一つ一つ洗い出して、考えを深めて行くうちに、覚悟が決まっていきました。覚悟を決めたら、もう迷わないと、別の覚悟も決めました。 ● 医師との面談が終わった時には、病院にはもう人けがありませんでした。病院にはご迷惑かと思ったのですが、ピーチーとの面会を申し出ました。もしかしたら、それが生き…

  • 僕たちの決断 - もしも言葉が交わせたならば【闘病記】

    緊迫の7日(6/18)劇症肝炎闘病記 DVMs(動物医療センター横浜)から帰り、ピーチーの手術を行うかどうかを考えました。帰りがけに掛かり付けの動物病院の院長先生に出会えたのは、幸運でした。 外科手術に傾いていた心が、それによって、もう一度冷静に考えてみようという気持ちになれました。 愛犬の治療と言うのは、なにも治そうとするばかりが治療ではないという気持ちにもなりました。残された時間が僅かであるのなら、それをどう有意義に使うかという事も、大事な治療ではないかと思いました。 治るのか? 治らないのか? 賭けるのか? 賭けないのか? 幾つもの思いが、頭の中を駆け巡りました。以下、当時のブログからで…

  • 多臓器不全の直前で - 外科か?内科か? 究極の選択【闘病記】

    緊迫の7日(5/18)劇症肝炎闘病記 朝のブログにピーチーの経過を記録し、それから筆者はDVMs(動物医療センター横浜)に向かいました。その日の朝、ピーチーは救命救急のERから総合内科に引き継がれ、正式な担当医がつくことになっていました。 救命措置から治療に移り、専門医がピーチーを診て、そこで初めて正確な診断が下ることになるのです。 以下、当時のブログです。

  • 生存の朝 - これまでの経過/病歴など【闘病記】

    緊迫の7日(4/18)劇症肝炎闘病記 愛犬ピーチーの突然の劇症肝炎。慌ただしく過ぎた1日が過ぎました。 ピーチーをDVMs(動物医療センター横浜)のER(救命救急)に残して飼い主は帰宅。その日の夜は、心配で仕方がなかったのですが、早めに寝る事にしました。翌日から始まるであろう、より深刻な状況を考えると、体を休めておくことが最善の策と思ったからです。 そして、一夜が開けました。

  • もう会えないかもしれない - 集中治療室での面会【闘病記】

    緊迫の7日(3/18)劇症肝炎闘病記 ピーチーが入院し、集中治療室に入ったその日の夜――何も手が付かず、気を紛らわすこともできませんでした。 もしかしたら――そう思いました。もう生きている姿には合えないかもしれないと、最悪の事態を想像したのです。一度考えてしまうと、もう打ち消すことはできません。 筆者はいてもたってもいられず、ピーチーの面会に出掛けました。側にいても何もできないことは、分かっているのに―― 飼い主と言うのは、皆同じではないでしょうか?以下、当時のブログです。

  • 二次診療の弊害か? - 融通が利かない病院間連携【闘病記】

    緊迫の7日(2/18)劇症肝炎闘病記 前話(すべてはここから|突如の劇症肝炎)の続きで、同日(8月16日)の続報です。急に発症した劇症肝炎のため、筆者はその日、2つの病院(救命救急と主治医-かかりつけの動物病院)を行き来することになりました。 愛犬ピーチーの容態が、非常に悪い状態にあることだけは一見しただけで分かり、しかもそれが刻一刻と悪い方向に進んで行きます。 しかし、それ以外の事はまったく見当がつきません。 ● 担当医の顔つきからも、深刻な状況である事は明らかです。 肝臓の数値、炎症を示す数値が非常に悪い事から、病名で言うと ”劇症肝炎” であろうことは察せられます。 その時の筆者の頭の中…

  • すべてはここから - 突如の劇症肝炎、発症から救命救急へ【闘病記】

    緊迫の7日(1/18)劇症肝炎闘病記 これから、愛犬ピーチーの劇症肝炎との闘病について書いていこうと思います。 過去に何度か死線を切り抜けたピーチーですが、この時の闘病は大変なものでした。突然の食欲不振から始まり、転がるように死の淵まで一気に病状が進んだのです。 ピーチーが突然重病を発症したのは2度目。1度目は 急性膵炎からの胆管閉塞 です。飼い主である筆者は、愛犬の治療の選択肢を増やすことに専念しました。そして最後に、身を切るような選択が待っていました。 この時の闘病は、筆者がブログを書き始めてからの出来事なので、発症から治療経過までの記録が詳細に残っています。日付を追う形で、闘病日記として…

  • 選択肢は可能性と同じこと - 当たりくじは入っているか?【闘病記】

    闘病の奇跡、強運の正体(4/4) 前3話で書いた、筆者と愛犬に起きた出来事を整理すると、9つの幸運が立て続けにあって、最後に奇跡が舞い降りています。 当時は目の前で起きていることに対処するのに精いっぱいで、周りを俯瞰する余裕が全くありませんでした。しかし今振り返ると、目先のことだけを見てやっていたことが、意外に的を射ていたように思います。 今は愛犬の闘病で得た経験と知識があります。しかしながら、もしもまた同じような状況が発生した場合、もう一度同じような判断ができるかというと、自信がありません。もしかすると経験と知識があるが故に、間違った判断をしかねないなとも思うのです。あの時の緊迫感は、正常な…

  • 胆嚢破裂の危機を回避 - データからの予想でした【闘病記】

    闘病の奇跡、強運の正体(3/4) 『JARMeC』の集中治療室には入れたものの、依然として予断を許さぬ状況です。対蹠的な治療は行われていましたが、胆管閉塞の根治治療はまだ始まっていません。胆嚢破裂の危険は全く去っていないのです。 病院には大勢の付き添いの飼い主さんたちが、専用の待機室におり、皆一様に黙りこくっています。よどんだ空気は、そこにいる皆が、重篤な状態の愛犬、愛猫に、一縷の望みを託してそこに来ているからです。そのことが余計に、ピーチーの身に降りかかった不幸を実感させました。

  • 胆管閉塞の併発 - 病状急変、危機的な状況へ【闘病記】

    闘病の奇跡、強運の正体(2/4) 前話|突如の急性膵炎 で4つの幸運を得て、膵炎から回復したピーチー。ほっとしたのもつかの間でした。 実はその後に、闘病の本番が待ち受けていたのです。それこそが、ピーチーが命を賭ける事になった病気、胆管閉塞です。膵炎による内臓の炎症(発熱)が、胆嚢と胆管にダメージを与えていたのです。 しかしここからも、ピーチーの幸運は続きます。

  • 突如の急性膵炎 - それは胆管閉塞の入り口でした

    闘病の奇跡、強運の正体(1/4) 本話から4話連続で、我が家の愛犬ピーチーが生れて初めて罹った重病、急性膵炎と胆管閉塞について書きます。 膵炎は大変痛みを伴う重い病気です。特にはショックにより、死に至る事もあるそうです。しかしながら、膵炎(我が家の場合は急性膵炎)はそれほど珍しいものではなく、飼い主が早く気が付けば治る病気です。ネット上には、膵炎から回復した例が沢山見つかります。 我が家の場合は、膵炎には非常に早くに対処できたものの、そこから数日を置いてピーチーは胆管閉塞を併発し、非常に深刻な状況に陥りました。 この記事は当時の体験をまとめた闘病記です。以下、過去に書いたブログからの転載となり…

  • 高度医療という選択肢 - 生き残る道が残されていた

    闘病記が教えてくれること(5/5) 筆者の愛犬ピーチーは、いつでも元気一杯で、10歳を過ぎても疲れを知らず走り回っていました。アレルギー性の皮膚炎炎が子犬の事からの持病でしたが、それを除けば病気の予感など一切感じさせない子でした。 そのピーチーが生まれて始めた罹った大病が急性膵炎。突然のことでした。やがてそれは、胆管閉塞を併発し、遂にはピーチーを死の淵に立たせたのでした。

  • セカンドオピニオンと二次診療について - どちらも意外に実行されない選択肢

    我が家の愛犬ピーチーに2度起きた、”奇跡的に命拾いをした” という経験ですが、偶然にもどちらも同じような経緯をたどっています。 どちらも回復は難しい(実際に安楽死を勧められた)と言われる中で、それでも諦めきれずに可能性を探っていった末の出来事でした。 さて、筆者がその2度の ”奇跡” の前に行ったこととは――

  • 努力は奇跡の確率を上げるもの - 待つだけの奇跡と勝ち取る奇跡では、起きる確率が違う

    犬の闘病記を読んでいると、”奇跡的に助かった”、”奇跡的な回復をみせた” という表現を時々目にすることがあります。 さすがに ”奇跡” というだけあって、いつでも起きる訳ではなく、どこにでも起きるものでもありません。しかしながら、この ”奇跡” という現象は、厳然と存在しています。何故そう言えるのかというと、筆者が愛犬で遭遇したからです。 ――しかも、2回も。 これから、その ”奇跡” について書こうと思います。

  • 闘病記を読む理由とメリット - 医学書や論文よりも現実的な選択肢

    愛犬が闘病の状態になったとき、多くの方が愛犬の病気についての情報を得るために、ネット検索をされたと思います。 求めていた情報には、すぐに行きつくことができましたか?恐らく 『病名』や 『病名 犬』 だけの検索では、不要な情報が膨大に検索リストに並んで、探し当てられなかったのではないでしょうか? 筆者は早々に諦めてしまいました。

  • ケーススタディとしての闘病記 - 闘病記を読むということ

    この章では、筆者の愛犬ピーチーの闘病記を書こうと思います。 とは言うものの、現在愛犬が闘病中でない方や、愛犬がピーチーと違う病気で闘病中の方にとっては、いきなりよその家の犬の闘病記を読めと言われても、戸惑われることでしょう。 闘病記と言うのはその病気が何であれ、読む価値があるものです。何故ならば、そこには病気の知識だけでなく、闘病や介護に向き合う飼い主さんの姿勢が書かれているからです。 本章では以下のように、”闘病記” を扱っていこうと思います。

  • またね、という言葉 - 爽やかに去っていく君を、爽やかに送ろう

    大切な愛犬との別れの時、一番最後に掛けてあげる言葉は用意していますか?きっと、考えたくもないという方が多いと思います。しかし、もしかすると愛犬の一生の中で、最も大切な言葉がそれなのかもしれません。 考えてみませんか? 別れの言葉を。

  • 最期の瞬間まで喜びはあるもの -その時がくるまで生きている。人も犬も。

    筆者は過去に愛犬を看取りました。介護の最中には、沢山の方が書かれた闘病ブログを読んでいました。 それらを読んでみると分かるのですが、愛犬の終末期というのは、多くの飼い主を不安の底に落とすもののように思います。飼い主は目の前の我が子が、いつこの世を去って行ってしまうのかと、不安にさいなまれるからです。 ● 当然ながら筆者も愛犬の終末期を経験しているのですが、幸運なことに、それほど大きな不安には襲われませんでした。 なぜそうだったのか?今、考えてみると、愛犬の臨終の瞬間まで、愛犬との触れ合いを楽しんでいたからのように思います。

  • 看取りは日常の延長にある -それは普段と何も変わらない愛おしい日々

    今回は筆者の愛犬ピーチーを、看取るときのお話です。ピーチーは肺がんでしたが、その病気と分かる前、割と早いうちから自分の体の異常を感じ取り、不安を感じていたように思います。 ピーチーは何か気になることがあると、家中と見て回るクセがあったのですが、自分の体調の変化を外的なものとでも思ったのでしょう。それまで以上に良く巡回をするようになりました。 もう少し弱ってくるとピーチーは、いつも筆者の側に来て足元で寝るようになりました。触ると嬉しそうな顔をし、笑顔を見せてやると、そこで安心して眠りに落ちました。

  • 泣いて見送る? 笑って見送る? -涙じゃない別れもあるんだよ

    愛犬がこの世を去る瞬間の事を書こうと思います。 筆者は2016年3月29日に愛犬ピーチーを亡くしました。その時の経験をお話すると、”その瞬間” というのはとても切ないです。もう会えないのだという思いが、強く胸に迫まってきます。 それは人間との別れの時も同じなのですが、愛犬の方がより感情移入が激しいと思います。相手が親や友人ならば、運が良ければ最期の言葉を交わせるし、そうでなくてもその少し前には、何かを語らったという思い出があります。犬の場合は話すことができないので、一方的に飼い主が感情移入している状態です。だから、より胸が痛むのだと思います。

  • いつか出会う君の姿は - ピーチーは虹の橋を渡らない|本文

    前話にひき続き、『ピーチーは虹の橋を渡らない』の本文をご紹介します。前話ではピーチーの死には『虹の橋』は似合わないという、飼い主としての正直な心境を書きました。 本話では、そう考えるようになった理由と、仲間たちにした ”ある” お願いについて触れたいと思います。

  • 別れ方はひとそれぞれで - ピーチーは虹の橋を渡らない|前文

    前前話に書いたように、筆者は愛犬ピーチーとの別れが近いと悟った時に、『ピーチーは虹の橋を渡らない』という文章を書きました。 虹の橋は原典が作者不詳の詩です。詩には様々な解釈があります。筆者なりの解釈をして結果が『ピーチーは虹の橋を渡らない』でした。 ● 本話と次話で、その文章をそのままご紹介したいと思います。「こんな考え方もあるのか」と思っていただけると幸いです。 下記に、当時のブログに掲載した原文を(ほぼ)そのままに転載しますが、ブログ中では自分のことを、”筆者”ではなく”僕”と表しています。

  • 虹の橋ってどんなところ? - 意外に知られていない原文と、その解釈

    前話でも触れた、犬の死を考える際によく引用される『虹の橋』の詩をご紹介したいと思います。 愛犬を失った多くの飼い主の、心の支えとなったことで知られています。しかし、実際に『虹の橋』の原詩を読まれたことがない方が多いように見受けられます。原詩を知っておかないと、大事なことを誤解してしまいがちなのです。 本話の最後に、少しだけ詩の解釈と、それに対する考察を記しています。

  • 最後の我儘、行き先くらい好きにしたい - 愛犬なりの去り方。飼い主なりの送り方

    2016年春のことです。筆者の愛犬ピーチーは、肺がんのために終末期にありました。いよいよピーチーの死が迫り、最早それが避けられないと悟った時、筆者はあることを実行しました。ほぼ毎日のように更新していたブログに、一つの文章を載せたのです。 題名はこれです。『ピーチーは虹の橋を渡らない』

  • 別れの瞬間は特別なものか? - 褪せない思いと、ぼやけていく境界

    愛犬の死は、飼い主にとって特別な意味を持つものです。しかしながら、飼い主の全てが死の瞬間に立ち会えるわけではありません。 入院中の病院で病状が急変した。朝起きたら、愛犬が息をしていないかった。或いは会社や学校から帰ってみたら、愛犬が息を引き取った後だったなど……誰にも看取られることなく、愛犬がたった一匹だけで旅立ってしまうケースも意外に多いもののようです。

  • 生きざまと死にざまについて - 君を思いながら、これからも生き続けよう

    筆者の好きな言葉の1つに、『生きざまと死にざまは同じ』というものがあります。人の死生観を語った言葉ですが、一体誰から聞いたのかはもう覚えていません。 ● インターネットで検索すると、『よく生きたものが、よく死ぬことができる』という言葉が、洋画家の中川一政氏の言であると書かれてました。生前に氏が、ある禅僧から聞いた言葉だそうです。

  • 悩みの賞味期限は? - 悩みはいつか必ず消えるもの

    前回の『悩みの値段』に続き、今回は『悩みの賞味期限』について考えてみたいと思います。 まずは今回も前回同様に、大学院で行った講義を再現してみます。

  • 悩みの値段は? - 何かに例えることで軽くなる思いがある

    本話と次話は『悩みの値段』と、『悩みの賞味期限』についてのお話です。 もう15年も前の事。筆者は九州のある大学院から講師の依頼を受けて、3年ほど自分の講義を持っていた時期があります。その依頼の趣旨は、大学院を出て会社員にならなずに、自分で起業したいという学生さんたちに対して、『失敗は怖くない』という話をすることでした。

  • 頑張らないという選択 - 闘病の秘訣は一人で抱え込まないこと

    愛犬が初めて病気になったとき、飼い主は慌てますよね。どうして良いかわからずに、右往左往しながら近所の動物病院を探し当てて、そこに駆け込むことでしょう。 犬を飼っている方なら、必ず通る道です。しかし心配はいりません。どんな新米飼い主もその内、段々とその対応に慣れていきます。

  • それは限られた時間を刻むこと - ドッグイヤーで時は流れていく

    ネット上に散在している、飼い主さんたちの体験談を読むと、愛犬の命を賭けた闘病は、突然やってくることが多いようです。筆者の場合もそうでした。 最近、どうも体調が悪そうだな。いつもなら元気一杯でじゃれついてくる愛犬の、ちょっとした変調。いつものように、2~3日様子を見たらきっと良くなるだろう。 ――あれ、今回はどうも違うようだな。

  • 飼い主が流す血の涙とは - つらい涙なのに暖かい

    前話に続いて、”血の涙” のお話です。愛犬の闘病で、なぜ飼い主は ”血の涙” を流すのでしょうか? 楽しかった日々と現実のギャップに慄く(おののく)から?病気を治してあげられない悔しさ?苦しみを取り除いてあげられない、自分のふがいなさを恥じるから?もっとやさしくしてあげれば良かったという後悔?病気にさせてしまったという自責?もう目の前に迫ってきている、避けられない別れへの恐れ?

  • 闘病に感じる不安と悩み - 飼い主たちの心の声

    ”愛犬闘病ブログ” は文字通り、愛犬家が自身の愛犬の闘病を記録したもの。その記事のコメント欄の中には、同じ不安、同じ悩みを抱えた飼い主たちが、本音で語り合ってます。以下に2つ、その例をご紹介しましょう。 どちらも、筆者が運営していたブログのコメント欄に投稿された書き込みです。当記事の趣旨に沿ったものを選びました。

  • あなたは一人ぼっちなのか? - 闘病で多くの飼い主が覚える孤独感

    愛犬の闘病時――当然ながら、犬は口をきくことができません。飼い主は、獣医師が提案した治療法の中なら、愛犬に良かれと思われる方法を1つだけ選んで、その成果に掛けることになります。 犬を飼った瞬間から飼い主が負っている、『命を預かる』という責務の重みを、このときほど実感することはないでしょう。

  • 最期の闘病期間とは? - 無限の介護は無いと知ること

    犬は一生の最期の時期、病魔との闘いに、どれくらいの期間を費やすものなのでしょうか? 実はこれは、介護の当事者となった飼い主にとって、とても有益な情報です。かつては筆者もその当事者の一人でした。

  • 私たちの周りには - 犬の飼育密度を推計してみたら?

    私たちの周りには、沢山の犬が暮らしています。それは朝早くに、或いは夕方頃に、何匹もの散歩中の犬とすれ違うことからも、実感することができます。では、いったいどれだけの犬が私たちの身の回りに暮らしているのでしょうか?

  • 飼主たちの共感の時間 - 君が旅立つまでのことの構成

    犬を飼うという行為は、犬を飼おうかどうか悩むところから始まって、最後に愛犬を看取るまでの間続きます。その平均は14年~15年ほどだそうです。

  • さようならピーチー

    2016年3月29日、筆者の大切な愛犬、ミニチュア・ブルテリアのピーチーが、天国に旅立ちました。14歳7か月と3日。平均的な犬の寿命より、ほんの少しだけ長い一生でした。

  • 目次 - 君が旅立つまでのこと

    この作品『君が旅立つまでのこと』の目次です。

  • 主筆、および主な執筆者のプロフィール

    アイコンは、相棒のミニチュアブルテリアのピーチーです。

  • MATANE|君が旅立つまでのこと とは

    本サイトのサイト名のMATANE(またね)は、今を去ること3年前の2016年に、筆者が愛犬ピーチーがこの世を去るときに、掛けてあげた言葉です。 別れの挨拶でありながら、再会をどこか期待できる言葉――ピーチーが病気になった時から、いつか訪れる別れの際にはこの言葉を送ろうと、ずっと前から思っていました。 ● MATANEに掲載している記事は、そのピーチーの闘病当時に、いつか訪れるであろう別れを見据えて考えたことを、全80話のエッセイとして綴ったものです。実はそれらはずっと以前に『カクヨム』という小説サイトで、『うちの子が旅立つまでのこと』という題名で公開していたものでした。 ● 『うちの子が旅立つ…

  • 関連のサイト Withdog|Withcat|Dog&Cat

    // MATANEの関連サイトは下記の3つです。

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