「痛み」のことばが「歌」を生む(終)

「痛み」のことばが「歌」を生む(終)

年の瀬、祖父母・両親・孫たち三世代が茶の間に集まりテレビを見て楽しむ。視聴率80%前後のその国民的行事「紅白歌合戦」は10年ほどで衰退してゆく。高度経済成長期に入り、老親は田舎に残り親たちは子供とともに都会で生活し始める。大家族は崩壊し、核家族が一般的になる。祭りなどの年中行事や共同体から抜けて、「隣は何をする人ぞ」のアパートやマンションにそれぞれが閉じこもる。孤立し何かに追われるような社会風潮が広まり、人と人とのつながりがバラバラになったことで、世代ごとに歌のジャンルも多様化していった。学生運動のうねりはフォークソングを生み、時代への異議申し立てはロックンロールを、内面の孤独はニューミュージックを生み出していった。また、アイドルやグループサウンズに夢中になる若者も増えていった。昭和歌謡の場合、聴く者はそ...「痛み」のことばが「歌」を生む(終)