奈良市南郊の窪之庄城は戦国時代は筒井順慶と松永久秀の抗争で最前線となった城郭。 中世国人館城の土塁と堀が良好に残る貴重な城跡です。
奈良県を中心とした街歩きやおすすめスイーツ、歴史の話題を書いてます。 城跡や城下町、古民家、遊郭、神社仏閣などの古跡に興味がある方は一度ご覧ください。 あと、奈良県(大和国)を中心にした歴史上の人物のご紹介もしていきます。
皆さんこんにちは。 今回は奈良県大和郡山市の禅宗寺院、慈光院をご紹介します。 ところで、皆さんは慈光院という寺院をご存知でしょうか。 茶道に詳しい方なら、或いはご存知の方も多いかもしれませんが、ピンとこない方も多いかもしれないですね。 慈光院は江戸時代の初め、1万3千石の大名でありながら高名な茶人でもあった片桐石見守貞昌(通称、石州)により創建された寺院で、境内全体が茶席の演出空間として設計されているという、稀有な特徴を持っています。 そして、その書院や茶室は国の重要文化財、庭園が国の名勝、史跡に指定されています。 今回はその境内をじっくりとご紹介します。 片桐石州と慈光院 一之門~茨木門 書…
皆さんこんにちは。 百万巻の写経勧進による白鳳伽藍復興という空前の事業を起こした、薬師寺管長高田好胤とはどのような人物だったのか。 前回は、結婚、そしてテレビ出演によって全国的な知名度を得るようになり、薬師寺副住職として活躍する好胤の姿をご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 副住職になったあと、独創的な方法で精力的に仏法を広める活動を展開する好胤は、いよいよ白鳳伽藍復興に取り組むこととなります。 金堂復興の誓い 百万巻写経勧進 金堂復興の誓い 好胤の師であり、薬師寺住職であった橋本凝胤は、70歳を目前にしたころから糖尿病を患っていたこともあり、体力的な衰えを自覚する…
忽然と消えた西の日光、内山永久寺の跡を巡る(永久寺跡~石上神宮~なら芸術文化村)
皆さんこんにちは。 現在の奈良県天理市にあった内山永久寺は、江戸時代までは大和国の中でも屈指の大寺院であったにもかかわらず、明治の廃仏毀釈で跡形もなく消え去った寺院として知られます。 内山永久寺のあった場所はこちら。石上神宮の南側にありました。 内山永久寺は永久年間(1113~1118年)に鳥羽天皇の勅願により建立された寺院で、本尊は阿弥陀如来。興福寺大乗院の末寺で、折からの本地垂迹説の流行から近隣の石上神宮の神宮寺となり、室町時代には大きな勢力を誇りました。 当記事冒頭の絵図からもわかるように、池を中心とした浄土式回遊庭園の周囲を、本堂をはじめとした多くの堂宇が取り囲み、天正期には56の塔頭…
皆さんこんにちは。 百万巻の写経勧進による白鳳伽藍復興という空前の事業を起こした、薬師寺管長高田好胤とはどのような人物だったのか。 前回は、学徒出陣からの復員と復学、大学卒業後に薬師寺副住職となり、修学旅行に訪れる生徒たちへ「青空説法」を始めた若き日の好胤の姿をご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 「寺を訪れた人々に仏法の種をまきたい」 この一念から始まった「青空説法」が評判を呼び、好胤は「薬師寺の話のおもしろいお坊さん」として、その名が広く知られるようになっていきます。 戒律を破った幸福 写真家たちとの交流 テレビ読経 戒律を破った幸福 好胤の青空説法は多くの修学…
皆さんこんにちは。 これまで、今井、田原本、箸尾といった奈良県内の寺内町ルーツの町をご紹介してきた当ブログですが、今回は大和五ヶ所御坊の一つ、専立寺の寺内町から発展を遂げた大和高田市中心市街をご紹介します。 ※これまでの寺内町の記事も是非お読みいただければと思います。 www.yamatotsurezure.com www.yamatotsurezure.com www.yamatotsurezure.com 大和郡山市民の筆者には、大和高田は同じ奈良県内ながら近くて遠い町でしたが、念願かなってようやく足を運ぶことができました。 観光イメージはあまりない町でしたが、実際歩いてみると、町の歴史を…
皆さんこんにちは。 壮麗な復興伽藍で知られる奈良薬師寺。 この白鳳伽藍再建を開始したのが、薬師寺管長であった高田好胤です。 度重なる戦災と明治の廃仏毀釈に飲み込まれ、一時は住職も不在となった薬師寺を復興した高田好胤とはどのような人物であったのか。 前回は、その少年期を中心にご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 戦争により大学生活を中断された好胤は、終戦を招集後配属されていた千葉県四街道で迎えます。 除隊して奈良に戻った好胤は、龍谷大学に復学することになりました。 もう一人の師 青年僧好胤 青空説法 もう一人の師 終戦により復学した龍谷大学文学部には、好胤が橋本凝胤と…
皆さんこんにちは。 近年、竹田城や備中松山城といった、高い山上に築かれた山城が、観光地としても非常に注目され、人気を集めています。 今回は、全国でも屈指の規模を誇る山城、高取城をご紹介します。 高取城とは 土佐の町~下子嶋 黒門~二の門 国見櫓~千早門 三ノ丸~二ノ丸 本丸 高取城とは 高取城は、奈良県高取町に築かれた山城です。 場所はこちら。 標高583m、比高350mの高取山山上に、三層の天守と小天守から成る豪壮な連立式天守を持つ、山城としては異例の城郭でした。 連立式天守とは、天守と2基以上の小天守や隅櫓を渡櫓で連結して本丸を囲む、非常に堅固な守りを誇る天守です。 姫路城や松山城が代表格…
皆さんこんにちは。 奈良の西ノ京にある世界遺産・薬師寺。 奈良時代から残る国宝の東塔や鎌倉時代築の重文・東院堂などの古くから残る貴重な建築だけでなく、創建以来の度重なる火災や自然災害、兵火により失われた大伽藍を復興したことでも名高い名刹です。 この白鳳伽藍復興事業は、1967(昭和42)年、薬師寺管長となった高田好胤が金堂復興を発願したことから始まりました。 金堂復興に始まり、西塔、中門、東西回廊と次々に再建された復興事業は、好胤が1998(平成10)年に世を去った後も続き、講堂、食堂と再建されて現在まで続きます。 白鳳の大伽藍を復興させるという、空前の大事業を始めた高田好胤は、私(1974年…
第61回お城まつり(大和郡山)、今年は夜桜も行ってきました。
皆さんこんにちは。 今年も奈良県大和郡山市では、昨年に続いてコロナ禍の中で第61回の「お城まつり」が、「日本さくら名所100選」にも選出されている郡山城址で開催されました。 ※2年ぶりに開催された昨年の様子は下記記事をぜひご参照ください。 www.yamatotsurezure.com 昨年同様、残念ながらパレードや露店の出店が中止されたり、城址内での飲食が禁止となる中、桜が満開となった4月1日の日中と、4月2日は夜桜見物に訪れましたので、その様子をご紹介したいと思います。 日中の様子 郡山城の夜桜 日中の様子 さて、近鉄郡山駅方面から城址公園に向かいます。 かつて柳曲輪と蓮池堀の間にあった土…
皆さんこんにちは。 前回は旧筒井家重臣で、五條新町や肥前島原城築城で知られる松倉重政の事跡を中心にご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 暴君として悪名高い松倉重政ですが、重政が発展の礎を築いた五條新町は、江戸時代初期から現在まで生活の息吹が続く、ノスタルジックな町並みが名高いスポットとして知られます。 今回は五條新町を中心に、見所のスポットやエピソードをご紹介します。 五條新町とは 五新線新町高架橋 神田橋~新町橋 新町橋~鉄屋橋 鉄屋橋以西 五條代官所~天誅組関連史跡 五條新町とは 江戸から昭和初期にかけての町屋が、旧紀州街道(伊勢街道)である新町通り沿いに立ち並…
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奈良市南郊の窪之庄城は戦国時代は筒井順慶と松永久秀の抗争で最前線となった城郭。 中世国人館城の土塁と堀が良好に残る貴重な城跡です。
奈良市のJR帯解駅周辺には、帯解寺、龍象寺と安産祈願で信仰を集める帯解地蔵尊が二つあり、円満寺には奈良県内では5つしか残されていない貴重な和算の算額を見ることができます。 中世の街村をベースに近世に発展した帯解の注目スポットをご紹介します。
奈良市の今市城は奈良の戦国史を語る上で外せない重要な城郭。 城域は現在住宅地となっていますが各所に堀跡など城郭の痕跡が残っています。 今市城の歴史と現在の様子を紹介します。
奈良県天理市の竹之内環濠集落は県内の環濠集落で最も高所にあり環濠越しの眺望がすばらしいスポットです。 戦国時代は城郭としても使用され、大和戦国史のターニングポイントとなる戦いもありました。 見所を含めて詳しくご紹介します。
奈良県天理市の萱生環濠集落は県下でも有数の古墳密集地帯にある環濠集落で、古墳の周濠を濠としたり墳丘を集落中央の神社とするなど集落防衛に地域の特性を大きく活用して独特の環濠風景を持つ集落です。
奈良県生駒市上町の長弓寺は中世建築の傑作と評される国宝本堂で知る人ぞ知る名刹。 失われた三重塔の数奇な運命やかつての鎮守社にまつわる古代史ロマンを紹介します。
奈良県生駒市高山町の高山八幡宮は重要文化財の本殿があり、かつての農民層による平座と茶筌師による無足人座という2つの宮座が併存する珍しい神社。 平座の後に発足した無足人座の歴史からは高山茶筌興隆の歴史が見えてきます。
大和国人ながら最盛期には南山城や河内、摂津にも影響力を持ち、畿内の戦国史に大きな足跡を残した鷹山氏と、鷹山氏が拠点とした現在生駒市北部の中世城郭・高山城を詳しく紹介する記事です。
奈良県天理市の古社・大和神社は境外の関連スポットも歴史のロマンと謎が詰まったエリアです。 毎年4月1日に行われる御渡り神事(ちゃんちゃん祭り)の御旅所を中心に紹介します。
天理市の大和神社は記紀神話の時代から近代にいたるまで、多くの所縁や逸話をもつ魅力的な神社です。 参拝したときに、より深く神社を味わっていただける由緒や歴史を詳しくご紹介します。
平安時代から続く山の辺の道の古刹・長岳寺の紹介記事です。 長岳寺は平安・鎌倉時代から残る貴重な建築や仏像といった文化財だけでなく、血天井伝説や名刀伝説といった歴史ロマンあふれる伝承が残る名刹です。
奈良県生駒市有里町の文殊山にある竹林寺は行基と忍性という民衆教化と救済の先駆的活躍をした二人の高僧の墓があります。 鎌倉時代に復興されたものの室町、江戸と衰え明治には一時廃寺となりましたが、1997年に再建されました。
新興住宅地として戦後急速に発展したイメージが強い奈良県生駒市ですが、創建から1300年以上の歴史を持つ古社・往馬大社が鎮座しています。 生駒の町の歴史的背景の土台となる往馬大社とこの社を氏神としてきた中世以来の生駒谷十七郷の歴史について紹介します。
大坂夏の陣が終わった後、江戸時代に大和で大名、旗本として残った旧大和国人は柳生氏と中坊氏だけでした。 江戸時代、新たな領主として大和に入った大名や天領の支配、そして大和を去った国人たちのその後を紹介します。
筒井氏の伊賀転封によって大和国は中世以来の国人支配が解体され、近世武家政権による支配が始まります。 関ヶ原の戦い、大坂夏の陣と戦国の最末期に起きた大戦で、大和国人たちはどのような活躍を見せたのかを紹介します。
筒井順慶が織田信長、豊臣秀吉に臣従することで大和では興福寺を中心とした中世的支配が崩壊し、近世武家政権による支配が確立する。 順慶死後、筒井氏は伊賀に転封され大和には豊臣秀長が入り豊臣政権による大和直轄化が進行して中世以来の大和国人たちは歴史の渦の中に飲み込まれていくことになる。
現在奈良県宇陀市の中心市街となっている近鉄榛原駅周辺は、江戸時代まで奈良、京都、大坂と伊勢を結ぶ伊勢本街道の宿場町・萩原宿として栄えました。 現在に残る旧街道の様子と往時の賑わいを伝える痕跡を紹介します。
松永久秀滅亡後、知行宛行権を除く広範な大和の支配権を織田信長から認められた筒井順慶は、信長政権のもとで急速に近世大名への道を歩みます。 順慶によって大和の中世は終焉を迎えることになるのです。
59年ぶりに2回目の関西ダービーとなった2023年の日本シリーズ。 関西のメディアを中心に大きな盛り上がりを見せていますが、1964年に阪神と南海が戦った日本シリーズは、日本シリーズ史上最低の観客動員を記録するほど集客面で苦戦しました。 その原因はなんだったのかご紹介します。
大和で1559年から続く筒井順慶と松永久秀の抗争は1571年辰市城の戦いで順慶が久秀に勝利したことで大きく筒井氏の優勢に傾きます。 織田信長が大和支配で順慶を重用する一方、劣勢の久秀は1577年、居城・信貴山城に籠って信長に反旗を翻しました。
全国的にも「きつね」や「たぬき」にまつわる怪異譚は非常に多く見られます。 奈良県内にも多くの伝承が残りますが、その中から以下の伝承を紹介します。 ・古女郎大明神 ・おきよ橋 ・安村坂の狐 ・きつねの井戸 ・たか坊主 ・光慶寺の狸 ・北林の狸
椿井文書は江戸時代後期に山城国相楽郡の椿井政隆が作成したとされる一連の偽文書です。 流布した範囲は京都府はもちろん滋賀県、大阪府、奈良県や三重県の伊賀地方にまで及び、中世文書として自治体史に引用されたものも少なくありません。 椿井文書の特徴や流布した要因などをご紹介します。
奈良市北椿尾町の城山山上にある椿尾上城は、筒井氏の山城で、筒井城を松永久秀に奪われた筒井順慶は、この城を拠点として故地回復を図り、久秀と熾烈な抗争を繰り広げた。 元は戦時の詰め城として築城されたが、順昭の時代から政庁機能を持つ戦国期拠点城郭として拡張され、順慶の時代には石垣を多用した巨大城郭に改修された。
各地に伝わる怪異譚で定番の一つが幽霊にまつわるものです。 奈良県内でも各地に幽霊にまつわる伝承が残されています。 奈良らしく歴史にまつわるものから、一風変わった独特のものもあり、「大鹿の怨霊」など怖ろしい話ながら「鹿」の亡霊が登場するのは奈良らしいと、少し頬が緩むものもあります。
奈良県川西町の唐院は中世城郭の唐院城をルーツとする環濠集落です。 城跡一帯は主に畑地となっていますが、堀跡の道路や南側水路、主郭跡に残された祠が、往時の城郭の姿を微かにうかがうことができます。 集落は下街道と丹波市街道の辻となっており巨大前方後円墳の島の山古墳や延喜式内社の比売久波神社など散策の見所も多くある集落です。
奈良県大和郡山市の小泉城(小泉陣屋)は、江戸時代の陣屋としては規模が大きく、二重の堀と複雑な枡形まで備えた城郭と言って差支えのないものでした。 明治以降、白は住宅地の中に飲み込まれた城跡の見所をご紹介していきます。
奈良県三宅町の屏風環濠は、太子道沿いの環濠集落で、聖徳太子由来の旧跡が残り、その集落名も聖徳太子に由来する。 鎌倉時代の律僧・忍性の出生地であり、中世以来の町割りと環濠を残している。
奈良県川西町の中心市街である結崎は、県内でも環濠集落が集中している地域で、井戸、辻、市場、中村の4つの集落が役場周辺にあります。 市場集落には延喜式内社である糸井神社が鎮座し、その神宮寺であった和福寺に祀られていた薬師如来や平安時代作とされる観音菩薩立像が、住民の方々によって今も守られています。 中村集落は一部に環濠跡の水路を残し、かつての環濠集落の町並みを今も見ることができます。
奈良県川西町の結崎環濠は、井戸、辻、中村の3つの環濠集落にわかれます。 井戸環濠、辻環濠は中世国人領主の居館を囲んだ濠に由来する環濠集落で、埋め立てられた濠あるものの、一部が良好な形で残り往時の姿を偲ばせます。
大阪市平野区にある旧喜連環濠地区は、中世以来の環濠集落で、高度経済成長期に集落の四方を囲んだ濠は失われましたが、現在もかつての環濠の出入り口に祀られた地蔵尊と中世以来の町割りが残ります。 また、江戸~明治にかけての古民家が多く残り、大阪市内屈指の集中度で、市内では大変貴重なスポットです。
「家」というと、男系によって家名が存続されていく制度というイメージがありますが、日本では古来より家名の存続において男子の血統は必ずしも重視されず、他氏からの養子縁組が、貴族・武士から庶民に至るまで頻繁に行われてきました。 しかし例外もあり、天皇家や足利、徳川将軍家では男系継承が徹底されました。その理由を考察し、「同性婚」や「女系天皇」の問題について考えていきます。
奈良県は中世から近世まで、時代ごとに特徴的な城郭が集中するホットスポットです。 およそ560あるとされる県内の城跡のうち、見学がしやすくおすすめの城跡を、日本の城郭発展の概要とともに紹介します。
奈良県平群町の椿井城跡は矢田丘陵南西の尾根上に築かれた山城跡で、その周辺や内部を紹介します。 築城年代は15世紀と見られ16世紀に大幅な拡張・改修が加えられたと見られます。 城主の名や、そもそも城がどのような名で呼ばれていたかも確かな史料がなく、かつては島左近の城という説が巷間流布されましたが、近年では松永氏による拡張・修築の可能性が示されています。
奈良県田原本町の保津環濠集落は集落を取り囲んでいた水堀が水路としてほぼ完存します。保津環濠集落の形成については灌漑、洪水対策とする説も有力ですが、出入り口の形や横矢掛りを設けた構造から、外敵に対する防衛対策が集落形成の背景にあったと考えられます。
大阪市平野区の中心市街は、江戸時代まで平野郷と呼ばれた環濠集落です。 戦後、平野の中心的な商店街となった本町通には昭和レトロなアーケード街がある他、平野郷発祥の地である全興寺は、気軽に楽しく仏教の世界を体験できる施設がいくつもある楽しいスポットです。
大阪市平野区の中心市街はかつて平野郷と呼ばれ、大阪府内で最も古い歴史を持つ集落の一つです。 町内のそこかしこに長い歴史を感じるスポットがあって、散歩がホントに楽しい町。今回は平野郷の西部を中心に大念佛寺や江戸時代まで町の繁栄を支えた商家の町並み、廃線となった南海平野線の駅前周辺を紹介します。
大阪市平野区の中心街区はかつて巨大な環濠に囲まれた自治都市で、大阪市内では最も古くから集住が始まった町の一つです。 江戸時代の木綿産業による繁栄を偲ばせる旧舟入跡、大坂で最初の民間教育機関・含翠堂と奈良街道の沿いの町並みなどの旧跡をご紹介します。
大阪市平野区の中心街区は江戸時代まで平野郷と呼ばれ、大阪市内で最も古くから集落が形成された場所です。 中世には防衛のため集落全体を水堀で囲んだ環濠集落で、郷民による自治都市でした。 江戸時代も商業都市として繁栄し、今は堀はほとんど失われたものの、古い町並みと環濠の痕跡、歴史ある古社寺と見どころ満載のお散歩スポットです。 今回は平野郷の歴史概略と散歩が一層楽しくなる往時の痕跡などの情報を杭全神社界隈を中心にご紹介します。
2023年大河ドラマ『どうする家康』の主人公・徳川家康が、その勝利によって天下の覇権を握った関ヶ原の戦いは、司馬遼太郎の『関ヶ原』などの小説やドラマなどの影響もあり、従来、家康必勝の戦いとしてイメージされることも多い合戦です。 しかし、近年発見された史料で浮き彫りになった事実を追うと、石田三成の挙兵から関ヶ原での合戦に至る経過は家康の思惑を大きく外れ、関ヶ原の戦いは家康の人生最大級の危機だったことが浮き彫りになります。巷間伝わる従来のイメージと、その実情を見比べながら、合戦に至る経過をご紹介していきましょう。
奈良県斑鳩町の高安環濠集落は、在原業平の『高安通い伝説』ゆかりの環濠集落。集落内の勝林寺は聖徳太子ゆかりの古刹であった高安寺(現在廃寺)の名跡と寺宝を継ぎ、所有する3つの仏像が国の重要文化財指定を受けています。重文の仏像3体は現在奈良国立博物館に寄託され、タイミングが良ければなら仏像館で鑑賞できます。