救いの土台としての信仰対象…神観。 救済第1、信理 第2
国木田独歩は、「神を忘るゝ時程薄弱なるわれは非ず」と「欺かざるの記」に書いているが、まさに対神関係は、人間の側が意識ない場合にも神ご自身によって維持されている関係なのであって、人間側が神を忘れても神側が支えておられるかぎり問題はない。パスカルの「人間は考える葦である」という言葉は、「葦」という植物と人間とを優劣比較して、思考者としての人間の尊厳を語っているようであるが、人間は思考していない時間もかなり長いのであって、そこでは尊厳は保たれていないかと言えばそうではなく、重い病や障害ゆえに思考を制限されている人々の状況もあわせて、対神関係においては人間の尊厳は神が保持していてくださるのだ。されど信…
2024/04/20 00:00